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→大阪の空にブルーインパルスを呼びたい!関西航空少年団に所属する高校生の願いが実現に向けて動き出す
関西国際空港(以下、関西空港)開港30周年と航空自衛隊創設70周年を迎える2024年9月を目標に定め、大阪の空に航空自衛隊のアクロバット飛行チーム・ブルーインパルスを飛ばしたい。
2019年に中学生(当時)だった団員・加藤咲さんが抱いた夢は、この4年の間に周りの大人たち、関西空港の対岸に位置する自治体の首長・議員、関西空港関係者、国土交通省、防衛省までを巻き込んで、現実味を帯びてきました。
華麗な曲技飛行を披露するブルーインパルス(画像提供:関西航空少年団)
始まりは中学生が胸に描いた壮大な夢。はじめは一蹴されたが……
航空少年団とは、航空と宇宙に関する知識を学び、団体活動を通して楽しみながら規律やリーダーシップ、問題解決力を養う青少年団体で、一般財団法人「空港振興・環境整備支援機構」に本部が置かれています。団員の減少やその他の事情で休止中の団体を除き、現在は全国で14団体が活動しています。
関西航空少年団は、関西空港が開港した同じ年の1994年に発団。大阪府泉佐野市と関西空港エリアを中心に、小型飛行機やヘリコプター・パラグライダーの飛行体験、雪上・水上スポーツ体験、キャンプ合宿、航空施設見学、茶道研修、奉仕活動などの活動を行っています。
松島基地上空を飛ぶブルーインパルス(画像提供:関西航空少年団)
関西航空少年団の団員・加藤咲さんが「大阪にブルーインパルスを飛ばしたい」という夢を初めて言葉にしたのは、2019年8月に地元の泉佐野市で参加した「第3回みらい泉佐野こども議会」でのことでした。これは、子供の提案に対して本職の市議会議員が答弁する模擬議会で、当時中学生だった加藤さんは「ダメでもともと」と提案したといいます。
市議会議員の反応は、案の定「頻繁に離着陸が行われている関空の航空交通管制圏(空港から半径9km以内範囲)において、これを許可することは、飛行機の運航の支障になる」という、きわめて現実的な答弁でした。
事態が動き始めたのは、コロナ禍真っ只中の2020年のこと。医療従事者への感謝を表すため、ブルーインパルスが東京上空を飛んだことで、「やっぱり大阪にも……」と再び熱い想いがよみがえった加藤さんら団員は、河野太郎防衛大臣(当時)に宛てて「大阪にもブルーインパルスを」の気持ちを手紙にしたためて防衛省へ送付したのです。
後日、あらためて、伊丹空港を拠点に活動する大阪航空少年団と連名で、河野防衛大臣宛てに要望書も出したそうですが、これらの手紙へ直接の返事はありませんでした。
その後、Peach Aviationの航空機を借り切って「空飛ぶ航空教室」を行い、記念誌「Dear Sky」を制作。全国の航空業界と航空自衛隊に送付すると、翌年7月に航空幕僚監部の広報室長から、関西航空少年団顧問で泉佐野市議会議員の大和屋貴彦さん宛てにメールが届いたのです。団員たちが防衛大臣宛てに送った手紙を預かっていることと、関西航空少年団と一緒に何かできないか、一度お会いしたいという内容でした。
面談は実現し、広報室長から「関西航空少年団が推進するプロジェクトを応援したい」との意向が示されました。実現させるためには、大阪府知事や飛行エリアの自治体首長と航空業界、地域の方々の理解を得ることはもちろん、航空自衛隊にとって広報効果があり、公共性のあるイベントを開催することが必要とのことでした。
関西航空少年団の取り組みは航空幕僚長も知っているとのことで、手ごたえを感じた大和屋さんは「Blue project」として取り組むことを決意。5人の団員でブルーインパルス展示飛行招致プロジェクトチーム「TEAM dreamers」を発足させました。初代プロジェクトリーダーは、この夢を最初に語った加藤咲さんが就任。夢の実現に向かって、第一歩を踏み出したのです。
夢に向かって大きく前進した1年
関西空港の対岸は泉州と呼ばれる地域で、9市4町の自治体があります。それら自治体の議員で構成する南大阪振興促進議員連盟で、大和屋さんは幹事長補佐の立場にありました。
「2022年7月、子供たちの夢を応援するため、政府と大阪府へ出す要望にブルーインパルスの招致を盛り込んだのです」
政府からの返事は、初めは当たり障りのない事務的な内容でした。
年が明けて2月、防衛大臣政務官との面談が叶い、防衛省を訪れました。
