名古屋市のとある長屋の一角にある「Hair make salon Sora」。ここのオーナーは空利江子さん。店名の「Sora」とはオーナーの苗字から取っています。 白を基調にしたシンプルなデザインが目をひく外観と、看板にはスタイリッシュなSoraの文字。扉を開けると、アンティーク調の鏡とドライフラワーのスワッグがお出迎え。落ち着いた優しい雰囲気に心がほぐれていきます。
空さんが美容室を開業したのは9年前のこと。美容室を開くまでには、楽しいことだけではなく、困難もあったそうです。お客様の髪を整え続ける空さんに、過去の経歴やこれからの夢について伺いました。
中学を出たら親元を離れて下宿生活
空さんは岐阜県白川村のご出身です。冬は真っ白な雪に覆われ、幻想的な世界が広がる白川郷としても有名です。空さんが中学生の頃、白川村には高校がありませんでした。中学を卒業したら親元を離れ、隣接する高山市の高校へ下宿生活をしなければならなかったそうです。
「今思うとよくやったな、と思いますね」
ー 高校生は多感な時期。ホームシックにならなかったのでしょうか。
「他にも下宿生がいたし週末は家に帰れたので、さほどホームシックになることはありませんでした。むしろ、卒業して名古屋の美容専門学校にいた頃の方が辛かったですね。遠くてなかなか帰れないですから」
高山市の高校を卒業後、空さんは美容師の専門学校へ通う決意をしましたが、大きな壁が立ちはだかります。それはお父様からの反対でした。
「私が高校を卒業したら、父は大学へ進学してほしかったようです。でも私は美容師になりたくて。だから美容師の資料を用意し、どれだけ思いが強いか、どんなに素晴らしい職業かを父にプレゼンしました」
その強い思いが伝わり、お父様は空さんが美容専門学校へ通うことを許可しました。
喜びと少しの緊張を胸に抱え、空さんは名古屋の美容専門学校の門をくぐります。しかし、理想と現実との差にがく然としたそうです。
「当時、大学は自由に時間が使える場所だと思っていました。そして専門学校も同じように、時間を好きなように使えると思っていたんです。でも実際は、とにかく忙しかったですね。正直なことを言うと、専門学校へ行ったのは間違いだと思いました。自由な時間がなくて、忙しかったから」
しかし、お父様の反対があったから頑張れた、と空さんは話します。
「現実は想像と違っていて、途中でやめたくなることもありました。でも反対する父を説得してまで通わせてもらっているし、自分でやると決めたからには、絶対にやり通さなければと思ったんです」
強い意志をもって、美容師の専門学校へ通う空さん。卒業後も、何度も美容師をやめたいと思ったそうです。そんな彼女がなぜ20数年も美容師を続けられたのでしょうか。
憧れの美容師になるが現実は厳しかった
美容師の専門学校を卒業した空さんは、ヘアサロンに就職します。そのサロンは指導が厳しいことで有名でした。
「卒業後は本当に大変でした。思い描いていた世界とは随分と違ったんです。カッコいいとか、おしゃれとか、それまで美容師の上辺しか見ていなかったんですよね」
美容師は上下関係が厳しく、先輩の言うことは絶対の世界でした。キラキラした世界を想像していた空さんは、これまでに見えていなかった苦労の多さに驚きます。サロンのオープン前には「朝練」があり、終業後はカットの練習。体も心もヘトヘトになる日々が続きます。
そんな中、空さんはストレスを解消させるために、夜中に菓子パンを食べるようになります。カロリーの高い食べ物なので、体重が増加してしまったそうです。体重の増加を見かねた先輩が声を掛けてくれ、朝6時からウォーキングを始めることに。その先輩も朝から晩まで忙しかったにもかかわらず、ウォーキングに付き合ってくれたそうです。ただし、ちょっぴり体力的・精神的に大変だったかなと、空さんは笑いながら話してくれました。
このように大変なことも多かったサロンですが、カットの技術や接客の方法など、一流のスキルが学べたと空さんは振り返ります。
