自衛隊といえば、迷彩服に身を包み、整然と隊列を組んで一糸乱れぬ行進をする部隊。あるいは全身に偽装を施し、小銃を携えて野山で行動したり、戦車が爆音を轟かせて走ったりする。そんなイメージをもつ人が多いのではないでしょうか。


間違いではありません。たしかに、訓練の一部ではあります。一方で、彼らにも生身の人間としての顔があります。


陸上自衛隊で最も過酷といわれるレンジャー訓練を修了した屈強な男が、じつは注射が大の苦手だったり、訓練では鬼のように怖い班長が、奥さんに頭が上がらない恐妻家だったり、いろいろな「素顔」をもっています。


滋賀県で写真家として活動する伊藤悠平さんは、ライフワークとして、そんな「素顔の自衛官」を撮り続けています。

写真家・伊藤悠平さん(画像提供:本人) 



そこに映っているのはごく普通の若者たち

伊藤さんが撮るのは、陸上自衛隊に勤務する若い自衛官たちの姿です。


その写真から見えてくるのは、災害派遣や観閲式で目にする勇ましく頼もしい自衛官ではなく、己の技能を磨くため、黙々と訓練に勤しむ姿です。


そして、バラエティ番組の自衛隊特集では見られない、令和の時代を生きる若者の素顔がそこにあります。


注射が苦手すぎる彼は針を見ないようにマスクで目隠しをしてしまった(画像提供:伊藤悠平さん)


たとえば、この写真。入隊直後には健康診断で採血をしたり、破傷風の予防接種を受けたりするなど、腕に注射針を刺す機会が何度かあります。彼は注射が大の苦手だとか。針を見ないように、とうとうマスクで目隠しをしてしまいました。


「自衛官なら注射ぐらいなんだ!」といわれそうですが、自衛官でも苦手なものは苦手。似た経験をもつ方はきっと多いのではないでしょうか。


駐屯地内のコンビニは一般の店舗と比べて品ぞろえが豊富(画像提供:伊藤悠平さん)


次の写真は、コンビニエンスストアで買い物をする女性自衛官たち。


ほとんどの駐屯地や基地には、コンビニエンスストアがあります。日常生活に必要なものがすべて入手できるように、一般のコンビニエンスストアと比べて品ぞろえが豊富。迷彩柄の皮手袋、警笛、懐中電灯などの訓練用品も用意されています。


迷彩柄の戦闘服を着ていることを除けば、若い女の子たちのふつうの買い物風景ではないでしょうか。


一方で、訓練になると顔つきが変わります。災害派遣や観閲式で見せる「よそ行きの顔」でもなければ、訓練を離れて気が緩んでいる顔でもない、もうひとつの顔です。


105mm戦車砲の砲弾を装填する女性隊員(画像提供:伊藤悠平さん)


これは戦車部隊に配属された女性自衛官が、火薬が入っていない訓練用の模擬弾を使って、105mm砲に装填する訓練です。実弾の扱いは危険を伴いますから、訓練といえども目つきが変わります。しかも狭い戦車の中で重い砲弾を扱うのは、想像以上に体力が要る作業。


「もー‼︎クッソー‼︎重たいー‼︎」と叫びながらも、自分が納得するまで、そして教官からOKをもらうまで何度も繰り返し行われます。無駄のない動作は、実際に体を動かして体得する以外にありません。


実弾を扱う前に模擬弾で繰り返し訓練する(画像提供:伊藤悠平さん)



写真を撮り始めたきっかけはゲームの景品で手に入れたコンパクトデジタルカメラ 

伊藤さん自身も、じつは自衛隊で勤務経験がある元自衛官です。2001年に入隊して、滋賀県高島市にある今津駐屯地、第10戦車大隊で勤務していました。


「入隊の動機は不純」という伊藤さん。


「大学へ通いながらアルバイトが楽しすぎて、4年生のときに40単位足りないことに気が付いたんです。ほぼ1年分です。もう、どうあがいても無理と思いました。一時休学して、アルバイトでお金をためて夜間の大学へ編入しようか、あるいは別の道を探そうかと考えていたときに、祖父がかつて軍人だったから自衛隊でも入ろうかなと。自衛隊で勤務しながら夜間の大学に通う人もいるし、お金も貯まるという話を聞いていたので(笑)」