「そのとき大臣政務官から、子供たちの団体でいつまで(Blue projectを)続けられるのですかと指摘がありました」
関西国際空港
関西空港の開港30周年イベントとなれば、観客動員数は1万人を超えるでしょう。それだけ大きな規模だと、やはり大人の力が必要ではないかというのです。
「防衛大臣政務官から、責任ある団体として、実行委員会のようなものを立ち上げてはどうでしょうといわれました。そこで今年(2023年)8月に、『TEAM dreamers』を母体にプロジェクトチームを再構築することになりました」
新生「TEAM dreamers」には、団員の他にも地元の花火大会「りんくう花火」を主催する「一般社団法人ENJOYりんくう」をはじめ、地元活性化のために活動する複数の団体の参加が決まっているとのこと。
「この体制ならば、3万人から5万人規模のイベントは、ほぼ来年の9月に開催できる可能性が大きく高まっています」
ただ、実際にブルーインパルスが関西空港に着陸して、整備と補給を受けたのちに離陸して曲技飛行をするためには、まだまだ越えなければいけないハードルがあります。
地元住民の理解を得るため地道にビラ配りをすることも(画像提供:関西航空少年団)
新生「TEAM dreamers」には、アドバイザリーボードとして、政治家、元航空自衛隊パイロット、元航空管制官、PCゲームソフトメーカー社員など幅広い分野からの協力が予定されています。防衛大臣政務官と面談したあと、それらの方々が来阪し、様々なアドバイスがありました。
その中には「飛行前日のリハーサルと本番の2日間、もし飛べなかったときのことを考えていますか?」と、思わぬ指摘があり、検討するべき課題となりました。もちろん、その前段階で調整が難航したり防衛省への要望が不採択になったりして、ブルーインパルスの招致そのものが不可能になることも考えられます。
招致に成功した場合「TEAM dreamers」としては関西空港開港30周年の2024年9月をターゲットにしていますが、飛行予定日の天候しだいでは、ブルーインパルスが飛行できない事態もあり得るのです。
「そんな危機感も出てきましたので、2025年の大阪・関西万博もターゲットに据えて、TEAM EXPO 2025 共創チャレンジに登録しました」
「TEAM EXPO 2025 共創チャレンジ」は、ワクワクした人たちがワクワクしたことを実現するために、みんなでつくる参加型プログラムです。
参照:TEAM EXPO 2025 共創チャレンジ「ブルーインパルス大阪全域飛行へ!」
「愛知県政150周年記念で実現したようなブルーインパルスの全域飛行を、2025年4月13日に行われる大阪・関西万博の開会式でも実現させたいということです」
これはSDGsが掲げるゴール9の「産業と革新技術の基礎をつくろう」とゴール10の「人や国の不平等をなくそう」ともかかわりが深いといいます。
「ブルーインパルスを大阪へ呼ぶ際、周辺地域でたくさんのイベントを行います。多くの人が関西空港に訪れるということは周辺地域への経済効果も期待して9番。また、ブルーインパルスは平和の象徴であり、大空で繋がる公正という関係から10番を選択しました」
吉村洋文大阪府知事へ協力を要請するプレゼンを行うため大阪府庁へ
2022年10月、受験に専念するためプロジェクトリーダーを離れた加藤咲さんに替わって、副リーダーの畑部陽菜乃さんが2代目プロジェクトリーダーに就任しました。
そしてこの夏、畑部さんには、リーダーとしての大仕事が待っていました。それは「TEAM dreamers」の取り組みを理解してもらい、大阪府としての協力を要請するため、吉村洋文知事へ直接プレゼンする機会が与えられたのです。もちろん大和屋さんをはじめ大人のメンバーも同席しますが、主として知事に語りかけるのは畑部さんです。
初代プロジェクトリーダー・加藤咲さん(左)と現リーダー・畑部陽菜乃さん(右)/2022年8月撮影
8月23日、大和屋さんに引率された関西航空少年団の団員と役員、地元の自治体から泉佐野市長の千代松大耕(ひろやす)氏、そして「TEAM dreamers」に参集するりんくう花火実行員会などの団体代表者らが、大阪府庁を訪れました。
この日、吉村知事に面会できる時間は16時から30分だけとのこと。この30分で、どんなプレゼンができるかで今後のプロジェクトに影響すると思うと、畑部さんの緊張は一層高まります。
