皆さんは普段コンビニやスーパーで買うお弁当を誰が作ってくれているか知っていますか?他にも食卓に並ぶ魚や野菜といった物資を運ぶ船や車を作った人を知っていますか?実はこうした普段目にしないところに、日本で働く外国人の姿はあります。


「コンビニで働いている外国人の方って、かなり日本語が得意な人なんですよ」と教えてくれたのは、香川県坂出市で日本語教師として働く福田熙子さん。日本で暮らす外国人が、日本で抱える課題はいかなるものか?また課題の根源はどこにあるのか?インタビューを進めるうちに見えてきたのは、日本における外国人労働者の社会問題。そして、そこには言語の壁だけでは語り切れない難題に挑戦する福田さんの姿がありました。 



「ハザマ」に陥る人々が抱える課題

厚生労働省によると令和3年10月末時点で、日本で雇用されている外国人はおよそ173万人(※1)。ここ数年はコロナ禍でその増加率は低下したとはいえ、過去15年間でその数値がマイナスに転じたことはありません。実際、コンビニやスーパーといった場所で、外国人労働者を見かける機会が増えたと感じる人もきっと少なくないはずです。

福田さん曰く、日本で暮らす外国人には、日本社会の「ウチ」にいる人、「ソト」にいる人、そしてその「ハザマ」にいる人の3種類が存在しているといいます。


「日本人ってウチとソトには優しいんですが、そのハザマに居る人には厳しいと思うんです」


ソトの代表格として福田さんが例に挙げたのは「おもてなし」を受ける人々。つまり、主には旅行のため短期的に日本を訪れる外国人観光客のこと。無論、我々日本人はこうした人たちが日本語を話せることを期待することはなく、もっとも日本語が話せないからといって邪険に扱うことは少ないでしょう。これに対してウチな存在は、もう何年も日本で生活・就労し、日本語を流暢に扱う外国人。ただ福田さん曰く、こうしたウチな外国人、特に労働という点に目を向ければ、日本語に長けた外国人労働者は極めてマイノリティであると言います。


「実際、日本で働く外国人の多くは2・3年で母国に帰ることがしばしば。こうした人たちは、日本語が使えなくても支障のない肉体労働や単純作業に従事することが多い。また彼らの同僚も日本語を使用しない労働環境に身を置く外国人であるということも少なくありません」


そのため福田さんは、コンビニなどで日本人を相手に仕事をしている外国人は、比較的日本語能力の高い人たちで、大半の外国人労働者は日本人の目には見えないところで働いていると指摘します。

それは例えば、加工食品や機械類の製造工場、はたまた農業や漁業の世界もその1つ。これらの現場では、言葉を介さずに仕事ができてしまうことから、彼らの日本語能力の向上が望みづらくなるという問題がしばしば発生します。

このような外国人労働者が直面する労務環境の問題は、日本国内における彼らのキャリアアップに困難をもたらす要因にもなっているようです。


※1 出所:厚生労働省「『外国人雇用状況』の届出状況まとめ」令和3年10月末時点

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_23495.html



福田さんが日本語教師を目指した理由

現在、香川県にある日本語学校で日本語教師として働きながら、彼らの苦しい状況を肌で感じている福田さん。



実際に福田さんが日本語の授業で使う資料。福田さんが日夜手作りしている。


そもそも福田さんはなぜ日本語教師として働くという選択をしたのでしょうか?福田さん曰く、その原体験は高校時代に遡ります。 


「同じ人間なのになんで言葉やその文法が違うんだろうと思ったんです。英語ならSVO、主語・動詞・目的語の順序で会話するのに、なぜ日本語はSOVなんだろう。そう思ってから日本語のことを自分なりに調べ始めました。すると、日本語には言語としてルーツがないって本には書いてあったんですけど、個人的には『そんなことあるかい!』って。そのときに、日本語について調べることを仕事にできればと思い始めました」


当時、高校生の福田さんの脳裏に過ったのが日本語教師という仕事。一方で、日本語や英語といった言語のルーツを探ったり、その文法の謎を解き明かしたりするのなら大学などの研究機関で言語学者になればいいのも確か。それでも彼女が日本語教師を志したのは大学時代、あることに気づいたからでした。


「香川県丸亀市で参加したボランティア活動で、外国人を親に持つ子どもたちの日本語学習を手伝うことがありました。彼らは日本の学校の授業についていくために、日本語を学んでいる。このときに、日本語って学びたい人だけじゃなくて『学ばざるを得ない人』もいるんだなぁと気が付いたんです」


