「何か切りましょうか?」とリクエストを求められたので、「それじゃ、猫をお願いします」といったら、ふつうの色画用紙を工作用のハサミでチョキチョキ切り出し、あれよあれよという間に猫の形を切ってくれました。しかも立体で、下絵なしの即興です。1日に1体は必ず作品をつくり、日々グレードアップし続ける立体切絵師・辻笙(つじ しょう)さんの軌跡を取材しました。
切り絵と出会ったきっかけは、キャンプの日に雨が降ったから。
1枚の紙から形を切り出す切り絵は昔からよく知られていますが、辻さんの作品はそこからさらに踏み込んで、折ったり反らせたりして「立体」になっていることが大きな特徴です。
大阪府八尾市の古民家を改装したギャラリー「茶吉庵」の一角にある「米蔵」に、辻さんの作品は展示されていました。魚類、ドラゴン、アマビエなど、実在する生物や伝説上の生き物、果ては疫病退散の妖怪まであります。手のひらサイズの小さな作品もあれば、天井に吊るされた大型の作品もあり、作品のジャンルや大きさはさまざまです。これらの作品の多くが1枚の紙から切り出された「切り絵」で、ほかにもキャンバスを立体に折ったり、画用紙と和紙を組み合わせたりしてフレームから飛び出している作品まで、表現方法や技法はバラエティに富んでいました。
辻さんは幼いころから絵を描くことが好きで、今は京都芸術大学に通う20歳の学生です。
「保育所でも自宅でも、暇があれば絵を描いていましたね」
母親によると、保育士さんから「自分の世界をもっている子です」といわれたことがあるそうです。また、中学生のときには、独特の感性を同級生から疎ましく思われたこともあったといいます。
立体切絵でこれほど見事な作品をつくれるようになるまでに、どんな先生に手ほどきを受けたのかと思いきや、ほぼ独学だそうです。ただ、きっかけを与えてくれた人はいるそうで、運命のいたずらとも思える偶然の出会いだったようです。
「10歳のとき、兵庫県の佐用町へ家族でキャンプに出掛けたんです。その日、雨が降ってきて、外で遊べなくなりました。ちょうど近くに昆虫館があったから行ってみようということになって、訪ねたのです」
昆虫館の壁には、色紙で蝶々の切り絵が貼ってあり、辻さんは興味を惹かれました。これは、色紙を半分に折って切り抜いたら左右対称の虫の形ができること、それを館長さんがつくっていることを、スタッフさんが教えてくれました。「どうやってつくるんだろう?」という好奇心と同時に「やってみたい」という衝動にかられた辻さんは、一緒にいた母親にその気持ちを伝えます。
「子供がつくってみたいといっているのですが……」館長さんに伝えると、「じゃぁ特別に」ということで、たまたま居合わせたほかの子供たちも一緒に、臨時のワークショップを開いてくれたのです。
「はじめに館長さんが蝶々を切って、それを見本にして切りました」
「頭の中で、紙を広げたときの形を考えながら切るんやで」と教えられたとおり、辻さんは下絵を描かず、フリーハンドで蝶々、クワガタ、トンボ、イモリなど、いろいろな生き物の形を切っていきました。紙を広げたとき、ちゃんと生き物の形になっているのが面白いと思ったそうです。
館長さんは、こんなアドバイスもくれました。
「紙を折って、ちょっと立体的になったら面白いよね」
カマキリを切っていた辻さんは、教えられた通りに紙を折って立体にしてみました。そこにはペラペラの平面ではなく、すくっと立ち上がっているカマキリがいました。それを見た館長さんも感心して「キミ、すごいね。今にも動き出しそうやな」と、半ば本気で褒めてくれたそうです。左右対称の魅力と切り絵の面白さに、辻さんが目覚めた瞬間でした。
「あの日もし雨が降っていなかったら、切り絵には出会っていなかったでしょうね」
こうして切り絵の魅力にとりつかれた一方で、セロハンテープを使って動物や恐竜の形をつくりだして、自宅が作品(?)でいっぱいになってしまったそうです。
「子供のころは、遊ぶために形をつくっていましたから、展示会に出そうなんて、まだ考えてもいませんでした」
遊ぶための造形を通していろいろな工夫を重ねながら、後の立体切絵につながる技法が磨かれていったことは間違いなさそうです。
