岐阜県の山あいの城下町・郡上八幡。毎年、日本三大盆踊りである「郡上おどり」が行われ、夏が近づくとまちのあちこちで軽快な下駄の音と祭囃子が響きわたります。郡上おどりは毎年7月中旬から9月初旬まで、30夜以上にわたって開催されることが特徴で、お盆の4日間は、20時から最長で翌朝5時まで人々が歌い踊り続けます。
江戸時代から400年間以上続くお祭りでありながら、地元の人も観光客も隔たりなく、ひとつの大きな踊りの輪がうまれる郡上おどりは、「見る踊り」ではなく「参加する踊り」と言われており、まちの外から参加した人が、夏になるとまた戻ってきたくなるほどの魅力を持ちます。コロナ禍の数年間は開催が中止となっていましたが、2022年度からようやく復活。ひさびさの祭りの空気に、郡上のまちは大きく賑わっています。
左手前で三味線を弾くのが愛理さん(写真提供:渡辺俊太 / Instagram @shuntaaa.19)
そんな郡上八幡で、今注目を集めているのがお囃子バンド「郡上節ガールズバンド」です。2022年の9月に結成されたこのバンドは、メンバーは全員20〜30代の女性。移住者や、郡上と首都圏の二拠点生活をする人、Uターンで地元に帰ってきたメンバーで構成されていて、市内外で活躍の場を広げています。
メンバーの一人である椙山愛理さん(26)は、郡上のまちと人に惹かれ、生まれ育った名古屋を離れて2021年に郡上に移住してきました。現在は郡上八幡のカフェで働いている愛理さんは、まちで自分の仕事と場所を作ろうとしています。
友だち同士の遊びから、お囃子バンドを結成
この日は、郡上八幡の町家に眠ったままになっていた着物と洋服を今風にミックスした衣装で演奏(写真提供:渡辺俊太 / Instagram @shuntaaa.19)
郡上おどりの曲目は全部で10種類。郡上藩内のあちこちの村で受け継がれてきた歌とおどりを、当時の郡上領主がまとめたもので、どの曲も三味線、太鼓、そして唄で演奏されます。「郡上節ガールズバンド」が演奏するのは、この郡上踊りの曲目です。愛理さんが担当しているのは三味線。愛理さんは子供のころから音楽が好きで、エレクトーンを習っていましたが、三味線の演奏はまったく未経験でした。
「はじめはバンドを結成するつもりなんてなくて、友だち同士の遊びだったんです。私が働いている、郡上市の展示施設『町屋敷越前屋』で、郡上踊りにまつわる展示を行なっていた時に、三味線や太鼓が展示されていて。同じく移住者で一緒に働いてる友人と、見よう見まねで弾き始めたのが最初かな」
愛理さんの友人である秋屋美桜さんは、学生時代に訪れた「郡上おどり」が忘れられず、新卒で入社した会社をやめて郡上に移住してきました。郡上に移住してきた同い年の2人は、人の紹介で知り合い、一緒に遊ぶようになります。「町屋敷越前屋」で、美桜さんが太鼓、愛理さんが三味線を遊びで演奏しているのを見た地元の人たちが、「弾き方を教えてあげようか?」と声をかけたことから、「郡上節ガールズバンド」が動き始めました。
バンド結成前の一枚。ここから「郡上節ガールズバンド」が始まりました
「2人で、『あとは唄担当がいたらバンドができるね』なんて冗談を言っていたら、『歌えそうな子がいるよ。紹介しようか?』って、私たちが練習するのを見ていた人が、もう一人のメンバーを紹介してくれたんです。彼女は、民謡が好きで、愛知県から郡上に移住してきた子で。そこから本格的にみんなで練習をはじめました」
コロナによって中止されていた3年間を経て、「郡上おどり」が復活した2022年。夏のおどり期間を終えた9月、愛理さんたちは「来年の夏まで待っていられない!」と「郡上節ガールズバンド」を結成しました。噂を聞きつけて新たなメンバーも加わり、2022年11月に郡上八幡のまちで開催されたイベント「町家オイデナーレ」で、デビューを果たします。
本番前日の野外リハーサル中、お囃子の音を聞きつけた人々が集まってきて、踊りの輪ができました(写真提供:渡辺俊太 / Instagram @shuntaaa.19)