不安しかない着隊日(画像提供:伊藤悠平さん)


自衛隊に入隊すると、初めの3か月間は「新隊員前期課程」という、自衛官としての基礎を徹底的に叩き込まれる教育課程があります。


伊藤さんが前期課程を受けるために送り込まれた部隊は、愛知県名古屋市にある守山駐屯地、第35普通科連隊でした。


「普通科」とは、歩兵部隊のことをいいます。自衛隊が創設された頃に、軍を連想させる用語が避けられていた名残です。余談ですが、一時期は戦車も「特車」と呼ばれていたことがあります。


ここで3か月間、自衛官としての基礎を叩き込まれる。


伊藤さんが新隊員前期課程の教育訓練を受けていた頃、同じ連隊で先輩隊員たちのレンジャー訓練も行われていました。


陸上自衛隊で最も過酷といわれる訓練を目の当たりにした伊藤さん。志願者だけが受けられる訓練とはいえ、班長や先輩から「お前もレンジャー訓練に志願するよな」と無言の圧力がかかることがあるといいます。「俺には無理」と悟り、前期課程を卒業した後の配属先として、戦車部隊を第1希望に挙げたのです。


希望が叶って今津の第10戦車大隊へ配属され、後期課程の職種訓練も無事に修了したあとは、部隊勤務を続けていました。


2005年、陸曹(下士官)へ昇任するために今津を一時離れて、静岡県御殿場市、駒門駐屯地にある第1機甲教育隊(現、機甲教導連隊)で教育訓練を受けているとき、伊藤さんに第1の転機が訪れます。


この315万画素のデジカメがすべてのスタートだった(画像提供:伊藤悠平さん)


「駐屯地内にあるゲームセンターの景品で、315万画素のコンパクトデジタルカメラを手に入れたのです。当時はまだ自衛隊でデジカメを使っている人が少なかったので、教育部隊のアルバム制作係をやることになりました」


教育期間が終われば、それぞれの所属部隊へ帰っていくので、訓練修了記念にアルバムを自主制作するのです。


今津へ戻ってからも、デジカメをもっているということで中隊長から広報係を拝命し、カメラマンとして日常の訓練や行事の撮影を担当することになったといいます。


「退職する人や人事異動で部隊を離れる人に、在隊中の写真を集めたアルバムをつくって、プレゼントしていました」


人事異動で部隊を離れる上官を見送る(画像提供:伊藤悠平さん)



写真家で独立1カ月目の収入はわずか9000円

自衛隊生活が7年目を迎えた年、第2の転機が訪れました。


実家の家業を継ぐため、郷里へ戻ることになったそうです。それは、自衛隊を退職することを意味していました。


ところが伊藤さんは、駒門での教育訓練を経て陸曹へ昇任しています。それは、原則として「定年まで勤めること」が前提のため、上司へ事情を説明したり、退職の手続きをしたりするのに時間がかかりました。


「退職の承認が下りるまで、半年かかりました。そうしたら父親が『そんなに融通の利かないところで仕事をしとったら、うちの仕事なんかできるわけがない』といい出して、家業を継げなくなってしまったのです」


ロッカーに収納する位置と並び順は決められている(画像提供:伊藤悠平さん&ワニブックス)


やっと退職が決まったのに、家業を継げなくなった伊藤さん。しかも当時、奥さんのおなかには新しい命が宿っていました。


「俺はどこへいくんだって感じでしたね。だったら、好きな写真をやりたいと思いました」


これからは、動画の需要が伸びることも見越していたそうです。写真と並行して、ビデオの撮影も身につけたいと考えていました。


「たまたま京都で広告写真をやっている写真家がおられて『うちはビデオもやっているから、おいでよ』と声をかけてくださいました」


しかし、写真の撮り方を手取り足取り教えてくれるわけではなく、師匠は「見て覚えろ」という昔気質の職人タイプだったといいます。先輩たちが次々に辞めていく中、伊藤さんが最後まで残りました。


