「ただのサロンじゃなくて、いくつもの顔をもつコミュニティサロンとして活動していきたいと思います」


そう語るのは、札幌市の美容室「BOO-FOO-WOO」のオーナー山田夏蜜(やまだなつみ)さん。小説家として賞を受賞し、本を自費出版するかたわら、デザイナーやカメラマンとしても活動しています。そんなマルチな才能を発揮する山田さんに、これまでの半生と、今後の展望をお聞きしました。 



賞を受賞、文学の面白さに飲み込まれる


山田さんが撮影した写真


生後間もなく、山田さんは事故により大きなやけどを負ってしまい、皮膚移植の後、高校生まで経過治療を余儀なくされました。長い間ギブスを付けていたため、体育の授業などでも思った通りに動けなかったことから、本を読んだり絵を書いたりなどの文学的な趣味を好むようになっていきます。


また、内向的な性格で人付き合いがあまり得意ではなかったこともあり、クラスになじめない、どこか息苦しい日々を送ります。そんな時、X-JAPANをはじめとするビジュアル系バンドにハマってから「ライブに行くときは違う自分になれる」という自身の二面性に気づきだしました。



母の他界に父との不仲。苦しみながらの大賞受賞


山田さんが撮影した写真。映っているのは実父

 

大学生の時、校内コンクールに応募した小説が佳作を受賞。卒業後は専攻した短歌研究を生かし、市民文芸などで努力賞といった小さな賞をとることで、文学の世界へのめり込んでいきます。


 「『勘違いアメリカンドリーム』って感じですね。コンクールで賞金を貰えたので、私はこれで生きていくんだっていう思いで就職活動もロクにせずに作品作りに没頭していました」


ですが、大学卒業してからは文学一辺倒かと思っていた矢先、両親共に末期がんという診断が。そして、山田さんの20代が終わろうとしている時に母親がこの世を去ってしまいました。医療費を支払うために借金は膨れ上がり、看病に追われる日々。母を早死にさせてしまった自責の念、父との仲の悪さなどなど、様々な要因が重なり、精神的に不安定になってしまいます。


「元からケンカが多い家族だったんですけど、母親が亡くなってからは本当にずっとケンカが絶えませんでした。本当にどんどん回数も内容も酷くなっていって、居間がリングみたいでしたね」


そんな父との関係が上手くいかない中で「父と文学を通じて対話がしたい」と思った山田さんは、数年ぶりに創作活動を再開。短歌では応募しても落選かよくて佳作止まりだったので苦戦していましたが、小説は「さっぽろ市民文芸」にて復帰1作目で「優秀賞」を受賞し、2作品目で最上位の「札幌市民芸術祭大賞」を受賞しました。


「復帰作に手ごたえを感じたので、次は奨励賞という2番目の賞なら狙えるかもしれないと思ったら、大賞という選考結果の通知書に驚きました。大変なことばかりでしたけど、少しは報われた気がしました」と山田さんはしみじみと語ります。大賞を受賞した作品は、今まさに苦しんでいる家族との関係を作品におこしたものであり、苦労の多い日々の経験が実を結びました。 



欲しいものは自分で作る。やれることは全部やる。


山田さんが撮影した写真


山田さんは小説家以外にも、カメラマン、デザイナー、アクセサリー制作、ハンドメイド雑貨づくりなどなど幅広い分野で創作活動を行っています。


「マスクもそうですけど、自分で欲しいものが市販ではなかなか無い!ってなったとき、じゃあ自分で作れば欲しいものが手に入るって考えると、全部自分でやってしまうんですよね。だから気になったら、ずっとハンドメイドをやってるし、ギターが気になったらギターずっと弾いてるし。多分そうしないと気が済まないたちなのかなと」


ですが、周囲からの意見の中には肯定的ではないものも多かったようです。


「よく周囲には“どれか1つに集中しなさい。そうじゃないと結果が出ない”と言われますけど、文章を書いて、デザインもできて、装丁も自分でやれるからこそ今自分が作った本を自分で売ることができるんですよね。なので、これが自分なりの答えなのかなと」 



