学生時代から学んできた写真とデザインの技術を活かし、2020年より長野県飯綱町の地域おこし協力隊員として活動している中嶋真也さん(26)。


「MASAYA NAKASHIMA Design & Photo Studio」


現在移住から1年が経ち、今後もこの町で足場を固めていきたいと語る真也さんは、今年、自身のデザイン事務所を町内に立ち上げました。写真、デザイン、珈琲……。自分の好きなことを続けつつ、地域に溶け込んで活動の枝葉を広げていく真也さんのこれまでの生活とこれからを伺いました。



「地域おこし協力隊」だけを軸にせず、いくつも自分の軸を持つ

2009年から始まった「地域おこし協力隊」は、過疎化や高齢化が進む地方において、地域外の若者を受け入れ、地域おこしの活動をしてもらい、定着・定住を図る取り組みです。しかし、任期終了後、地方でどう仕事を見つけて定住するかが協力隊員の壁と言われています。


地域おこし協力隊にはそれぞれ任期中にミッションが与えられており、真也さんが取り組んでいるのは飯綱町のふるさと納税の強化です。飯綱町役場の企画課に所属し、ECサイト用の写真の撮影や、サムネイル作り、サイトデザインを行なっています。より良い素材作りのため、農家を訪問して回ったり、新しい企画を考えたりと、日々活動中。


飯綱町の名産であるりんご。農家さんを訪れ、畑の写真を撮影しています。


また、地域おこし協力隊の業務とは別に、飯綱町のシェアハウス「Ringo荘」をはじめとした店舗やブランドのロゴ、イベントのポスター・チラシのデザイン、町の施設のパンフレット等の写真撮影、動画の編集なども受注しており、「デザイン」と「写真」を二つの軸とした仕事は多岐に渡ります。


真也さんがデザイン・写真撮影を手がけた飯綱町のポスター。


さらには、学生時代の後輩であり、飯綱町出身の佐々木彩花(22)さんがUターンして始めた「消灯珈琲」にも関わっている真也さん。ロゴのデザイン、ECサイトの制作、珈琲の焙煎を担当しています。


町からキッチンカーを借りてイベント出店を行うほか、ECサイトでの珈琲豆の販売を始めました。現在は町内の古民家を改装し、焙煎所を作っています。2023年には町内で実店舗を出す計画を立てているそうです。


改装中の蔵の中で焙煎をする真也さん。


地方移住、写真、デザイン、そして珈琲。一見ちぐはぐに見える組み合わせ。どのような道のりを経て今の飯綱での暮らしにたどり着いたのでしょうか。



「いつか田舎で自分のデザイン事務所を」

地元である富山で、デザイン事務所を立ち上げて仕事をしている両親の影響を受け、子供の頃からデザインに関心があった真也さん。中学生の頃から絵を描いたり、パソコンをいじったりし始めました。高校では、デザイン・絵画科のある学校に進学し、高校三年生からはプロダクトデザインを専攻。その後は新潟県の長岡造形大学に進学し、卒業後は東京のデザイン事務所で働いていました。


「両親のように、いつか田舎で自分の事務所を立ち上げて落ち着きたいという気持ちがずっとありました。でも、まずは一度ごちゃごちゃしたところに住んで、色々経験してみようかと。もともと田舎育ちだからこそ、別の場所を知った上で、田舎の良さを実感したかったんです」


就職する前にも、大学を休学して一度上京していたという真也さん。一度目の上京は、写真について学び、経験を積むためでした。高校生のうちからデザインを専攻していた真也さんは、大学でも同様にデザインの勉強を続けているうちに、大学の授業や雰囲気に物足りなさを感じ始めるようになっていたのです。


「僕は、ものを作る同士だったら、お互いがライバル意識を持って競争した方がいいと考えていたんですが、大学は仲良しこよし感があって自分には合わなくて。一度、大学とデザインを離れて、興味があった写真の道に進んでみることにしました」