中学校の美術の授業では、石で龍を彫って先生を呆れさせた。
切り絵に出会う前の辻さんは、絵を描くことが好きで地元の絵画教室に通っていました。
展覧会にも絵画を出展し、2010年の「第59回こども二科展」に入賞したのを皮切りに「第23回MOA美術館全国児童作品展」(2011)で銅賞、同じく第24回(2012)で大阪府MOA議員連盟賞、高校生になってからは「大阪府高等学校芸術文化祭」(2019)に油絵を出品して入賞。
同じ年の「第1回ジャパンあるてぃすと展」では、初めて切り絵を出展して木虎徹雄賞と投票第8位のダブル入賞を果たすなど、気が付けば作品を出す展覧会では入賞の常連になっていました。あるてぃすと展はこれまで3回出品していますが、第2回はイグエムアート賞と投票第2位のダブル受賞、第3回ではグランプリを受賞しています。
辻さんが中学生のときのエピソードです。美術の授業で「篆刻(てんこく)」といって、軟らかい石材でハンコを彫る科目がありました。印面はもちろん本体も自由にデザインして彫っていいというので、クラスメートたちの多くがチェスの駒のような形を彫る傍ら、辻さんは翼をもつドラゴンを彫ろうと挑戦します。
「材料の大きさギリギリに攻めたんですけど、片方の翼がポキッと折れてしまって……」
やっぱり難しかったかとガッカリする辻さんを見た先生は「やりすぎや」と呆れながらも、せっかくここまで彫ったのだからと、折れた翼を修復してくれたそうです。
また2020年には、テレビにも出演。「沼にハマってきいてみた」(NHK)と、大阪で放映されている朝の情報番組「おはよう朝日土曜日です」(朝日放送)で、切り絵を披露しています。
期日が迫っているときは一晩で作品を仕上げることも。
辻さんは現役の大学生でもあるため、アーティスト活動に専念することができません。そのため、展覧会の納期が厳しいときは、一晩で一気に作品を仕上げてしまうこともあるといいます。
「第1回あるてぃすと展の作品もそうなんですけど、切り絵って、イメージさえできていたら、切って折ってニスを塗って完成なので、時間がなくて追い詰められたときは急ピッチでつくってしまうことがあります」
ちなみに第1回あるてぃすと展のときは縦・横・高さ各30センチの空間に、妖怪の世界を表現したそうです。誤解のないように断っておくと、一晩で作品を仕上げてしまうのは決してやっつけ仕事ではなく、辻さんだからこそ為せる業なのでしょう。
切り絵を展覧会に出すようになった頃から、辻さんの作品はいよいよ本格的な立体になっていきます。そのきっかけは、YouTubeで観た動画でした。
「YouTubeに“切り折り紙”というのを投稿している人がいて、モンスターハンターに出てくるキャラクターをつくりながら、切り方や折り方の技法を丁寧に解説されていました」
それを観て「切込みを入れて折ったらウロコみたいになるんだ」「もっと曲げてもいいんだ」と新しい発見をしたり気づきを得たりしたそうです。そこから独自の発想も湧いて、新しく編み出した技法もあるといいます。
後日、その動画を投稿していた人をツイッターでみつけて「あなたのおかげで、できることが広がりました」とメッセージを送ったところ、辻さんの作品を見てアドバイスをくれるようになり、さながら師弟関係のようなお付き合いが続いているそうです。
今は1日1切り絵が日課。大型作品がつくれる広いアトリエが欲しい。
大阪の天満(てんま)に、上方落語の噺家さんたちや市民の有志の寄付によって建てられた「天満天神・繁昌亭」という寄席があります。役者でもあり舞台監督を務めることもあるという父親の伝手があって、辻さんが切り絵を披露している動画を見た支配人が気に入ってくれ、2020年から繁昌亭の舞台に立つようにもなりました。
1席10分ほどの出番です。最初に自己紹介がてら、その日にちなんだ動物を切ってみせます。たとえば「温泉の日」だったら「温泉といえば、地獄谷のお猿さんですね」とおしゃべりを交えながらニホンザルを切ってみせ、次にお客さんからリクエストをもらって、その場で切るわけです。どんなリクエストをされるか分からないため、もちろん下絵はありません。それでもすぐ応じられるように、誰もが名前ぐらいは知っている動物、鳥類、魚類、爬虫類、恐竜はほぼ頭に入っており、リクエストを受けたら1~2分で切り抜いて立体に仕上げてしまいます。
