「いつかやってみたい」を「今ハマってる!」に。怖くない格闘技ジム「Sweet gym」
「ワン、ツー、フック、ストレート!おっ、いいですね〜!きれいなフォームでしたよ。じゃあ次はキックいってみましょうか!」
朝10時から、爽やかな声が響く長野市のキックボクシングジム「Sweet gym」は「怖くない格闘技ジム」がコンセプト。運動不足の改善や、ストレス発散のために楽しく通えるジムです。会員の8割は女性で、レッスンはいつも和気あいあいとしています。
1クラスの定員は8人まで。一人一人に声をかけながら丁寧にレッスンしていきます。
通常フィットネスジムは月額会員制のみの仕組みが多い中、「Sweet gym」では都度払いも取り入れており、入会のハードルが低いため「続けられるかな」と不安な未経験者でも気軽に始められます。実際に会員の7割は都度払い会員だとか。また、「怖くない」、「誰でも始められる」ジムにするためにプロ選手志望や試合希望の入会者はお断り。レッスン内容も、未経験者や普段全く運動をしない人向けにライトなものになっています。
「カラオケに行くくらいの気持ちで、気軽にリフレッシュしにきてくれたら。パンチ・キックをやってみるのは楽しいですよ」と笑顔で語るのは、インストラクター兼ジムのオーナーである小川博史さん。
中学生の頃から柔道を始め、柔道二段、ブラジリアン柔術青帯、総合格闘技歴10年と格闘技の経験を積んできた博史さんは、1年前に長野市にIターン移住し、2021年に一人でゼロからジムを立ち上げました。インストラクターとして経験を積み、計画を練ってからの起業かと思いきや、博史さんの前職はWEB制作の会社。さらにその前には大手洋菓子メーカーで10年勤務し、接客と営業の仕事をしていたといいます。
格闘技はあくまで「趣味」として続けていたという博史さんが、縁もゆかりもない土地・長野に移住し、起業に至るまでの背景には何があったのでしょうか。
「自分でできたらかっこいいだろうなぁ」肥満児だった子供時代、格闘技に出会う
子供の頃は肥満児だったという博史さん。小学校の頃から、体操教室や地元の少年野球チームに所属していましたが、アップで少し走っただけで気持ち悪くなるくらい運動は苦手だったそうです。
中学校入学直後の部活紹介で技を披露する柔道部の先輩たちを見て、「自分でできたらかっこいいだろうなぁ」と入部を決意。中高は柔道部に所属したことで、だんだん痩せ始め、身体もできあがってきた博史さんは、総合格闘技に興味を持ち始めます。
「総合格闘技自体は、柔道をやっていた頃からテレビで観て知っていたんです。それまでは、プロレスと一緒でショーみたいなものだと思っていたんですが、試合を見てみたら全然違って衝撃でした。本気でやってるんですよね。こんなスポーツがあるのか、このリングで自分の柔道技を使ってみたらどうなるんだろうとワクワクしました」
学生生活最後の思い出作りのつもりで総合格闘技にチャレンジ
大学生になったら総合格闘技にチャレンジしてみようと思っていた博史さんですが、いざ入学してみるとバイトや遊びに気を取られ、趣味程度に週一で柔道を続けるくらいに止まっていました。
「大学4年生になって就職が決まって、学生生活最後の一年、やり残したことはなんだと考えた時に浮かんだのが総合格闘技でした。一年間だけやってみて、試合に出て終わりにしよう、社会人になる前の思い出作りのつもりで、意を決してジムに入門しました」
学生時代の博史さん。
柔道の経験はあったものの、パンチやキックの経験はなく初めは苦労しましたが、先生に熱心に指導してもらううちに総合格闘技がどんどん楽しくなってきた博史さん。入門から半年で試合に初出場し、なんとか初試合にて優勝を飾ることができました。ジムの先生に今後の活躍を応援され、博史さんは就職してからも総合格闘技を続けることにしました。
「なんで俺はこんなところでイキっているんだ?」
大学卒業後、博史さんは大手洋菓子メーカーに就職。大阪・神戸の百貨店を中心に、接客・販売の仕事をしていました。学生時代に入門したジムに通い続けてはいましたが、慣れない仕事や残業で練習に行けない日もあり、仕事と趣味の両立を厳しく感じ始めました。
