5歳からスケートを始め、憧れのスピードスケート選手たちの出身校である信州大学に進学した根城知哉さん(21)。根城さんの選んだ信州大学教育学部野外教育コースは、信州の豊かな自然の中で、アウトドアスポーツ、キャンプ、雪上キャンプ、山岳・ 雪上・ 海浜での野外教育活動、自然災害から身を護る安全活動等について実践的に学べる全国でも珍しいカリキュラムです。大学進学までスケート一筋だった根城さんの人生は、信州大学での学びと、自然豊かな長野での暮らしを通し大きく変わったそう。



氷都・青森県八戸市で物心つく前から氷上に立つ

青森県八戸市は「氷都八戸」と呼ばれ、明治時代からスケート文化を育んできた町。スケートリンクが複数箇所設置されており、学校体育やレジャーなどで日常的に氷上スポーツを楽しむ土壌があります。八戸で生まれ育った根城さんも、物心つく前から氷上に立ちました。


「スピードスケートを始めたのは5つ上の兄の影響です。小さい頃から兄のクラブチームのリンクに遊びに行ったり、送迎についていっているうちに『お前もやってみる?』と誘われました。初めて氷上に立ったのは5歳の時。小さいスケート靴を買ってもらって、父に掴まりながら滑ったのを覚えています。小さいリンクで壁伝いに滑れるようになり、次第に大きいリンクで一人で滑れるようになりました」



幼少期の根城さん。妹さんとスケートリンクでパシャリ。


初めてスピードスケートの大会に出場したのは小学1年生。小学3年生になりスピードスケート部に入った根城さんは、中学高校と本格的にスピードスケートのトレーニングを重ねていきます。 



憧れの兄を追いかけて、憧れのオリンピックの舞台・長野へ

「自分が中学に上がる頃、兄が信州大学教育学部の生涯スポーツ課程地域スポーツコース(現在の野外教育コースの前身)に進学しました。世界で活躍している選手と同じ環境で練習している兄の話を聞いて、自分も信州大学を目指すようになりました」


信州大学は、小平奈緒選手をはじめ、ジャパンカップ第1戦1500mで優勝した一戸誠太郎選手、2016年ワールドカップ代表選手に初選出された山田梨央選手など、名だたるスピードスケート選手を輩出しています。スピードスケート部の練習場のリンクは1998年の冬季長野オリンピックの会場となった「エムウェーブ」。まさに夢の舞台です。


「幼い頃から、兄のスピードスケートの全国大会を応援しに毎年家族で長野に来ていたんです。エムウェーブで開催された世界大会も見に行きました。ずっと長野に憧れがありましたね」



エムウェーブで開催された世界大会で、お兄さんと選手と記念撮影。


「高校も、受験を見据えて兄が通っていた進学校を目指していたのですが、中学校2年生の時の恩師に『本当にそこでいいのか?スケート部がある学校でスケートに没頭したほうがお前には向いてるんじゃないか』とアドバイスを頂き、兄と違う学校を選びました」


「恩師のアドバイス通り、高校のスケート部では、切磋琢磨しあうスケート仲間が出来ました。チームパシュートレース(3人を1チームとした2チームで、約3200メートルの距離の勝敗を争う団体追い抜き競技)でインターハイ入賞を果たしたことが大学の推薦入試の実績になったので、恩師には本当に感謝しています」


高校のスケート部の仲間と青森の山をハイキング。


​青森県立八戸西高等学校のスケート部で選手としての実績を積んだ根城さんは、晴れて信州大学に進学し、スピードスケート部に入ります。



野外教育コースで「遊び」は「学び」だと気づく

根城さんの選んだ信州大学教育学部野外教育コースは、登山やキャンプなどの「自然体験活動」、スキー・スケートが盛んな地域のニーズに応える「冬季スポーツ」を指導できる教員の養成を目指したコースです。


始めはスピードスケート部の先輩が在籍していたため選んだコースでしたが、いざ授業が始まり、根城さんは「あれ、俺これめちゃくちゃ好きかも」と気づきます。意識が変わったのは一年生の時に所属した有路憲一教授の「考えるゼミ」がきっかけでした。


