東日本大震災と原発事故により大きな被害を受けた福島県。事故から10年以上の時を経て、除染とインフラの復旧・再生整備のため「帰宅困難地域」に指定されていたエリアの避難解除が進み、少しずつまちに人が戻り始めました。


止まっていたまちが動き出す中で、UターンやIターンをし、地域の資源をつかって生業をつくる「ローカル起業」をする人が増えているといいます。


一度は福島を離れた塩沼麻衣さん(32)も、地元に戻り起業を目指している一人です。


なぜ福島での起業を考えるようになったのか、これからの福島で何をしたいのか、新地町の海を眺めながら話を聞きました。



自分に合った仕事を模索し、転職を繰り返す中で福島を離れて長野に移住


福島県の浜通りに位置し、海と山の両方に恵まれた相馬郡新地町。


親潮と黒潮がぶつかる潮目にあり、1年間を通じてカレイやヒラメなどが水揚げされる好漁場でありながら、西部の阿武隈山系からのびる丘陵の間の平地には市街地や田園、果樹園が広がります。


新地町に生まれ育った麻衣さんは、進学を機に町を離れたあとに就職で長野県に移住しました。自分に合った仕事を模索して転職を繰り返し、「いつかは地元に帰るんだろうな」と思いながらも10年近く長野県で暮らしていたという麻衣さん。


働く場所を選ばない、フリーランスとしての働き方にたどり着いた今、なぜあえて地元の福島での起業を考えるようになったのでしょうか。まずはこれまでの働き方を聞きました。


かつては住宅街だったという釣師防災緑地公園で


「地元にいた中高生の頃はソフトボール部に所属していて、部活に打ち込んでいました。ソフトボール部の顧問になりたいと思って教員を目指して、弘前大学の教育学部に進学したんです。でも、いざ教育実習を経験したら、教員の仕事は顧問だけじゃないとようやく理解して(笑)」


大学卒業後、福島に帰ってきた麻衣さんは農協に就職します。約1年間、事務職を経験したのち、もう一度教育業界を経験してみようと学習塾に転職しました。しかし、実際の業務は学生の指導ではなく、新規生徒獲得のための飛び込み営業でした。


これも経験だと頑張ってはみたものの、自分は営業に向いていないと感じた麻衣さんは、再度転職を決意し、全国展開している眼鏡の小売店「JINS」に就職します。これが福島を離れる転機となりました。


「初めは、福島のショッピングモール内の店舗のアルバイトから始めました。そこから社員に昇格した時に、全国転勤があるかもしれないから行きたい地域はあるかと聞かれたんです。当時私はスノーボードにハマっていて、長野のスノーボードのYoutubeチャンネル『P-can FACTORY』の動画をよくみていたので、長野に行きたいと言ってみたら本当に長野配属になりました」


移住のきっかけとなったスノーボードは、その後のキャリアの転機にもつながりました


長野県の店舗に異動になった麻衣さんは、オフの日はスノーボードなどアウトドアアクティビティを楽しみつつ、長野での生活に馴染んでいきます。


JINSでの勤務が3年に差し掛かり、そろそろ次のステップに進んでみようと決めた麻衣さんは、長野県で転職活動を行い、今度は大手人材派遣会社のリクルートに就職しました。


「塾で働いていた時に、『自分には向いていない』と感じて1年足らずで営業を辞めてしまったのが心残りで。研修がしっかりしている大手企業なら、私にも営業ができるんじゃないかと思ったんです。でも、いざ働いてみたら本当に向いていなかった!会社の制度や教育の問題ではなくて、自分の気質の問題だとやっとわかりました」


リクルートを退職した麻衣さんは、一度好きなことを仕事にしてみようと考え、アウトドアアクティビティができる野外施設「フォレストアドベンチャー」に転職しました。


施設の営業期間である春から秋まで働き、冬からの仕事先をどうしようかと考えていたところで、通っていたスノーボードショップのつながりから、イベント運営会社の仕事を紹介されました。


ここでの経験が、のちに起業を目指すきっかけになります。



自分のしたいことが掴めた矢先のコロナ禍。ゲストハウスでの出会いが考え方を変えた


インタビューを行った、釣師防災緑地公園で実施されていたマルシェイベント。現在、麻衣さんも運営に携わっています


「お祭りやイベントの企画運営をする会社で、メインの業務はイベントに人材を派遣することでした。人が足りなければ現場に入るし、バックオフィス的な作業もする。いわばイベント全般の何でも屋です。今まで経験してきた、事務作業、接客、人材系のスキルが活かせたので、仕事は楽しくて、なにも苦ではなかったです」


