「大好きな長野を、みんなにもっと好きになってもらいたい」

2022年の3月、長野県長野市にオープンしたコミュニティースペース「窓/MADO」。


窓=風の入り口として、コワーキングスペースではなく、「コミュニティ」スペースを目指し、街に開かれています。現在の会員数は約20名(2022年12月現在)。会員は主に、映像クリエイター、デザイナー、カメラマン、ライターから、大手企業の会社員や猟師など、幅広い職種のプレイヤーたち。その多くが、県外から長野にやってきた移住者です。


平日のオフィススペースの様子。


運営をしているのは、東京と長野を拠点に全国を行脚する編集会社Huuuu.inc。Huuuuは、ローカル、カルチャーに強いライター・編集者を束ねる会社です。総合的な編集力を武器に、コンテンツ作りから場づくりまで、幅広い事業を行なっています。


そんなMADOのコミュニティオーガナイザーを務めるのは、長野県飯山市出身のくわはらえりこさん。


「大好きな長野を、みんなにもっと好きになってほしい!」と意気込むえりこさんは、会員同士はもちろん、会員たちと長野の街をつなぐ案内人をしています。

えりこさんの地元である飯山市は、日本有数の豪雪地帯。1年のうちの3分の1が雪に覆われており、一晩で80cmもの積雪量を記録する日も。えりこさんは、そんな飯山市で暮らしながら、長野市にあるMADOで働くために、車で片道約1時間の道のりを通っています。


「昔は飯山なんてなにもない!と思っていたのに、いつの間にか地元を離れる選択肢はなくなっていました」と笑顔で語るえりこさんに、MADOで働き始めるまでの道のりを伺いました。



刺激・雑談・そして本に出会える、コミュニティオフィス

「MADOでのメインのお仕事は、お掃除なども含めてオフィスの体裁を整える施設管理ですね。でもそれより大事にしているのが、メンバーの方々の交流のサポートです。MADOは、仕事をするオフィスが欲しいというよりもコミュニケーションを取りたくて登録している方がほとんどなので、そのための施策を日々考えています。みんな、雑談がしたいんですよね」


オフィススペースの壁にある「雑談ボード」は、えりこさんのアイディア。ユーザーの人々が、「焚き火しましょう」、「銭湯に行こう」、「しばらくインドに行きます」など、近況や最近興味があることをシェアし合うことができます。実際にこのボードのメモがきっかけでイベントが企画されたこともあるとか。


雑談ボートには、えりこさんの描いたユーザーひとりひとりの似顔絵が。


他にも、月1の定例ランチ会「OKMデイ」(同じ釜の飯を食うの略称)、プレゼン会「MADOBE SPEECH」、ワークショップの開催など、メンバー同士の交流を目的とした企画が盛りだくさん。


「OKMデイ」のランチ後、談笑する会員たち。


また、「会員特典として設置したオフィススペースにある蔵書を活用しきれていない」という課題から、新たに「U30図書倶楽部」という取り組みもスタート。


MADOの一部を図書館のように開放しています。図書倶楽部会員は、編集やデザイン、ローカルにまつわる500冊以上の本が読み放題。近隣の大学に通う学生や、駆け出しのフリーランス、本好きの仲間がほしい若者などが登録しており、MADO会員との交流も生まれています。


「MADO会員の方は、首都圏からの移住者の方が多いんです。図書倶楽部も、県外から長野に進学してきた学生さんが主に登録してくれていますね。私は長野が好きで、ずっとここに住んでいるからこそ、外からやってきてくれた人たちと交流したり、長野の良さをシェアできるのがとても楽しいです」



「色々やっているから、肩書きがないんです」

えりこさんは、MADOのコミュニティオーガナイザーとして働く一方で、フリーランスとしてもお仕事をしています。長野県内の観光記事を書いたり、ポップやチラシのデザインを引き受けたり、イラストの依頼を受けることもあるそうです。


えりこさんの製作した、Huuuu.incの運営するお店「シンカイ」の周年イベントのポスター。


「いろいろやっているから、肩書きがないんです。あえていうなら、くわはらえりこが肩書き!職業を名乗るのはわかりやすくて便利だけど、そこに囚われたくなくて。とにかく自分ができることをやる。私の根っこにあるのは『飯山で楽しく暮らしたい』、『人と関わる仕事がしたい』という気持ちだけです。そのための選択肢が、フリーランスになることでした」


