この仏僧の名をきっと一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。その名は空海。真言宗や四国遍路の祖として名高く、弘法大師とも呼ばれる仏僧です。日本の仏教史に偉大な歴史を残したとして有名な空海ではありますが、一方で、遍路の地元香川では親しみを込めて空海さんと呼ばれることも多々あります。
「空海さんって、スーパースターなんですよね」 と語るのは香川県丸亀市で鍼灸マッサージ施術院を営む清家裕之さん。
清家さん自身も四国遍路を専門学生時代に踏破した経験を持っています。また現在は、施術院を営む傍ら、Youtubeチャンネルの運営、高齢者の困りごとを解消を目指した「なんでも屋事業」、また子ども向けの運動教室を開催することにも精を出す毎日。
そんな彼も空海を理想とする香川県民の一人です。仏僧になるわけではありませんが、令和の空海さんと言わんとばかりに、各方面で奮闘する清家さんの今を取材しました。
空海さんは、スーパースター!?
空海が「弘法も筆の誤り」と言われるほどに達筆だということや、やはり仏門の教えを日本に広めたという点で評価が高いことはきっと周知の事実でしょう。
一方で、清家さん曰く、香川で空海が愛されるのには、彼の仏僧以外の顔が関係しているとのこと。たとえば、遡ること約1200年前、現在のまんのう町にある「まんのう池」は空海の手によって今の姿になったと言われています。当時、まんのう池が度々決壊し、洪水は常に地元住民の悩みの種でした。当時の朝廷は、遣唐使として見識を広めたという空海に、池の補修工事の指揮を依頼します。この難題を、水圧を分散させるという仕組みでクリアし、この仕組みは令和の今にも引き継がれるものとなっています。
「空海さんは、頼まれれば何でもやっていたのではないかと思うんです」
清家さんは、当時の空海の何でも屋ぶりについて、たとえば現場の施工管理者でありながら、朝廷との交渉役にもなっていたはずだと予想しています。そしてもちろん仏僧としての高い見識とカリスマ性も持ち合わせていた。つまり、彼はスーパースターなのだ、と。また諸説あるとはいえ、うどんを中国から香川にもたらしたのも空海だと言われています。
「とにかく困っている人を助けたい」という強い思い
当時、様々な分野で世のため、人のために尽くしてきたとされる空海。
そんな空海を尊敬する清家さん自身も今、多方面で活躍しています。清家さんに、なぜそこまで幅広い分野にトライできるのかを尋ねると「根底には目の前で困っている人をとにかく助けたい、誰かを応援したいという気持ちがあります。あんまや鍼灸の施術家だからって、施術だけで完結していいのかなって思うんです」という答えが返ってきました。
そして、清家さんがこのように考えるようになったその背景には、これまで経験してきた挫折や社会に対する違和感があると言います。
【マッサージ】立ち仕事必見!脚のほぐし方教えます!!新企画【肩】貸してくれませんか!?第一話「うどん屋の脚は疲れがたまってた...の巻」- YouTube
Youtubeチャンネル「からだづくりch.あましのせいけ」では、うどん屋などに出張施術に向かうことも。実際、Youtubeを見たという人から、地域の体操教室を依頼されることも増えてきているとのこと。
地域の体操・ツボ押し教室開催時のチラシ(資料提供:清家裕之)
思い通りに動かない体、そして破れた夢
「中学、高校時代に思った通りに自分の体を動かせたことはないかもしれませんね」
あんま・鍼灸の道へ進んだ原体験を尋ねると、清家さんは少年野球で味わった挫折を教えてくれました。清家さんの苦悩が始まったのは小学6年生の頃。過度な投げ込みによって肘を壊し、痛みと違和感を覚え始めます。そしてついには思うような球を投げられなくなってしまいました。
小学校6年生時の清家さん。怪我の影響で、右肩が大きく下がり、アンバランスな身体となってしまっていた(写真提供:清家裕之)
幼い頃から体格に恵まれたという清家さんは、もともとはチームの中心選手で、いうなれば「エースで4番」といった存在でした。背番号はレギュラーメンバーの証の1桁代。もちろん清家さんも他の野球少年と同じく、プロ野球選手になる日を夢見ていました。
しかし、その肘の怪我が清家さんにもたらしたのは、いわば戦力外通告。そして新たに与えられた背番号は28。そのうえ小学6年生の冬には、当時のコーチから「投げられない者は使えない」と断言されたと言います。その後も中学、高校と野球を続けてはいたものの、やはり思うように体は動かない。そして、そのままプロへの道は閉ざされてしまったのです。
自分の体を上手く動かしたい!