「舞台で切った作品は、お客さんにプレゼントしています」
ただ、今は直接手渡すことが憚られることと、即興で切ったためクオリティが十分ではないということで、いったん楽屋へ持ち帰るそうです。
「形を整えて、サインをして、ロビーに預けておきます。それを中入りの時間に受け取っていただくことにしています」
繁昌亭に出始めた頃は2カ月に1度くらい、大学の合間に単発の出演でしたが、昨年からは1週間連続での出演をオファーされることもあるそうです。
「さすがに学校があるときは無理なので、夏・冬・春の長期の休みを利用して出演しています」
そんな辻さんが、今年(2022年)に入ってから実践していることがあります。自ら「1日1切り絵」と呼んで、1日に1体は必ず作品を切ることを日課にして、生き物の姿かたちを再確認しながら作品のグレードアップを図っているのだそうです。
切り絵に使う紙に、こだわりはあるのでしょうか。1日1切り絵は練習なので、100均で売っているような安い色画用紙を使いますが、展覧会に出すときは作品に合った質感の紙にこだわるといいます。
「爬虫類系だと表面がザラザラした質感の紙を使いますし、魚のウロコを表現したいときはツルツルした紙を使います。天井から吊るす大型の作品だと、ケント紙をロールで買ってきます」
辻さんが今抱えている切実な悩みは、アトリエをもっていないこと。たとえばロール紙は真っ白なので、作品によっては前もって色付けをしたいときがあります。
「そういうときは、近くの公園まで持って行って紙を広げ、絵の具や塗料で色付けをしたあと天日で乾かして、再び巻き取って持ち帰ります。ですから、公園にはお世話になっています(笑)。天気が悪いと作業できませんから、広いアトリエが欲しいですね」
演技のレッスンを受けて映画デビューも果たしている。
学生でありアーティストでもある辻さんには、もうひとつ「役者」としての顔もあります。
小学3年生のときから、大阪府岸和田市で青少年を対象に演劇活動を行う団体「マドカドラマスクール」に入って、演技のレッスンを受けながら年に2回の公演会にも出演していました。ご両親が役者ということもあって、ごく自然に演技の世界に入ったようです。
そして2019年には、大阪に実在した教師を描いた映画「かば」(脚本・監督 川本貴弘)で、スクリーンデビューを果たしました。ちょっと陰のある転校生の役に、初めは戸惑ったといいます。
「映像作品は初めてでしたし、舞台では明るい役が多かったので、陰のある役は慣れるまで時間がかかりましたね」
そうはいうものの、できあがった作品を実際に観てみると、堂々と演じ切っています。
「内心は『これでいいのかな』と不安でした」
映画「かば」は川本監督の「スポンサーの意向に邪魔されず自由に撮りたい」という想いがあって、敢えてスポンサーを付けず、寄付やクラウドファンディングなどで資金を集めて自主制作として撮られた作品です。単館上映の作品ながら、昨年7月に公開されてから現在に至るまで、全国各地で上映され続けています。自主制作作品としては、異例のロングランだそうです。
また、今年9月に川本監督が主催する「西成ドラゴン映画祭」で上映される短編作品「ともる」への出演も決まっていて、4月末からクランクインする予定とのこと。
今後のことを、辻さんに聞いてみました。展覧会やイベントの予定は10月まで埋まっていますが、このまま立体切絵師としての道を極めるのでしょうか。
「今後は作品の発表がメインになると思いますが、正直なところまだ明確に見えてこないです。地元の泉大津市を拠点に活動していて、市長も応援してくださっているのは有難いと思います。学生なので、まずは卒業を目指します」
切り絵で生計を立てることは理想といいつつ、まだ決めかねているのが本音のようです。どんな形にせよ、切り絵には関わっていたいという辻さんでした。
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