「ちょっと好き」が「これを仕事にする選択肢があるのか」に変わった

大学三年生になるタイミングで上京し、撮影スタジオのアシスタントとして写真の勉強を始めた真也さんですが、もともと写真は「ちょっと好きかな」、「なんとなく続けている」程度でした。親から譲ってもらった一眼レフを持ってはいたものの、写真を撮るのはもっぱらiphone。意識が変わったのは、大学で出会った写真好きの友人でした。


「高校生の頃から、iPhoneで写真を撮っては毎日LINEのタイムラインに「今日の一枚」を載せていたんです。誰も見ていないだろうと思っていたら、投稿をしない日が続いた時に複数人の友人に『もうやらなくなったんだね』と言われて。結構みんな見ていたんですよね」


2016年8月22日の今日の一枚


「中高生の頃から、Twitterで1日100投稿くらいつぶやいていたら、入学前から大学内で『Twitterの人』として認識されて、そこから友達ができたんです。その中の一人に、すごく写真が好きな奴がいて。彼が写真家を目指している話を聞いて、それまでは『ちょっと好き』程度だった写真への関心が、これを仕事にする選択肢もあるのか、と意識が変わりました。デザインと写真、二本の柱を目指し始めたのはその頃からです」



たった一人の上京で心の拠り所になったコーヒースタンド

上京後、最初に勤めていたスタジオのアシスタントは激務のため1ヶ月で退職しましたが、その”激務の1ヶ月間”があったからこそ、ぎゅっと知識と経験を積むことができたそう。


その後は、ロケ専門のアシスタントとして現場に入り、約1年間働いた真也さん。そうして東京で写真の経験を積んでいる間、中嶋さんはあるコーヒースタンドに巡り会います。


「一度目の上京は、友人も頼るあてもありませんでした。スタジオマンをしていた頃、通勤路に早朝からやっているコーヒースタンドがあったんです。ある日、勇気を出して入って店主と話したら、ちょうど僕が東京に来る1ヶ月前にオープンしたお店で。当時、僕は誰ひとり東京に知り合いがいなかったので『ほぼ同期じゃないですか』と言いあって、すごく安心したのを覚えています」


もともと珈琲好きだったこともあり、真也さんは出勤前や退勤後にそのコーヒースタンドに立ち寄るようになり、今後の相談や、打ち明け話もするようになりました。上京して約1年間が経ち、復学することを決めることができたのも、そのコーヒースタンドの存在が大きかったと振り返ります。


コーヒースタンドにて。


「東京で新しい環境を経験した上で、もう一度将来についてゆっくり考えるために、復学することを決めました。デザインをしていくのか、写真でやっていくのか、それともまったく違う事をするのか。あのコーヒースタンドで、たくさん話をさせてもらって、たくさんアドバイスをもらいました。相談にのってもらった時間がなければ、今でもずるずる東京をさまよっていたかもしれません。大学に戻る覚悟もできていなかったかもしれないし、そうなると今の飯綱での生活もないんですよ」



デザインと写真の二足のわらじ生活

そうして再び長岡の大学に戻ることを決めた真也さん。復学後は、プロダクトデザインの勉強を続けつつ、写真展を開催するなど、デザインと写真の二軸が徐々に定まってきました。


 復学後に、大学内で行った写真展の様子。


卒業制作ではカメラをデザインしました。


3-4年生の頃就職に向けて選んだインターン先はプロダクト系。東京で大手メーカーのインターンをいくつか受けるうち、改めて自分に合った働き方を考えるようになります。


「東京でのインターン中、毎朝毎朝、駅から会社までスーツ姿の人たちが列をなして歩いていくのが、アリの行進に見えたんです。誰も声を発さずに、人々がひたすら前を見つめながら列を作るあの光景を見ていたら、俺は毎日これをやるのは無理だ、この輪には入れないと感じました。なにか違う道を考えた方がいいんだろうなと」