えりこさんは、「人に関わる仕事がしたい」という想いから編集者を目指し、新卒で長野県の情報誌を扱う出版社に就職。その後は地元である飯山市にIターンし、観光局で観光案内所、道の駅、広報の仕事を経験した後、フリーランスとして独立し、2021年の冬にHuuuu.incに加わりました。「ものすごい遠回りをしてここまで来たんです」と笑うえりこさんの道のりを、さらに辿っていきます。



「私が好きだったのは、服じゃなくて人だったんだ」

えりこさんが「人」に興味を持つようになったのは、中高生の頃に通っていた長野市の古着屋さんがきっかけでした。


「学生の頃は地元にまったく興味がなくて、毎週末のように長野駅前や、善光寺門前周辺に遊びに行っていました。その場に居合わせた同士がゆるやかにつながれる長野市の空気感がとても好きで。その中でたくさんかっこいい大人に出会って刺激を受けました。特に、よく行っていた古着屋の店員さんがとにかく親切で。中高生なんてお金もないのに、無下にせずに一人のお客さんとして丁寧に接客してくれました。進路を考えた時、あの人といつか一緒に働きたいかも!と思って、アパレル業界を目指すようになったんです」


高校卒業後は、長野市にあるファッションとデザインの専門学校に進学したえりこさん。アルバイトもするようになり、「これで好きなお店でたくさん服が買えるぞ!」と喜んでいた矢先に、親切にしてくれていた店員さんが退職すると聞かされます。


「その人が辞めた途端、ぱたりとお店に通わなくなってしまったんです。私が好きだったのは、あのお店のお洋服じゃなくて、あの人自身だったんだと初めて気がつきました。それから、『人』に注目して働き方を考えるようになりました」

専門学校時代のえりこさん(右端) 


ファッションビジネスの勉強を終えたのち、自分の幅を広げるためにもう1年専門学校に残りグラフィックデザインの勉強をすることに決めたえりこさん。とはいえ、デザイナーになりたい気持ちがある訳でもなく、私がしたいことは一体なんなんだろうと進路面談を重ねるうちに、先生が提案してくれたのは「編集者」でした。


「とにかくいろんな人と出会いたい、自分が持っていない価値観を知りたいという想いがあったんです。そうしたら先生が『編集者だったら様々な人の話が聞けるから編集の道がいいんじゃないか』と言ってくれて、『そういう道があるのか!』と。長野に関わり続けたい気持ちもあったので、長野の情報誌を作っている出版社を受けてみることにしました」 



忙殺される日々の中で四季の移ろいを見逃していた

そうして、編集者を目指し新卒で長野市の出版社に入社したえりこさん。初めて地元を離れ、長野市に引っ越しました。「雪が積らない!冬でも大好きなスニーカーが毎日はける!」、「街で遊べる!」と、新生活に心を躍らせつつ、仕事では厳しい現実を突きつけられます。


「当時は『社会人ってつらい!』と思っていました。毎日不規則で人間らしい生活が送れてなかったのですが、まだ社会を知らなくて比較対象がなかったので、社会人ってこういうものなんだって思い込んでしまっていたんです。とにかく一生懸命付いて行こうとして必死でした」


えりこさんが出版社に入社した翌年、長野市の善光寺では7年に一度の御開帳を控えていました。全国的にも有名な一大行事に向けた冊子の作成で、ただでさえ忙しかった日々の業務はさらに過酷さを増し、深夜の帰り道に「誰かこのまま私を誘拐してくれないかな〜」と思うほどにえりこさんは追い詰められていました。そんな中、なんとか御開帳に向けた冊子が校了。「社会人になってもう1年が立つなぁ」と何気なく歩いていた通勤路で、梅の蕾を見つけます。


「あの日のことは忘れもしません。最初は、『わぁ、きれいだな』と携帯を取り出して写真を撮りました。それから、『あれ、いつの間に春が来ていたんだろう』と呆然としたんです。忙しかったことに加えて、長野は飯山と違って雪も少ないので、冬が終わっていたことすら気づいていませんでした。ぬるっと変わっていく季節に初めて違和感を抱いたんです」


