フリーランスとして場所を選ばず働きつつ、地元・長野に自分の店を持つ

「おかえりなさい、ここはあなたの場所です」ー地域の「居場所作り」を目指し、長野市で「シーシャ場 円」をオープンした吉澤さん。


円では、水タバコを楽しむだけでなく、カフェ利用もでき、地元のアーティストや作家による展示、ライブ等のイベントも行われています。長野の新しいカルチャーハブとして、着実に存在感を増しているお店です。



ボードゲームや、常連客が持ってきた本や雑誌、地元のアーティストの作品が並ぶ店内。自由な空間です。


吉澤さんは普段店頭に立たず、オーナーとして経営を担当。本業はフリーランスのエンジニアです。2020年3月に5年間勤めたEPSONを退職し、独立。現在は東京、長野にクライアントを持ち、WEBデザイン、エンジニア、マーケティングと幅広い分野で活躍しています。


「俺の仕事は人に会わずにオンラインで完結してしまうし、そもそもここ数年はコロナ禍で人に会うこと自体タブーな空気がありますよね。だからこそ、オフラインな人のつながりを求めるようになりました」


「居場所作り」とノマドワーク、一見相反する2つの肩書きを持つ吉澤さんですが、独立を選んだことも、長野を拠点としたこともコロナ禍がきっかけだったそうです。



長野高専卒業後、恋人のために地元での就職を選んだ20代前半

「単純に中学生の頃から理数系の科目が好きで。志望校選びを迷っていたときに、母に高専(長野工業高等専門学校)を勧められました。学力的にそこが丁度よかったんです。当時はエンジニアになろうとは考えていませんでした」


長野高専で5年間電子電気工学を学んだ吉澤さんは、2015年に長野が本社のメーカー・EPSONに就職します。


「地元で就職したいというよりは、当時付き合っていた恋人が長野に住んでいたので、ただ長野にいよう、と。長野を出たいとか、長野で働きたいといった思い入れはなくて、恋人と一緒にいるための地元就職でした。19−22歳くらいまでは、将来のことは何も考えていませんでしたね」



EPSON勤務時代の吉澤さん。当時の同期は今でも仲がいいそう。


「はじめに大手の会社に就職しておけば、その後のキャリア形成に有利だろうという思いはあったものの、入社当日、研修で本社に向かう電車に揺られながら、俺はこのまま定年までEPSONで働いていつかは結婚して子育てをして老いていくんだな、とぼんやり未来を思い描いていました」



中国出張中のマッチングアプリでの出会いが人生を変えた  

入社4年目にあたる2018年から、単身での中国出張を任されるようになった吉澤さん。1ヶ月間中国に出張し、日本で1ヶ月を過ごし、また出張へという生活を送っていました。当時中国では日本同様マッチングが流行り始めた頃で、出張の合間に現地の人と交流しようと吉澤さんもアプリに登録。アプリで出会ったある中国人女性との対話が吉澤さんの人生を大きく動かします。


「四ヶ国語を話す、31歳のファッションデザイナーの女性と出会ったんです。大学卒業後にフランスに留学して、ファッションデザインを学び、韓国でデザイナーとして働いてから中国に戻ってきた人。決して裕福な暮らしをしているわけじゃないけれど、とにかくキラキラしていて。いろんな国を渡り歩いて、大変なこともあったけど私の人生は本当に楽しい!と語る彼女を見て、俺も『そっち側』に行きたい!と思いました」


それまで、なんとなく全てうまくいってきた人生だったと振り返る吉澤さん。勉強もできて、友人にも恵まれ、恋人もいる。安定した大手企業のEPSONに就職。けれど、今まで何かに本気を出して挑戦したことがないと気づいた吉澤さんは、突然「そうだ、カナダに行こう!」と思い立ちます。



カナダの永住権取得を目指し、エンジニアと英語の勉強を開始  

「もともとカナダに行ってみたい気持ちはあったんです。オーロラが見たくて。同期と2週間休みを取って行ったアイスランド旅行で、オーロラを見損ねて。いつか見たいな、オーロラと言えばカナダだなって。このままEPSONに勤めていればお金も稼げるしまとまった休みも取れる。定年まで定期的に海外旅行行けるじゃん、と思っていたけれど、中国で出会った女性と話しているうちに旅行じゃなくて自分も海外で挑戦してみたくなってきて。海外出張に来たくらいで満足してちゃだめだって。そこで思いついたのがカナダ移住でした」



海外に行きたい気持ちが芽生えたアイスランド旅行。  


当時、カナダのバンクーバーではITバブルが起きていました。ITの仕事ができれば、カナダにいながら日本の仕事も受けられる上に就労ビザも取りやすくなることに目をつけた吉澤さんは、エンジニアを目指し独学で勉強を始めます。


