福岡SUNSのチアリーダー体験会でひと際動き回っていたのは……
2022年7月某日。福岡の大型アウトレット施設「マリノアシティ」で行われていたイベントに伺いました。福岡に拠点を置くアメフトチーム「otonari福岡SUNS(サンズ)」のチアリーダー体験会です。
2,3歳くらいの小さい子から小学生くらいまでが集まり、体験レッスンを受けています。手に鮮やかなポンポンを持ったキッズたちは、うまく踊れるか不安そうな表情を最初は浮かべていました。
しかし講師から明るく丁寧に振り付けを教えてもらっていく内に、だんだんと笑顔に。動きにもキレが増していきます。レッスンが終わり、一曲通して披露することになりました。親御さんたちが温かく見守る中、福岡SUNSのチアリーダーの動きに合わせて、最後まで踊りきったキッズたち。写真撮影ではみんなやりきった表情を浮かべていました。
キッズたちに丁寧に振り付けの指導をしつつ、イベントの司会進行を務めるなど、当日ひと際動き回っていた人物。それが今回紹介する、曽我小百合(そがさゆり)さんです。
曽我さんは2017年〜2019年までアメリカンフットボールの最高峰、NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)チームの1つである「テネシー・タイタンズ」でチアリーダーとして活躍していた女性。その経験を活かし、現在は福岡SUNSにおいてチアリーダーディレクターを務めています。
ディレクターと一言に言いますが、仕事内容は多岐に渡ります。チアリーダーのオーディションでは面接用の振り付けを考案し、そこからメンバーを選抜。シーズンに向けても新たな振り付けを考えて、メンバーたちにレッスン、指導をします。その他、広報や営業の仕事も行っているため、昼夜常に動き回っているのです。
福岡SUNSではディレクターの肩書きに加えて、チアダンススクールの代表としても活動しています。ここで教えているのはダンスだけではありません。なんと「チア×ダンス×バレエ×英会話×食育」をコンセプトに展開しています。チアがうまくなるだけでなく、一人の人間として成長していってほしいという狙いがあるからです。
そこには曽我さんのアクティブな活動経歴が反映されています。度重なる渡米の末に、NFLチアリーダーとして活躍していた曽我さんのこれまでを紹介しましょう。
スポーツ少女だった幼少時代
まず、曽我さんにこれまでの生い立ちを聞いてみました。
「3歳の頃からクラシックバレエを始めました。当時はバレリーナを目指してて。小さい頃はスポーツ大好き少女でしたね。中学時代はバスケ部と陸上部を兼部していました」
ー 幼少時代から活発だったのですね!チアダンスはいつから始めたのですか?
「高校生の時にアメフト部のチアリーダーになりました。そこでハマって、大学では日大に進学してチアを続けました」
ー 大学を卒業してからすぐにチアの仕事に就いたのですか?
「いえ、チアダンスだけでは食べていけないと思い、管理栄養士の資格を取りました。しばらく病院勤めをしながら、社外で企業チームのチアリーダーをやっていました」
↑企業チームのチアリーダーをやっていた頃の曽我さん
もともとスポーツ少女だった曽我さんは、チアの世界にはまります。
そんなチアの発祥はアメリカ。特に国民から熱狂的な人気を誇るアメフトの試合では、チアリーダーの存在は「12番目の選手達」と呼ばれるほど注目されています。アメリカでは、チアリーダーはダンスができるのはもちろん、自立した女性としての品性や教養を求められます。女性にとっての「ロールモデル(社会の見本)」とも呼ばれており、人気が高い存在です。
次第に曽我さんも、本場のアメリカで挑戦したいという思いを募らせていきます。
アメリカでチアリーダーになることを夢見て……
ー 渡米してNFLチームのチアリーダーになるまでの経緯を教えてください。
「毎年アメリカに行って、NFLのダンスのワークショップに通っていました。毎年30万円くらいかけて行ってましたね。 初めてオーディションを受けたのが31歳の時です。ただオーディション中に大ケガをしちゃったんです。足がパンパンに腫れていたのですが、せっかくアメリカに来たのだからと、自分をごまかして他のオーディションも受け続けました」
ー すごい気合いですね!
「はい。実はその時、ファイナルの選考まで進んだチームがあったんです。でもその時になってこの足の状況だと合格してもそのまま続けられないと思い、その時点で断念しました。帰国して手術とリハビリを受けることにしたんです。そしてしっかり治した後に、また改めて挑戦しようと思いました」
ー またアメリカでチアリーダーになることを目指していたわけですね。アメリカのチアダンスというと、ハードルが高いと思いますが、臆することはなかったのですか?
「もちろん、ありました。本場のチアを見て、雰囲気からオーラからもう違って……。みんなカリスマすぎて、雲の上の存在でしたね」
ー それでもチャレンジしようと思ったのはなぜですか?