「有路憲一先生は、好奇心の塊で子供みたいな方。ゼミでは『学校とはちょっと違う学び』をテーマに、本気で・真剣に遊ぶことを通して学んでいくんです。それがとにかく楽しくて、授業がない日も研究室に入り浸っていました」



「考えるゼミ」の有路教授。


​松本キャンパスには「考えるゼミ」から出来た、松本・塩尻の小学生に対して出張授業をするサークルがあり、根城さんもその一員になります。身近にあるオノマトぺを探してみてから、オリジナルのオノマトペを作ってみる。養蚕から服の成り立ちを調べて、糸を紡ぐところからやってみる。そういった「遊び=学び」の実践を繰り返すうちに、根城さんは自分が子供の頃に山で遊んでいたことも全て野外教育につながっていると気づきます。



座学だけでなく、「学校とは違う学び」を実践的に学んでいきます。


「自分、外遊びがとにかく好きで。小学校の時からめちゃくちゃ外で遊んでいました。ゲームセンターって何するの?みたいな。ゲームもすぐに飽きちゃう。山の上に住んでいる友達に会いに自転車で山を登ったり、空き地で野球したり、雪山でソリ遊びしたり、秘密基地を作ったり」


家族もアウトドア一家で、夏は八戸種差海岸でピクニック、冬は雪のトンネルを訪れるなど四季折々の自然の遊び方を無意識のうちに学んでいた根城さん。青森にいた頃は当たり前すぎて自覚していなかった、「自然も、自然の中で遊ぶことも大好き!」ということを野外教育コースでの学びを通して体感します。


「野外教育というと大それた名前に聞こえるけれど、自分としては外遊びの延長線上というか。授業ではあるけれど、ほぼ遊び感覚で学んでいます。それまではスケートだけが自分の軸でしたが、全部が学びに繋がるんだと気づけました。生活の全てに楽しさを見出すようになって、自分は何にでもチャレンジできるってわかったんです」


 

「自由だ!なんでもできる!」はじめての自分の車と一人暮らし。

中学校時代は門限19時、高校では門限21時。外泊は禁止と、厳しい家庭で育ったという根城さん。さらに、根城さんが所属している信州大学スピードスケート部は、完全オフ日は週1のみ。9−3月のシーズン中は氷上トレーニング、鍛練期の4−7月は陸上トレーニング。8月上旬は北海道遠征があり、下旬は長野で陸上トレーニング。9月はまた北海道遠征と過密なスケジュールです。


それでも根城さんにとっては大学進学を機に実家を離れて車を手にし、「はいどうぞ」と唐突に差し出された初めての自由な生活。「これからは何したっていい!」と根城さんが最初にしたことは、湖畔での車中泊でした。


「星空と朝日を見るためだけに、当日の夜にバーッと車を走らせて湖のほとりまで行きます。草原に寝転んで、星綺麗だなぁって夜空を眺めてから車中泊して、朝日が登る前に起きて、日が昇るのを見ながら自分で淹れたコーヒーを飲むんです。そのままそこをベースキャンプにして滝を見に行ったり、山を登りに行きます」 



根城さんのとっておきの場所、野尻湖。朝日が眩しいです。


​車中泊、ロードバイク、トレイルラン、キャンプ。移動と時間の自由を手にした根城さんは、1人で、時には友人や先輩と、長野の自然の中で全力で遊びます。野外教育コースで出来た友人も、根城さんと同じようにアクティブな学生が多かったそう。


「夜中に大学の友人から急に電話が来て、『今からアルプス公園(松本市にある自然公園。北アルプス連峰、安曇野、美ヶ原、松本市街が一望できる展望台がある)に夜景を見に行こう!』って誘われたりするんですよ。みんなでドライブしていって、夜景を見て、『なんか足りねぇ』ってまた車を走らせて別の夜景スポットへ。それでもまだ足りなくて、『そうだこのまま海行こう!』って海辺まで走って車中泊して、早朝から海で朝日をみて海に飛び込む、みたいな」


「みんなで阿智村に星を見にいったらロープウェーがやっていなくて、しょうがないから展望台まで自力で登って(標高1600m)、地面に寝っ転がって星を眺めたこともあります。遊びの方向が自然に向くんですよねみんな。小学生の頃から今まで、結局遊び方はあんまり変わらないかもしれないですね。とにかく外遊びが好きなんです」



