元気で働いているように見えても「毎日うっすらと体調が悪い」という人が、周りにいませんか。そんな現代人に「癒し」を提供するべく「リトリート(RETREAT)」の概念を取り入れたホテルを世界遺産・熊野古道につくった企業があります。


「何もしない旅」って、どんな旅でしょうか。

不動産業を営む株式会社日本ユニストの広報室長・大崎庸平さんに、開発の経緯やコンセプトを聞きました。


熊野の大自然



夢中で休んで「何もしない」をする時間を過ごしてほしい

リトリートの宿ができたのは紀伊半島にある世界遺産・熊野古道。和歌山県の熊野と大阪や伊勢を結ぶ熊野詣の道を総称して「熊野古道」といい、ほかに「熊野道」「熊野街道」「熊野参詣道」とも呼ばれています。全長600キロメートル超のうち200キロメートル弱が2004年、世界文化遺産に登録されました。


ここに「リトリート」の概念を取り入れるとは、具体的にどのようなことなのでしょうか?


熊野古道の霊場と参詣道


「リトリートという概念がメディアに出はじめた時期は分かりませんが、わりと新しい概念ですね。コロナ禍が初期の頃、2020年あたりからネット上でちらほら見かけるようになりました」


じゃらんニュースによると、リトリートとは「仕事や生活から離れた非日常的な場所で自分と向き合い、心と身体をリラックスさせるためにゆったりと時間を過ごす新しい旅のスタイル」とされています。スケジュールを決めない、何も考えないでぼーっとする、気が向いたら自然の中を散歩するなど、これまでの概念とは違う「何もしない」が目的の旅です。もっといえば、そんな目的さえも設定しない旅のこと。


参考:じゃらんニュース

https://www.jalan.net/news/article/492122/


日本ユニストは本業の不動産業で「付加価値の高い不動産を提供し、社会に貢献する」という企業理念のもと、買い取った物件に付加価値をつけてサービスを提供しています。熊野古道にホテルをつくるにあたり、リトリートという概念を付加価値として提供するべく「SEN.RETREAT」の構想が生まれました。


熊野で実際に稼働している水車(TAKAHARA)


「SEN」は「線=Line」を意味するそうです。「SEN.RETREAT」では、大辺路や紀伊路などいくつかある熊野詣の道のうち、観光客が多い「中辺路」にある4軒のホテルを繋いでいきます。「中辺路」を歩きとおすには4日間かかるため、1日の行程ごとに4軒のホテルを用意するわけです。

「弊社の『SEN.RETREAT』には、独自の要素もあります。リセットやリフレッシュに加えて、リクリエーションやリジェネレーションといった意味を加えています」



空き家をリノベーションした戸建てを1棟貸しするホテル

計画されている4軒のホテルのうち「TAKAHARA」と「CHIKATSUYU」と名づけられた2軒がすでに稼働しています。標高300メートル、棚田が広がる人口70人の集落につくられた「TAKAHARA」は、空き家をリノベーションした1棟貸しのホテルです。


空き家をリノベーションした「TAKAHARA」


「30代のご夫婦で、小さなお子さんがいらっしゃる家族向けです。お子さんが泣いたり騒いだりしても、周りに迷惑をかけることがありません。せっかくの楽しい旅行で、他人に気を遣わないといけないって嫌じゃないですか。家族連れのほかに想定しているのは、女性3~4人のグループですね。自然を求めて来ているんだけど、自分たちでテントを張れなかったり、バーベキューの準備も面倒だったりする方たちが、自然を楽しみたいという需要でご利用いただくことが多いです」


ちなみにチェックインとチェックアウトはタブレット端末で行い、スタッフと顔を合わせることはないそうです。


「TAKAHARA」の焚火台


スタッフがいないなら、料理の用意は誰が? 気になるところです。


「バーベキューは、火を起こす、焼く、料理する、これらをお客様自身でやっていただきます。そういうのも含めて、この旅の楽しみなのです」


BBQは火起こしから自分でやる


火起こし器具や調理器具はそろっているので「あとは自分で『おもしろい』をつくってください」とのこと。1棟まるごと借り切って、誰にも邪魔されることなく自分たちだけの時間をのびのび過ごせるのが、最大の魅力だといえます。周辺はいわゆる過疎地なので、お店がありません。「ちょっとコンビニまで」ができない不便さを味わうのも、都会にはない新鮮な感覚かもしれませんね。