そうして働き方を考えているうちに、卒業が近づいてきました。そんな時、東京のデザイン事務所からオファーを受けた真也さんは、「もう東京はいいや」と思えるまで東京にいてみようと再び上京することを決めます。


しかし、卒業と就職を控えた春、コロナ禍の影響を受けて状況は一変します。最初は正社員としての採用のはずでしたが、週5で渡せる仕事がないと告げられ、話し合いの末にアルバイトとして働くことになりました。


「今思えば、二足のわらじ生活が始まったのはそのタイミングですね。正社員じゃなくなって時間ができた上に、コロナの影響でリモート勤務になったので、休学中に働いていたカメラマンのアシスタントを再開したんです。週2−3日デザインの仕事をして、あとはカメラマンのアシスタントを一年くらい続けました」



大学時代の後輩を通じ、「ちょうどいい」町、飯綱町と出会う

東京で働きつつも、学生時代を過ごした長岡にちょくちょく帰っていた真也さん。それがきっかけで、現在暮らしている飯綱町とつながりました。


「学生時代を過ごした長岡の街は僕の第二のふるさとです。好きなお店や会いたい人がいて、東京で就職してからもよく遊びに帰っていました。大学の後輩だった、飯綱町出身の彩花とも長岡に帰ったら時々会っていて」


佐々木彩花さんは、真也さんが復学後に出会った後輩です。彩花さんから、地元の妹と弟の七五三の記念写真を撮ってくれないかと頼まれた真也さんは、初めて長野県の飯綱町を訪れました。


飯綱町の風景。


「いつか田舎の町で自分のデザイン事務所をやりたい」とぼんやり考えていた真也さんにとって、飯綱町はイメージ通りの”ちょうどいい”町でした。


彩花さんは、その少し前の2021年3月にコロナの影響を受けて大学を休学し、地元である飯綱町にUターン。飯綱町でシェアハウスの運営をしつつ、のちに真也さんも加わることとなる間借りの珈琲屋さん「消灯珈琲」を始めていました。 



「七五三の撮影以来、東京の仕事の合間を縫ってちょくちょく飯綱町に遊びに行くようになったんです。本当は、もうちょっと東京にいたい気持ちもありましたが、このタイミングを逃すわけにはいかないという気持ちが大きくて。飯綱町近辺で仕事を探し始めた頃に、協力隊の募集を見つけました」


真也さんは7月に地域おこし協力隊として採用されることになり、東京の仕事を手放し飯綱町に移住してきました。町で拠点を作っていた彩花さんがいたことにより、移住にあたって人間関係で苦労することはあまりなかったと振り返ります。


「自分がもともと田舎育ちなので、田舎はどうしても外部の人を拒絶してしまうのはわかるんです。地方移住にあたり、覚悟はありました。その点、『地域おこし協力隊』という肩書きがあることはありがたかったですね。『よそから来た若者』ではなく『町のために来た人』だと認識してもらえたので、ストレスなく過ごせました」


2022年の春には、町の施設を利用して写真展を行いました。


「とはいえ、この町には自分と同い年の世代がすっぽりいないので、一人でここに来ていたら大変なことになっていたかもしれません。彩花がいたから、飯綱町はもちろん長野市でもつながりが増えました。一人と関わりができると、そこから人の繋がりって自然と広がっていきますよね。自分は、別の町でもきっと何かやっていけたかもしれないけれど、人の繋がりができてくると”この場所”でやる意味が出てくると思うんです」



これからどうやってここで土台を固めていくか

移住から半年が経ち、真也さんはのちの事務所となる物件に出会います。


「移住してきてからは、まず協力隊としての業務をこなしてきました。仕事と暮らしに慣れてきた頃、自分の仕事スペースが欲しくて飯綱で場所を探し始めたんです。ちょうど駅前の通りに、何にも使われていない、立地も広さもちょうどいい物件を見つけました。いずれ個人の事務所を立ち上げることは決まっていたので、大家さんに交渉してみたらわりとすんなり貸してくれることが決まりました」