「それくらい魅力的だったということですね。それに私は身長がそこまで高くないのですが、アメリカで私よりも低い人がチアリーダーにいるのを見て、自分でもできると思ったんです。人間遠すぎるものは諦めるかもしれないですが、近くに感じられたらチャレンジしたくなるものなんでしょうね」
ー それが帰国してもまた再チャレンジしようと思った原動力になったのでしょうね。ただ再チャレンジしようとした時は30歳を過ぎた頃だと思うのですが、失礼ながらその点はネックに感じなかったのでしょうか?
「アメリカは年齢を問わないんですよ。エントリーシートにも年齢を書く欄が無いくらいです。私は2017年にNFLチームの『テネシー・タイタンズ』のチアリーダーになったのですが、若く見られていたのでチーム最年長なのに最年少だと思われていました(笑)」
「テネシー・タイタンズ」でアジア人がチアリーダーになったのは初めてのことでした。曽我さんはチーム最年長ながら、持ち前の明るさとエネルギーで素晴らしいパフォーマンスを披露し続けました。
福岡でアメフトチームとバスケチームのチアリーダーディレクターを兼務
2019年にテネシー・タイタンズを引退した曽我さん。元チームメイトから、テネシーで新しいチームを作るから一緒にやろうと誘われます。しかし活動直後にコロナ禍に見舞われ、所属するチームのシーズンでの試合がキャンセルに。泣く泣く帰国することにします。帰国してから、ビジネススクールに通うなどして自分に何ができるかを模索していた曽我さん。
その時に声がかかったのが、国内のアメフト最上位リーグであるXリーグに、九州で初めて参加したアメフトチーム「福岡SUNS」でした。
「九州で初めてアメフトチームを作った人とお会いして。とても熱意のある人で、このチームでチアを任せてもらえたらおもしろいのかなと思いました」
前述した通り、福岡SUNSではディレクター業をしながら、ダンススクール代表を務めるなど、曽我さんは大車輪の活躍を見せます。その噂を耳にしたのか、同じく福岡を拠点に置くバスケットボールチーム「ライジングゼファー福岡」からも声がかかります。オファーを引き受け、同チームの公式チアリーダーチーム「RsunZ(アールサンズ)」のディレクターに就任しました。
アメフトチームとバスケチームの両方のチームのディレクターになることはスポーツ界では異例の出来事です。それだけ曽我さんの力がチア業界で求められていることが分かります。
今後のチア業界についての想い
ー 曽我さんは九州のチア業界についてどのように感じているのでしょうか?
「これまで東京や大阪でも仕事をさせていただいたことがありますが、そこに比べると九州は今からまだ成長の余地があると思います。まずはチア業界自体の底上げをできればと考えています。 福岡には子どものチアスクールはいくつかありますが、大人のチアスクールは一つもありませんでした。そこで私のスクールでは大人の方も参加できるようにしました」
ー 曽我さんのスクールには大人の方も結構いらっしゃるんですね。
「はい、先日40代の方も参加されました。今までチアをやったことがない人でも参加できるようなスクールにしています。ダンス初心者の方にも丁寧に教えています。 また、スクールには日本のトップリーグチアリーダーやアメリカのプロチアリーダーを目指す方もレッスンに通われています。プロを目指している方の基礎の習得やレベルアップを目標にしています」
ー 幅広い方が参加されているのですね。本場のアメリカでの経験をされた方に指導してもらえると、心強いでしょうね。チア業界全体について考えていることはありますか?
「そうですね、将来的にはチアリーダーが仕事になる日が来ると良いなと思います。もともとチアはどうしてもボランティアや社会貢献というイメージが強くて、なかなか仕事にはなりませんでした。出演料が出るとしても微々たるもので……。それにどうしても団体で動くので、それだと出演料を一人当たりで割るとやはり少なくなってしまいます」
ー なかなか厳しい状況ですね。打開策はあるんでしょうか?
「やはりアメリカのチアが参考になると思います。アメリカはエンターテインメントとしてチアが確立していて、演出が派手で感動するんです。日本でもその感動を表現できればと考えています。試合だけじゃなくチアのパフォーマンスを見て、また来たいと思ってもらえるようなものを意識したいです。 チアリーダーの人口が増えれば、日本は明るくなると思うんですよね。チアをやっている人はもちろんパーフェクトではないけれど、基本的にはやはり明るい性格なので。チャレンジ精神があり、仲間を思いやる力も持っています。チアを通じて人間性を磨き、自己成長できたという人が多いんです」
インタビューで終始明るく答えてくれた曽我さん。彼女自身いろんな経験を乗り越え、チャレンジし続けてきた自信が表情によく表れていました。 曽我さんの力で今後の福岡、いや、日本のチア業界がもっと盛り上がるとよいなと感じました。
■ SUNSチアダンススクール
ホームページ
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