「尾州の糸をたくさんの人に届けたい」染色工場直営のタフティングワークショップ


タフティングで作られたラグ。


近年国内でブームとなりつつあるタフティング。「タフティングガン」と呼ばれる、銃の形をした機材で布地に糸を打ち込みラグやカーペットを作る、テキスタイル技法です。初心者でも操作に慣れれば、数時間で大きな作品を作ることができるのが魅力の一つ。


愛知県一宮市にある染色工場「小川染色」では、自社で染めた糸を使ってタフティングのワークショップを開催しています。一宮市を中心とした尾州地域は、木曽川の豊かな水を主として、自然環境に恵まれ、日本一の毛織物産地として古くから発展してきました。


小川染色のタフティング工房に並ぶ糸。


「尾州の糸の良さをたくさんの人に届けたい」とワークショップを企画する安藤依純(いずみ)さんは、一度は地元を離れましたが、タフティングをきっかけにUターン。


尾州の繊維業界を盛り上げようと意気込む依純さんに、「色」と「糸」に込める想いを伺いました。



当たり前すぎて興味がなかった繊維業界。タフティングが糸の世界に触れるきっかけに


思い思いの色を選び、ラグを作るワークショップの参加者。


「124色の糸があります。好きな色を自由に選んでください。4本の糸を通して使うので、違う色の糸を混ぜてみてもいいですよ。1色とはまた違った表情の色になります」


依純さんは、2022年から小川染色で働いています。自社工場でのワークショップの企画以外にも、展示等の新規イベント企画、新商品企画、個人向け糸販売サービスの受注処理、個人お問い合わせ対応、SNS管理、EC管理など、幅広い業務を担当。


また、「六月のらぐ」名義で、タフティング作家としても活動しています。


依純さん(左)と今日がタフティング初体験の女性(右)。山のラグをきっかけに、趣味の登山の話で盛り上がります。


小川染色は、依純さんの父が営む工場です。実家のすぐ隣に工場があり、依純さんにとって染料の匂いや機械音は当たり前の環境でした。しかし、「家業を継いでほしい」という話をされたことは一度もなく、工場や地元に対してはあまり思い入れもなかったといいます。

  

大学卒業後、地元を出て福岡で就職した依純さんがタフティングを始め、一宮に戻ってきた背景には、「繊維業界を盛り上げたい」と常にアンテナを張って新しい道を探し続けてきた依純さんの父・孝俊さんの尽力がありました。



B to BからB to Cへの転換を目指す中でタフティングと出会う


小川染色の工場内にある、「色」を作る研究室。ビーカーに入った染料が並びます。


もともと小川染色ではB to Bのビジネスのみを行なっており、アパレル、手芸、産業資材など、加工されて製品になる糸を染め、出荷していました。しかし、年々繊維業界自体に元気がなくなりつつあり、孝俊さんは危機感を覚えていました。 


状況を変えるため、B to Cの販路を開拓できないかと開発したのが、手芸糸の取り出し装置「するりぃと」。当時、就職を機に地元を離れ、福岡で働いていた依純さんは、孝俊さんから「するりぃと」のイラストや説明書を作ってくれないかと頼まれます。


毛糸玉が転がったり絡まったりせずに、スムーズに糸が取り出せる装置「するりぃと」


「そこから、個人向けの販売の相談を受けるようになりました。そんな中で、父がたまたまテレビ番組でタフティングを見つけたんです。『これは趣味として楽しそうだし、糸をたくさん使う。個人向けに糸を販売するのにぴったりなんじゃないか』と。ですが、タフティングは当時日本ではまだ有名になっておらず、機材も手に入らない状態でした」

  

学生時代に英語を勉強していたことから、機材の個人輸入を手伝ってくれないかと頼まれた依純さんは、タフティングに必要な機材を海外から仕入れ、実家の工場へ配送します。


「Youtubeでタフティングをしている人の動画を見るうちに、『私もやってみたい』という気持ちがどんどん大きくなって。帰省時に試し打ちをしたあと、結局福岡に資材と糸を送り、賃貸のリビングでタフティングを始めました」



「始めるなら本気で続けないといけない」家業に向き合うポジティブな覚悟が生まれた


ワークショップの参加者に手本を見せる依純さん。真剣な眼差しです。


子供の頃から絵を描くのが好きで、学生時代はよさこいサークルで大道具班に所属していたという依純さん。ずっと「ものづくりっていいなぁ」という気持ちがありましたが、同時に自分に自信が持てずにいました。


