福井県小浜市下田を流れる田村川沿いに、昭和初期に建てられたレトロな洋風木造建築物があります。この建物はかつて中名田郵便局として地域の人々に愛された場所。
現在は国の登録有形文化財にも登録、「コミュニティカフェ金四郎」に生まれ変わっています。
かつて、郵便制度を発足させた明治政府は、地域の名士や大地主に土地と建物を無償で提供させて、郵便局を設けました。旧中名田郵便局もその一つ。
現在、コミュニティカフェ金四郎として利用している建物も、昭和11年頃から昭和45年までの間、郵便局として利用されていたものです。
オーナーの吉村さんは、平成28年に父親の死をきっかけに祖父名義の旧中名田郵便局舎を含めた不動産を相続し、旧郵便局舎と古民家を地域のコミュニティの場として修復する「金四郎プロジェクト」を立ち上げました。
相続後は様々な悩みを抱えながらも金四郎プロジェクトを通して、自身の想いを形にしつつあります。
吉村さんはどのような想いで建物の活用を決意されたのでしょうか。そして、コミュニティカフェとはどのようなお店なのでしょうか。
まずは相続から改修工事までの経緯について伺いました。
遺産相続の決断からカフェの準備期間
改修工事前の旧中名田郵便局舎(出典:Facebook)
旧中名田郵便局舎は吉村さんの祖父母が住み、吉村さんは隣接する古民家で17歳まで暮らしていました。お店の名前「金四郎」は吉村さんの実家の屋号です。
吉村さんは高校を卒業するのと同時に大阪の大学へと進学しますが、大学卒業を機に再び小浜市に帰省。その後、結婚、出産、専業主婦を約7年間経験した後、母校である高校に日本史の非常勤講師として勤務します。仕事と子育てを両立していた期間は、小さい子供を抱える母親のあらゆる悩みを経験したそうです。
吉村さんに人生のターニングポイントが訪れたのは平成28年、35歳のときでした。一人暮らしをしていた実家の父親が亡くなられます。
旧中名田郵便局舎など約50筆を相続
額に飾られていた当時の中名田郵便局舎(出典:Facebook)
吉村さんは三人姉妹の真ん中ですが、幼少の頃より「お前は将来家を継ぐんやぞ」と言われ続けて、家の跡取りとして育てられたそうです。田舎の家には相続問題や空き家問題がついてまわります。
吉村さんの実家はかつて地元の名士だったこともあり、建物だけで6棟、他にも田畑や山を合わせて約50筆もの不動産を所有していました。
遺産相続には手続きの期限があり、相続を放棄する場合には3ヶ月以内に手続きをしなければなりません。最初はわけもわからずに家の片付けをしていく中で、不動産を守っていく決意を固めたとのこと。
しかし、いざ相続をしようと思っても、登記は簡単なことではありません。母屋が曾祖父の名義であったために、20人以上に枝分かれした相続人全員の承諾を得る必要がありました。吉村さんは今までに会ったこともないような親戚にも連絡し、やっとの思いで登記を済ませます。
建物の再生と活用を検討
仕事の合間に建物内の片付けをしつつ、「相続をしても、建物を使用しなければ維持管理ができないな」と考えるようになったという吉村さん。
しかし、非常勤講師の仕事をしつつ建物の維持管理をすることは困難でした。そこで、仕事を辞め、実家の建物の再生と建物の活用を検討し始めます。
その頃、同じ小浜市の最東端に位置する宮川地区で公民館の職員募集がありました。宮川地区の公民館ではまちづくりに力を入れていて、地域住民とも触れ合える仕事内容です。それは吉村さんの思い描く建物の活用方法のヒントとなるものでした。
吉村さんは早速応募し、単年度の雇用契約(3年間は自動更新)で採用されました。宮川地区の公民館では、まちづくり活動の広報を担当し、地誌の編集や、閉校した小学校の利活用にも携わったそうです。無我夢中でまちづくりを勉強した3年間だったと振り返ります。
3年間の公民館での雇用期間を終え、いよいよ本格的に再生に取り掛かることにした吉村さんですが、いきなり大きな壁を感じることになりました。
最も大きな壁は資金調達だった
クラウドファンディングの返礼品に同封した礼状と資料(出典:Facebook)
最も大きな壁は、資金調達だったといいます。
「カフェをやりたかったわけではなく、最初は建物を蘇らせたいとの想いだけでした。しかし、ハード面を直す方法がわかったとしても、資金がなければ何もできません」
頭を悩ませつつも同じような事例の資料に目を通すうちに、資金調達にはブランディングが必要だと気がついたそうです。そこで、吉村さんは公民館時代から旧中名田郵便局舎をどのようにブランディングしていくと良いか考え始めました。
登録有形文化財に登録してブランディング
昨今の商品開発には物語性が重視されるように、人々の共感を得るには金四郎プロジェクトの物語性が重要です。多くの共感を得られれば、多くの支援を受けられるに違いありません。
「皆さんにまず旧中名田郵便局舎の価値を目に見える形で知ってほしいなって思って。それで、国の国宝重要文化財の下に位置する登録有形文化財に登録してもらいました」