しかし、師匠から相変わらずの無茶ぶりに「もう無理」と、別の写真家が経営するスタジオへ転職。

「移ってみて、初めて分かりました。最初についた師匠は、とんでもなく腕のいい写真家でした」


それでも転職先で写真の基礎や照明の技術を身に着けた伊藤さんは、1年半勤めた後、いよいよ写真家として独立を果たします。

入隊後初めて銃を手渡される日。「これが本物の銃かー」興味津々で覗き込む新隊員たち(画像提供:伊藤悠平さん) 


「独立して1カ月目の収入は、わずか9000円でした」


家計の足しにアルバイトを考えたこともあるそうですが、奥さんがそれを許しませんでした。

「生活は楽になるかもしれないけど、楽なほうへいってしまう。写真以外はやるなといってくれました」


修行時代にあるていど人脈ができていたこともあり、ブライダル関係の撮影に呼ばれたり、奥さんも支えてくれたりしたといいます。 


「冷たーい」目の前の水たまりを「ほふく」で進む女性隊員(画像提供:伊藤悠平さん)



「ほふく」で擦りむけた肘は彼女らが頑張った証し(画像提供:伊藤悠平さん)



「自衛隊の人って笑うんですね」……これが一般の人から見た自衛隊のイメージか!?

しだいに写真で生計が立つようになってくると、今度は作品を撮りたくなってきました。


「その頃、ポートレートが流行っていました。僕のイメージでポートレートといえば、きれいなお姉さんにモデルをお願いしてポーズをとってもらう王道的なもので、実際少しずつ撮っていました」


2014年、写真家の魚住誠一氏が主催する日本最大級の合同写真展「ポートレート専科」に出品しようと考えます。これは魚住氏に作品のプレゼンをして、それに通らないと展示されないハイレベルな写真展でした(2016年に終了)。


戦闘訓練場の土盛りにカモが産卵していたので踏んでしまわないように目印の旗を立てる班長(画像提供:伊藤悠平さん)


「僕がイメージするポートレート、すなわち、きれいなお姉さんを撮ったらOKだろという認識でプレゼンに出したんですよ。そうしたら、考えが甘かったですね」


魚住氏から「これを撮る意味は何だ?」と問われた伊藤さん。

「こんな、手垢がついたようなネタを撮ってきて、どうしたいの?何が撮りたいの?もっと自分にしか撮れないものはないの?」


畳みかけてくる魚住氏に対し、何も答えられないまま引き下がらざるを得ませんでした。


自分にしか撮れないものは何だろう?


考え抜いた伊藤さんは、過去に撮り溜めていた自衛隊の写真を引っ提げて、2015年に再びポートレート専科に挑みました。


伊藤さんの作品を見た魚住氏は「これだよ!」と納得をしてくれて、ポートレート専科で展示されることになりました。


東京で開催されたポートレート専科に自衛隊の写真を展示していると、物珍しさもあったのでしょう、作品の前で足を止めてくれる人が多かったそうです。


しかし、ある女性客の言葉に、伊藤さんはショックを受けます。


自衛官だって笑います(画像提供:伊藤悠平さん)


「『自衛隊の人って、笑うんですね』といわれたんですよ。こっちは、びっくりするじゃないですか」


そのお客さんがいうには「自衛隊の人は笑わないイメージがあった」とのこと。 


「自衛隊が世間に認知されてきたとはいえ、今みたいにSNSを使って積極的に発信していなかったし、世間から見た自衛隊って、まだまだそんなレベルの認知度でしかないことを、あらためて感じました」



ライフワークとして「素顔の自衛官」を撮り始める  

伊藤さんが「素顔の自衛官」というテーマを決めて、新隊員が初めて教育部隊へやってくる着隊日から3か月間の姿を撮り始めたのは2015年からです。


緊張と不安しかない初日、同じ居室で過ごす同期の仲間たちとの対面、初めて袖を通す戦闘服、入隊式、本物の銃を手にする日、実弾射撃、戦闘訓練などを経て培われていく仲間との絆は、家族以上に強いものがあります。


前期課程の終盤近く、戦闘訓練の練度判定を受ける女性隊員(画像提供:伊藤悠平さん)


そんな彼らの「素顔」を撮るためには、とにかく信頼関係が大事だといいます。自衛隊生活を始めたばかりの新隊員たちに顔を覚えてもらい、言葉を交わしながら信頼関係を築いていきました。