「お囃子をはじめて日も浅い私たちが、郡上おどりの本場の地でライブをすることで、地元の人にどんな反応をされるんだろうって正直不安な気持ちもありました。私たちの演奏に合わせて踊ってくれる人がいなかったらどうしよう……って。でも、いざ演奏を始めたら、おじいちゃんおばあちゃんから小さい子どもまで、みんなが輪になって楽しそうに踊ってくれたんです。終わったあとも、『よかったよ!』、『次のライブはいつやるの?』と声をかけていただいて。郡上の人にとって、郡上踊りはみんなちっちゃい頃から触れているもの。踊りはこのまちの共通言語なんだなと思いました」
受験のコンプレックスから「就職できないかもしれない」と思い悩んだ学生時代
「郡上おどり」で踊り子が首かける手ぬぐいをヘアターバンがわりにする愛理さん(写真提供:みみみ / Instagram @mmmk03_)
「郡上節ガールズバンド」の東京遠征の翌日に取材に応じてくれた愛理さんは、郡上おどりのアイテムであるてぬぐいをターバンがわりに髪に巻いて現れました。夏になると、手ぬぐいや下駄など、「郡上おどり」のアイテムをファッションに取り入れているそう。「今年もおどりのシーズンがきたからわくわくしちゃって」とはにかむ愛理さんですが、彼女が郡上にやってきた理由は「郡上おどり」とは別のところにありました。
「郡上のことを知ったのは本当にたまたま。生まれも育ちも名古屋で、外に出たいと思ったこともなかったです。大学受験がうまくいかなくて、志望していた大学に入れなかったことが今思えば郡上にきたきっかけだったかも」
高校卒業後、名古屋市内の大学に進学した愛理さんは、海外インターンシップや国際交流イベントなどを行う非営利組織、AIESEC(アイセック)に入りました。
「志望していた大学に入れなかったコンプレックスが強く、1年生の頃から『このままずっとここにいるのはいやだ』という気持ちがありました。当時は、とにかく上に行かなきゃと焦っていたので、学内でも頑張っている人が多そうなサークルを選びました。AIESECの活動では、いろいろな経営者の方と接する機会が多かったので、いっそ起業してみるのもいいかもしれないと考えていました。そんな時に、起業を目指している先輩が郡上のキャンププログラムのことを教えてくれたんです」
愛理さんが紹介されたのが、郡上に拠点をもつNPO法人「Nature Core(旧メタセコイアの森の仲間たち)」が毎年夏に行なっているこどもキャンプ。子どもたちと一緒に、郡上の大自然の中でのキャンプ体験はもちろん、川遊びや沢登り、地元の農園での野菜の収穫を行います。キャンプのプログラムは決まっておらず、「おもしろいことは自分で作る」をテーマに、こどもたちとスタッフが一緒にプログラムを考えて、みんなでキャンプを作ります。
「その先輩は、『自分の地元でいつかキャンプの団体を作りたい』という思いから毎年郡上のキャンプにボランティアスタッフとして参加していました。私は、キャンプや自然、子どもが好きだったわけではなくて、起業というキーワードに惹かれて、その年の子どもキャンプに参加してみることにしたんです」
郡上の人と出会い、働き方、暮らし方のイメージががらりと変わった
こどもキャンプの期間以外も、郡上で知り合った友人とキャンプを行う愛理さん。キャンプでは、竹を削って作ったコップや食器を使用することも
こどもキャンプには、愛理さんのような学生のボランティアスタッフの他に、運営側であるNPO法人のスタッフ、そして普段は郡上で働いている大人もスタッフとして参加します。それまで、大人は「会社員」か「経営者」しか知らなかった愛理さんにとって、自然の中で全力で遊ぶ大人たちの姿は衝撃でした。
「もう、全然私の知らない世界が広がっていたんです。メタ森(メタセコイアの森の仲間たちの略称)のスタッフの大人たちは、自然の中で遊ぶことを仕事にしていて、全力で遊んでる。それを見た子どもたちも、すごく楽しそうに遊んでいて。誰もがやりたいことをして、キラキラしていました。私、それまで就職するのがいやだったんですけど、こんなに楽しそうな働き方をしている人たちもいるんだって、郡上にきてはじめて知りました」
自然の中で、全力で遊ぶ。畑から野菜を収穫し、火を起こすところからみんなでご飯を作る。足りない道具は、工夫して自作をする。キャンプのプログラムは、愛理さんにとってまったく新しい経験でした。さらに、スタッフとして一緒に働く郡上の大人たちに、愛理さんは惹きつけられます。