吉村さんが公民館に転職した年から、ブランディングのためにまず最初に取り組んだのは、登録有形文化財への登録です。登録有形文化財は、1996年(平成8年)の文化財保護法改正により、近世の民家建築、近代の洋風建築などを活用することで後世に残していく目的で創設されました。
市役所の協力もあり、2019年2月に登録が完了。それにより、登録有形文化財に登録されたことで、外観修復のみが対象となる文化庁の補助金も受けられることになりました。
登録有形文化財プレートをDIYで看板に取り付けた吉村さん(出典:Facebook)
吉村さんは「このことによって、地域の皆さんは旧中名田郵便局舎がとても価値のある建物なんだと思ってくださいました」と語ります。小浜市にはレトロな洋風建築の数は少なくなっていることから、ブランディングとしても効果的でした。
しかし、古い建造物のため改修には多くの費用が必要であり、吉村さんが準備していた自己資金では到底足りません。
金融機関からの融資と2つの支援
今回、改修工事や設備費も含めて約1,900万円の費用が必要でした。自己資金の1,000万円を差し引いても、900万円が不足します。前述した文化庁の助成金280万円を受けることができましたが、それでもまだ足りません。しかも、想定していたよりもシロアリ被害が大きく、土台の交換や基礎の補強工事を追加しなければならなくなりました。
そこで、吉村さんは金融機関から500万円の融資を受け、さらにクラウドファンディングと福井県が主催する「県民ワクワクチャレンジプランコンテスト」に応募します。
「県民ワクワクチャレンジプランコンテスト」とは、福井県の活性化のために若者、女性、NPOの3部門に対して県の県民活躍課がその活動資金を支援する事業です。吉村さんは女性部門100万円コースに出場し、2021年7月に採択されました。
クラウドファンディングでは、目標金額の200万円に対して223人に支持され、約230万円(決済完了総額・約270万円から手数料と消費税を支払った後の金額)の支援が集まります。また、直接支援も約77万円集まり、資金面での問題は解決の目処が立ちました。
しかし、課題は資金だけではありませんでした。
再生ギリギリ物件を理想の形に
自ら母屋の台所の改修工事をする吉村さん(出典:Facebook)
旧中名田郵便局舎は再生ギリギリ物件でした。建物は全体的に傾き、床はシロアリだらけ。スカスカの状態で吉村さんが踏み抜いた穴もありました。
自分でできる工事はなるべく自分で施工することで、費用はなるべく抑えたいという想いがありました。しかし、登録有形文化財に登録したことで素人が手を入れたくないという想いもあり、吉村さんは葛藤します。
地域の方々に手伝ってもらって
改修工事に着工したのは2021年9月でした。それまでに「壊すだけなら素人でもできるだろう」という気持ちで、ご主人や地域の人、講師時代の教え子にも内部解体作業を手伝ってもらったそうです。もちろん、専門家からの技術的な指導を受けての作業となります。
また、内部解体作業以外の簡単な作業についても、地域の人たちに手伝ってもらうことにしました。
見学に訪れた地元の小学生(出典:Facebook)
応援してくれたのは大人だけではありません。地元の小学生たちも手伝ってくれました。きっかけは、建物の湿気対策も兼ねて建物全体を30cmジャッキアップしたときです。吉村さん自身が「建物が空を飛んだ」と子供のように大喜びしたとのこと。
そこで、子供たちに見てもらおうと地元の中名田小学校に「今、こんな工事をしているので、ちょっと見に来ませんか」と声をかけたところ、子供たちが見学に来てくれました。子供たちは自分で油圧ジャッキに触れ、日頃はできないような貴重な体験をします。
吉村さんは「お子さんたちが帰宅してからお家の方に『今日、こんなことがあったよ』と伝えてくれ、地域の方々も少しずつ関心を持ってくださるようになりました」と語ってくれました。
それから、吉村さんが自分で建物の横の荒れた畑をガーデンに作り替えているのを下校中に見た子供たちが、少しずつ手伝ってくれるようにもなります。
費用を抑えるために工夫をすることが、回りまわって地域とのつながりを強める結果となったようです。
駆けつけた地元高校のラグビー部員(出典:Facebook)
建物をジャッキアップした後には砕石を敷き詰めたのですが、ここでも業者ではなく地域の人の手を借りることになります。
それが、地元高校のラグビー部員たちです。地域で奉仕活動をしていると聞いてお願いしたところ快く引き受けてくれて、その後も様々な場面で携わってくれました。
お化け屋敷が素敵な洋館に大変身
足場の取り外し作業(出典:Facebook)
2022年1月22日、外壁の塗装が完成して、足場が取り外されました。吉村さんは「時間が一瞬にして巻き戻されたような、不思議な感覚になりました」と振り返ります。
改修前は地元の小学生の間ではお化け屋敷と噂されていたそうです。しかし、足場が外された瞬間、お化け屋敷とささやかれていた建物とは思えない、おしゃれな洋館が目の前に飛び出してきました。
地元の人たちも「すごい世界が現れた」と、感動を言葉にせずにはいられなかったとのこと。
新築同然の内装は吉村さんの好みで
1階部分のレトロな内装