「EPSON勤務時代は生産設備の電気設計をしていたので、現在のWEBデザインや制作の仕事との関連性はほとんどありませんでした。フルタイムで働きながら、ひたすら勉強しましたね。もちろん英語の勉強も並行して。カナダでいきなり仕事が貰えるとは思っていなかったので、まずはカナダのIT系の専門学校に通いながら日本の仕事を受けて経験を積み、カナダで仕事を見つけて永住権を取る計画でした」



旅人向けSNS「カウチサーフィン」に登録し、海外からの観光客との交流を通し英語力をつけました。


勉強を初めて半年後から、クラウドワークスで徐々にコーディングの仕事を受けるようになった吉澤さん。奨学金が受けられるプロジェクトにも選ばれ、留学先も決まりました。銀行から融資も受けられることに。退職日も決まり、家具や持ち物を全て処分し、家を引き払い、新生活を始める準備は万端。いつでも行けます!と気合十分な吉澤さんを、コロナ禍が襲います。



コロナ禍により全てが白紙へ。日本での働き方を模索  

2020年、3月。EPSON最終出社日の2日前、新型コロナウイルスの影響でカナダの国境がロックダウンされました。フライトまではあと2週間。その後も依然としてロックダウンは続き、渡航は延期となりました。まぁ数ヶ月もすれば元どおりになるだろう、という希望は徐々に陰っていきます。


「奨学金留学のプロジェクトメンバーに選ばれていたので、3ヶ月間はモントリオールの語学学校に通う予定でいたのですが、プロジェクト自体が延期になりました。エンジニアの専門学校の入学金は既に振込済み。当時は焦りを通り越して無になっていました。もう俺何もなかったんだから。家も仕事も」


既にEPSONは退職済み。ただ実家でロックダウンが開けるのを待っていてはお金が入ってこないため、吉澤さんは在職中に受けていたコーディングの仕事の受注先や、長野県内のWEB制作の会社に営業をかけ始めます。


「50社くらいはメールしたかな。前から一緒に仕事をしていた東京の制作会社に「カナダに行けなくなったんですよ」と連絡をしたら、「じゃあもっと案件流しますね。」と言ってくれて、仕事がもらえるようになりました。本当にありがたかった」


「営業メールを送ったことがきっかけで、長野の印刷会社の社長さんも連絡をくれました。コロナ禍で経済が停滞している今のうちにWEBサイトのリニューアルをしたい、ぜひ君に任せたいと言ってもらえました。若い頃に海外経験を積んだ方で、海外で挑戦したい若者を応援したいと、俺がカナダ留学を目指していた点に共鳴してくれたんです」


いつカナダに行けるんだ、この先どうなるんだ?と不安を抱えながらも、熱意と可能性に賭けてくれる大人たちに支えられつつ、吉澤さんはひとまず日本で仕事を増やし始めました。2020年6月にはGo Toトラベルが始まり、自粛モードが徐々に弱まってきたタイミングで、吉澤さんは多拠点居住を促進する旅のサブスクHafhに登録し、仕事をしつつ日本国内を放浪し始めます。



不安な気持ちを抱えながら日本を放浪。五島列島の青空を見て心が晴れた

「とりあえず遠くに行きたくて、まずは京都を目指しました。会社員を辞め、どこでも仕事ができる状態になって初めての遠出。ずっと実家にいたので、母以外の人と話して、長野以外の町を歩くのは新鮮でした」


京都の次は福岡へ。フリーランス向けのマッチングプラットホームconemaで連絡をくれた方に会いに行きました。無料のコワーキングスペースがあったり、行政がIT誘致を積極的に行っている福岡で、いい刺激を受けたそう。その後、吉澤さんは「離島に行ってのんびりしよう」と思い立ち、長崎の五島列島へ向かいます。


「今にも雨が振りそうな曇り空の中を、1時間くらい歩いて海に行きました。これ帰ったほうがいいかな、でもここまで来たし、とやっと浜辺について。10分くらいぼんやり座っていたら、急に空がバーっと晴れてきたんです。それがあまりにきれいで号泣してしまって。気持ちも一緒に晴れた。『もういいや、俺は日本にいよう!カナダやめた!』て吹っ切れました。そのまま宿まで走って帰りましたね」


吉澤さんのターニングポイントとなった、長崎・五島列島の海と青空。
  

ITの仕事を頑張れば、こうして場所を選ばずに自由に働ける。コロナ禍が落ち着いたら海外に行ってもいい、ひとまず日本で頑張ってみよう。放浪を経て、決意が固まった吉澤さんは、晴れやかな気持ちで長野に帰ります。