「タフティングはまだ日本ではブームになっておらず、比べる対象がなかったから気負わず自由に始められたのかも。私は他人と自分を比較してしまうタイプで、学生の頃は、本格的にデザインやものづくりを学んでいる人がたくさんいたので、『私なんかには何もできっこない』と思っていました」


タフティングガンを使ったラグ作りに慣れてきた依純さんは、福岡でのマルシェ出店に申し込みます。


「このレベルの作品を出していいのか」と自信を無くしかけた時は、依純さんのパートナーが「どんどん出していこうよ、今のベストをお客さんに見てもらおう」と背中を押しました。


福岡での初出店。「六月のらぐ」のオリジナル作品が並びます。


初出店ながらも、知人や友人が足を運んでくれたこともあり、売り上げは無事黒字に。しかし、当時はまだタフティングの知名度が低く、「かわいいけど何に使うの?」と、手を取るだけの人が多く、「もっと作品のレベルをあげなきゃ」と一層気合が入ります。


「飽き性でなかなか長続きしない性分だけど、今回は中途半端ではだめ。ちゃんとはじめるなら、自分のためにも父のためにも、本気で続けようと思えました。ポジティブに、『簡単には諦めたくない!』と決意できたんです」


依純さんは小川染色の糸を使ってタフティングを行い、ユーザー目線で意見を出すようになっていきます。そして、製品開発や個人向け販売の展開について家族とオンラインで打ち合わせをしたり、会社HP作成のため取引先とのやり取りをしたりする機会も増えていきます。



作品を作るために我慢して働いている自分に気づく


個人のお客さん向けに展開しているサンプルの糸をまとめた「色糸パレット」。イラストは依純さんが作成。


どんどんタフティングに夢中になっていった依純さん。作品作りに使う糸は、実家で作られた糸。より良い糸、より使いやすい糸を作るにはどうしたらいいか。こだわって作られた糸の良さをお客さんに伝えるにはどうしたらいいか。両親から個人客向けの販売の相談を受けるうちに、家業が人ごとではなくなっていきます。


「この頃、福岡で2年働いていたアウトドアショップを退職し、ECサイトの管理運営をする会社に転職をしました。ECの知識がつけば、将来自分で本格的にタフティングのラグを販売する上で役に立つかもと考えたんです。ただ、実際に入社してみたらコールセンターに配属されて。話がちがうと思いながらもなぁなぁに働き始めてしまい、休みの日にタフティングをするために平日は仕事をがんばる、みたいな日々が続きました。でも、『あれ、なんで私はこんなことをしているんだろう、将来このままでいいの?』って」


モヤモヤを抱える依純さんの頭に常にあったのは、父・孝俊さんの姿でした。就職で地元を離れる時、『家業を継いで欲しいと思ったことはないの?』と初めて父に聞いたという依純さん。「元気が無くなっていくこの業界を、頼むとは言えない。でも、自分が元気なうちは、とにかく自分ができることをしていきたい」と、初めて仕事への想いを聞きました。


オープンカーでドライブ。仕事も遊びも全力な父の姿は、幼い頃から依純さんの憧れでした。


「子供の頃から、『尊敬する人は?』と聞かれて思い浮かぶのはいつも父でした。家族・従業員想いで、染色から機械の修理、配達となんでもできる。朝から晩まで働いて、でも休みの日は全力で遊ぶ。家族の前で、仕事の愚痴や弱音をこぼしたことは一度もありませんでした」


社会人になり、「するりぃと」やタフティングをきっかけに孝俊さんと仕事の話をするようになった依純さんは、変化がない、元気がないと言われている繊維業界の中で、孝俊さんが苦しみながらも努力と工夫を続けていたことを知っていきます。近くにいれば父の力になれる、オンラインのサポートではなく、できることがあるなら現場に入って自分が手伝いたいと、依純さんは決意を固めます。



タフティングを通じて糸に触れる人を増やし、尾州の繊維業界を元気にしたい


染色された糸の山。これから絞って乾燥する工程に入ります。


タフティングを始めてから約半年後、依純さんは「小川染色で働きたい」と両親に伝え、2022年の7月に福岡から帰ってきます。


実際に現場に入り、染色の工程を一通り体験した依純さん。オンラインのやりとりでは見えてこなかった、こだわりを持った染色方法や従業員の方々の想いを知り、「小川染色の技術や、尾州の糸が世間に知られていないのはもったいない」と感じるようになります。