1階部分は改修が不可能なほどの傷み具合であったため、内装はほとんど新築同然になるまで手が加えられました。
「せっかくなら、自分の好みの内装にしよう」とのことで、吉村さんはヨーロッパ風のレトロな内装を基調に、和のテイストも取り入れたそうです。
1階には、アンティーク調の家具・照明・食器などがあり、レトロな空間を楽しめます。照明のシャンデリアは頂き物だそうです。店内に入ると、ヨーロッパ風や、日本の明治・大正・昭和のテイストが入っているため、色々な国にタイムスリップしたかのような気分が味わえます。
こうして2022年3月9日のプレオープンを経て、3月16日にコミュニティカフェ金四郎はグランドオープンを迎えました。
ここまで来るためには多くの人の助けがあったことは言うまでもありません。また、地域の子供たちも一日一日工事の完成を待ち望んでいてくれたそうです。
しかし、建物が出来上がっても、重要なのは金四郎プロジェクトの中身。吉村さんはかねてからソフト面の構築を並行して進めていました。
大人と子供のサードプレイスにしたい
金四郎の2階では様々な催しがなされている(出典:Facebook)
コミュニティカフェ金四郎のコンセプトは「大人と子供のサードプレイス」だと吉村さんはいいます。サードプレイスとは、自らの心に従い、自らが進んで向かう場所。自宅、学校、職場とは別の、居心地のいい第3の場所のことです。
ヨーロッパでは、パブやカフェは人々が自由に交流するサードプレイスとして重要な役割を果たしています。コミュニティカフェ金四郎もカフェと名乗っていますが、本来の目的は飲食ではありません。地区を超えて人々が交流できる、居心地のいい場所を提供するのが目的です。
中名田地区に足りない場所を補う
吉村さんは宮川地区の公民館で勤務していたとき、まちづくりについて様々なことを学びました。
「まちづくりの実例などを見るうちに、その地域に合ったことをしないとダメだと気がつきました。なので、『宮川地区には一体どういう問題があるのかな』とか『中名田地区でも他の実例と似たことはあるだろうから、ここをもっとよくできるといいな』とか。逆に、『こういう場所が足りないんだな』と考えるようになりました」
公民館勤務の傍らで思考を巡らせて、中名田地区にあったらいいと思う要素をリストアップし、それを詰め込んだ施設にしたいと考えはじめます。
ただし、収益を上げなければ借入の返済や生活費が捻出できません。その点を考慮すると、飲食店の要素は必要でした。そこで、リストアップした内容に飲食店の要素を付け加えた複合施設の実現に取り掛かります。
地域の人には「カフェじゃないの?」とよく聞かれるそうです。しかし、イメージとしては「地区を超えて色々な人たちが集えるおしゃれな公民館」。飲食はその中の一つの手段、一つの要素にすぎません。
「まず第一に私が飲食店を経営できるような人間ではありません。そんなおしゃれな人間でもないので、おしゃれなカフェをやろうという発想自体がありませんでした」と語る吉村さん。「人と関わりたい」「パワーを与えたい」という想いが昔から強かったといいます。
そのため、コミュニティカフェ金四郎は飲食よりもコミュニティ重視の飲食店を目指しているそうです。
2階には大きなスクリーンや「ツナグ箱」
地元クリエイターが作品を展示販売するツナグ箱(出典:Facebook)
コミュニティカフェ金四郎の1階はおしゃれな喫茶店ですが、2階は多目的スペースのイメージです。レンタルスペースとして、サークルなどにも貸切利用が可能です。
階段をのぼった突き当たりには、複数人の地元クリエイターが作品を展示販売できる「ツナグ箱」を設置。今まで面識のなかったクリエイター同士の交流も生まれる場所です。ツナグ箱を目的に訪れるお客さんもいらっしゃる人気コーナーとなっています。
その隣には、床の間をつぶしてつくったステージがあり、その壁は大きなスクリーンになるそうです。この場所を利用して、映画の上映やバンド演奏会などのイベントも開催されています。
ヒミツノ道具(オモチャ)部屋で遊ぶ地元の子供たちとお客さん(出典:Facebook)
また、スクリーンの反対側には「ヒミツノ道具(オモチャ)部屋」がありました。この部屋には、様々な種類のアナログのオモチャや絵本が置いてあり、子供たちが自由に遊べます。
金四郎プロジェクトは始まったばかり
コーヒーを淹れる吉村さん
吉村さんは、この壮大な事業を「金四郎プロジェクト」と名付けました。金四郎プロジェクトはコミュニティカフェ金四郎の立ち上げだけにとどまりません。
最初は旧郵便局舎を修復し活用したいとの思いだけでしたが、次第に吉村さんは直面している社会の課題に立ち向かわなければならないことに気がつきます。
それは、サードプレイスとして子どもたちの成長を助ける場所が不足していること、中山間地域に住民が日常を楽しむソフトが不足していること、空き家問題の深刻化です。
コミュニティカフェ金四郎のオープンによって、それらの課題を解決したいという。
吉村さんの挑戦は始まったばかり。今後、さらにプロジェクトは拡大していくことは間違いありません。
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