子供の頃から外で遊びまわっていた根城さん。大きくなっても根本は変わらないのかもしれません。



「あれ登りたいなぁ」長野の山を走って登るトレイルラン

「長野に来てから、山の魅力も知りました。長野に来てすぐ、遠く見渡せばそびえ立つ山脈を見て『やっぱ長野すげぇ』と感動して、次に思ったのが『あれ登りたいなぁ』でした。青森にも山はあるんですが、たいして高くないんですよ」


スピードスケートのトレーニングでは、体力づくりと脚を鍛えるためにロードバイクを活用した練習をするのが定番です。青森にいた頃から、ロードバイクに乗って山や海へサイクリングに行くのが好きだった根城さんは、長野の山を登り始めます。様々な登り方がある中で、根城さんが一番好きなのはトレイルラン。舗装されてない山道をひたすら走って登ります。


「飯綱山(標高1917m)はノンストップで走りきります、40分くらい。旭山(標高785m)は7分です。自分の家の裏の里山と、地附山など善光寺の周りの里山はすべてつながっているので、一気に全部の山を走りきります。距離で言ったら10キロかな、2時間くらいかかります。休憩ですか?それぞれの山の頂上で記念撮影くらいはしますね、登りきったらまたすぐ次の山にむけて走ります」



山頂で記念撮影をしたらまた次の山へ走り出します。


「自分にとっては、登山やハイキングの方がきついんです。トレイルランはずっと脈が上がった状態で走り続けるので、いわゆるゾーンに入っていて意識がないんですよね。無心で走り続けて、登り切ったら目の前に絶景。『いのち!!』って感じ。身体の底から生きている実感が湧きます」 



崖登りがきっかけ!?長野県立大生との出会いでさらに世界が広がる

2年生に進学し、松本キャンパスから長野キャンパスに移った根城さん。新しい環境で人との出会いを増やしたいと思ったものの、コロナの関係で授業はリモート、人が集まる学内外のイベントは軒並み中止。そんな中、根城さんはSNSを通じて長野県立大学の学生と出会います。


「やましい話なんですが、恋人が欲しかったんです。でもコロナで出会いのチャンスもなかなか無くて。どうしようと思った時に、信州大学教育学部のキャンパスの近くに、長野県立大学があるなって。安直に、twitterで『#長野県立大学』と検索して女の子を探そうとしたら、一番上に長野県立大学の八田彩果さんという方が出てきました」


八田さんは、当時根城さんと同じく2年生。コロナ禍で新入生歓迎会など行事がなくなる中で、新入生の交流の場を作ろうと自主的にオンラインで新入生支援のイベントを企画するなど精力的に活動している学生でした。この人すごい、同い年なのになんでこんなことが出来るんだろうと衝撃を受けた根城さんは、恋人作りも忘れて彼女に興味が湧き、twitterとInstagramをフォローしました。相互フォローにはなったものの自分からは連絡出来ず、しばらくは近況を見るだけの時間が続きます。2人の交流が生まれるきっかけになったのは、根城さんの外遊びでした。


「ある日の朝、いつも通り滝を見に行って。滝って岩と岩の間から流れてるじゃないですか。滝の湧いているてっぺんを見たいと思ったんです。それで崖を登ってみることにしました。登って降りて家に帰っても、リモートの授業が始まるまで全然余裕あるなと思って」



奥に見えるのが根城さんが登ろうとした滝です。


「ただ、いざ登り始めてみたら、足場にしていた石がゴロッと崩れて。あ、これ危ないな、やめよう、と思ったものの、斜面がきつすぎておりられなくなってしまいました。もう授業が始まる時間になってしまい、しょうがないので崖にぶらさがったままZOOMで授業を受けました」


「崖で授業を受けている自撮りをInstagramにあげたら、八田さんがメッセージをくれて、そこから話すようになったんです。始めは恋人が欲しいという下心でしたが、彼女がきっかけで県立大の友人を紹介してもらって、そこからに更に長野市内の面白い場所に連れて行ってもらって、一気に世界が広がりました」



