JR北海道 赤平駅近くの建物に、小さく書かれた「ka2 Design」の文字。


赤平市で炭鉱にまつわるパンフレットや、赤平市が発行しているチラシなど、様々なデザインを担当しているのは、赤平市在住のフリーデザイナー大倉加奈さんです。赤平の地域おこし協力隊を経て、フリーデザイナーへ転身。赤平を盛り上げている活動について伺いました。 



YouTubeで廃墟の動画に心惹かれる


元々は、内向的な性格で「不思議の国のアリス」「怪人二十面相」などのようなファンタジー系の本を読むのが好きだったという大倉さん。あまり外で遊ぶタイプではありませんでしたが、姉の影響でよさこいを見に行ったのがきっかけで、大学生時代は地元のチームに所属してよさこいにのめり込んでいきました。楽しく青春を謳歌していた大倉さんですが、就職の時期を迎えると就職活動や課題に追われる日々が辛くなっていきます。そんな時に偶然見たのが「廃墟」の動画でした。


「当時はリーマンショックで、先輩たちに内定取り消しがあり、中々就職活動が上手くいかなかった時代なので、気を紛らわせるために動画を見あさってました。そこに廃墟とかの動画があったという感じですね」


子供のころ、テレビで放送されていた「インディ・ジョーンズ」のような世界観の、ミステリアスさを感じさせる空間や建物に惹かれていた大倉さん。その退廃的かつ、ミステリアスな雰囲気をもつ廃墟の動画に、当時の大倉さんはどんどんハマっていったといいます。



赤平市の地域おこし協力隊に参加


大学卒業後は広告に関係する仕事がしたいと広告の事業がある会社へ就職。ですが、就職した会社では飲食の事業へ配属されてしまい、志望した広告関連の業務ができませんでした。そこで、自身のやりたいことを求め、未経験ながら小さな広告代理店の門を叩き、デザイナーへ転職した大倉さん。


「最初は『本当に何もできないじゃん』って上司に言われるくらい、何もできませんでした。ですけど、そこでなんとかしがみついて、色んなデザイナーとしての基礎を学びました」


広告代理店では、印刷物のデザインを主に担当し「ポスター」「チラシ」「パンフレット」などの紙媒体を中心に経験を積みました。0から自分でデザインを作る事も増え、実績を積み上げていき充実した日々を送っていましたが、広告代理店特有の労働環境、慣れない作業の連続、毎日終電を逃すほどの激務が大倉さんをむしばんでいきました。やりがいを持って働いていましたが、最終的にはめまいや吐き気などの症状が頻繁に起きてしまい退職を決意します。


退職後、以前から興味のあった産業遺産めぐりをしながら、次の仕事を考えていた時に「地域おこし協力隊」の存在を知ります。


「姉がその時、青年海外協力隊をしていたんですけど、帰国後に流れで地域おこし協力隊になる人が多いことで、姉もその存在を知っていたんですよね。なので、色々事情も聞けたので、期限付きだし、デザイナーの仕事ができるので、やってみるかって思って始めました」


こうして、当時タイミングよくデザイナーの求人を出していた赤平市の地域おこし協力隊に応募し、26歳の時、炭鉱のある赤平市で働くことになりました。



赤平の商店街振興を担当後、デザイナーへ

赤平で働きだし、赤平の祭りで使用するポスターや商店街の折込チラシのデザインを担当していましたが、デザインの仕事はこの季節ごとのお仕事だけでした。そのため、当時の大倉さんは焦りを感じていたといいます。


「このまま今の仕事を続けていてもデザイナーの人生が終わるなって思ったんです。なのでデザイナーの仕事を別で受けたいと思ったんですけど、立場上嘱託職員なので副業が禁止なんですよね。なので、個人事業主として独立後、業務請負に変更してデザイナーをスタートさせました」


ルールのしがらみで紆余曲折がありながらも、こうしてデザイナーとしてより大きな一歩を踏み出しました。デザイナーとして独立したのがきっかけで、市役所以外にも地元の企業からチラシ制作の依頼を受けるなど、様々な縁を通じてデザイナーとしての仕事を増やしていき、大好きな炭鉱に関わるデザインの仕事も手掛けるようになったのです。


そして、デザイナーとして仕事をしながら、事務所代わりに購入した4万円の土地付き一軒家を友人たちの手を借りながら改装し、ゲストハウス「かなちゃんち」をスタート。その他、メディアから取材を受けるなど、デザイナー以外の仕事にも範囲を広げていきました。




赤平が人間性を育ててくれた


当時を振り返って大倉さんは、赤平に来た時「私には常識が無かったんだ」と気づかされたといいます。


「札幌に住んでた時は、近所の方に挨拶をする習慣が無かったんですよね。なんだったら女の一人暮らしだと挨拶しない方がいいという風潮があったし、町内のイベントも全然参加していませんでした。当時はそんなものかなと思ってましたけど、赤平では逆で、挨拶しないと変な空気になる。でもそれって本来あるべき姿なんですよね。なのでそういう近所付き合いの常識やコミュニケーションっていうのは、赤平の皆さんのおかげで身につけられたのかなって感じます」


赤平では、広報として顔と名前が知られていたため、近隣住民から仕事中もよく声をかけられていたという大倉さん。それまでは人付き合いに積極的ではありませんでしたが、赤平市民と交流をしていくうちに段々と人付き合いが増えていったそうです。


「元々炭鉱町で、出稼ぎに外部から来る人が多い土地なので、結構ウェルカムな雰囲気があったこともよかったのかもしれないです。まさか結婚もするとは思っていなかったし、小さい頃は根暗だった私が、メディアとかに出て話すことになるなんて夢にも思わなかったので不思議な感じですね」と笑顔で語ります。



もっと赤平の存在をみんなに知ってほしい


この他にも、赤平をより多くの人に知ってもらえるように、様々な活動をしている大倉さん。最近は赤平炭鉱のガイドについて勉強中なんだとか。


「私は炭鉱が好きなので、赤平の炭鉱がどれだけ価値があるかっていうのは分かるんですけど、やっぱりまだまだ知られていないんですよね。なので知ってもらえるきっかけを増やしていかないといけないなと思います」


メディアで赤平の店舗が取り上げられていても、その店舗だけが賑わうだけで、紹介されなかったお店や施設には結局お客さんがこないという問題があり、それを何とかできないか、日々思慮を巡らせています。


「あと赤平自体もまだまだ観光地とは言えないし『赤平炭鉱』や『どうでしょうハウス』みたいな見るものがあるだけで、体験できるレジャーも無いので、人に来てもらえるような存在を作れたらと考えています」


赤平に移住し、人生が大きく変わっていった大倉さん。 赤平を知ってもらい、少しでも多くの人に来てもらうための活動を続けていきます。



大倉加奈さん


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