「よい一日の始まりを、この場所から」毎朝焼き続けているこだわりのマフィン
長野市役所の前に店を構える「North South East West」。
店内に一歩足を踏み入れると、焼きたてのマフィンとコーヒーのいい香りに包まれます。「街と自然のあいだをとりもつ場であり活動体」として2020年にオープンしたこのお店は、松本にある人気カフェ「amijok」の2号店です。
お店のオープンは朝9時と早め。「ここを起点に、いい一日を始められるように」という想いが込められています。長野を訪れる旅人の朝ごはん、出勤前のテイクアウト、お散歩がてらやってくる近所の人。「North South East West」には今日もさまざまな人が訪れます。
看板メニューは、ぎっしり具沢山でボリューミーなマフィン。長野のりんごや桃、梨など、季節の果物が使用されています。
「いろんな焼き菓子がある中で、『これだ!』って思える好きなマフィンがなかったんだよね。だから、自分たちで作っちゃおう!と思って、マフィンを作り始めた。マフィンならいろんな材料を使って味付けができるから、飽き性な自分にもぴったりだったね。ボリュームがすごいでしょ?オープン当時はふた回りくらい小さかったんだけどね、どんどん大きくなっちゃった(笑)」
そう笑顔で語るオーナーの小島剛さん(45)は、長野市出身。
33歳で1号店「amijok」を松本市にオープンし、2号店である「North South East West」をオープンしてからは地元である長野市に拠点を移しました。現在も、オープン当時と変わらず早朝からマフィンを焼いています。飲食店での勤務経験はなく、銀行員、出版社、アパレルでの勤務を経て、パートナーの小島圭さんと二人でカフェ営業を始めた剛さん。
人が好きで、人がつながる場所を作りたいという想いで始まった、カフェオーナーとしての街との関わり方についてお話を聞きました。
「親を安心させたい」と選んだ最初の就職先でも、「人が好き」という想いは変わらず
「North South East West」の横にある芝生で、コーヒーを片手に話す剛さん。
「僕が学生の頃は、金融機関で働いていれば安泰って言われていた時代でね。学生時代はずっと部活漬けの毎日だったし、高校・大学と進学で家族と離れて暮らしていたから、社会人になったら親を安心させていっていう気持ちが強くて、銀行に就職することにしたんだ」
初めは「親の期待に応えたい」と選んだ就職先でしたが、客先である企業の社長さんたちと接するうちに、剛さんは「人」と関わる仕事に魅力を感じるようになりました。しかし、やりがいを感じる一方で、どこかモヤモヤも募っていました。
「学生の頃から、マスコミで働くことに憧れがあったんだ。どうしても諦めきれなくて、思い切って四年間勤めていた銀行の仕事を辞めて出版社に転職したよ。全国各地の歴史を扱う会社だったんだけど、出張がすごく多くて、北は青森から南は宮崎まで、各地に一ヶ月滞在して取材して、なんて生活をしていた。全国の面白い人と出会って、自分の世界が一気に広がったなぁ」
学生の頃から旅が好きだったという剛さんは、社会人になっても少しでも休みがあれば寝袋だけを抱えて全国各地を旅していたそう。仕事先や旅先での人との出会いが好きで、常に人とつながっていることに楽しさを感じていました。
そうして全国を飛び回っていた剛さんは、パートナーとなる圭さんと出会います。
剛さん(左)と圭さん(右)。1号店「amijok」の前で。
「圭も僕も長野県出身で『人が好き』っていう共通点があってね。圭は当時東京で看護師をしていたんだけど、『いつか二人でお店をやりたいね』なんて話して、一気に意気投合したんだ。二人とも服が好きだったから『じゃあアパレルのお店をしよう!』って決めた。安直だよね(笑)とはいえ、服や流通の知識なんてなにもなかったから、僕は出版社を辞めて、修行のためにアパレルのお店で働くことにしたんだよ」
3年後に独立することを目指し、東京で働き始めた剛さん。しかし、圭さんと「そもそもなんでお店をしたいんだっけ?」とどんなお店を作りたいか話し合ううちに、アパレルから飲食へ方向転換をすることに。
「僕たちは、『モノ』を売ることを通して、作り手の想いやストーリーを伝えていく役割をしたかった。だんだん、洋服という選択肢に絞らなくてもいいかもしれないと考えるようになって。僕らの仕事を通じて人のつながりを作りたかったから、モノを売ること以上に、人が滞在してくれるような場所を作りたいって気づいて、『じゃあ、カフェかも?』って考え直したんだよね。また安直だけど(笑)」
「夢が見えちゃったらやるしかない」理想の物件に出会い、覚悟を決めた
人で賑わう「amijok」の店内。内見に来た時、剛さんの頭にはこの風景が浮かんだそう。