こんな働き方はもう続けられないと感じたえりこさんはそれから数ヶ月で出版社を退社します。しかし、この時点ではまだ飯山に戻る選択肢は一切ありませんでした。長野市には友達もいて、遊び場もたくさんあります。どうしたらこのまま長野にいられるだろうと職探しをしますが、なかなか仕事は見つかりません。



地域の魅力を伝える観光の仕事は、「編集」に近いかも?地元の観光局に転職

退職から2ヶ月の時が流れ、帰省のついでに飯山のハローワークに立ち寄ったえりこさんはある求人を見つけます。飯山に新幹線が開通した関係で、飯山駅構内の観光案内所の求人が出ていたのです。観光案内は地域の魅力を伝える仕事。「編集っぽいかも?」と考えたえりこさんは求人に応募し、地元飯山はUターンすることになりました。


「採用後は、まず観光案内所に配属されました。でも、本当は長野市にいたかったのに飯山なんて……という気持ちが透けてしまっていたんですよね。たった1週間で上司から『観光案内を舐めるなよ!』と怒鳴られてしまいました」


しかし、観光案内所でパンフレットの編集に関わるうちに、えりこさんは「前職の経験が生きているかも?」と仕事に楽しみを見出し始めます。観光案内所の次は道の駅に配属となり、デザインの知識を活かしてポップやチラシを作成。接客をしながら、お客さんの喜ぶ反応を目の前で見られるようになったことで、「私のデザインでも誰かを喜ばせることができるんだ」と気づきます。さらに、初めの頃は休みの日は長野市にばかり遊びに行っていたえりこさんでしたが、次第にプライベートも飯山で過ごす時間が増えていきました。


現在はピクニックが趣味だというえりこさん。飯山のお気に入りスポットを案内してくれました。


「飯山なんて何もないじゃんと思ってしまっていたので、地元を観光客目線で見るのがめちゃくちゃ難しかったんです。勉強のために観光スポットを巡ってみたり、飯山が好きで移住してきた方と一緒にアクティビティをしてみたりするうちに、飯山って意外といいんじゃない?楽しいかも?と、だんだん観光客の人たちの気持ちがわかってきて。自分の足で街を歩いて、お客さんから聞かれることを全部やる、みたいなことをしながら飯山への理解を深めていきました」



地元で活躍するかっこいい先輩との出会いで風向きが変わり始めた

そうして飯山との向き合い方が変わり始めた頃、えりこさんは飯山出身の編集者兼フォトグラファー・小林直博さんと出会います。直博さんは、えりこさんと同じ高校を卒業後、関東の大学に進学し、東京の編集プロダクションでの勤務を経て、地元である飯山に帰ってきていました。


直博さんが発行している飯山のかっこいいおじいちゃんおばあちゃんを切り取ったフリーペーパー「鶴と亀」は、えりこさんも手に取ったことがありました。


全国的に話題となったフリーペーパー「鶴と亀」(写真提供:小林直博)


直博さんは、飯山市若者会議の催しで「若ショック」というトークショーを企画しており、若者代表を探していたところ、「えりこちゃんがいるんじゃない?最近飯山に帰ってきたみたいだよ」と名前があがったのです。市内に住む30-40代の6名が、話してみたい20代をそれぞれ指名し「うちらの住みやすい街」をテーマに対談や交流をする催しで、「イケてるもの大好き女子」として参加したえり子さんは、この対談を通して、初めて飯山の未来を意識するようになりました。


直博さんとの出会いはさらにえりこさんの世界を広げていきます。地元の後輩であるえりこさんを何かと気にかけていた直博さんは、長野市で自身が登壇するトークショーにえりこさんを誘い、のちに長野市でMADOを始めることになるHuuuu.incの代表・徳谷柿次郎さんを紹介したのです。


「出版社時代、編集の仕事はつらくて過酷だと思い込んでいたので、世の中にはこんなに楽しそうな編集者がいるんだ!と衝撃でした。仕事の話は特にしないまま、イベントなどで会うたびに『えりこ〜〜〜!』って何度も声をかけてくださって。でも正直、『何この変なおじさん、怪しい!』って怯えていましたね。一度、なんでそんな私に構うんですか?って聞いたら『えりこは魂がいいから』って言われたんです。ますます怪しい!(笑)」 