就職して3年目に、石川県・金沢市の店舗に異動となり、25歳で店長を任された博史さん。「これではますます両立が厳しくなるぞ」と、金沢では格闘技を続けないことを決めます。あくまで体づくりのために、スポーツジムに通い始めた博史さんは、器具を使ったウェイトトレーニングの他に、サンドバックを叩くプログラムに参加。格闘技経験者の利用者はおらず、「すごい、あの子なに?」と注目を集めます。初めは楽しく感じていた博史さんですが、数回通ううちに、なんで自分はこんなところでイキっているんだろうとハッとします。
「やっぱり、やりたいんだったらちゃんと格闘技のジムに行こうと金沢の総合格闘技のジムに入会したんです。地方だし、格闘技なんて流行っていないだろうと思っていたら、一見普通のおじさんがもうめちゃくちゃ強くて。他にもチャンピオンの選手がいたりして、ボッコボコにされました(笑)でも、全国各地にこんな強い人たちがいるのか!とワクワクしましたね」
仕事と格闘技の両立が出来てきた矢先の骨折で引退を決意
金沢の総合格闘技ジムに入会してから一年半後、名古屋に転勤が決まった博史さん。今度は迷わず転勤直後に名古屋のジムに入会しました。勤務年数と共に経験も重ね、仕事に余裕が持てるようになり、仕事と格闘技をうまく両立ができてきました。
しかし、名古屋勤務2年目で、接客から営業の部署へ移動となりオフィス勤務に。格闘技でも試合に出ることが増え、実績が認められてプロの試合に出られるようになり、環境が大きく変わります。仕事で新しいことを覚えなければいけない上に、試合に向けた減量・練習の日々。「好きだから続けている趣味」が、だんだん苦しくなってきました。
どこまでやれるのか、なんとか両立しながら続けてきて、新しい部署での仕事にも慣れて要領がつかめた頃、博史さんは試合直前の練習で足を骨折してしまい、手術のため入院を余儀なくされます。試合は中止となり、対戦相手や主催者、そして職場にも迷惑をかけたと深く落ち込みました。半年後、足が治ってからの再試合で、激戦の末に勝利を手にした博史さんは「やり切った」という思いから、格闘技を引退することを考えはじめました。
「行動しないと一生このままや!」
「ずっと続けてきた格闘技をやめて、じゃあ次何しよう?と。仕事では、会社内の自分の評価や立ち位置、将来どこのポジションまでいけるかはだいたい見えていました。きっとそこまで上にはいけないだろうし、自分自身も社内で上を目指す気持ちはなかったですね。格闘技のように、夢中になれる何かがしたい。収入もアップさせたい。会社に雇われていたらいろんな行動の制限を会社に決められてしまう。そう思ったとき、起業が目標になりました。起業すれば自分の頭で考えるしかないし、収入も限界はない。でも、何をしよう?」
当時、接客から営業職に変わり、オフィスワークになった博史さんは、スマホやパソコンの使い方などを上司から頼られることが増えていました。それまで手計算でやっていた集計をエクセルに切り替えるなど、会社の中でも業務改善の提案をしていた博史さんは、ITの技術は人を楽にできるかもしれないと思い立ち、ITで起業することを決意します。
「31歳の春でした。行動しないと一生このままだ!と思い、夜間のプログラミングスクールに通い始めました。まずは半年後にIT業界に転職して、経験を積んでから起業する計画でした」
プログラミングスクールの期間が終わり、IT業界への転職を始めた博史さんですが、職探しは難航します。30歳過ぎのIT未経験者に向けた求人は少なく、あっても条件が悪い。スクールにかかった費用で、お金の余裕もない。そんな時、博史さんは地方都市には移住者支援の制度があると知りました。
「色々と調べていくうちに、長野は移住者にも起業にも手厚い制度があるとわかって。移住者の条件にも当てはまったので、長野でIT系の仕事を探し始めたら、WEB制作の会社が営業職を募集していたんです。経験も生かせるし、ITの知識もつけられると思い応募したら、採用が決まりました」
体づくりのために再開したジム通いが転機に
こうして、人生をリセットするつもりで長野に移住してきた博史さん。32歳の4月のことでした。入社して1ヶ月、通っていたプログラミングスクールの経験が生き、仕事も順調。体型維持のために、長野でジムの入会を考え始めました。
「プロ選手もいる格闘技ジムか、ライトなボクシングジム。二つで悩みました。格闘技ジムで経験者と知られたら、試合に出ようとなるのは目に見えていました。今は仕事に集中がしたい、という思いから、ライトなところにしようと決めたんです。この決断が、自分にとってめちゃめちゃ大きな転機になりました」