いざプロ野球選手という夢が遠のいてしまうと、高校3年生の春の進路選択の時点では、特にやりたいこと、また大学や専門学校に行くべきか否かについて判断がつかない状態だったという清家さん。
そんなとき偶然同級生が手にしていたのが「あん摩マッサージ指圧師」の資格を取得できる専門学校のパンフレットだったといいます。もともと野球で酷使した体のメンテナンスとして、中高生の頃から整体院などに通うことも多々あったという清家さん。パンフレットを読み、友人の話を聞くうちに「この学校で勉強すれば、自分の体を上手く動かせるんじゃないか?」と思い、入学を決意したと言います。そして、始まりこそは自分の体をどうにかしたいというモチベーションだったものの、学生時代に専門的な理論や知識を身に付けていくうちに、他人の身体にも寄り添いたいと思うようになったそう。
現在は身に付けた理論をもとに、自分の体を実験台にして、オリジナルのストレッチや施術法を開発する日々を送っています。そして今は「施術家として、背番号28をつけて苦しんでいる子に寄り添えるような人間になりたいんです」 という心意気で施術院の患者さんと接しているそうです。
オリジナルストレッチを実演(背面部の捻じりを意識することで、背骨矯正をしているところ)
施術家は、何でも屋さんでもあるべきではないか?
さて、自身で施術院を開業する以前は、身体にまつわる専門的な知識を生かして10年間介護施設で働いていたという清家さん。この介護施設での経験もまた、現在掲げる問題意識の出発点になったと言います。
特に、清家さんが印象的だったと語るのは、突然介護施設の管理者を任せられたこと。しかも、この時、清家さんはまだ24歳でした。そして、そうした右も左も分からない状況で見えてきたのは、介護業界自体のひずみそのもの。シンプルに介護に関わる職種の賃金形態が芳しくないといった問題だけでなく、介護保険のみでは対処しきれない問題も介護業界には山積していると清家さんは言います。
「高齢者の方って、動けていた時のイメージと現在の実情とのギャップで苦しんでいると思うんですよね」
そのギャップは、掃除や買い物といった何気ない日常的な場面にも生まれるもの。例えば、在宅介護の場合、介護の専門職の一つであるケアマネジャーが作成するプランに合わせて、高齢者は入浴介助や洗濯、買い出し等のサービスを介護ヘルパーに依頼することができます。一方で、プラン外の突発的な要望には答えられない。また仮に介護ヘルパーがその要望に応対したとしても、それにかかる費用は介護保険適用外。つまり、日常生活で生まれる小さな悩みでさえ、依頼主には少なくない費用負担が発生します。
そのため、清家さんは今、現行の保険制度の狭間に陥ってしまう高齢者のニーズに寄り添うため「マッサージ30分、身の回りの支援を30分」などといった形で、要介護者のサポートを買って出るサービスを展開しています。その名も「なんでも屋事業」。時には、飼い猫の世話までも依頼されることまであるそうです。
高齢者宅の清掃をサポート。宅内からは大量にペットボトルが出てきた(写真提供:清家裕之)
「施術家だからって、単にマッサージを施すだけ、また問題の解決策を提示するためだけでは足りないと思っています。何かしらのお手伝いを実際させてもらって、一緒に問題を解決していきたい」
今後も施術という方法だけにはこだわらず、問題解決への糸口を一緒に探っていきたいと清家さんは考えているそうです。
「夢みたいなこと言ってんじゃねーよ」でほんとにいいの?