郡上に移住後、「自分で作る」暮らしに憧れて、狩猟免許を取得した愛理さん。解体所を訪れた際には、イノシシや鹿などジビエの解体を教わっています(写真提供:松川哲也 / https://rokunorism.com)
「私が知り合った郡上の人たちは、畑や狩猟で食べるものを自分たちで作って、壊れたものは自分の手で直して長く大切に使う。私はそれまで、できあいのご飯を買って食べて、壊れたものは捨てて新しいものを買う暮らしをしていたので、自分の暮らしを自分で作るみんながとてもかっこよく見えたんです。郡上の大人たちに会いたくて、キャンプの期間以外にも郡上に通うようになりました」
郡上に通ううちに、愛理さんの中にあったコンプレックスや、働くことへのマイナスなイメージは消えていきました。大学4年生になった愛理さんは、地元で就職するか、郡上に行くか悩み、一度知らない土地に出ることにします。
「どうして私はここにいるんだろう」新卒で入社した会社を辞め、身一つで郡上へ移住
(写真提供:みみみ / Instagram @mmmk03_)
「郡上のことはすごく好きだったけど、私はまだ名古屋と郡上しか知らなかったので、世の中にはまだまだ他にもいい地域があるんじゃないかと思って。おばあちゃんの家がある、岐阜県八百津町のお菓子メーカーに就職しました。でも、なかなかまちで人が集まるコミュニティが見つけられなくて……。平日は、家と職場の往復、週末になると郡上に遊びにいく日々が続きました」
愛理さんが就職したのは、2020年。ちょうどコロナが流行り出した年で、地域のイベント等を見つけることも難しい時期でした。まちに溶け込むことができず、仕事も楽しめない。八百津で1年間働いた愛理さんは、思い切って会社を辞め、郡上に飛び込みます。
「会社にもまちにも思い入れが湧かないまま、ただ時間だけが過ぎていく。どうして私はここにいるんだろうと感じていたので、1年で会社をやめることはあまり悩みませんでした。とりあえず仕事を辞めて、次の仕事も家もないまま、郡上のキャンプスタッフの友達の家に転がり込んだんです」
おかし作りや接客が好きだったことから、移住後は縁あって郡上八幡のカフェ「糸カフェ」で働き始めました(写真提供:渡辺俊太 / Instagram @shuntaaa.19)
学生時代から何度も郡上に通い、「郡上おどり」にも遊びにきていた愛理さんのことを、まちの人たちは何かと気にかけてくれました。「郡上に越してきました」と挨拶に回るうちに「仕事はどうするの?」「お店をしてる知り合いが、人を探しているって話していたから紹介しようか」「家はこれから探す?ちょうど空き家があるよ」と、移住からものの数ヶ月で仕事も家も見つかります。
「人づてに縁がつながるのも、名古屋や八百津にいたころはなかったことだったので、やっぱり郡上っておもしろいなぁと感じました。今は、郡上八幡にあるカフェ『糸カフェ』での接客の仕事をしながら、展示施設『越前屋』の受付でも働いています。長期休みのシーズンは、スタッフとしてこどもキャンプにも参加しています」
先の計画がないまま飛び込んだ郡上での生活。仕事が見つかり、家が見つかり、友人も増え、あっという間に3年が経ちました。しかし、「休みの日に遊びに来る場所」だったまちで実際に自分が働き、暮らしていくことへのギャップはなかったのでしょうか。
このまちと深く関わるために、今度は自分の「仕事」と「場所」を作りたい
仕事の休憩時間は、お気に入りの川辺のベンチへ。この日のランチは、馴染みのカフェでテイクアウトしたけいちゃん(岐阜県の郷土料理である、鶏肉と野菜の炒め物)(写真提供:みみみ / Instagram @mmmk03_)
「もう、ここでの暮らしが本当にしっくりきていて、住んでみたら思っていたのとは違った、みたいなギャップはなにもありませんでした。むしろ、まちの人たちに『名古屋からわざわざきたの?ここはなんにもないのにもったいない』と言われて、『ここはこんなにいいところなのにどうして!?』って思うくらい」
そんな愛理さんが今目指しているのは、このまちで自分の仕事と場所を作ること。はじめて郡上に訪れた時から憧れていた「自分で作る」暮らし方を自分なりに探そうとしています。
「郡上に来てから、仕事でも場所でも、『自分のもの』を持ちたいなという思いが強くなりました。私は、今は雇われて働いている身だけれど、周りにはお店をやっているなど自営業の人が多い。自分も、なにか自分の仕事を持っていれば、まちのみんなとまた違う関わり方ができるんじゃないかと思って」
