香川県丸亀市の沖合に浮かぶ離島・本島(ほんじま)。瀬戸内に浮かぶ穏やかなこの島に、島の未来、そしてまた自分の夢に向かって奮闘する女性がいます。

大石佑紀さん、25歳。かつては器楽奏者やオペラ歌手を支えるプロの伴奏ピアニストを目指していたという大石さん。そんな彼女がなぜ今、瀬戸内の離島で暮らしているのか。また大石さんが思い描く夢とは、いかなるものなのか。丸亀港から船に乗り込み、現地で大石さんにお話を伺いました。



本土丸亀港からフェリーで揺られること35分で本島に到着。



本島スタンドでの出会い、そして島暮らし  


本島スタンド店内  


大石さんが本島と関わるきっかけとなったのは、「本島スタンド」というカフェスタンドの存在。22歳で高松市の職場を離れ、このカフェスタンドで働き始めます。ただ大石さん自身は丸亀市出身とはいえ、島の出身ではなく丸亀市本土で生まれ育ちました。さらに言えば、丸亀市民とはいっても本島の存在を認知せずにそれまで生きてきたとのこと。そのため、もともと本島に対して思い入れは全くなかったそうです。本島スタンドの求人を見たときも「島で働くなんて面白そう」というシンプルな好奇心が大石さんを突き動かす原動力となっていました。


そして、本島スタンドで勤めたことをきっかけに、島で漁師として活躍する一仁さんと出会い、2020年に結婚。これを機に大石さんも島暮らしをスタートします。現在は1歳の長女・心音ちゃんの子育てにも精を出す毎日。また2人目の赤ちゃんも2022年4月に誕生予定です。



長女・心音ちゃん


こうして今、島で家族と充実した日々を送る大石さんではありますが、島に来るまでには大きな挫折もあったと言います。



音楽に対して感じた挫折、それでも「好きなもんは好き」

3歳で始めたピアノ。それは大石さんの人生を決めるほどに大きな存在でありました。将来はプロのコルペティ(伴奏ピアニスト)を目指していた大石さん。コルペティとはオーケストラで活躍する器楽奏者やオペラ歌手の音楽を脇で支えるピアノ奏者のことを指します。そのため、同じピアノ奏者とはいっても、舞台の中央で主役として音楽を奏でるピアニストとは異なる存在です。そんなコルペティを目指す大石さんは、高校から音楽科へ進学し、大学でも音楽を専攻します。


幼い頃から音楽を軸に生きてきた大石さんが挫折を味わったのは大学時代。入学して程なく、1年半で金銭的な理由から大学を離れることになったのです。志半ばで就職へと舵を切ることになった大石さん。ただこのような状況でも音楽と携わる仕事がしたいと選んだのは、コンサートホールでのスタッフの仕事でした。当時この仕事を選んだ理由を、「やはり好きなもんは好きなんでしょうね。直感というか、感覚というか」と振り返ります。


そんな大石さんに、「ピアノを取り上げられ、音楽がなくなってしまったらどうなりますか?」と尋ねてみると、「楽器がないのなら、歌えばいい。だから、どんな状況でも私は音楽を作れますね」という音楽に対する想いを力強く感じられる回答が返ってきました。島暮らしを始めた今でも、音楽に対する大きな愛情が大石さんの中にはあるようです。



島でも音楽を仕事にしたい

「ずっと音楽をしていたい。だから、いつも音楽が何かに繋がらないかなあと考えています」


大石さん曰く、音楽を誰かに届けることは、「豊かな人生の提案」であるとのこと。また日頃から「昨日より今日をよくしたい」と思う大石さんにとって、音楽はそれを叶えてくれる存在。音楽に触れれば疲れが吹き飛ぶ、やる気がみなぎる。そんな音楽をより多くの人に楽しんでほしいと大石さんは願います。


「いつか島でコンサートを開きたいんです。堅苦しいドレスを着るようなものではなくて、ジーンズで参加できるくらいにライトな。もっとゆるく、身近に音楽の楽しさに触れられる場にできれば」 と夢を語る大石さん。そして、実はすでに、この夢に向かってアクションを起こし始めています。たとえば海岸でピアノを弾きながら島の景色を伝えるYouTube動画を撮影してみたり、本島で結婚式を挙げるカップルのために演奏役を買って出たり。



本島の海をバックにピアノを演奏する大石さん(写真提供:大石佑紀)  


これらの活動は、「せっかく音楽の勉強してきたんやったら、それを発信していくべきやと思うよ」という夫・一仁さんの何気ない一言から始まったといいます。また大石さん自身も今後の音楽のあり方について、「音楽を通して音楽の魅力だけを伝えるのではなく、音楽と何かをミックスして新たな価値や魅力を伝えていくことが大切なんじゃないか」と考えていました。それならば、音楽に自分が島でトライしたいことを掛け合わせていこうと決意したそうです。