ボクシングジムに通い始めた博史さんは、ジムの先生に「経験者なら、うちで自分のクラスをやってみたら?」と誘われたのです。はじめは断った博史さんですが、集客をしてクラスを回していくことは、経営の練習になるかもしれないと考えを改めます。
「ちっちゃく経営をしてみるにはちょうどいい機会だと思ったんです。平日は仕事があるので、毎週土曜日の朝に1時間だけクラスをやってみることにしました。チラシを作って貼ってもらったり、ネットで広告を出したり、ITの知識を生かして自分で簡単なホームページも作ってみたり」
朝クラスには子供づれの参加者も。現在、「Sweet gym」でも親子クラスを開講しています。
今まで長年格闘技を続けてきたものの、教える側はまったくの未経験。緊張しつつ、自分でメニューを考え、いざレッスンをしてみたら生徒も集まり、朝クラスは好評。これまで趣味でやってきた格闘技で、こんなに人に喜んでもらえるんだ、役に立つんだ!と手応えを感じます。
もしコロナがなかったら、どうなっていたんだろう
「次第に仕事よりも朝クラスが楽しくなってきました。もちろん、ITの仕事も頑張っていましたが、それよりも、来週のクラス何をやろうかな、どうしたらもっと人がきてくれるかな、と朝クラスのことを考える方がわくわくしてきて。でも、これからも続けていきたいなと思っていたタイミングで、長野でもコロナが流行り始めたんです」
長野市でも休業要請が出て、6月から続けてきた朝クラスは僅か2ヶ月で中止。埋まっていた先の予約も全てキャンセルになってしまいました。通っていた生徒さんから、「楽しみにしてたのに、次はいつやるの?」と聞かれても答えられない状況にもどかしさが募ります。朝クラスとの両立で気持ちのバランスが取れていた仕事も、気持ちが追いつかなくなってきました。
「大手メーカーに勤めていた前職時代と違って、大きい会社の後ろ盾もない、ここから良い会社に転職できる保証もない。俺はこのまま会社にすがって生きていくしかないのか?人生の選択をミスしたのかもしれないと不安な毎日でした。そんな中でふと、もしコロナが無くて毎回参加者が増えていた自分のクラスを、あのまま続けられていたらどうなっていたんだろうと思ったんです。朝クラスで、自分の芽が出た。それがこの土地でどう育っていくのか、自分の力でどこまでいけるのか。その先が見たくなりました」
地元の兵庫県に帰ってジムを作ろうかとも思いましたが、地元に比べ、長野市には、フィットネス目的のライトな格闘技ジムは無く、ライバルがいない状態でした。さらに、物価も安く、人口も多い。起業するにはぴったりでした。この街で、普段運動しない人が通えるようなフィットネスキックボクシングのジムを自分で作ったらどうなるんだろう。博史さんの中で、ワクワクした気持ちが芽生えてきました。
やりたいことやって借金ができたなら、それでもいいや
ある日、とうとう無気力感に苛まれた博史さんは4日間仕事を休みました。1日目に、試しに物件を探してみたところ、広めの元ダンス教室がヒット。その日のうちに、見るだけのつもりで内見へ。
改装前のビルの内観。
「なにもないビルの一角でしたが、ここでうまくやれている自分のイメージが見えたんです。このまま会社員をやっていてもうまくいかないのは感じていたのでどうせ失敗するなら、やりたいことやって借金作ってもいいやと思って。逃げ道をなくすために、その場で物件を契約しました」
ジムを開業するつもりなど毛頭なかったため、資金面でなんの準備もしていなかった博史さん。自分でお金を集めることを決め、翌日にはクラウドファンディングのページを作り、資金繰りを始めました。金融公庫への説明も、ボクシングジムでの朝クラスで30−40人の生徒がいたことで既に実績があったためスムーズに進みました。さらに、元々あったホームページを作り直し、SNSのアカウントも作り、告知をスタート。「よし、明日会社を辞めてこよう」と、翌日、直接社長に退職の意思を伝えます。
「俺ってこんなに頑張れるんだ!」
博史さんはそのまま9月に即日退社。諸々の手続きをしながら最初の2週間で事務作業をしつつ、ホームページなどソフト面を整えました。後半2週間で、自力で内装工事を行い、10月には無料体験会をスタートさせました。
壁紙を貼り、マットを敷き詰め、自分の手で改装を進めました。
「会社員時代は、仕事をなんとなくやっていた自分が、『次はあれをやらなきゃ、これもやらなきゃ』って自分でもびっくりするくらい動けていたんですよ。あれ?俺ってこんなにがんばれるんだ!?って」