伊藤さんが取材先に選んだのは、かつて勤務していた今津駐屯地でした。取材許可が出たら、よほど大事な仕事以外は断って、駐屯地へ通い詰めたといいます。


「毎日、駐屯地に入り浸っている状態でしたね」


前期課程で戦闘訓練の練度判定が終わった女性隊員たち(画像提供:伊藤悠平さん)



座学。新隊員教育中は頭で憶えることも山ほどある(画像提供:伊藤悠平さん)


「安心してもらわないと、素を出してくれませんからね」


今津には、伊藤さんのかつての上司、先輩、同期、後輩たちがいます。また新隊員たちの教育を担当する教官や助教にも、伊藤さんの後輩がいました。


「後輩らと気安く話しているのを見て、新隊員らも警戒心を解いてくれたようです」


一度の取材で3000~4000枚は撮るという伊藤さん。


「ベストショットを狙うというより、カメラに慣れてもらうためにシャッターを切ることもありますから、本当に心に残る写真は、その中の1~2枚です。でも、あとから見返したときに、別のカットが気になってセレクトに入れることもあります」


新隊員(左)「班長~、写真撮ってもらいましょうよー」(画像提供:伊藤悠平さん&ワニブックス)



班長「だったら、いい顔で撮ってもらわないとなー」(画像提供:伊藤悠平さん&ワニブックス)


ところで、今津駐屯地は伊藤さんがかつて勤務していたこともあり、取材の申請は比較的通りやすかったといいます。しかし、他の駐屯地では、そうはいかなかったそうです。


「取材といっても、メディアに掲載されるわけではなく、SNSや写真展で発表するだけです。だから、取材をお願いしても、初めは『お前は誰だ?』みたいな不審者扱いからのスタートです(笑)」


そうして、警戒されながら撮った写真を「こんな感じで撮れました」と見せ続けているうちに、取材先の部隊も「いい写真じゃないの」と意識を変えてくれるようになりました。安心してもらうと、今度は部隊側から、いい構図で撮れそうな場所を教えてくれることもあるといいます。


前期課程を終えてそれぞれの後期課程へ進む別れの日。苦楽を共にした同期たちとは家族以上の絆ができている(画像提供:伊藤悠平さん)



前線部隊だけが自衛隊じゃない。後方部隊を撮りたい。

ライフワークとして「素顔の自衛官」を撮り始めて8年目の今年、これまで撮ってきた写真を厳選して掲載したフォトエッセイが出版されました。タイトルは、ライフワークのテーマそのまま「素顔の自衛官」。


自衛隊生活の第一歩を踏み出した初日から前期教育課程を卒業するまでと、一線部隊での訓練、休憩中にほっと一息ついたときに見せる緩んだ顔など、一般の人が今まで見たことがない自衛官の姿が収められています。


「密着撮影 素顔の自衛官」ワニブックス刊(画像提供:伊藤悠平さん)



本の帯、向かって右端に映っている新隊員の8年後。立派な機甲科隊員になっていた。(画像提供:伊藤悠平さん)


今後も自衛隊を撮り続けるという伊藤さんに、どんな写真を撮りたいかを聞いてみました。


「陸上自衛隊だと戦闘職種、それも空挺とかレンジャーなど精強な部隊や過酷な訓練に目を向けられがちなので、これまであまり目立たない存在だった後方支援職種の部隊を撮りたいですね」


戦闘職種とは、普通科(歩兵)、機甲科(戦車・偵察)、特科(砲兵)など、前線で戦闘任務に就く職種のことをいい、後方支援職種とは、通信、補給、輸送など戦闘職種をバックアップする職種をいいます。


テレビの自衛隊特集などで取り上げられる機会は少ないですが、後方支援部隊の活動があって、はじめて前線の部隊が動けるのです。


雨の中で戦車に燃料補給。自衛官は制服を着用しているとき傘を携帯してはいけない規則がある。この傘は給油口に雨が入らないための措置。(画像提供:伊藤悠平さん)  


自衛隊で勤務した経験があるからこそ、自衛官たちと気持ちが通じ合えるし、伊藤さんにしか撮れない写真があります。


これから先、どんな「素顔の自衛官」が見られるのか楽しみです。




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