地元・長野で再スタート!「場づくり」をしたい思いが芽生える  

まずは保留にしていたカナダの専門学校の入学をキャンセル。返ってきた学費を融資の返金に充て、EPSONの持ち株を売り、失業保険の受給も始まり、1-2ヶ月は暮らせる余裕ができました。


身辺の整理がついてから「カナダに行くのをやめました。長野にいます」とSNSにアップしたところ、高専生の頃にライブハウスで知り合った友人から9年ぶりに連絡がきました。


のちに吉澤さんがオープンする「シーシャ場 円」の店長となる、ナカズさん(36)です。長野に帰ってきたものの、友人の多くは就職で市外県外に出ており、所属するコミュニティが無かった吉澤さんは、ナカズさんに連れられて外へ出かけるようになります。



開店準備中の吉澤さんとナカズさん。息のあった二人です。


「たまたまナカズさんから連絡を貰えたおかけで人とのつながりは出来てきたけれど、長野に帰ってきて以来、同年代の仲間を見つける場所はどこにあるんだろうという気持ちを抱えていました。そんな中、そういえば金沢行ったことないな〜程度の気持ちでふらっと行った金沢で、俺のロールモデルになる人を見つけました」


Hafhを利用し、Emblem Stay Kanazawa(現在はLINNAS Kanazawa)に宿泊した吉澤さんは、「ホテルという場所を通じて、旅の拠点、地域のハブを作りたい」という思いを持って働くオーナーのあきさんと出会います。


「同じ日にたまたまEmblemに宿泊していたオーナー夫婦の友人が長野の上田市の出身で。長野から来ましたと自己紹介したら、『おっ、あいつも長野だよ』と輪に入れてもらって。長野って共通点がなければ、俺はただのお客さんで終わっていたかもしれない。今まで、「場づくり」という概念を知らなかったんです。あきさんの話を聞くうちに、それだ!場所が無いなら俺が作ろう!と気持ちが固まりました」



マッチングアプリがきっかけで、初めてのシーシャを体験  

やりたいことの方向性が定まってきた頃、涼しさを求めて向かった北海道で吉澤さんはシーシャを初体験します。


「マッチングアプリで知り合った札幌の子がシーシャ屋に連れて行ってくれました。まさしく未知の空間でした。その場にいる人それぞれがゆったり自由に過ごしていて。煙を楽しみながら一緒に行った子と語り合いあっという間に数時間が過ぎていて驚きました」


シーシャは、別名「水タバコ」とも呼ばれています。皿の上で燃やしたタバコの煙を「水パイプ」という専用の器具でろ過し、ホースで吸う嗜好品です。タバコよりも味わいがやわらかで、煙に様々なフレーバーを足せる特徴があり、多彩な味や香りが楽しめる上、1台で1−2時間はじっくり煙を味わえます。




「カフェだとコーヒー1杯で数時間居座るのは申し訳ないけれど、シーシャは平均して2時間以上は居続けることが前提なのでじっくりコミュニケーションが取れる。そこに魅力を感じました。場作りをしたい、とシーシャっていいな、が融合して、これならいい空間が作れるかも、と自分の中でしっくり来たんです」



長野市権堂アーケードの路地裏で「シーシャ場 円」がオープン

「俺がやりたいのは土台を作ること。店に立つのは向いていないなと思っていたので、まずは店長を任せられる人を探しました。そこで頭に浮かんだのが、長野に帰ってきたばかりの俺を、外に連れ出してくれたナカズさん。やってほしいな、と思っていたら向こうから『俺がやろうか?』って言ってくれて。ちょうど彼も仕事を辞めたタイミングだったんですよ」


2人でシーシャ屋を始めようと決めたのは2021年11月。冬ごろから内見を始め、2月に善光寺からほど近い、権堂アーケードの路地裏にある元居酒屋の物件を借りることに決定。カウンター席があり、奥には畳の座敷席があり、ちょうどいい実家感が気に入ったそう。4月に契約が完了し、シーシャを提供する上で必要なたばこ小売業の申請も終了。着々と準備が進んでいきます。



元居酒屋を改装した「シーシャ場 円」の店内。決め手は「実家感」でした。
  

壁を塗り、床を張り、棚を増設。店内の改修工事は全てDIYで行いました。お店や個人のInstagramでボランティアを呼びかけ、毎日のように誰かが手伝いに来てくれたそう。中にはただ覗きにきては座敷席で昼寝して行く人も。それくらい気軽に立ち寄れる、町の「居場所」になり始める気配をオープン前から感じたそう。



