長野県の北部、長野市街地から車で30分ほど。一面のリンゴ畑が広がるのどかな街、飯綱町。そんな飯綱町で、2021年の春にシェアハウスが始まりました。その名も「Ringo荘」。飯綱町に帰ってきた人、移住したい人、目的も出身も年代も様々な人たちが集まって暮らしています。「まちとひとをつなげるきっかけになる拠点」を目指して生まれた「Ringo荘」。


管理人を務めるのは、佐々木彩花さん(21)。「Ringo荘」を運営する傍ら、県内外で間借りの喫茶店「消灯珈琲」を営む佐々木さん。地元に帰ってきてから約1年。長野での暮らしについて伺いました。

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「Ringo荘」の運営と、飯綱町でのまちづくりの仕事

床の張替えから棚づくり、大工さんの力を借りつつDIYで作った「RIngo荘」。「まだまだ未完成なんです、やりたいことが沢山」と語る佐々木さん。

  

 「今のメインのお仕事は『Ringo荘』の運営です。住民の方々がよりよく暮らせるように、建物の整備をしたり、地元の方との交流の機会を作っています。働いている『ツチクラ住建』では、もともと設計のチームに配属されたんですが、今は町づくりや空き家を活用した拠点づくりのプロジェクトに関わっています」

Ringo荘のお部屋の名前は「サンふじ」、「夏あかり」、「あるぷす乙女」、「シナノスイート」と全て長野のりんごの品種になっています。佐々木さんが手作りした木製のプレートが各部屋に。


現在、町づくりの事業の一環として、「Ringo荘」の近くの老舗旅館「丸為旅館」の運営も手伝っているという佐々木さん。多拠点生活プラットフォームであるADDressと連携し、いずれは旅館からゲストハウス的な素泊まりの宿に運営形態を変えていきたいそう。


「まちの魅力は実際に滞在しないとわからないと思っています。『Ringo荘』にもお試し移住として、宿泊ができるゲストルームを作りました。今の飯綱町には、気軽に泊まりに来れる拠点があまりに少ない。移住やUターンまでいかなくても、飯綱町にふらっと遊びに来てくれる人、関係人口を増やすきっかけを作りたいです」



「古民家のリノベーションに関わる仕事をしたい」夢が生まれた高校時代  

大学進学を機に一度県外に出た後、コロナ禍がきっかけで地元である飯綱町に戻ってきた佐々木さん。「飯綱町で『拠点づくり』といえば佐々木さん、と言われるようになりたいんです。」と語る佐々木さんですが、10代の頃はとにかく早く地元から出て行きたかったといいます。


「地元、だいっきらいでした!私にとっての地元のイメージは、『頭突き抜けていると敬遠されるところ』で。ここでは派手なことができないと思っていました。小さい時から目立ちたがり屋だったから、とにかくそれが嫌で、早く出て行きたかったです。長野に行きたい高校なんてないと思っていたら、担任の先生に勧められたのが長野西高校の国際教養科。いざ入学したら、とにかく個性的で好きなことをやっている子が多くて。長野にも個性的な人たちがいたんだな、ってわかりました」


佐々木さんが高校時代を過ごした長野市では、古い建物をリノベーションし、新しいお店に生まれ変わらせる流れが起きていました。


佐々木さんが通っていた古着屋の「comma(コンマ)」や、カフェの「新小路カフェ」も、昭和に建てられた古民家をリノベーションしたもの。古い蔵や呉服屋、古民家が改装され、息を吹き返していく。人がいなかった場所に、また人が集まるようになる。


そうして町が変わっていく様を見ていくうちに、リノベーションに興味を持つようになった佐々木さんは、高校卒業後、新潟県長岡市の芸術大学に進学し建築環境デザインを学び始めます。


「Ringo荘」の佐々木さんの部屋。壁の本棚はDIYで作り上げました。



コロナ禍で大学生活が一変。その後の生活を導いたのは一匹の子猫  

「卒業後、長野に帰る選択肢は全くなかったです。なんなら都会にいこうと思っていました。卒業したら都会の小さい設計事務所に入って、古民家のリノベーションに関わる人生をなんとなく思い浮かべていました。実力がついたら、設計事務所を開こうかな、と」