和歌山産の新鮮な食材がそろった猪鍋(TAKAHARA)



ピザづくりは粉をこねるところから。体験型の宿泊が楽しめるコンテナハウス「CHIKATSUYU」

自然を満喫しながらのんびり過ごす「TAKAHARA」に対して、体験型の旅を楽しめるのが、熊野古道の宿場町「近露(ちかつゆ)」にちなんだ「CHIKATSUYU」です。


「コンテナに内装を施したコンテナハウスに泊まって、何かを体験したいお客様向けです。ピザを焼いたりバーベキューをしたりできますし、街の美術館へ出かけることもできます。季節によっては、桜やホタルの鑑賞スポットでもあります。自然プラス、リクリエーション要素が多いですね。ピザづくりは、粉をこねるところから体験できますよ」


ピザづくりは粉をこねるところから(CHIKATSUYU)


「TAKAHARA」も「CHIKATSUYU」も、お客様の多くは大阪や和歌山市内から訪れるそうです。


「口コミで広がっていますね。バーベキューとか焚き火をしたいという要望が多いです。自然に囲まれているけれど、お風呂やトイレは都会のホテル同様にきれいで清潔感があるところを喜んでいただいています」


コンテナハウスの内部(CHIKATSUYU)



コロナ禍でインバウンドがゼロに。日本人客の需要を呼び込むためコンセプトを変更。

もともとは、リトリートの概念を取り入れる構想はなかったという大崎さん。コロナ禍の影響で、コンセプトを変更せざるを得ない事情があったといいます。


「熊野古道には、トレッキング目的で訪れるインバウンドが多かったのですが、そもそもホテルが少ない地域です。熊野古道を歩きたいけれど、泊まれるところがなくて諦めるケースが少なくなかったようです」


熊野古道では野宿もテント設営も禁止されていますから、途中1カ所でもホテルが取れなかったら途中で引き返すか、旅そのものを諦めざるを得ませんでした。


高原熊野神社


そこに需要を見出して、ルート上にホテルを4軒用意しましょうという計画で準備が始まりました。ホテルは無人運営とし、スタッフは現地に常駐しません。清掃やお客様の受け入れ準備のための要員は、地元の人をアルバイトで採用することで雇用の創出になります。1軒目の「TAKAHARA」が2020年4月に竣工し、5月の開業に向けて準備している最中にコロナウィルスが世界中で猛威を振るい始めました。


「インバウンドで熊野を訪れる目的は、ほぼトレッキングです。それが全体の8~9割を占めていましたから、観光客がほとんどいなくなってしまいました。残る1~2割の日本人客だけでは地元の観光業がもたないので、トレッキング以外のお客様を呼び込む必要に迫られました」


トレッキングで訪れる日本人がもともと少なったこともあり、「TAKAHARA」の開業前には観光客がゼロに近い状態まで落ち込んだといいます。大崎さんは、コンセプトの変更を余儀なくされました。


こんな星空は都会では見られない


熊野古道は古来より「蘇りの地」と呼ばれています。熊野詣の行程そのものが信仰であり、黄泉の国(死後の世界)から生まれ変わって、現世へ蘇るプロセスともいわれています。


「熊野古道を歩いて、自然や歴史に触れて蘇る。それがリトリートに通じると考えました。熊野古道を歩くことだけが目的ではなく、いわば『リトリートの聖地』というような見せ方をすれば、熊野古道全体でトレッキング以外の需要を掘り起こせるのではないかと。『RETREAT 歩いて、遊んで、夢中で休んで』というキャッチコピーも、そこから生まれました」