オープン前から、改装を手伝いに来た人同士の交流も生まれました。  


2021年6月11日、「シーシャ場 円」がオープン。カナダ留学を決めた日からは約2年、留学を断念してからは1年足らず。まさに怒涛の展開でした。


「シーシャ場 円」は、地域の若者、学生を中心に、幅広い年代・バックグラウンドの人たちが集まる場所として着実に育っていっています。毎月、地元のアーティストや作家による展示、ライブも行われており、シーシャ屋の枠を超えて長野の新しいカルチャーハブとなりつつあります。



店内の一部は地元アーティストのギャラリーに。作品の購入もできます。  



「地域のIT屋」を目指して、フリーランスとして働く

一方で、ITの仕事もコツコツと営業を続け、順調に軌道に乗ってきました。現在はデザインからマーケティングまで幅広く活躍中。仕事の比率は、東京の企業が8割、長野が2割くらいだそうで、今後は「地域のIT屋」として長野の仕事を増やしていきたいと意気込みます。


「長野の仕事のメインは商店街連合会です。『SNSの使い方』や『LINE公式アカウントの運用方法』などセミナーの講師をしています」



講師を務めるセミナーでの様子。  


「連合会とつながりができたのは、Go to商店街という商店街を生き返らせる補助金を知ったから。商店街関連の知り合いがいなかったので、市議会議員の方の事務所に飛び込みでプレゼンに行きました。そうしたら快く3つ4つ商店会を紹介してくれて、そのうちの一つの三輪通り商店街が熱を入れて一緒に仕事をしてくれるようになりました。今はセミナーがメインですが、いずれはWEBサイトの制作にも関わっていく予定です」



今は恋人がいるとかいないとか関係なく長野にいたい  

今後は長野を拠点に活動していくつもりですか?という問いに「今のところは!勿論、10年先はわからないけどね」と笑顔で答える吉澤さん。


「一度断念した、海外に行くことを再チャレンジしたい気持ちももちろんあります。でも現時点では、俺は長野にいるのがいいんじゃないかなと思っています。最初に長野で就職を決めた22歳のときとは違って、恋人がいるとかいないとか関係なく、俺は長野にいたい」


「永住する勢いではあったけれど、カナダに行ったとしてもいずれは長野に戻ってくるつもりではいました。生まれた土地は長野だから。老後は長野の山奥でエンジニアをやりながら、海外の雑貨なんかを売る変な店をやって、仙人みたいな余生を送りたかった。今思えば、カナダを飛ばして余生が先に来たのかな」



「俺に関わる人、全員幸せであれ」  

「今後やってみたいのは、自分で商品を作ること。長野に関わるものでもいいし、『シーシャ場 円』のグッズでもいい、何を作るかはまだ固まっていないけれど、作って売る、というのをやりたいですね。ECサイトの案件を受ける上で、実際に自分でもモノを作って売った経験は強みになると思うし。時間をかければ、種をまいていけば、芽が出るんだなとわかってきたので、これからもコツコツ経験を積んでいきたいです」


「お金を稼ぐ、とかはどうでもいい。でかいことをしたいわけではなくて。26歳で自分の店を持ち、フリーランスとして独立!って表面をなぞられて『すごい人だ』って持て囃されることもあるけれど、俺の中にある信条はあくまで『人』。人との出会い、関わりを大事にすること。俺はただ俺に関わる人全員幸せであれってマジで願ってる、それだけです」


「ぬるっとここまで来ちゃいました」と笑う吉澤さんですが、彼を支えているのは先を見据えた種まきと地道な努力。そして、マッチングアプリでの出会い、窮地から掬い上げてくれる人たち、旧友との再会と数々の「縁」に恵まれるのも彼の持つ力の一つなのでしょう。吉澤さんと、彼の紡ぐ縁が今後長野でどのように広がっていくのか、これからも目が離せません。





吉澤尚輝さん(27)

1994年生まれ。長野市で生まれ育つ。2015年長野高専卒業後、EPSONに就職し生産設備の電気設計に携わる。2018年、カナダ移住を目指し、独学で英語とエンジニアの勉強を開始。2020年にEPSONを退職。カナダへの渡航を目前にしてコロナ禍に直面し、留学を断念。数ヶ月の国内放浪を経て、フリーランスのエンジニアに。同時に「場づくり」に興味をもち、2021年長野市権堂にて「シーシャ場 円」をオープン。


シーシャ場 円 ホームページ

https://shisha-en.com/


シーシャ場 円 Instagram

@shisha_en


吉澤さん WEBサイト

https://bcoop.tech/



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