お菓子作りが好きな愛理さんは、まず販売用のお菓子を作り始めました。郡上では、お米を作っている人が多く、また身体にやさしい材料を使うことを考え、小麦粉ではなく米粉を使用。試行錯誤の末に、シフォンケーキと、クッキーのレシピが完成しました。現在は、店舗は持たず、お祭りやイベント時に出店をしています。
特製のクッキー型をオーダーして作った「郡上おどりクッキー」。代表的なおどり3種類をかたどったクッキーは、地元の人にも観光客にも好評
「郡上節ガールズバンド」のデビューライブを行なった、「町家オイデナーレ」で、愛理さんは自分のお店もデビューさせました。 「ようやく自分の中でお店の名前が決まり、デビューのタイミングをどうしようかなと思っていたら、ちょうど同じ移住者仲間の友人が『町家オイデナーレ』を企画していたので、これはぴったりだ!と思って」
お店の名前は「Coffee space おと。」。コーヒー、居場所、音楽。自分の好きなものを詰め込みました。
「『space』を入れたのは、お菓子屋さんだけではなくて、私が郡上で体験したような暮らし全体を味わってもらえる場所を作りたいという思いがあったからです。名前を決めてから、よーし、やるぞ!って勇気がもらえました」
今の郡上にも、愛理さんや同年代の友人たちが集まる場所やお店はありますが、その場所はかつて上の世代の人たちが20代や30代の頃に作った場所です。愛理さんは、まちの先輩たちを見習って、「今」の若い世代である自分たちも、このまちをさらに盛り上げていきたいと考えています。
郡上にきてからできた、同年代の移住者の友人たち
「ここ数年で、郡上には少しずつ同年代の移住者や、Uターンしてきた若者が町に増えているんです。今は誰かの家にみんなで集まったり、お店に行ったりしているけれど、ちゃんと人が集まれる『場』を持ちたいという夢があって。いま仲良くしている移住者の子たちや、まちの人たちが、ずっとこの先郡上にいるかはわからない。でも、私はずっとここにいたいと思っているから、みんなが帰ってきたときに『ただいま』と言える場所を持っておきたい」
愛理さんが手にしているのは、自分が見ている郡上のまちの風景と良さを伝えるため、移住3年目の節目に自作したという写真集。写真が選びきれず、120ページの大ボリュームに(写真提供:みみみ / Instagram @mmmk03_)
「私がおばあちゃんになるまで、このまちのことをずっと見ていたいんです。郡上は、400年以上続く伝統的なお祭りがありながらも、ここ数年でどんどん新しいお店が増えて、新しい人も増えてきています。新しいことを応援する空気があるからこそ、いろんな変化がある。そういう変化を見ていたいし、今このまちを支えている上の世代の人たちが、どんなおじいちゃんおばあちゃんになって、どんな生活をしているのか、そして自分がどんなおばあちゃんになるのか……。私と、みんなと、まちの変化をずっと見ていたいんです」
自分の将来も、このまちの将来も、全部が楽しみだと目を輝かせる愛理さん。郡上節ガールズバンドも、「Coffee space おと。」も、「まちのために何かをしたい」という思いではなく、「このまちのみんなと楽しく暮らしたい」という気持ちから生まれてきたものです。
肩の力を抜いて、楽しく、自分らしく。自分にとって心地のよい暮らしを選び取り、「なりたい自分」でいることで、自分のやりたいことややるべきことは自然とついてくるのかもしれません。
椙山愛理さん(26)
1997年生まれ、名古屋市出身。大学1年生の夏休み、子供キャンプのボランティアに参加したことをきっかけに郡上に通い始める。名古屋市内の大学を卒業後、八百津のお菓子メーカーに就職。2021年に退職し、郡上に移住。現在は郡上八幡で暮らしながら、「糸カフェ」、「越前屋」に勤務しながら、米粉のお菓子屋さん「coffee space おと。」を運営する。「郡上節ガールズバンド」の三味線担当。
■ coffee space おと。
写真提供
・渡部俊太さん
Instagram @shuntaaa.19
・松川哲也さん
・みみみさん
Instagram @mmmk03_