飯山といい距離感でいるために、独立することを決めた

飯山への愛着が徐々に蓄積され、外の世界とも繋がりが増え始めた一方、観光局の仕事では新設された広報の部署に抜擢されたえりこさん。もともとやりたかった編集の仕事につくことができて嬉しい反面、組織・地域のしがらみの中で働かなければいけないことに少しずつモヤモヤが募ります。


「めちゃくちゃ嬉しかったはずの異動なのに、結局よくわからない人間関係に力を使わなきゃいけない。やっている仕事は好きだけど、このままここにいたら飯山を嫌いになってしまうから関わり方を変えようと思って、独立することを決めました。一応デザインも組めるし、記事も書けてイラストも描ける。なんとかなるはず!って」


退職する決意を固めたことを直博さんに改めて報告したえりこさん。「えりこちゃんがやりたいのは編集でしょ?長野に関わる仕事がしたいんでしょ?」と背中を押され、以前直博さんに紹介された編集者・柿次郎さんに改めて連絡をします。


「独立したあと、飯山で新たに場所を作る話も出ていたんですが、私はまだ飯山でなにかを始める覚悟ができていなくて逃げ腰でした。そんなタイミングで柿次郎さんが一本電話をくれたんです」


柿次郎さんから、「Huuuuの長野事業を拡大していくために、長野にオフィスを作る計画がある」と話をされたえりこさん。ただ「えりこ〜!!」と声をかけるだけでなく、えりこさんがHuuuuとどう関わっていくべきかずっと模索していたのだと初めて聞かされます。


「ようやく『この人、本気なんだ!信用しても大丈夫かも」とイメージが変わりました。いつか飯山で場所を作るためにも、今は改めて編集の現場で知見を貯めた方がいいかもしれないと思い、『一緒にお仕事させてください!』と伝えました。くすぶっていた私を気にかけてくれる人がいて、背中を押してくれる人がいて、今の私がいるんです」 


Huuuuのメンバーと。(写真中央が柿次郎さん、後列右から2番目がえりこさん)


フリーランスとして独立してから半年後となる2021年の冬、Huuuuに加わったえりこさん。MADOをどういう場所にしていくか、企画段階から立ち上げに参加し、翌年4月にMADOがオープンしてからは、片道約1時間の距離を往復し、週の半分を飯山市で、半分を長野市で過ごしています。


「かつてあれだけ戻りたいと思っていた長野市で仕事ができることになったのに、いつの間にか飯山を離れる選択肢は無くなっていました。飯山にあって長野にないのは、全身で感じられる四季の豊かさ。長野にあって飯山にないのはマインドが近い人たちとのつながり、刺激かな。ずっと飯山だけにいたら窮屈になってしまうから、飯山で長く楽しく暮らすために2つの軸を立てました」


長野市・MADOの本棚の前で。



飯山市の自然の中で。


「街の魅力って、人の魅力だと思うんです。そこで暮らしている人たちへの愛着があるから街が好きになる。10−20代の頃の私は、キラキラと楽しそうに長野で暮らしている大人を見て『この人たちがいるから長野が好きだな』と思っていました。これからMADOで出会う人たちが、今度は私を見てそう思ってくれたらうれしい!」


「全然まっすぐの道じゃなかった、かなり遠回りをしちゃいました」とこれまでを振り返るえりこさんですが、回り道や道草をしなければ見えなかった景色や、出会うことのなかった人とのつながりによって今があります。好きな街で楽しく暮らすために、2つを軸に選んだえりこさん。「あなたがいるこの街が好き」と思えるような人と人のつながりを、これからも長野で繋いでいきます。



くわはらえりこさん

1992年生まれ。長野県飯山市出身。Huuuu.incが運営する、長野市のコミュニティスペース「窓/MADO」でコミュニティオーガナイザーを務める。フリーでは「hibinodance create」という屋号で、デザイン、イラスト、ライティングなど幅広い業務も請け負っている。好きな季節は四季すべて。 



■ 窓/MADO


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