15時30分、府庁の職員に案内された会議室には、吉村知事が座る席と団員らが座る席が対面で配置されていました。畑部さんの席と吉村知事の席は、互いに真正面に位置しています。
いざ大阪府庁へ(画像提供:関西航空少年団)
「めっちゃ緊張する~」
緊張の頂点にある畑部さんは、この日のために用意した原稿のチェックに余念がありません。
そんな畑部さんとは裏腹に、他の団員らはわりあいリラックスした様子で、プレゼンの後に地元から持参したお土産を渡す段取りを確認し合っていました。
知事を待つ団員たち(赤いTシャツの人物はりんくう花火実行員会委員長・佛願真浩氏)
16時ちょうど、吉村知事が入ってきました。
「起立!」
大和屋さんの号令で、団員らが一斉に立ち上がります。
「敬礼!」
全員で挙手の敬礼をすると、吉村知事もそれに応えて敬礼を返しました。
「着席!」
「敬礼」の号令で知事に対し敬礼する団員たち。答礼する吉村知事
団員らの間に、ひとまず安堵の空気が流れます。ただひとり畑部さんを除いて。彼女は、これからが大勝負の本番なのです。まずは千代松泉佐野市長から吉村知事へプロジェクトの概要説明があり、その後いよいよ畑部さんによるプレゼンが始まりました。
この夢が初めて語られた経緯、コロナ禍で東京上空を飛んだのを見て「大阪にも飛んでほしい」との想いを強くしたこと、そして何より必ず叶えたい夢であることを強調します。始まる前は傍目にも分かるほど緊張していた畑部さん。いざ始まってしまうと腹をくくったのか、所々つかえながらも声は堂々としていました。
その間、吉村知事は畑部さんの顔を注視し、あらかじめ配布された資料に時折目線を落として、真剣に耳を傾けている様子でした。
緊張しながらも堂々と語る畑部さんと真剣な表情で訊く吉村知事
約10分間のプレゼンが終わりました。畑部さんにとっては、長い長い10分間だったでしょう。そして最後に、大和屋さんから知事へ向けて「団員たちの熱い想いを受け止めてくださいますよう、お願い申し上げます」と締めくくられました。
これに対し吉村知事は「畑部リーダーの熱い想いを聞いて、僕も胸を打たれました。ブルーインパルスを大阪の空に飛ばしたい、大阪の空で見たいという皆さんの想いを、一緒に実現させたいと思います」と回答。
畑部さんはプレゼンの最後に「吉村様に私たちの名誉顧問になっていただき、ともに大阪、全国を盛り上げていきたいです。私たちは本気です。よろしくお願いします」と、「関西航空少年団の名誉顧問」をお願いしていました。これに対しても吉村知事は「名誉顧問就任の打診をお受けします」とのこと。
ほかにも「大阪の空を飛ぶブルーインパルスを、僕も是非見たい」「夢を実現させるために共に頑張りましょう」との言葉がありました。
プレゼンが済んだ後は和やかな雰囲気に包まれ、団員らから大阪・関西万博の成功を応援するメッセージをしたためた寄せ書きや泉州タオルなどのお土産を手渡し、吉村知事を囲んで記念撮影をして府庁訪問を終えました。
「皆さんの想いを一緒に実現させたい」
大役を果たした畑部さんに一言、感想を聞いてみました。
「めちゃくちゃ緊張しました。始まる前はそんなに緊張してなかったんですけど、吉村知事が入ってきた瞬間『やばい!』って思って……」
そういうわりには、堂々としているように見えました。 吉村知事が理解を示し、協力を表明したことで、大きなハードルをひとつ超えたのではないでしょうか。
万博成功への熱い声援をしたためた寄せ書きを手渡す
最後に記念撮影。吉村知事が首にかけているのは団員たちから贈られた泉州タオル(画像提供:関西航空少年団)
1994年に結成された関西航空少年団は、じつは過去に団員数の減少が理由で活動を休止していた期間があります。7年前に活動の再開を目指して団員を募集しましたが、応募はわずか1人。再募集をしたところ、6人の応募がありました。先に応募した1人と合わせて7人の団員で再開した当時を振り返り、大和屋さんは次のような言葉を漏らしました。
「ブルーインパルスを大阪に招致する活動に取り組むことになるとは、想像すらできなかった」
今は団員・役員を合わせて110人で活動しているそうです。
「一般社団法人ENJOYりんくう」をはじめ地域活性化を図る活動をしている各種団体が加わって、パワーアップした「TEAM dreamers」の熱意がもっと多くの人を巻き込んで、夢が実現に向かっていく過程に今後も目が離せません。
■ 関西航空少年団
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