「うちのアクリル糸は見た目がシンプル。一見ただの毛糸ですが、『回転バック』という染色機を使用して染めています。現在一般的なのは「噴射式」という染色法で、ノズルから染液が噴射し輪状の糸を動かすことで染色をします。一方で「回転バック」は大きな浴槽の中の染液に糸全体を浸し、お風呂でリラックスさせるように染色をします。これにより糸にストレスがかからず、ふわっと風合いの良い仕上がりになるんです」


国内外で数台しかないという、小川染色の回転バック機。


依純さんは、「糸の良さ」を伝える方法として、楽しく糸に触れられるタフティングはぴったりであると再確認します。


そこから、「好きな糸で絵を描く」楽しさを追求するため、取引先の繊維メーカーにも相談をし、タフィングに取り入れられる糸や素材はないかと日々試作を行っています。


手に持っているのが衣装糸。


アクリル糸と一緒に使うと、個性的な仕上がりのラグになります。


「私がタフティングに取り組む一番の目的は『糸の魅力を広げる』ことです。タフティングは、自分の好きな色で、自分でデザインしたものを形にできます。触ったらふわふわで、その触り心地には、糸がこだわって作られた理由がちゃんとある。ただの流行りで終わらせることなく、教育や介護福祉、アートやデザインとうまく絡ませて、糸に触れる人を増やしたい!」


さらに、依純さんは、尾州を中心とした東海地域にある他業種のメーカーや職人を巻き込み、タフティングの仕上げに必要な糊、自宅にもセッティングできるタフティングフレーム等の資材の生産も進めています。


「一宮を中心とした尾州地域は、世界三大織物産地と言われていて、世界に負けない糸を作っています。私自身、子供の頃は当たり前すぎて意識していませんでしたが、愛知や岐阜は産業に特化したものづくりの歴史がある地域。繊維業界だけではなく、地域全体を巻き込んで、ものづくりの魅力を発信していきたいです」



「自分探し」をいつのまにかしなくなっていた。地元を離れ、遠回りをしたからこそ見えてきたこと


依純さんの作るラグには、様々な想いがこめられています。


学生の頃から、「働く」ことに苦手意識があったという依純さん。現在は、日々の業務時間以外でも、勉強や試作を重ねることが楽しく、つい時間を忘れて仕事に没頭してしまうこともあるとか。糸のこと、色のこと、デザインのこと、好奇心は尽きません。


「自分探しに憧れて、海外に行って、福岡に出て、結局地元に帰ってきちゃった!遠回りをしたのかなと考えてしまうときもありましたが、ずっと地元にいたら家業に魅力を感じることはなかったかもしれない。『自分って何なんだろう』と知るために、やみくもに外ばかり見ていたけれど、タフティングと家業に向き合うようになったら、いつのまにか『何者かになりたい』とは思わなくなりました」


福岡でできた友人との登山。外の世界に出たことで、新しい趣味も増えました。  


福岡に行ったのも、地元が嫌いだったわけではないと振り返る依純さん。誰も自分のことを知らない土地で、周りの人の目を忘れてゼロスタートを切りたかったからだそう。


新しい土地に行ったからこそ、タフティングを始め、自分に自信をつけて地元に戻ってこれました。


「私の好きな言葉に、『人生は葡萄のようだ』という言葉があって。葡萄の芯のように、既にある軸の部分は簡単には変えられない。でも、葡萄の実が増えるように、経験や価値観、出会いや感情を、自分の芯にくっつけていくことはできる。ずっと自分に自信が無くてうじうじしてたけれど、遠回りをしたことで実が増えて、私の人生もなんだかんだいい葡萄に育ってきたと思うんです」


依純さんがデザインした会社の新しい看板。「色はあなたに決めていただきたい」という願いを込めて「染色」の文字が白抜きになっています。


「糸は色で豊かになる」ー 繊維業界だけでなく、異業種も巻き込んで依純さんが紡ぐ糸は、これから尾州の地にどんな色をもたらすのでしょうか。


小川染色と依純さんの挑戦は続きます。



安藤依純さん(27)

1995年生まれ。愛知県一宮市で生まれ育ち、就職を機に福岡市に移住。2020年から、タフティングを始め、「六月のらぐ」として活動を開始。2022年に家業である「小川染色」にUターン就職。タフティングのワークショップを中心とした企画や、地域の他業種を巻き込んだ新しい糸、新製品の開発を行う。自然の中で遊ぶのが大好き。



■ 小川染色


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