日本語を学ぶ外国人というと、日本のアニメが好きだったり和の文化が好きだったりと、意欲的に日本語を学ぶ人たちが思い起こされます。一方で、就労や生活のため、はたまた授業についていくために、否応なしに日本語を学ぶ事になる人たちがいるのも事実。だからこそ福田さんは「日本語を学ばざるを得ない人」のために日本語教師になろうと思い立ちました。


そして大学卒業後は、JICA青年海外協力隊に参加し、ブラジルのサンパウロ州インダイアツーバ市で日本語教師として活動し始めます。帰国後は一度、香川県のホテルのスタッフとして数年間勤務。その後、ブラジル時代の生徒と日本で再会したことをきっかけに、日本語教師としての人生をもう一度歩み始めました。



ブラジルでの一コマ。授業でソーラン節を教える(写真提供:福田熙子) 



「日本語でもええから話しかけて!」

こうしたキャリアを経て、教師として外国人に日本語を教える毎日を過ごす福田さん。日本語教師としての日々で気が付いたのは、外国人自身の問題だけではなく、彼らを受け入れる日本社会、また日本人が抱える問題でした。


たとえば、日本人が外国人から“日本語”で話しかけられても「英語が分からないから」という理由で逃げ出してしまう場面。このような状況は、福田さんがホテルで勤めていたときもしばしば起こっていたようです。


「日本語でもええから話しかけて。外国人から話しかけられても逃げないで。英語が話せないなんてどうでもいいから」


福田さんが思うに、日本人は外国語や外国人に対する苦手意識がとても強いんだそう。このままでは、いくら日本で生活する外国人の日本語能力が向上しても、彼らを受け入れる土壌や態度を改めない限り、物事は前へと進めません。

そのため彼らの語学力の向上以前に、日本で暮らす外国人に対する、日本人の意識改革が急務だといいます。 



やさしいにほんごを広めたい。「にほんごかける」が取り組む課題

このような問題意識の元、最近福田さんが取り組み始めたのは「にほんごかける」としての活動。「にほんごかける」は簡単で的確に素早く伝達できる日本語、すなわち「やさしいにほんご」の普及を目指して日々出前講座やワークショップを展開しています。またこの活動は、外国人だけをターゲットにするのではなく、日本人にも向けた取り組みです。

今、福田さんは同じような問題意識を持つ有志とともに「外国人が発する日本語になんとなくでも対応できる人」を日本社会に増やそうと日々活動を展開しています。


確かに、外国人が発する日本語には発音や抑揚に誤りがあることは否定できません。また特に日本語能力が低い人の場合、ゆっくりと、また少ない単語量でしかコミュニケーションを取れないことも多々あります。そんなときに「何を言ってるか分からないから、他の人に尋ねて」と彼らを往なしてしまうのではなく、身振り手振りでも、なんとなくでもいいから彼らと向き合ってみてほしい。これを「にほんごかける」は日本人に望んでいます。 



坂出市役所職員向けに行ったワークショップの様子。ゲームなどを通じて、災害などの緊急時に必要な「やさしいにほんご」を職員と一緒に考えた。(写真提供:福田熙子)


一方で、言葉が通じない人とどのように距離を近づけていけばよいのでしょう?この点に関して「案外、壁は日本語にあるのではなく、コミュニケーションの取り方にあったりするんです」と福田さんは指摘します。


たとえばこれまで言語が異なる外国人と、なんとなくゲームや食事が楽しめたという経験はありませんか?これは言葉を使わなくてもコミュニケーションが取れていると言える状況です。

また福田さん自身もブラジル時代、現地のポルトガル語が十分とは言えない状況でも「君はどこから来たの?」「どのくらいの期間、ブラジルにいるの?」「ここで何してるの?」と現地の人が発する質問を何となく理解できたといいます。それは彼らが身振り手振りを使ってでも何かを伝えようとしたり、もっと単純に言葉が通じなくても、目の前の人間とコミュニケーションを取ろうとしたりするその意欲に理由があるようです。


「日本人もどこかブラジル人のようにためらいを捨ててほしい」と福田さんも願うものの、日本人の控えめな性格ではなかなか上手くはいかないのも事実。それでも、そんな日本人だからこそ発揮できる能力もあるはずと考えた福田さんが着目するのは、日本人の「空気を読む力」です。