東京で働きつつも、カフェができそうな物件を探し始めた剛さんと圭さん。二人の地元である長野県の長野市、松本市、当時東京で気に入っていた府中と、いくつかの土地を見て回っていた中で二人がたまたま出会ったのが、のちに「amijok」となる松本市の物件でした。
内見に訪れた小島さんの頭には、ここで人々と話している自分たちのイメージがパッと浮かんだといいます。
「夢を描け、より鮮明に描け、っていうよね。最初はぼやけている夢も、明確な風景が見えた時に人はエネルギーが出る。見えちゃったんだよ、そこでお店をやっている僕たちが。見えちゃうと、やっちゃうしかない。まだお金は貯まっていなかったけれど、『どうする?やっちゃおう!』って内見に行った次の日には決めていた。圭と僕、二人だったらできるんじゃないかって思ったんだ」
「今思えば、もっとうまいやり方があっただろうな」と笑う剛さんですが、二人の貯金では足りなかった開店資金をかき集めるために、銀行からの融資を受けることに加え、親類に土下座をした時もあったそう。できることはなんでもしたと振り返ります。
「でもね、『お金がなくて頭を下げるなんて恥ずかしい』とは不思議と思わなかったんだ。絶対に返せるって思っていたのもあるし、本当にやりたいことがあると結構なんでもできちゃうんだよね。それより、お金がないからってタイミングを逃しちゃう方がもったいなかった。それに、腹をくくるってすごく大事でね。覚悟があると、不思議と周りが助けてくれるんだよ」
「ここにお店ができたら、この街にどんな風景が生まれるだろう」長野市で再び脳内に「見えた」イメージ
二人で始めたお店には、少しずつ仲間も増えていきました。
こうして、カフェ「amijok」をオープンした剛さんと圭さん。二人とも32歳のときでした。飲食店での勤務経験もない中、信頼できるコーヒー豆の取引先を見つけ、まずコーヒーの淹れ方を教わることからスタート。手探りながらも始めたお店には、スタッフが増え、常連さんができ、松本の街に馴染んでいきました。
オープン当時は、「このお店から街を変えていくんだ」という熱い気持ちを持っていたという剛さんですが、だんだんとお店や街への気持ちはやさしいものへと変わっていきました。次第に「自分が」、「自分のお店が」という意識は薄れ、毎日お店を開けて、おいしいものといい時間を提供し、お客さんと言葉を交わす、そんな街の日常の風景になりたいと考えるようになりました。
「お店はね、始めるよりも続けるほうが大変。もうやめちゃった方が楽だって、何度やめようと思ったことか。朝起きて、気持ちが乗らない時もある。それでも、扉を開け続ける。でも、なんでだろうね、そういう日に限って、オープンを楽しみにしていたお客さんが入ってきてくれて、一言二言交わしてね。それだけで『あぁ、これでいいんだ』って思うんだよ」
手探りから始めた「amijok」の運営も8年目に差し掛かり、40歳を迎えた剛さんは、自分の地元である長野市にもお店を持ちたいと考えるようになりました。
移転をするか、2号店を出すかと思案しながら物件を探し始めた剛さんが出会ったのが、長野市役所の向かいにある空きビルでした。市役所と物件の間には「さくら広場」という芝生のスペースがあり、内見にいった剛さんの頭に、ある風景が浮かんだといいます。
芝生の奥に見えるのが「North South East West」。
「昔雑誌の表紙で見た、アメリカのポートランドの風景を思い出したんだ。芝生でピクニックをしている人がいて、水着の人もいて、犬を散歩している人、コーヒーを片手に喋っている人たちがいる。その後ろにはオフィス街。この場所にカフェができたら、あの風景を長野の真ん中で作ることができる。ずっと、みんな頑張りすぎじゃない?もっと余白を持ってのんびりしようよっていう想いがあったから、また夢の風景が見えちゃったんだよ。見えたら、もうやるしかなかった」
物件を一目見てピンと来たものの、長野市でお店を開きたいと思っていた当初から、仲間と一緒にできたらいいなと考えていた剛さんは、友人たちに「一緒にやらない?」と声をかけます。
長野市で店舗を持っていた、山道具などを中心としたアウトドアセレクトショップ「NATURAL ANCHORS」と、ビンテージ家具や雑貨の輸入販売・リペアやプロダクトデザインを主な事業とする「Ph.D.」のリアルショップとしての「Ph.D.stock”hue”」が、「おもしろそうだね」と仲間に加わりました。
さらに、3店舗合同のギャラリースペース「lighthouse」を作る構想も生まれます。
「North South East West」の隣の芝生にて。仲間たちとの一枚。
「amijokでもポップアップ的なイベントはよく企画していたんだけど、ここは駅前と善光寺付近のエリアのちょうど真ん中にあるから、もっと街を巻き込んで、人が街を歩くきっかけが作れると思ったんだ。自分自身も、お店の中でお客さんを待つんじゃなくて、意識を外に向けたいなって」