「確かに最初のサロンは大変なこともたくさんありました。でもそこで学んだことは、間違いなく今の私を作る要素の一つとなっています」
サロンにいた頃は言われていることが理解できず、指導に対して理不尽と感じたこともあったそうです。でも20数年美容師を続けてきて、当時言われたことが少しずつ分かるようになってきました。
「厳しい指導をしてくれた人がいたから今の私がいます。あとになってから分かるものなんですね」
その後、同じサロンで働いていた方から、新しいお店で一緒に働かないかと誘いを受け、別のサロンで働き始めます。その方の指導も厳しいものでしたが、おかげで一流のヘアサロン技術が学べたそうです。ここで空さんは、たくさんのお客様と出会います。数年働いた後、一度空さんは名古屋を離れますが、やはり美容師の仕事が忘れられず再び名古屋へ。
ー 一度離れた場所へ戻ることに不安はなかったのでしょうか。
「とっても不安でしたね。お客様はサロンを気に入って来てくださっていると思っていたんです。だから私が名古屋へ戻っても、お客様はもう離れてしまったんじゃないか……と、怖い気持ちもありました」
この不安な気持ちを美容師の友人に打ち明けたところ、お客さまはお店ではなく空さんについているんだよと励まされました。自分ではそのように思えなくて不安でしたが、いざ名古屋へ戻ってきたら、これまでのお客様も帰ってきてくれたそうです。空さんの実績は、確実に積み上げられていました。お店ではなく「空さん」に施術してもらいたい、と思うお客様がたくさんいたのです。
おばあちゃんになっても美容師でいたい
私が初めて空さんにカットしてもらったのは、独身の頃でした。今は2人の子どもも、空さんにカットしてもらっています。私のように人のつながりを広げ、親子2代や3代でカットしてもらっている人が、たくさんいらっしゃるそうです。
「そういった人とのつながりがうれしいですね。今後も長く美容師を続けていきたいと思っています。そのためには年を取っておばあちゃんになっても、お客様に心地よく過ごしてもらえるよう、お店をバリアフリーにしなくちゃ。あ、あと体力作りも必要ですね!」
そう言って、ニコニコと笑う空さん。
「今後も美容師を続けて、人を幸せにしていきたい。ずっと続けていきたいですね」
かわいいおばあちゃんになってもハサミを動かして、お客様の髪の毛を整えていってほしいと思います。
接客から経営まで全てを一人でこなす
Hair make salon Soraでは接客から経営までを、空さんが一人でおこないます。
ー 全て一人でおこなうのは大変だと思うのですが、人を雇う予定はないのでしょうか?
「私は組織に属せないタイプだから、一人でやるほうが合っているんですよ」
笑いながら空さんは話します。 以前は、自分のやりたいことを人に押し付けてしまうクセがあったそうです。結果的にお客様の満足につながったとしても、考えの押し付けはよくないことと気づきました。確かにスタッフがいないと体力的に大変ではありますが、空さんは一人でやっていくことを選びました。
「スタッフを持たないことは、私だけでなくお客様へのメリットでもあるのです」
一人の方が精神的に気楽なのはもちろんですが、空さんの力を全てお客様へ注げます。
「スタッフがいると作業を指示したり、気を遣ったりする必要があります。その分、気が逸れてしまう。その点一人なら、全力をお客様に向けられます」
また空さんは、作業の全てを自分でやりたいのだそうです。
「シャンプーもカットもカラーも、人に任せたくないんです。やりたい仕事がいっぱいあるんですよね」
スタッフの多い美容院ではシャンプーを新人に任せることが多いようです。しかしそのシャンプーもHair make salon Soraでは、当然空さんが担当します。 バランス・髪質・毛流れ・頭の形・好みを考慮して、目の前のお客様に全力を注ぎたい空さんは、今日もすべての作業を一人でおこないます。
「他の人に任せると、私がやれなくなっちゃうから」
仕事にやりがいと誇りを持っている、空さんらしい考え方です。
