秋田県の羽後本荘駅から20分、黒沢駅からは車で5分ほど走ると、緑豊かな草原が広がります。


日常の喧騒を忘れてしまうような、穏やかな景色に佇むのは「ゆり高原ホースパーク」。そこでゆったり現れお出迎えしてくれたのは、個性ある4頭の馬たち。


今回はホースパークで20年、トータルして30年もの間、馬に関わってきたオーナーの佐藤哲さんに、お話を伺いました。



自然豊かな秋田が好きだった学生時代


高校時代までは、東京で生まれ育った佐藤さん。ご両親がともに秋田出身だったこともあり、小中学生時代は長期休みの度に、秋田で大半の時間を過ごしていたそうです。


「子どもの頃から都会にいるよりも、秋田で遊んでいるほうが好きでしたので、毎年の夏休みが待ち遠しくてしょうがなかったですね」


秋田が好きという気持ちは冷めず、高校卒業後は秋田の大学に進みました。


「卒業後もそのまま秋田で就職を、と考えていたのですが、秋田ってなんとなく閉鎖的な部分があるんですよね。どこに行っても、東京出身者はよそ者扱いのような印象がありました」


学生時代であった約40年前は「なぜ東京の人が秋田で就職するのか?」というような、地方ならではの認識がまだあったようです。そんな時に「秋田で芸能事務所を立ち上げるから、一緒にやってみないか」と、知人を通じて話を持ちかけられます。


その話に飛びついてみたものの、立ち上げたばかりの会社に仕事を持っていくことは難しく、一年も経たない雇用契約を結ぶ前に、社長から「雇うことが難しい」と、会社を退職するかたちとなりました。


「音楽関係の仕事に憧れていて、せっかく縁が持てたけれど、やっぱり音楽業界で生きていくなら東京なのかなって思って、実家のある東京に帰ったわけです」 


東京に戻ってからはアルバイトをしながら就職活動をし、横浜の音楽プロダクションに就職。休みもなく睡眠もとれない、毎日が目まぐるしく過ぎていく業界の裏側を経験した佐藤さんは、一年もたたずに退職したといいます。


「とても華やかな世界ではありましたが、自分の一生を捧げる仕事ではないかなって思って、すっぱり音楽業界での仕事は諦めました。それからしばらくは、空白の期間がありましたね。この先何をやろうっていう考えがなくなってしまいました」



北海道に自分探しの旅へ


馬舎にいるのは全4頭の馬たち。カメラを向けると馬舎からすぐに出てきてくれたのは、2頭いるうちのメスである「スイート」。佐藤さん曰く女優気質のようです


そこで佐藤さんは、退職をしたタイミングで前々から訪れてみたかった北海道に、自分探しの旅に出掛けます。


「ブラブラと、1ヶ月ほどの旅でした。目にするものがとにかく自分に合っている感覚でした。途中で一度東京に戻ったんですけど、帰ってからも北海道のことで頭がいっぱい。身寄りもない北海道に、どうやったら住めるんだろうって考えていました」


漠然と考えたのは、住み込みができる牧場の仕事。


「牧場の仕事はいきなり飛び込んでも、そのまま住み込みで働ける利点があったので『これだ!』って思って、働ける牧場探しを始めました」


そこで何も考えずに飛び込んだのが、競走馬を育てる牧場だったのです。



ケガを負ってでも感じるのは“馬に戻りたい”気持ち


馬のお世話だけでなく、若馬には乗馬をして調教をしなければならない育成牧場。


「調教はそんなに簡単なものではありませんでした。初めて人に乗られる馬は暴れてしまって、振り落とされるのが日常茶飯事。それでもまたがって教え込ませる世界ですからね」


私たちが目にするのは、人を乗せて大人しく歩いたり、競馬で走ったりする姿だけ。それは要するに“出来上がった馬”だからであると、佐藤さんは教えてくれました。


「とにかくケガが絶えませんでした。気性の荒い若馬たちを扱っているので、噛まれる・蹴られるのはいつものこと。働いて一年経たずに、ケガで腰を痛めてしまって一度辞めてしまっているんですよ。そこからはリハビリ生活というか、民宿の居候をしながら一年間は育成牧場から離脱していました」


ハードな育成牧場の仕事。それでも佐藤さんの頭の中では、戻りたい気持ちが常にあったといいます。そしてケガが完治すると同時に、佐藤さんは育成牧場へと戻ったのです。


「最初はわけも分からず、がむしゃらにやっていたのもあって、ケガも多かったんだと思います。ですが徐々にやり方をわきまえていくので、馬の扱い方がうまくなり、自然とケガをすることはなくなっていきました」



自分の育てた馬が華やかな世界に発っていく


草原周辺には、四季折々の花が咲きます


「仕事をやりがいに感じたことは、育てた馬たちが競走馬としてデビューすること。私自身、馬券すら買ったことがなかったんですよ。普段競馬を見ている人って、華やかな部分しか見たことがないですよね。その華やかな世界で、自分の育てた馬たちがテレビに出ているところなんかを見ると、馬を育てる楽しさが再認識できますね」