「空気を読む日本人」だからこそできること 

日本人は空気や文脈を読む能力が高く、それが日本社会では1つのコミュニケーション様式ともなっています。たとえば仕事終わり「とりあえず、行く?」なんてグラスを仰ぐような手振りを交えて話しかければ、それは飲み会の合図になる。「普段何されているんですか?」という質問は、大抵の文脈で、趣味ではなく職業を尋ねる質問になります。 確かにこのような会話は「物事をはっきりさせない」「その場の空気次第で変わっていく」といったようなネガティブな側面もあるとはいえ、一方で、言語がなくてもコミュニケーションが取れる裏返しでもあると福田さんは言います。


そのため、「にほんごかける」の活動としても、

「日本人と外国人が一緒にトライするという意味では、そもそも言葉を発さずにゲームやアクティビティを楽しむということが大切だと思っています。たとえば、言葉を使わずにその場にいる人たちが誕生日順に並び替えるといったような遊び。言葉が通じる・通じないなんて言う前に、皆で何かするということ自体が楽しいと思えれば、それがコミュニケーションになるのでは?」


空気を読まざるを得ない社会で生きる日本人だからこそ、外国人の顔色や雰囲気から彼らの感情や考えを言葉が無くても読み取れるはず。だからこそ「どうみても困ってるやん、と顔を見て理解できるなら、見て見ぬ振りをしないで」 と福田さんは同じ日本人に寄せる思いを語ってくれました。 



「彼らって無茶苦茶面白い」って知ってほしい

こうして外国人の日本語能力の向上だけでなく、香川県から日本人や日本社会が抱える課題の解決に取り組む福田さん。ただその壁が極めて高く、さらには厚いことを彼女自身も認識しています。それでもなぜ福田さんは前を向いて、歩を進められるのでしょうか?


「昔、香川で出会った子どもたちが、今、日本や香川で本当に自分のやりたい仕事で暮らせているのか?もしそれが実現できていないとすれば、まだまだ彼らの力になりたいと考えています」


日本語教師としてただ活動するためだけなら、需要も求人も多い東京や大阪に行けばいい。それでも香川での活動にこだわるのは、大学時代に出会った子どもたちがまだ香川にいるかもしれないから。また「にほんごかける」で行っている取り組みも、東京や大阪よりも比較的小さなコミュニティの香川だからこそ、その影響が広まりやすいのではないかと期待を寄せます。小さな香川県からでも変化が起きれば、日本全体にその変化は伝播していくかもしれません。

ただこうした意欲の下には、意外にもとてもシンプルな彼女の出会いに対する思いもあります。


「日本人だろうが外国人だろうが、私と話をしているうちに、たとえば香川に次の夏休みに会いに行くね!なんて言ってもらえたら本当に嬉しい。もちろんこの時、日本語が上手かどうかなんてどうでもいい」


そして、延いては「あなただからこそ会いに行く」と言ってもらえることこそが、福田さんの理想だそうです。筆者としては、理想とは言うものの、ブラジル時代の教え子から会いたい!と声がかかるような福田さんはきっと昔から「誰しもが会いに行きたくなる人」なのだろうと感じています。



日本語学校の生徒と共に(写真提供:福田熙子) 


福田さんはインタビューの中で、日本で暮らす外国人について「彼らって、無茶苦茶面白いんですよ」と何度も繰り返し教えてくれました。彼らが持つ文化や考え方は、日本人とは一味違った視点や新たな気付きを与えてくれると、福田さんは言います。


皆さんは、最後に日本で出会った外国人に声をかけたのはいつですか?もしそれが随分と前の話なら、今日こそは、せめて今日だけでも、彼らと少しコミュニケーションをとってみるのはいかがでしょう?

たしかに、言葉が通じないかもしれないし、途中で何を話しているのか分からなくなるかもしれません。ただそれでも必死にコミュニケーションを取ろうとすることができたなら。


今日という日はきっと「無茶苦茶面白い日」になるはずです。



福田煕子さん

1991年香川県坂出市出身。高校生の時から日本語教師を目指し、大学でも日本語について学びを深める。大学卒業後はJICA青年海外協力隊の一員として、ブラジル・サンパウロ州インダイアツーバ市で現地の日本語教育に従事。帰国後はホテルスタッフとして3年勤務後、再度日本語教師の道へ。現在は日本学校で日本語教師を務める傍ら、有志で作る組織「にほんごかける」の代表としても活動している。


Instagram

@nihongo_kakeru



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