しかし、大学2年生に進級した直後に新型コロナウイルスの流行が始まり、充実していた佐々木さんの大学生活は一変します。


「大好きだった先輩たちや友だちとの交流も無くなってしまい、授業はすべてリモートで在宅に。大学のアトリエも使えなくなってしまって。在宅で楽ができる!なんて、とても思えませんでした」


アルバイトを増やしてお金を稼ぎつつ、人と関わる機会を絶やさないよう努めた佐々木さん。学生主催のフリーマーケットを企画・運営するうちに、設計士を目指すのではなく、人の集まる拠点を作りたいという気持ちが芽生え始めました。しかし、先の見えない日々に次第に限界を感じるようになります。


「休学を決めるきっかけになったのは、一匹の子猫でした。二年生の前期が終わる頃、知り合いから子猫を飼わないか、と言われたんです。飯綱町の母に、『猫を飼いたい』と電話したら、いっぱいいっぱいになっていた私を見抜いた母に「もう帰ってきちゃいなさい!」と言われて。たくさん悩みましたが、大学を休学して、一度地元に帰ることを決めました」


この一匹の子猫との出会いが、佐々木さんの長野での生活を導いていくことになります。


休学のきっかけになった猫の須臾(しゅゆ)さん。黒猫の獏さんも増えました。「RIngo荘」で佐々木さんと一緒に暮らしています。



長野での住まい探しが難航する中に舞い込んできた古民家シェアハウスの計画

猫を一匹連れて、長野に帰ってきた佐々木さんは、「猫と暮らせること」と「自分で自由にリノベーションできる古民家」を条件に、住まいを探し始めます。


「長野県に帰る、と決めた時点で、まず向かったのは松本市でした。古民家を改装したブックカフェの「栞日(sioribi)」さんでどうしても働きたくて。残念ながら雇ってはもらえませんでしたが、オーナーさんに、『あなたはやりたいことがもうはっきりしている。自分の憧れる場所がもうそこにあるなら、同じ場所で作る意味はないから、あなたがこれから数年後にどういう場所を作っていくのか楽しみ』と言ってもらえたんです」


長野市でも、2つの設計事務所から仕事のオファーはあったものの、住まい探しは難航。どこもしっくり来ないな、と思っていたタイミングで、飯綱町で空き家になったばかりの古民家があると、地元の工務店に務める知人から紹介されます。


前の住人である赤塩さんの表札は「Ringo荘」のリビングに飾ってあります。棚も古い引き出しをリメイクしたもの。


「私と同じタイミングで、飯綱町に移住を検討していた親子から『シェアハウスを探している』と問い合わせがあったらしくて。一緒に見学に行きました。初めてみたときは、正直、住めるかな?と思いました。何も手がつけられていなくて、寒いし汚くてボロボロの古民家。でも、置いてあるものをよく見てみたら、住んでいた人が大事に住んでいたことがわかったんです。タンスや机、古道具たちが、どれも使える状態で残っているのがすごい。前に住んでいた人の思いを引き継いで暮らせたら、と感じました」



「Ringo荘」の食器や棚、椅子などの家具は前の住民が使っていたものを手入れして再利用しています。古民家ならではのあじわいのある住まい。

  

ここで暮らしてみたい、と思いを膨らませていた矢先、物件のオーナーである飯綱町の工務店、「ツチクラ住建」の社長から「シェアハウスの管理人としてうちで働かないか」と声がかかります。「面白いかも」と感じた佐々木さんは管理人を引き受けることを決意。



 「建物」を作るのではなく「居場所」を作りたい。「消灯珈琲」の始まり。

ひとまず飯綱町での足場が固まった佐々木さんは、コロナ禍がきっかけで生まれた新しい夢を追い始めます。


「コロナが流行りだす少し前、卒業間近の先輩に珈琲を淹れてもらったんです。それまで珈琲にこだわりはなかったんですが、人に淹れてもらった珈琲ってこんなにおいしいんだ、とびっくりして。器具を揃えて、自分で珈琲を淹れるようになりました」