オープン日は10月11日。学生時代、博史さんが初めて大会に出て優勝した日です。自分にとっていいスタートが切れた日に合わせました。朝クラスから引き続き来てくれた人、新規で来てくれた人も合わせて、初月から50人もの会員が集まり、好調な滑り出し。冬になるにつれ、寒さが増せば人が減るかと懸念もありましたが、逆に1月からは入会者が激増。
運動初心者でも安心な「怖くない格闘技ジム」というコンセプトと、「『いつかやってみたい』を『今ハマってる!』に」というコピーが、新年新しいことを始めようとしている人たちに刺さったようです。
博史さんが作成したホームページ
「人の心を掴むホームページの構成やキャッチコピーの作り方は、前職で学びました。趣味でやってきた格闘技はもちろん、百貨店での接客経験やWEB制作会社でのホームページ制作の経験、いつかの起業に向けて勉強していた広告やマーケティングの知識……。ここまで、自分が今までやってきたことがすごく繋がっているんです。行動した先に何があるかわからないけれど、行動し続けないといけない。この先も、自分が意図しないことで新しく繋がっていくんじゃないかなと思うと人生が楽しみです」
にこやかに生徒を見守る博史さん。
人はこれだ!って思うことを見つけられたらがんばれる
ジムを開設してから間もなく一年。開業当時に目指していた会員数をはるかに超えており、現在は同じビルの隣の部屋を借りて、トレーニングジムを始める計画を立てているそう。 就職してから12年、会社員として働いていた当時は自分がジムを作るなんて思いもしなかったけれど、今までの経験が全部生きています。
「一年でここまでこれるなんて思っていなかったですよ、ありがたいです。でもその反面、今は長野市にフィットネスジムがないから流行っているだけなんだろうなという危機感が常にあります。これで安泰だ!とは思えないんです。そう思ってしまうと、昔の自分に戻ってしまう気がして。でも、大きくやろうとは思っていません。あくまで、普段運動しない人や運動が苦手な人に楽しく続けられる環境を作りたいんです。自分と同じように生徒さんと接することができる人を見つけて、事業を広げていきたいですね」
改装のため、マットを細かく切り調整する小川さん。オープン時から全て手作業で、改良を重ねてきました。
プライベートでも、インストラクターとしての自分に自信をつけるために総合格闘技を再開した博史さん。自分のジムでのレッスン後に別のジムに通い、試合に向けて日々練習を重ねています。
「ジムで生徒さんたちに『頑張って!』と声をかけているうちに、自分も頑張らなきゃ!と思って。これまで、自分でジムを始めるって、チャンピオンとかじゃないとダメだと思っていました。輝かしい実績を持っていない自分がジムをやっていても本当にいいのかなって思いがずっとあった。だから、自分がやっていても大丈夫なんだよって自信をつけるために、もう一度選手としても総合格闘技に挑戦することにしました」
長野に来てからの試合の様子。
「起業するまでは、仕事にやりがいはあまり感じられず、どこか他人事でした。今は朝から晩まで働いて、更に自分の練習もして。忙しいけどとにかく楽しいです。昔の同僚が今の自分を見たら信じられないと思うし、ジムの会員さんが会社員時代の僕を見ても信じられないと思いますね。人は、これだ!って思うことを見つけられたら、とことん頑張れるんだと思います」
会社員時代は仕事にやりがいを見出せなかったというのが信じられないくらい、イキイキと仕事について語る博史さん。このままじゃだめだ!と一念発起し、時には転んだり立ち止まったりしながらも、とにかく行動してきた先に今の姿があります。
人生リセットのつもりでやってきた長野で生まれた小さな芽が、ここから更にどう育っていくのか。博史さんのワクワクと挑戦はまだまだ続きます。
小川博史さん(35)
1987年生まれ。兵庫県出身。大手洋菓子メーカーでの全国勤務を経て、2021年に長野市にIターンし、キックボクシングジム「Sweet gym」を開業。子供の頃から格闘技に魅了され、より多くの人に格闘技の魅力を伝えるため活動中。
■ kick & fitness Sweet gym
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