八田さんと、八田さんが繋げてくれた親友の小林さん。夕暮れの長野市街を一望。


「大学に入るまでは、スケートしかしてきませんでした。スケート一筋で良い選手になるぞと意気込んでいましたが、いざ長野での学生生活が始まったら人との出会いを通して自分のなかに新しい軸がどんどん増えました。何か新しいことを始める時、何をやるかよりも、そこに誰といるかの方が自分にとって重要です。あの人と話してみたいから、遊びたいから、じゃあその人がやっていることをやってみよう!と、どんどん新しいことに挑戦しています」



県立大学の友人がきっかけで通うようになった市内のゲストハウスPise。社会人の友人も増えました。



長野で視野が広がり、兄の背中を追うことをやめた

「兄は、信州大学卒業後は地元八戸に帰ってきて、中学校の先生をしつつスピードスケートも教えています。自分も大学に入るまでは、兄のように卒業後は地元に帰って先生になって、スピードスケートを続けようと思っていたんです」


根城さんの両親はどちらも高校の教員を勤めており、根城さんは保育園の頃から両親の高校に行っては、誰もいない校庭で遊んだり、職員室の先生にかわいがってもらっていたそう。中学生になるころには、両親が食卓で話す教師の抱える悩みもわかるようになり、「教員」という仕事を身近に感じていました。


「でも長野での学生生活が始まって、次第にそれはもうお兄ちゃんがやっていることだから、自分はやらなくていいやと思うようになったんです。地元に帰るのは、長野で経験を積んで良い選手になってからでも遅くないなって。それに、長野に来ていろんな人と出会って、スケート以外の楽しいことを知りました」


「両親から、『兄のようになりなさい』や『地元に帰って来なさい』とは一度も言われたことはありません。ただ自分が兄に憧れていたんです。家族とは、離れた今でもよく長電話をして新しい出会いや学びを共有しているんですが、兄と違うことをやってみたいと打ち明けた時、母は『きっとそう言うってわかってたよ』と笑ってくれました。知哉がやりたいことをやりな、といつも背中を押してもらっています」



スピードスケートを続ける理由は「人」

2022年の春から4年生になる根城さん。選手生命においても、大事な時間となる学生最後の1年。卒業後に選手としての活動が続けられるかは、本人の熱意はもちろん、学生のうちに成績を出し、スポンサーに掛け合って所属先を探す必要があります。


「自分は、今の状態だと卒業後もスピードスケートを続けられるような選手ではありません。2017年からは青森県の代表として国体に出ていますが、高校の時からタイムが伸び悩んでいて。『未来の日本代表』と持て囃されることと、結果がついてこない自分への葛藤があります」


スピードスケート部では、チームの仲間から「知哉しかいない」と推され部長を務めることになるそう。これからはチームを引っ張る側になると意気込みます。


「もっとうまく、早く滑りたいという気持ちはもちろんありますが、自分がスピードスケートを続けている理由は「人」です。幼い頃からずっと応援してくれる家族。地元八戸の仲間が今もそれぞれ離れた土地でスケートを続けているのは励みになりますし、競い合えるライバルたちもいる。そしてスピードスケート部のチームのみんな。そういった人たちに刺激されて、俺も頑張りたいと思えます」



「これまでの長野での3年間は、自分の選択肢を広げる期間でした。新しい人と出会って繋がりが増えて、スケート以外のいろんな生き方を知りました。ラスト1年は、今自分が持ってる選択肢、出会った人との関わりを深める1年にしたい。やれることをやりきって終わりたいです。地に足をつけてふんばる、まとめ作業ですね」


憧れの兄を追いかけ、地元青森を離れ長野にやってきた根城さん。長野の雄大な自然と、出会った人々との交流に育まれ、スピードスケート選手としてはもちろん1人の人間として大きく成長してきました。長野での学生生活は最後の1年。これからものびのびと健やかに、学びを深めていくことでしょう。



​根城知哉さん(21)

青森県八戸市生まれ。兄の影響で5歳からスピードスケートを始める。青森県立八戸西高等学校卒業後、信州大学教育学部野外教育コースに進学し、スピードスケート部に所属。2017年から青森県代表選手として国体に出場。長野の山と湖と外遊びが大好き。


信州大学野外教育コース

https://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/education/course/outdoor/



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