店内のデザインは全て自分で
Hair make salon Soraの店内は落ち着いた色味とデザインで、ホッとできる空間です。この温かい空間はどのように作られたのでしょう。
「大工さんと二人三脚で作りました」
イメージ画像を大工さんに示し、空さんが自らデザインしたのだそうです。
「自分の好きなものをサロンに置いているだけですよ。インテリアの勉強は一度もしたことがありませんから」
ではなぜこのようなおしゃれで落ち着いた空間をデザインできるのでしょうか。
「今まで出会った先輩美容師から、世界観やセンスを磨くアドバイスをたくさん受けてきたからかな」と、空さんは話します。
「好きなものを置いているだけでなく、バランスを大事にしていますね」
美術館で絵を見たり、花を生けたりして、もののバランス感覚を養っているそうです。
「ほしいものだけを置くと、インテリアのバランスがおかしくなるはず。サロンや自分の目指す雰囲気を大事にし、お客様がリラックスできる空間からズレないよう、気をつけています」
このバランス感覚は、ヘアスタイルを作るうえでも生かされています。
空さんにとって「美容師」とは
空さんにとって「美容師」とは何かを伺いました。
「美容師とは……一言で言い表すのは難しいですね。あえていうなら“生きがい”でしょうか」
何度も考えながら、慎重に言葉を選ぶ空さん。美容師は髪の毛のカットやカラー、パーマ等の施術をするのは当たり前のこと。しかしそれだけではなく、プラスαを提供したいと考えているそうです。
「以前、元気のないお客様が来店されたんです。シャンプーとカットをさせていただいたのですが、施術を終えたときの表情が全く違っていました」
会話でリラックスしたのか、シャンプーが気持ちよかったのか、髪型が気に入ったのか……。
「お客様の表情がなぜ明るくなったのかはわかりません。でも、私の施術で人の心を動かせたと感じたときに、これが私にしかできない仕事なのだと思ったんです」
その接客をしたときに「ハッピーになってもらいたい」と思ったそうです。おしゃれになれたその先で、幸せな気持ちになってもらうことが生きがいだと言います。
「自分が選択し、続けてきたことは間違いじゃなかった、と思っています。確かに、しんどいことも辛いこともたくさんありました。何度も美容師をやめようと思ったけれど、続けないと見られなかった景色を、今見ています」
今後は社会貢献にも挑戦したい
空さんには夢があります。それはハサミで「社会貢献」をすることです。
「児童養護施設で、カットボランティアをやってみたいんです」
今はコロナの不安もあり、経済や社会情勢など暗い話題が多い時代。けれど、生きる楽しさを子どもたちに伝えていきたいと空さんは考えています。
「おしゃれって楽しいよ、髪の毛を切ってキレイになるとこんなにも心が明るくなるんだよ、仕事をするってこんなにステキなことなんだよと、少しでも子どもたちに伝えられたらうれしいです」
児童養護施設とは、社会的な養護を必要とする児童が生活する場所です。経済的な理由から進学を諦めざるを得なかったり、退所後の自立が困難だったりするため、さまざまな支援が必要です。児童養護施設で生きる子どもたちに、ほんの一瞬でも「楽しい」「うれしい」「ハッピー」と感じてもらいたい。そのきっかけを作りたいと空さんは話します。
「自分の人生にも、何かのきっかけがあったはず。親だけじゃなく、第三者からのきっかけがあってもいいんじゃないかなと思うんです」
今後、お店を大きくするつもりはないと空さんは言います。社会貢献のために、今の活動を広げていきたいとのこと。空さんの挑戦に、これからも目が離せません。
■ Hair make salon Sora
住所
〒464-0850
愛知県名古屋市千種区今池2-2−31
営業時間
10:00-21:00(早朝応相談)
定休日
不定休(完全予約制)
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