2号店は、「ここからどこへ行こう?」とコンパスを片手に一日を始められるよう、東西南北を意味する「North South East West」という名前をつけました。街と自然、駅前と善光寺。街で暮らすように自然の中で暮らし、街で遊ぶように自然の中で遊ぶ。人と場所をつなぐ拠点。
物件を見つけてから、構想を固め、ビルを改装し、オープンの日を迎えるまでは2年以上の歳月を費やしました。
「North South East West」のある長野市と、自宅と「amijok」がある松本市は車で1時間半ほど離れています。初めは、「amijok」はスタッフに任せ、家族で長野市に拠点を移すことを考えていましたが、長野でお店を持つ計画が形になり始めた2019年の末、コロナ禍が始まりました。
コロナが落ち着くまで、圭さんと息子さんは圭さんの実家へ、剛さんは長野市に拠点を移し、圭さんと息子さんは実家のある塩尻に移って松本まで通い、「amijok」と「North South East West」をそれぞれ運営していくことを決断します。
「正直な話、お店を作る上でお金をいっぱいかけちゃったから、この先どうなるかわからないよね、という不安があって、家族ごと拠点を移すんじゃなくて、それぞれやってみることにした。お店をやる上で、『家族でいられる場所』をどうするかはずっと課題だね。でも、焦ることでもないしこれもまたタイミングかな。うまく落ち着ける場所が見つかるといいなぁ」
「自分らしくいること」が「自由でいること」だから、場所を持っていても縛られない
朝の「North South East West」。
紆余曲折がありながらも、2020年の4月にオープンを迎えた「North South East West」。様々なお店や場所、人を巻き込みつつも、「街の風景」として長野の街に佇み続けてきました。「amijok」とはまた違った人の流れも生まれているそうです。
「長野市は、僕が昔暮らしていた学生の頃と違って、若い子たちがどんどん面白いことを始めてる。もともとお客さんだったイラストレーターの子と仲良くなって、うちの店のグッズの作成をお願いしたり、お客さんだった子が『ここでヨガのレッスンをさせてほしい』って声をかけてくれたり、いろんな流れが生まれているね。20〜30代が面白い街には未来があるよね。おっさんも負けてらんねぇって日々刺激を貰ってるよ」
長野市の20代の若者が企画した、「いいお店ってなんだろう?」がテーマのトークイベントに登壇する剛さん。
学生、社会人の頃は旅が好きだったという剛さんですが、場所を持ち、根をはることに対する息苦しさは感じていないと言います。
「お店を2つも持つと、自分の一存だけじゃうまくいかないことがたくさんあるから大変だけど、それでも、お店を通して誰かの想いを伝えて、つなげていくのが自分らしいなと思うよ。これまでは、素の自分でいられる場所は旅先だったけど、自分の『好き』を詰め込んだ空間の中なら、自分自身でいられるから、自由なんだよね」
「ここは、amijokの意思は忘れずに、港のような場所にしたい。旅立つ人もいれば、帰ってくる人もいる。ガヤガヤしていて、いろんな音や匂いがして。自分の場所でもあるけれど、誰かの出発点でもある。あそこにいけばあの人がいて、おいしい料理があって、アホなことを話して笑える。そんな安心感のあるお店にしていきたくてね。まだまだやっていくぜ!という気持ちももちろんあるけど、余白を持って静かに佇んでいたい気持ちも生まれてきたなぁ」
初めは、松本の街で「ここに立つ自分たちが見えた」ことから動き出した、剛さんと圭さんの夢。次は、「ここにお店ができたら、どんな街の風景が生まれるだろう」と浮かんだイメージから、長野の街に新しい風が吹きました。
長野市で新生活を始める人、一度は離れた地元へ戻ってきた人、たまたま訪れた旅人、仕事の息抜きにやってくる人。さまざまな人が訪れ、交差していく「North South East West」で、今日も剛さんはお店のドアを開け、マフィンを焼いてコーヒーを淹れ、日々の営みを続けます。
その営みはやがて訪れる人の日常の一コマになり、ゆるやかに街の風景を作っていきます。
小島剛さん(45)
1978年生まれ。長野市出身。サッカー漬けの学生生活を送り、銀行員、出版社、アパレル勤務を経て、2011年に松本市で「amijok」をオープン。2020年に長野市で「North South East West」を開き、現在は長野市に拠点を置いている。「Sunny Day Service」と映画が好き。
■ amijok
■ North South East West