当時佐々木さんに珈琲を淹れてくれた先輩である中嶋さんも、コロナ禍をきっかけに飯綱町の地域おこし協力隊に転職し、Ringo荘で一緒に暮らしています。取材中も珈琲を淹れていただきました。

  

「コロナ禍で人との関わりが減っていく中で、『古い建物をリノベーションしたい』という最初の夢が、だんだん『古い建物をリノベーションして、人の集まる場所を作りたい』に変わっていきました。建物を作るんじゃなくて、『居場所』を作りたくなって」


2021年3月からツチクラ住建へ入社することが決まった佐々木さんは、働き始めるとしばらくは喫茶店を作る夢が遠くなってしまう、と焦りはじめます。ちょうどその頃、「Ringo荘」のすぐ近くに「宮下商店flavor」という飯綱町初の古着屋がオープン。佐々木さんは即座に「間借りで喫茶店をやらせてもらえませんか」とお店に飛び込みました。オーナーに快諾してもらい、2月半ばに間借り喫茶「消灯珈琲」を開きます。


「はじめは、働き始める前に一回喫茶店をやっておきたいな、と思っていただけでした。大慌てで準備して、いざやってみたら「楽しいな!」と再認識して。『ツチクラ住建』で働きつつ、喫茶店もがんばってみようかな、と週末だけ間借り喫茶を続けることにしました」


飯綱町で町作りの事業を行なっている会社からキッチンカーを譲り受け、更に出店の機会が増えた「消灯珈琲」。現在は、地域おこし協力隊として活動する中嶋さんと二人体制で運営しています。 


​飯綱町から始まった間借り喫茶「消灯珈琲」は、徐々に認知度が上がり、長岡市、長野市と、出店の拠点を少しづつ増やしています。


「初めはただ一人で珈琲屋をやりたいと思っていただけでしたが、今はいろんな人、いろんな場所を巻き込んでいます。あれやりたい、これやりたいを全部言っていたら、『一緒にやろう』と乗ってくれる人が出てきました」


初期投資もほとんどなくここまでこれたのは、地元の飯綱町だったことが大きいかも、と振り返る佐々木さん。


「飯綱町でなにかやってる子って本当に少なくて。その分、ちょっと発信すると『おもしろいことやってるな』って思ってもらえて、助けてもらえます。確かに飯綱町はなんにもない。でも、なんにもないから作れば良い。私は、このど田舎で先陣を切りたいんです」



怒涛の一年を経て、長野でのこれから

「20歳から21歳まで、濃ゆーい1年でした」と笑う佐々木さん。次の目標は、「Ringo荘」の敷地内にある蔵を改装して消灯珈琲の店舗を構えること。


「今は間借りでやっているけれど、本当にやりたいのは夜喫茶なんです。みんなが集まる場所を作りたいわけじゃなくて、私みたいな、夜1人でいたくなかったり、家に直行するのがなんかさみしいな、誰かに話を聞いて欲しいな、っていう、さみしがりやとか変わった人を自分の店に招き入れたいです。私に会いに来るでもいい、その場所を求めてでもいい、珈琲やお菓子が目当てでもいい。その人にとって何番目でもいいから、居場所を作るのが目標です」



​「コロナじゃなかったら、休学しなかったら、と選ばなかった方の未来を思うこともあります。でも、前を見て進むしかない。きっと私は、長野じゃなくても生きていけます。でも今は、長野に住み家と仕事と人のつながりがある。やりたいことも見つけられました。私は、今の自分が好きです。もうしばらくここで踏ん張ってみようかな」と笑う佐々木さん。


彼女と出会った町が、人が、この先数年後どう変わっていくのか楽しみです。



佐々木彩花さん(21)

2000年生まれ。長野県飯綱町で生まれ育つ。長野西高校国際教養科を卒業後、長岡の芸術大学に進学し、2020年コロナ禍を転機に地元へ戻ってくる。現在は飯綱町の工務店「ツチクラ住建」の運営するシェアハウス「Ringo荘」の管理人を努めつつ、キッチンカーや間借り営業を行う、古道具と珈琲のお店「消灯珈琲」を営む。「サチヲ」の愛称で親しまれている。


ツチクラ住建HP

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Ringo荘のブログ

tsuchikura.com/genre/sharehouse


消灯珈琲Instagram

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