フライパンで具材を焦がすと生まれるもの。それは「苦み」。多くの人はその苦みをきっと綺麗さっぱり洗い流してしまうことでしょう。しかし、この苦みが「旨味」になることを知っていますか?この素晴らしい事実を教えてくれたのは、24歳にして離島のカフェスタンドのシェフを務める岩井太暉さん。人口200人程度の香川の離島「本島(ほんじま)」で提供する創作フレンチへのこだわり、そして彼が見据える未来を取材しました。
3歳から抱く夢、そしてフランスへ
「野菜のテリーヌが宝石みたい」
3歳のときに覚えたこの感動が岩井さんを料理の道へと誘いました。テリーヌとは、型に野菜や肉などの具材を詰めて作るフレンチの定番前菜。色鮮やかなテリーヌを自分でも作りたいと幼いころから思っていた岩井さんは、高校卒業後、大阪の調理師学校に進学します。調理師学校で1年間料理の基礎を学び、その後、本場フランスに料理留学へ。帰国後はフランスでの経験を買われ、関西の一つ星フレンチレストランに就職します。
ただそこで待っていたのは、予想だにしなかった激務の日々でした。
「料理をする意味」を失いかけた関西での日々
岩井さんが勤めていたレストランは連日ほぼ満席。厨房は早朝から深夜まで常に稼働し続け、そこで働く料理人たちの睡眠時間は4時間あれば御の字といった状況でした。加えて、客人が食事を楽しむ和やかなムードとは裏腹に、厨房で待っていたのは長時間労働からくる精神的苦痛だったといいます。
当時、岩井さんを含め15名の料理人が、同期社員として入店していました。とはいえ、このような厳しい環境では、15人いた同期も半年後には2人だけに。ついには岩井さん1人となります。それにより、当時は「何のため、誰のために料理してるんやろう?」と大好きだった料理に取り組む意義を見失い、ついには生きること自体を諦めかける場面もあったといいます。そして、入社1年を迎える頃には、岩井さんも地元香川へ戻ることになりました。
癒えぬ心の傷と本島スタンド
関西のレストランで、想像を絶する苦い経験に見舞われた岩井さん。そんな岩井さんは、香川の実家で療養中のある日、知人の紹介で香川県丸亀市の「本島スタンド」と出会います。本島スタンドとは丸亀市の離島・本島にあり、目の前の海から瀬戸大橋を望めるカフェスタンド。そして、このスタンドの経営者から岩井さんに「ここで働いてみないか?」と声が掛かったのです。
こうして本島スタンドでの仕事をスタートする岩井さんではありましたが、自信を持って料理に取り組めるとは言い難い状況であり、その胸中にはまだまだ複雑な感情が入り混じっていたといいます。事実、その誘いに応じた理由を、
「当時の本島スタンドであれば料理をするとはいっても、フライパンや包丁を握ったりしなくてもいいかもと思ったんです」
と話します。当時の本島スタンドは客入りもまばらで、提供されるメニューもコーヒー・ホットドック・フライドポテトといった比較的調理に手間のかからない軽食ばかり。これらの料理はもちろん関西のレストランのそれと比べれば、調理に対する負担は著しく小さいものだったのです。
一方で「どんなに小さくてもいいから料理をまた仕事にできれば」と料理に対する熱が冷めきっていなかったのも事実。そのため、海が見えるのどかな職場で療養半分、仕事半分といった気持ちのもとに、料理人生活を再開することになりました。
本島スタンド店内。10m先には海が広がる。
こうして、どこか後ろ向きな理由も交えながら料理の道に戻った岩井さん。ただ、この本島スタンドでの勤務は、岩井さんの料理人人生にとって大きな転換点となります。
本島スタンドで提供されるコーヒー。岩井さんはフレンチのシェフでありながら、バリスタの資格も保有している。
お客様の顔が見える!という面白さ
「本島スタンドでメニュー作りから任せてもらえること、そしてお客様から直接『美味しい』って言ってもらえることで、自分の料理に自信を取り戻すことができたと思います」
本島スタンドで勤め始めて数か月、島内イベントで提供する料理のメニュー開発を任された岩井さん。このイベントを通して、料理を一から自分で作り上げる楽しさに改めて気が付いたと言います。自分のオリジナルメニューでお客様に喜んでもらえたこの経験は、もう一度岩井さんが料理の道を邁進するきっかけとなりました。そして、ついには本島スタンドで本格的な創作フレンチを提供することになるのです。
こうして徐々に料理に対して自信を取り戻し始めた岩井さん。実は自信以外にも、もう1つ大切なものを発見します。それは関西のレストランにはなかった料理人にとってかけがえのないものでした。
「お客様の顔を見ているのが楽しい。渋い顔をしていたら『この組み合わせはナシか』と分かるし、逆に『ここまで攻めても大丈夫なんだ』という面白さもあります」