また介護施設時代の経験は、高齢者との時間のみならず、子どもたちの夢を応援したいと思うきっかけにもなりました。特にとある上司の一言は、子ども向けキャリア教育の重要性を考える契機になったようです。
「なんか、これからしたいことないの?」勤務中、上司がふと尋ねてきました。清家さんがその時の自分なりにチャレンジしたいことを回答すると、返ってきたのは、「夢みたいなこと言ってんじゃねーよ」という冷たい言葉。清家さんからすれば、子どもの時は幾度となく「夢は何?」と大人から尋ねられ、なんなら「夢を見ろ」とまで言われてきたのに、働き始めた途端にこの始末。
このときの上司の一言が今でも、清家さんの胸には強く引っかかっているそうです。
運動、そして遍路からキャリアを見つめる
だからこそ、清家さんは今、子どもたちとキャリアを考えるプログラムも企画しています。
その中には、認知科学の観点をもとに、四国遍路の一部を一緒に歩くなんて試みも。そのプログラムでは、お坊さんの話を聞いたり、また「なぜ歩くんだろう」といった問いを自分に投げかける場面があったり。遍路を通して自分の意識がどのように変わっていったのかを振り返ることは、子どもたちが自身の理解や未来を考える練習となっていくはずだと清家さんは言います。
遍路プログラムの一環で、香川県・海岸寺にて開催されたグループ型のワークショップ(写真提供:清家裕之)
丸亀市内の中学校で担当したキャリアについての授業。また清家さん個人の遍路体験談「誰かのために歩く」は来春、全国で使用される中学校道徳の教科書に掲載予定(写真提供:清家裕之)
また清家さんからすれば運動による体づくりもまたキャリア教育には欠かせない存在。
「運動動作におけるできたとできないの間には『できそう』があるんです。『できそう』という期待感を覚えることで人間はチャレンジを繰り返せる。逆に、できることばっかり、できないことばっかりでは、チャレンジ精神は小さくなっていく。だから『できそう』を運動を通じて、沢山経験してもらえるようにと思っています。そうすることで、大人として必要となる逆境を跳ね返す力、つまりレジリエンスはすごいものになりますから」
「できそう」と思って、本当にできたらシンプルに嬉しい。また仮に失敗に終わっても「できそう」は「なぜできなかったのか」を考えるきっかけになる。特にこの「なぜできなかったのか」を反芻する経験は、彼らが夢を追いかける素養となっていくと清家さんは捉えているそうです。
開催した運動教室にて。左の男性が清家さん。(写真提供:清家裕之)
細分化の時代に忘れられた視点を求めて
清家さんは取材前「僕の話は支離滅裂であっちこっちに飛び散らかるので、許してくださいね」と筆者にお声がけしてくださいました。確かに清家さんの日々の取り組みは、本人の心配通り、それぞれが全く脈絡のない、つまり支離滅裂にも見えてしまうかもしれません。 ただ、清家さんは一方でこのような考えも教えてくれました。
「四国遍路、介護、子どもの運動教室、キャリアの先生と、何でもとにかく挑戦したことでしか見えてこない視点もあると思うんです」
清家さんからすれば、現代は何から何まで細分化され、そして専門性の価値が声高に叫ばれる時代。つまり、闇雲に様々なものに手を出すことは、非効率的であると言われてしまう世の中だということ。ただ清家さんは細分化や専門性も必要だけれども、一方で大きく全体を俯瞰したからこそ見つけられる課題や価値があるはずだと考えています。そのためには、全体を俯瞰できる広い視野を持つためには、分野を問わず数多くのチャレンジが必要。
「キャリアを積んでいく原動力って、やりがいとか本人のエンジン次第なんですよね」
今後も新たに自分に出来そうなことがあれば、どれだけ他人から一貫性がない、非効率だと言われても、とにかくチャレンジしていきたいそうです。
寄り道こそが「何でも屋さん」の価値になり、武器になる
今回お話を伺った筆者としては、清家さんのそれぞれのチャレンジは支離滅裂というよりもむしろ、常に「困っている人を助けたい」という気持ち、そして「そもそも遍路が教えてくれるのは、へんぴな場所に寄り道することの大切さです。そこから思わぬ出会いや出来事に触れ、沢山の経験をするからこそ見えてくることもある」という遍路での学びが通底しているように感じられました。
四国遍路挑戦中の清家さん。当時22歳。(写真提供:清家裕之)
空海は1200年前、四国を練り歩き、なんなら仏僧なのに池を直せと言われたとき、どのような気分だったのでしょう。真相は分かりません。それでも、空海を尊敬して止まない清家さんを見ていると、きっと空海もまた清家さんのように利他的で、とにかくチャレンジ精神に溢れていたように思えてなりません。
令和の何でも屋さんが進む道の先には、スーパースターの背中が小さく見え始めています。
清家裕之さん
1990年愛媛県宇和島市生まれ。医療系専門学校で「鍼灸マッサージ師」の資格を取得後、通所介護事業・子ども向け運動教室事業を展開する企業にて10年間勤務。その後独立し、2021年「あしあとあんまはりきゅう施術院」を開業。現在は施術院の他、高齢者の生活支援事業、子ども向け運動・キャリア教育を香川県中讃地域にて展開している。
■ あしあとあんまはりきゅう施術院
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