今稼働している「TAKAHARA」は1棟貸し、「CHIKATSUYU」はコンテナハウス。1人でふらりと訪れて、隣人の声やキーボードを叩く音、あるいはひっきりなしにかかってくる電話のコール音や通知音など、すべての雑音から解放されてぼーっと過ごすには最高の環境です。ところが、なんと「おひとりでのご利用は、受け付けておりません」とのこと。


焚火台を囲むようにコンテナハウスが並ぶCHIKATSUYU


「おひとりで訪れる方は、ほとんどがトレッキング目的です。その方には既存の、地元のお宿を利用していただいて、なるべく地元と競合しないように配慮しております。私どもは、いわば新参者です。地元のお客様を奪ってしまうより、新しいターゲットを呼び込んで、熊野古道を訪れるお客様を増やしたいですね」


ちなみに「CHIKATSUYU」はペットと一緒に泊まれますが「TAKAHARA」はペット不可だそうです。ですからペットと一緒に「CHIKATSUYU」に泊まったあと、2泊目を「TAKAHARA」で過ごすことは難しいとのこと。 


ペットと一緒に泊まれる「CHIKATSUYU」


ー ところで3軒目と4軒目は、いつできるのでしょう?


「3軒目は『KOGUCHI』と名づけて、2023年7月にグランドオープンの予定です。『RE-SENSE 五感の休息』というコンセプトで、心身のリセットだけではなく、ワクワクする楽しみと、復活して元気になって日常へ戻っていくようなホテルを目指しています」

「KOGUCHI」をつくる地域も過疎化が進んでおり、現在は宿が2軒しかないそうです。

「熊野古道はもちろん、ホテルをつくる『小口』という地域の認知度を上げることも大事に考えています」


4軒目の「WATAZE」は2024年の完成を目指しており、コンセプトは今考え中だとか。

「リトリートを少しずつ分解して、4つ揃ってリトリートだよねっていう形をつくります」


都会の喧騒を離れて……



自然の中に身を置いて感じる「生かされていること」への感謝。

「TAKAHARA」と「CHIKATSUYU」、そして来年以降にできる2軒ともに無人運営で、お客様とスタッフが顔を合わせることがありません。お客様からその場で感想を聞くことはできませんが、後日リモートで聞く機会を設けているそうです。


女性3~4人グループの利用も多い


「コロナ禍になってから在宅勤務になり、人間関係のストレスが減った反面、外へ出て体を動かしたり自然に触れたりする機会が減りました。自然にあるものを見て美しさに気づいたり、自然の音に耳を傾けたりできる余裕や、何もしなくても自分が存在できていることを感じたかった。自然に存在しているものだけに囲まれて、そこに自分が生かされているんだと感謝でいっぱいになりました」


これは、ある40代女性の感想です。都会では見られない満天の星空やふだんの生活では聞くことのない虫の声に感動したといいます。


2024年に4軒のホテルが完成し「SEN.RETREATの旅」が本格的に始動します。


その先の展望として、今から構想していることがあるそうです。 熊野古道の起点は平安時代に「渡辺津(わたなべのつ)」と呼ばれた港で、現在の大阪市中央区天満橋付近にあたります。当時は淀川の河口付近でした。渡辺津を起点に同じく大阪市内の四天王寺、住吉大社、紀州田辺を経て、中辺路を通って熊野三山へ向かう道筋に『にぎわいを運ぶ』というコンセプトで旅のルートを開発しようという構想です。


「トレッキングシーズンの春と秋だけじゃなく、1年中サステナブルに熊野古道を楽しめるようにしたいですね」 


中辺路ルートに4軒のホテルを用意


ー 実現したら、そうとう長い距離になりますが?

「ホテルは全部で10軒くらいになりそうです。インバウンド向けに、10泊のリッチなツアーができるかなと思っています」

年間2軒ずつ増やしたいといいますから、順調に進めば10年以内には、天王寺から10泊しながら熊野古道を歩くルートができるはずです。


それまでにコロナ禍が収束し、日本人もインバウンドで日本を訪れる外国人の方にも、熊野古道を歩いて癒しの旅が楽しめるようになってほしいと願わずにはおれません。



SEN.RETREAT

https://sen-retreat.com/



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