ちょうどバブル絶頂期だった頃、自身で育てた馬がダービーに出馬することになり、東京競馬場まで見に行ったそうです。


「この仕事は天職だ」と思っていた佐藤さんですが、3年ほどの牧場生活を送っていた頃から、腰痛の悪化で馬に乗ることさえも難しくなっていきました。


「競走馬の世界で自分が馬に乗ることができなくなってしまったので、馬に関わる中で“乗馬”に転向するしかありませんでした。『乗馬で北海道の自然を楽しめるホーストレッキングをやりたい』育成牧場をやめて、どうすればその目標を叶えられるかって考えていたんです。当時、広い野山を馬に乗って駆け巡るホーストレッキングなんて、言葉はあるけれど浸透はしていませんでしたからね」


北海道でその夢を叶えようとしていた佐藤さんですが、その後に秋田へ移住する出来事が起こります。



情熱が盛り込まれた企画書が生んだ夢への第一歩


佐藤さんが39歳になるころ、実父さんが他界。そのことで、お母様のいる秋田へと、18年ぶりに戻ってきたのでした。


「北海道にこだわらなくても秋田でもできる!というつもりでは来ましたが、そんなに簡単にはすぐに夢を叶えるのは難しいですよね。ただ年齢的にも遠回りするよりは、やりたいことをやれたほうがいいと思って、場所探しを始めていきました」


佐藤さんの地元近辺である由利町は、元々牧場があった地帯ではあったものの、やめてしまっていて何もない土地がいくつもあるところでした。


「秋田全県をまわって見たときに、広い草原と風光明媚(ふうこうめいび)な景色のあるこの場所は、馬が生活するには最も適した場所だと思いました」


町の遊休地であった現在の牧場の場所を、知り合いに頼み込んで町長に話をさせてもらえる機会を作ってもらったそうです。


「いきなり貸してなんていって、借りれるわけではないですからね。町長に話をした時も熱弁はしましたが、貸す気はなかったでしょうし。でも、真剣さを伝えたくて分厚い企画書を持っていったんです。後から聞くと、当時は見たことがないほどの企画書のボリュームだったみたいで、それが決定打になったようでした」


実はこの企画書。北海道にいる時に乗馬クラブの立ち上げに携わったことがあり、新聞社の方と共同で分厚い資料を作った経験があったからこそ、作れたそうです。


土地が決まってからはスムーズに物事が進み、約一年後、ゆり高原ホースパークの開業に至るのでした。



自分ひとりでやれることをやっていく


時の秋田には、乗馬クラブの存在はわずか1施設のみ。 47都道府県の中でも、ここまで少ないのは秋田だけだといいます。


「乗馬人口が育たないんですよね。お金持ち相手の商売をしている大手がいるからこそ、高貴なイメージが根付いてしまったんだと思います。欧米のように、乗馬はもっと気軽なものっていうのを伝えていきたいですよね」


どのように伝えていくべきか、と訪ねてみると、佐藤さんはお話を続けます。


「ただ私は、自分がとにかく馬が好きだからやっているだけなんです。でもそれじゃなかったら、この仕事は続けられません。休みもないし、どこにも行けないし。会社としてやっていくなら別ですけど、性格的に人に任せられないんです。現在4頭の馬がいますが、自分ひとりで、やれることをやっていくという観点でやっています」


客層はファミリーも多く訪れますが、メインは乗馬クラブの会員の方が多くを占めます。


「土日は観光牧場感覚で、家族連れで賑わうこともありますが、乗馬クラブが核となる業務なので、馬を習う会員の方が日本全国から訪れます。中には世界中をホーストレッキングしながら旅を楽しむという、富裕層の方もいらっしゃいます」



自分の体が動かないと仕事を続けていけない


誰もが華々しく走る馬よりも、レースに出られない底辺の馬たちのほうがよっぽど多い、シビアな競走馬の世界。


「レースに出られない馬は、ほぼ殺処分なんです。うちのような乗馬クラブにうまくはまればいいですけれど、それもほんの一握り。自分が競走馬の業界にいた頃は、年間1万頭の馬を生産していました。その中で最期まで余生を過ごせた馬は、10%にも満たないという現実もあるんです」


現在、ゆり高原ホースパークには4頭の馬がおり、基本的には一人でお世話をしているといいます。


「自分の体が動かないと続けていけない仕事なので、今いる4頭で打ち止めっていうのは決めているんですよ。彼らを責任もって面倒をみて、4頭の余生が終わったらこの牧場も終わりにしようと思っているので、先は見えてきているかもしれません」



馬を好きになることに理屈はない


人を好きになることと一緒で、好きになることに理屈はないと佐藤さんはいいます。


「理屈なく、馬が自分に合っていたんだと思います。動物は全般好きですが、馬は特別です。人に懐くところもそうだし、学習能力があるから自分が調教をやっていても、どんどん馬が覚えていってくれる。馬が何を考えてどういう行動するかが分かるので、それも面白味を感じるところだと思います。大きな瞳にもまた、引き込まれるんでしょうね」


その大きな瞳に映るのは、やさしい眼差しの佐藤さんなのでしょう。


ゆったりとした時間が流れるゆり高原ホースパークで、佐藤さんと馬たちの生活は、これからも穏やかに続いていきます。




■ ゆり高原ホースパーク


住所

〒015-0361

秋田県由利本荘市黒沢字東由利原4-1


TEL

0184-53-9122


定休日

火曜日


Facebook

ゆり高原ホースパーク