「自分には向いていない」という違和感や、「もっとステップアップをしよう」という思いから転職をしてきた麻衣さんは、ようやく楽しんで働ける環境を見つけました。


しかし、働き始めてから1年弱でコロナ禍が始まり、イベントは激減。方向転換を迫られた会社は、イベント運営から配送業へと大きく業務内容を転換します。


コロナの影響で通販の需要も伸びたことから、朝の8時から夜の8時までひたすら荷物の配送をする激務の日々が続きました。「いつまでこんな毎日が続くんだろう」と思いながらも、仕事に忙殺される毎日を送っていた麻衣さん。


あっという間に半年が経った頃、たまたま訪れたあるゲストハウスとの出会いが麻衣さんの仕事に対する意識を変えていきます。


「スノボ仲間で、イベントの仕事でも一緒だった友人が地元に帰ることになったので、みんなで送別会をしたんです。参加者の一人が予約してくれたのが、市内にあるカフェバーを併設したゲストハウス『Pise』でした。楽しい会で、料理やお店の雰囲気が気に入ったのはもちろん、オーナーとスタッフの女の子が話しかけてくれて。それまで一人で飲みに行くようなタイプではなかったんですが、また話してみたいと思って、その数日後に思い切って一人でお店に行ってみたんです」


スノボ仲間に連れられて、初めて足を運んだゲストハウス(左から三人目が麻衣さん)


Piseのオーナーは、旅人であり、料理も狩りも大工仕事もなんでもこなす自由人。当時のスタッフも、「人の集まるところで働きたい」と会社員を辞めて、単身で長野にやってきた女性でした。


さらにその日は、会社員として働きながら、アマチュアの落語家として市内で活動をしている常連客も一人で飲みにきており、初めての一人飲みながらも麻衣さんは三時間以上語り明かします。


その夜以来、Piseに通うようになった麻衣さんは、始めは仕事で疲れた体と心をリフレッシュするために足を運んでいましたが、様々な働き方をする人に出会ううちに、だんだんと考え方が変化していきます。


「当時はとにかく仕事に忙殺されていて、でも仕事はそういうものだからしょうがないと思っていました。でも、自分が生きたいように生きるために、やりたいことをちゃんと仕事にしている人たちに出会って、私もこういう生き方をしていいんだ!って思うようになったんです」



パートナーの「福島で働いてみたい」という声で、初めて地元に目を向けるようになった

そこで麻衣さんの頭に浮かんだのが、「デザインの仕事をしてみたい」ということでした。


実は、会社の事業が本格的に配送業に切り替わる前に、「会社として今できることをしよう」と、独学でデザインとコーディングを勉強し、会社のホームページ作りを任されていた麻衣さん。その後、配送業にシフトしたことでそれきりになっていましたが、もう一度チャレンジしてみたいと考えたのでした。


麻衣さんがPiseに通い始めた同時期に、リクルート時代に出会った麻衣さんのパートナーである春田修平さんも、新しい働き方を選択し、フリーランスのマーケターとして独立していました。


「デザインを仕事にしたい」と周りに宣言してから、修平さんからの紹介や、麻衣さんのこれまでの勤務先のつながりから、少しずつ仕事の依頼が入るようになります。


麻衣さんも、会社を辞めてフリーランスとして働いていこうかと考えるようになった頃、福島で働くことを提案したのは、パートナーの修平さんでした。


震災以降、福島県では移住・起業支援が充実しています


「二人ともフリーランスなら場所にしばられる必要がない。拠点をどこにしようかと話していたら、彼が福島に行ってみたいと。もともと、私の地元なこともあって何度か一緒に旅行に行ってはいたんですが、そこまで気に入っていたとは知らなかったので驚きました」


麻衣さんは、福島にUターンすることを検討していくうちに、震災後に被災した福島の12市町村が移住と起業支援に力を入れていることを知りました。


会社に属さず個人で仕事をする以上、「地元出身者」というきっぷを使わない手はないのではないかと考えた麻衣さんは、移住と起業に前向きになっていきます。


しかし、福島が地元の麻衣さんと違い、修平さんは地域とのつながりがほとんどありません。そこで修平さんは、「先に福島に行って、やっていけそうかいろいろ自分で活動してみるよ」と麻衣さんに提案します。