音楽を通して島の魅力を伝える。

そして、島を通して音楽の魅力を伝える。


大石さんの音楽に対する姿勢が、大石さんの島での音楽活動に込められています。



自分たちで非日常のワクワクを作り出す

さて、大石さんは音楽以外でも活躍の場を広げています。その様子は「本島さかな部」における活動で見ることができるようです。本島さかな部は、島に関わる若い仲間たちが集い、島の魅力をPRする団体。これまでも本島産のタコをテーマに「タコタコフェスティバル」を開催したり、子どもの遊び場として島にキャンプ場を整備する計画も進行中です。その中で大石さんはマネージャーとして、SNSをはじめとした広報、また外部との渉外役を担当。部長である一仁さんや他の部員たちの一歩後ろで活動することの多い大石さんは、いわば「縁の下の力持ち」とも言える存在です。



タコタコフェスティバルでの1コマ。参加者はタコの生き作りやタコ壺を使ったワークショップを楽しめる。 (写真提供:本島さかな部)


島に来た当初「非日常を仕事にしたい」と思っていた大石さん。しかし、いくら非日常でワクワクに満ちた島暮らしも、もう2年も暮らせば日常になっていく。ともすると島でふとしたときに覚えるワクワク感が減ってきたのも事実だそうです。

「もしかすると非日常的なワクワクに慣れてきたからこそ、イベントを企画したり、キャンプ場を作ったりして自分たちも楽しもうとしているのかもしれないですね」と、さかな部の活動に寄せる思いを語ってくれました。


また現在の島を取り巻く厳しい状況も、大石さんらが活動する大きな理由となっています。少子高齢化に歯止めがかからず、そして何よりも島民たちは「昔は今よりもっと面白かった」と口を揃える。それならばと、大石さん含め本島さかな部の面々は、ただ衰退を待つのではなく、自分たちも島で何かしてみようと考え始めたそうです。


「最終的には島への移住者が増えてくれれば嬉しい。そうでなければ、きっと船便が減ったり、商店がなくなったりと今以上に不便で住みづらいところになる。だから、今のうちに何かできることがあればと思っています」



島の未来、そして自分の夢を「伴奏」する

音楽を仕事にしようとチャレンジすることはもちろん、同時に島のためにも奔走する大石さん。そんな大石さんの生き方は、コルペティがコンサートで担う役割と合致する部分があるようです。



本島さかな部で企画したイベントにて (提供:本島さかな部)


大石さん曰く、コルペティによるピアノ伴奏はオペラやオーケストラの主役ではないとはいえ、ピアノ伴奏なくしてコンサートは成立しないとのこと。実際、オペラやオーケストラには、コルペティの伴奏がなければ完成しない曲目もある。加えて、ピアノ伴奏から始まる曲も少なくない。そのため、ピアノ伴奏はコンサートにおける土台であり、始まりを告げる存在でもあると大石さんは言います。


「1人で誰かの前に出るよりも、誰かと一緒に何かしている方が自分には向いている。実際友人も、『誰かと何かをしている方が楽しそうだね』と言ってくれます」


誰かと一緒に何かを作り上げることを第一に考える大石さんの生き方は、やはりコンサート全体を支えるコルペティに通ずる部分があるようです。



本島・泊海岸


波音が聞こえるほどに静かな離島「本島」。この穏やかな島には、音楽を生きる糧として奮闘する1人の若い女性の姿がありました。


「音楽を仕事にすることは、きっと私の永遠の課題のような気がしています」


インタビューの最後に、音楽について改めて想いを馳せた大石さん。そんな大石さんが島で奏でる音楽は、きっと多くの人の心を動かし、それぞれの人生に豊かさを与えてくれるに違いない、と筆者は思います。


島の未来、そして大石さんの夢は、大石さんの「伴奏」でたった今、開演したばかりです。



大石 佑紀さん

1996年香川県丸亀市生まれ。3歳からピアノを習い始める。「本島スタンド」のスタッフとして勤務中、島の漁師・一仁さんと出会い、結婚。現在は本島で1児の母として島暮らしをしながら音楽を通した仕事、また本島さかな部のマネージャーとしての活動に精を出す日々を送っている。


本島へのアクセス

丸亀港から本島汽船大型フェリーで35分

小型高速艇で15分


大石さん Instagram

@yonezu_pf


本島さかな部 Instagram

@honjima_sakana


本島さかな部 Facebook

@honjimasakana


本島さかな部 note

https://note.com/honjima_sakana



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