紆余曲折を経て夫の夢である美容室開業するもコロナ禍へ


経営している美容室BOO-FOO-WOOの店内


自分なりの表現活動を続けてきた山田さんでしたが、ここで大きな転機が訪れます。結婚後、美容師として勤務していた夫に居抜きの美容室を持たないかという話が舞い込んできたのです。「店名を変更できない」「元々の従業員を継続して雇用しなくてはいけない」「店の雰囲気を変更」「オープンの期日が既に決まっている」などなど、事業を引き継ぐにはあまりにも過酷な条件がついており、頭を悩ませます。


ですが、夫の年齢的にもタイミングはここしかなく、最後のチャンスだと感じ「夫の夢を後押ししたい」という強い思いから手持ち資金や時間が無い中、引き受けることにしました。既に別の美容室で働いている夫では時間的に手続きを進められなかったため、個人事業主として活動していた山田さんがオーナーとして経営することになります。


「名義変更の手続きも融資も全部私の名義でやることになりました。本当に時間がなかったので慌てて役者の知り合いに声をかけてヘアモデルをやってもらって、写真を撮って、チラシも作って......という感じでした。気合と根性でなんとかしました」


しかし、その重労働がたたってか地下鉄に乗ることすら辛くなるほど、体調を大きく崩してしまったといいます。


「以前の自分へと回復するまで2年半くらいかかりました。そこにコロナ禍が重なったので大変でしたね。元々の売り上げが少なかったので、頑張って月の売り上げが1番大きくなったタイミングで緊急事態宣言とまん防の繰り返しになっちゃったんですよね。月に1度来てくれたお客様が、数か月に1度の来店になったりと、今が1番大変な時期です」 



キッチンカー誘致で地元メディアに取り上げられる


駐車場に誘致したキッチンカー。この日はパキスタンカレーの三毛猫屋が来ていた。


コロナ禍で外出が自粛ムードになり、客足も減っている中、どうにか注目を集められないかと考え、路面店の美容室としては駐車場が広めなことに着目しました。友人がフリーマーケットをやってみたいと話してくれたことがきっかけで、小さな雑貨市場からスタート。さらに友人がハンドメイド作家に声がけをしアートマーケットを開催。これがなかなか好評だったので、この駐車場をもっと有効活用ができないかと考えました。そこで中々出店場所が見つからないキッチンカーの出店場所募集をSNSで見た時に山田さんはひらめきます。


「美容師さんってお客様の入るタイミング的にご飯が食べられないっていう事も多いんです。買いに行く時間も中々取れないってなったら、じゃあここにキッチンカーがあったらすぐ食べられるし良いなって思ったんですよね。なので合理的に考えたらそうなっただけで、自分としては珍しい取り組みとは思わなかったです」


その考えが功を奏し、TVメディアやラジオでプロジェクトが取り上げられ「ヘアサロンにキッチンカー?」という噂が少しずつ広がっていきます。その噂を聞きつけ、札幌市外のキッチンカーも次々と出店するようになり、当初は週に1度ほどだったのが、今ではバラエティ豊かに様々なジャンルのキッチンカーが出店するようになりました。 



長く表現活動を続けていきたい


山田さんがデザインしたオリジナルキャラクター「にゃっく」(猫丸山田商店)


キッチンカー以外にも、山田さんはデザインしたキャラクターをあしらったお弁当屋さんの前掛けを作ったり、缶バッジを制作したり、出店するキッチンカーの要望に合わせたチラシやタペストリー、農園のフリーペーパーなどを制作しています。様々な業種、お店とのコラボレーションをしていますが、そこには「皆が楽しいと思える事」をとことん追求するという想いが、根底にありました。


「企業側もお客様も、誰もが私たちに関わることで楽しいっていうことをやりたいんです。オリジナルキャラクターって自分独自の商品として使うと思うんですけど、コラボ商品になることでたくさんの方に知ってもらえるし、新しいつながりができるので」


これからも書籍の全国出版や、個展の開催など、息の長いチャレンジをして行きたいと山田さんは目を輝かせながら話します。ユニークな取り組みで、お店の知名度アップ。そして、ひいては自身の知名度アップを目指し、様々な挑戦をこれからも続けていくことでしょう。 



オーガニックサロンBOO-FOO-WOO

https://aln-organic.com/


雑貨屋・猫丸山田商店

1号店

https://suzuri.jp/yamadanatsumi

2号店

https://necoyama2.designstore.jp/


山田さんのTwitter

@crystalcatscafe


オーガニックサロンBOO-FOO-WOOのTwitter

@FooOrganic


Instagram

@yamada_nuts



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