早速個人事業主と地域をつなぐサービスを使い、福島の会社から仕事を受注できるようになった修平さんは、2023年の春、一足先に単身で福島に移住しました。


移住後、少しずつつながりを増やしていき、長野にいる麻衣さんと福島の人をつないだことから、麻衣さんにも福島でのイベントやデザイン関係の仕事が増えてきました。


修平さんのお気に入りスポットの一つ、松川浦の海と夕陽


現在、麻衣さんは長野の職場を退職し、フリーランスとしてWEBデザインやイベント制作の仕事を行いつつ、福島に通いUターン起業の準備を進めています。


起業を目指すようになったのは、一足先に福島で暮らし始めた修平さんの目を通して今の福島を知るうちに、地元でやりたいことが見えてきたからでした。


「もともと、福島に移住後はデザインとイベントの企画・制作の仕事をしていきたいなと思っていました。でも、先に移住した彼から『こっちの人って、いいものを外に広げないよね』と言われて。例えば、福島には海水浴場も港もあって、魚もおいしい。PRしないのはもったいないと。でもそれって、生まれ育った私からしたら当たり前のことなんです。当たり前すぎて、価値のあるものなんだと気づいていなかった」



「ライスワーク」と「ライフワーク」の両立。福島で、自分のしたいことを実現する

長い間、福島を離れていた麻衣さんは、修平さんの移住をきっかけに、震災後の福島のまちの再生に向けて活動している人々や、自治体の取り組みも知るようになりました。


麻衣さんが福島滞在時に仕事をしているコワーキングスペース「浪江シンカ」も、福島での起業の支援のためにうまれた施設


震災後、帰還困難区域内に設定されていた特定復興再生拠点区域では、除染とインフラの復旧・再生整備が進み、徐々に避難指示が解除されました。麻衣さんの出身である新地町の近隣エリア・双葉町の避難指示が解除されたのは、2022年8月30日とまだ最近のことです。


しかし、各自治体が移住支援や起業支援を始めたことから、一度人がいなくなったエリアに地元の人が戻ってくるだけでなく、新しい人やビジネスの流入が生まれています。


麻衣さんは、食べていくためのお金を稼ぐ「ライスワーク」として、自分にできるデザインやイベントの仕事をしながら、利益を考えず、自分がしたいことを追求する「ライフワーク」として、福島の「今」を伝えるオウンドメディアの立ち上げを考えています。


「福島にUターンをすると決めて、福島のことを調べていくうちに、補助金や移住支援、福島での取り組みについての広告が出てくるようになったんです。でもそれは、私が興味を持ち始めたから、アルゴリズムが作用した結果ですよね。福島に行きたいという意識が顕在化した人にしか、福島のことは届かない。そうじゃない人に、福島の良さを届けるためにはどうしたらいいんだろうと考えるうちに、じゃあ自分で発信をすればいいんじゃないか、やってみたい!と思えたんです」


福島での活動を始めてから、メディアの立ち上げを見越して新しくカメラの勉強も始めたという麻衣さん。福島で、「ジェネラリスト」として地域や事業の領域を超えて活動することが目標です。


「福島での仕事をしていく中で、福島にはスペシャリストはいるけれどジェネラリストはあんまりいないのかも?と感じていて。言わば何でも屋ですね。イベントの企画・制作もできる、チラシやポスターのデザインもできる、現場スタッフもできて、撮影もできたら、どんな現場でも何かしら関われる。『あの人に頼んだらなんでもやってくれる』みたいな存在になれたら、私を起点に、まちや地域を超えて、いろんな事業や人をつなげてかきまぜることができる」


「一度何もなくなるところからここまできているんだから、この地域で、今から何を始めたって遅いなんてことはないと思うんです。たとえば、浪江町に人が入れるようになったのは2019年ですし、まだほんの数年前。まだまだ再生のためにやらなきゃいけないことがたくさんあるし、できることもたくさんある。自分にできる仕事をしながらも、『福島は今ここまで来ていますよ、次はこういう段階ですよ』という道のりを、ちょっとずつちょっとずつ追いかけて、発信して、残していきたい。それを見て、福島を訪れる人が増えて、いろんな人が混ざっていったらきっとここはもっと面白くなるはず」


「まだまだ手探りだけど、手探りで12年間やってきたんだから」と呟いた麻衣さん。ご自身のキャリアの話かと思ったら、麻衣さんは「この地域の人たちは」と続けました。


東日本大震災から12年。取材を行なった釣師防災緑地公園も、12年前は民家が立ち並ぶ住宅街でした。


自分を生かして働ける仕事・環境を求めて働く場所を変えてきた麻衣さんが、戻ってきた地元である福島県相双地区。進む先は手探りですが、だからこそ、選択肢はたくさんあります。


これから麻衣さんの目を通して、麻衣さんの言葉で伝えられていく福島のその先を、これからも追いたくなりました。




塩沼麻衣さん

1991年、福島県生まれ。福島県新地町出身 弘前大学を卒業後、地元の農協に就職、その後、営業、接客、イベントなど様々な職業を経験。2023年に福島県へ引っ越し、フリーランスのカメラマン、Webデザイナー、イベント業の補助などの仕事を行う。趣味はスノーボード。


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