厨房にこもりきりでお客様の顔を見ることがほとんどなかった関西時代。自分の作った料理を一体誰が食べているのか全く分からない状況でした。一方で、本島スタンドではお客様が食事を楽しむ様子を厨房からでも伺い知ることができます。そしてもはやシェフである岩井さんがレジの清算業務もこなすこともしばしば。お客様の「顔」を観察しながら料理が提供できる環境が本島スタンドにはありました。
カウンターで事務作業をこなす岩井さん。お客様の席までの距離も近い。
おいしいもんは掛け算で
そんな岩井さんが今、本島スタンドのシェフとして心掛けていること、それは「本島のおいしいもんと香川県中のおいしいもんを掛け合わせること」だと言います。もともと本島スタンドは「島民と島外の人のレセプションの場」をコンセプトに開業したお店。そのため、このコンセプトが岩井さんの料理にも反映されていると言います。
実際、本島で獲れた魚介類はもとより、岩井さん自身が香川県内の農家に直接野菜を仕入れに行くこともしばしば。この「本島のおいしいもん」×「香川のおいしいもん」という式に、もう一声岩井さんの料理の技を掛け合わせることで、食材たちは岩井さんにしか作り出せない創作料理へと変貌していきます。
客席が見えるキッチンで本島のチヌ(クロダイ)を仕込む
たとえば、「いりこタプナードソース」もその1つ。タプナードソースとはフランス南東部で愛されるソースで、しっかりとした塩味が特徴。この塩味にはきっと苦みが合うと踏んだ岩井さんは、香川の名産品であるいりこの頭を合わせ、苦みが旨みとなったオリジナルソースを完成させました。
「白身魚のフリット いりこタプナードソース」(写真提供:岩井太暉)
週替わりのランチ定食を教えてくれるブラックボード
あの日の「苦み」もきっと「旨味」になる
本島スタンドで自分にしか出せない味で勝負する日々。その噂を聞きつけてか、東京都の白金や大阪府の北新地の高級レストランが岩井さんをスカウトしにくることもあるといいます。とはいっても、その誘いは岩井さんが目標とするものではないとのこと。なぜなら、岩井さんの目標は自分の店を構えることだから。しかも、地元丸亀市で。
「実はもうお店の名前はもう決まっていて、『Waiwai』にしようと思っています。料理にフレンチの技を活かすのはもちろんですが、一方で関西時代のレストランのような堅苦しさを出したくはないんです。だからフレンチ以外のおつまみも作るし、その名の通り、皆でワイワイできる店にできればなと」
日によってフレンチ以外の創作料理が提供されることも。アルバイトスタッフ曰く、中華風の料理も絶品らしい。写真は「メバルの唐揚げ 豆板醤ネギソース」。
料理人になると決めたときから、いつかは自分の店を持ちたいと思っていた岩井さん。自分が将来経営する飲食店は、本格的なフレンチを楽しめる一方、まるで居酒屋のように敷居の低い店でもありたいとその理想を熱く掲げます。とはいえ、その理想を語った後すぐに、
「実は『Waiwai』には僕の名字のiwai(イワイ)が隠れているんです」
と茶目っ気たっぷりに、店名に隠れたシャレを教えてもくれました。きっとこの茶目っ気こそが『Waiwai』のワイワイとした雰囲気に繋がっていくのだろうと筆者は思えてなりません。
本島スタンドテラス席
目の前に瀬戸大橋を望む離島・本島、そしてその島の「本島スタンド」には、もう一度夢に向かって歩み始めた若きシェフの姿がありました。取材中、そのシェフがふと教えてくれたある特別な調理法には、どこかシェフ本人の人生に重なる部分があるように思えてきます。
「フレンチでは、フライパンに着いた具材の焦げを白ワインなどでこそげ落として、他の料理に活用するんです。なぜなら、苦みも旨味になると考えられているから。だから焦げを洗い流そうとすると、めっちゃ怒られるんですよ」
もしかすると岩井さん自身がフランス料理と同様に「苦み」と向き合ってきたからこそ、彼の料理には彼にしか出せない「旨味」が宿っているのかもしれません。
あの日の「苦み」もきっと「旨味」になる。
香川の離島で若手シェフが創り出す「旨味」を一度ご賞味あれ。
岩井太暉さん
1997年香川県丸亀市生まれ。香川県内の高校を卒業後、大阪の調理師学校へ進学、また在学中にフランスへ料理留学。帰国後は関西の一つ星レストランで勤務し、その後地元香川の「本島スタンド」のシェフに就任する。現在は本島スタンドでフレンチの技巧を活かした創作料理を提供している。
・本島・本島スタンドへのアクセス
丸亀港から本島汽船大型フェリーで35分
小型高速艇で15分
本島スタンドへは到着した本島・泊港から徒歩3分
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