「MASAYA NAKASHIMA Design & Photo Studio」の外観。


初めは、撮影の機材を置く物置として使っていましたが、デスクを置き、カメラを並べ、2022年7月に正式に事務所としてオープン。


事務所内に置かれている棚や調度品は、町の人から寄付された古道具がほとんど。取材の日も、通りかかった町の人から「処分しようと思ってる木のタンスがあるんだけど、いる?」と声をかけられ、引き取っていました。「ここ、なんの店なの?」ってよく聞かれるんですよ、と笑う真也さん。


事務所の壁にかかっている木枠は、町の人に貰った掘りごたつの足置き用の椅子だそう。



「無駄だったことは何一つない。全ての積み重ねで今の自分がいる」

「事務所ができて、地域おこし協力隊とは別で個人の仕事が増えてきて……、やっと本調子ですね。ようやく、これでちょっとお金が貯められるかな、ってところまできました。任期はあと2年弱。これからどうやってこの町で土台を固めていくかが課題です」


足場を固めるべく動いている真也さんの現在の主な仕事は、協力隊としてのふるさと納税のミッションに加え、個人での写真や動画の撮影・編集依頼、グラフィックデザイン、チラシのデザインなど、仕事の依頼は、東京からが多く、二度の上京が今に繋がっているといいます。


「東京でロケのアシスタントをしていた時に、あるカメラマンの方から『動画編集ができる人を探してるんだけど知らない?』と聞かれ、できもしないのに『できます』って答えて、そこから勉強を始めたおかげで、今も仕事がもらえているんです。これまでの全部が偶然といえば偶然ですが、無駄だったことはなにひとつない。全部がつながって、今の自分が成り立っています」


学生時代の真也さん。当時から地続きで今があります。


いずれは、商業的なデザインや写真だけでなく、アート性のあるものも作りたいと語る真也さん。飯綱町に拘らず、富山や長岡、長野市など、これまでクリエイティブな文脈で関わってきた仲間を繋いで一緒に何か作ったら楽しいだろうなと構想を膨らませています。


「嫌いなものは嫌いだし好きなものは好き。デザイン、写真、珈琲……、好きなものはずっと続いている気がします。不安はたしかにありますが、それを考える暇がないほど、他にやりたいことと考えることがいっぱいあるんですよ。今は自分の好きなことを仕事にできているので、とにかくやっていきたいです」


町から町へ。人との出会いと、そこからさらに広がっていく繋がり。一見、偶然が重なってきたかのような真也さんのこれまでの道のりは、「好き」を選び取り、その先へ続けていくための着実な下積みがあってこそ。


そうしてたどり着いた飯綱の町で、真也さんが作り・発信していくものによって人の繋がりが生まれ、ここからまた新しい流れが続いていきます。



中嶋真也(25)

1996年生まれ。富山県南砺市で生まれ育ち、高校からデザインの勉強を始める。2015年、長岡造形大学プロダクトデザインコースに進学。在学中に休学し、上京。カメラマンのアシスタントとして約1年間現場に入り、写真を学ぶ。復学し、2020年に卒業。東京のデザイン事務所勤務を経て、2021年7月より長野県飯綱町の地域おこし協力隊として活動を始める。2021年9月に飯綱町出身の佐々木彩花さんと古道具とコーヒーのお店「消灯珈琲」をスタート。2022年7月には、飯綱町で「MASAYA NAKASHIMA Desigh & Photo Studio」を設立。写真・映像編集・デザインを中心に活動の幅を広げている。


ホームページ

masaya8n.com


Instagram

@tnsmn823


消灯珈琲のInstagram

@shoutou_coffee


消灯珈琲のECサイト

shoutoucoffee.com