青空のもと、土にまみれ汗にまみれて作物を育てる農業のイメージと違い、まるで近未来を描いたSF小説に登場しそうな無機質な空間で、夥(おびただ)しい数の葉物野菜が自社開発の室内農業装置で育てられています。気象や害虫の影響を受けることなく、種まきからわずか6週間で収穫できる、まさに「植物工場」です。


空店舗や廃工場などの遊休施設を活用した新しい農業の形に取り組んでいる、スパイスキューブ株式会社代表取締役の須貝翼さんに伺いました。




200平方メートルまでの小規模な植物工場に特化して屋内栽培による農業参入を支援

土壌ではなく人工の光と水を使って屋内で野菜を栽培する農業は、今や多くの企業が参入しているため、もの珍しさはなくなっています。


須貝さんが取り組んでいるいわゆる「植物工場」のいちばんの特徴は、小規模な遊休施設でも参入しやすいこと。須貝さん曰く、200平方メートルまでを想定しているそうです。そして、顧客に対する植物工場を事業化させるノウハウの提供を事業化していることにあります。


「自社の野菜工場で得られたデータやノウハウを提供して、企業の農業参入を支援しています」


大阪府東大阪市にある自社工場「スパイスキューブファーム」を案内していただきました。そこはマンションの1階で、以前はコインランドリーだったという店舗スペース。道路に面した店舗の入口は閉鎖され、外部から光が入らないように施工されています。そのため工場へは、今は使われていない管理人室を通って、店舗の裏から出入りします。

工場の中は赤と青の光で紫色に見える 



農業装置の中で栽培される葉物野菜


工場へ通じる通路兼倉庫で、頭のてっぺんから足先までを覆う保護服に身を包み、マスクを着用。工場の扉を開けると、そこはLEDライトで紫色に照らされた、一見すると無機質な空間が広がっています。パイプレーン式の農業装置やスチール製のラックが並び、葉物野菜を育てていました。音もたいへん静かです。


「うちの設備は、見た目があまり格好良くはできないんです。格好良くしようと思えばできるんですけど、コストが余計にかかってしまうんです」


しかし、野菜を育てるための機能は十分に備わっています。 工場全体が紫色の光で満たされている理由を、案内してくださった営業兼広報の吉浦諒平さんが説明してくださいました。以下、工場内での説明は、すべて吉浦さんです。


「これはLEDライトで、野菜の成長促進に特化した光です。赤い光は葉の成長を促し、青い光は茎の成長を促します。光の3原色である赤、青、緑から緑を抜いて、野菜の成長を促すためだけの色になっています」


赤と青の光が混ざって、紫の光で満たされていたわけです。



作業中は白色光に変える


「でも、この状態では葉の成長具合や色味が見づらいので、作業をするときは白色の照明に変えます」


ちなみにこの工場では、クリスピーレタス、オービタルレタス、レッドソレル、セルバチカロッソ、ケール、アマランサス、カラシナの7種類の葉物野菜を栽培して、主に飲食店へ卸しているとのこと。


「白いパイプの内部には、粉末肥料の溶液を混ぜた水を循環させています。下にある水槽からポンプで最上段まで上げられた水は、下の段へ順々に流れていって、最後は水槽に戻ります」


葉の下の白い円筒は水が流れているパイプ


工場で栽培された作物は、外気に触れず害虫もつかないので、収穫したら洗わずに食べられるほど清潔に保たれているといいます。カラシナやレッドソレルを勧められるまま試食させていただくと、しっかりと野菜の味がしました。


「水と電気だけでも、濃い味が出せるんですよ」


この設備は、ワンルームマンションにつくることも可能だとか。ただ、どのくらいの規模の農業装置を置けるかは、床の耐荷重との兼ね合いになるとのこと。部材は軽く、構造も比較的簡単ですが、水槽に水を入れると重くなって、最悪の場合は床が抜けてしまうからだそうです。


マンションに植物工場をつくった場合、ご近所どうしの問題が起こらないか心配になりました。 須貝さん曰く、それは問題ないとのこと。


「騒音は出ないし虫も湧きませんから、ちょっと大きめの観葉植物を育てているような環境です」


たしかに、案内してもらった工場の中は、とても静かでした。マンション仕様の設備なら、音は問題にならないでしょう。もっとも須貝さんの自宅内に農業装置を置いていることは、近所の人たちに知れ渡っているとか。


「ご近所に自慢しながら、お裾分けしていますから(笑)」


葉物野菜を中心に栽培でき、香草類や観賞用植物なども同じ空間で栽培できるといいます。また、将来的には室内農業が当たり前になり、家庭菜園やガーデニング市場も、小さな植物工場で革新していって欲しいとの願いをもっているとか。


農業装置に配置された野菜は上からLEDライトを照らされ、下のパイプから水分を供給されて育つ。



サラリーマンの傍ら農業にのめりこんで会社の新規事業でも農業参入を進めようと役員会でプレゼン

スパイスキューブを起業する前は、電設資材を扱う企業でサラリーマンをしていたという須貝さん。農業に関わり始めたのは、25歳のサラリーマン時代からだそうです。


「大阪府茨木市で、里山再生のボランティアに参加していました。切り出した間伐材を、近くの小学校に寄付していたのですが、切り出した量が寄付する量より多くなったときはシイタケを栽培することもありました」


そのボランティア活動を通して、しだいに農業の楽しさに目覚めていった須貝さん。土日祝日をすべてボランティアと農業に費やし、夏には祖父母が亡くなったことにして休暇を取ったそうです。


「2か月休んで、鳥取県にあるトマト農家に弟子入りしました。そんな不良サラリーマンでしたけど、10年勤めてちょっとだけ昇進して、新規事業を考えろというミッションを与えられました」


そのとき須貝さんが進めようとした新規事業が、会社の業態と直接かかわりのない植物工場だったといいます。


「このスパイスキューブは、じつはそのときの経験をもとに設立したのです。土の良さも水の良さも、両方知っていますから」


植物工場の事業計画をつくって経営陣にプレゼンしたところ、全会一致で採用されたそうです。 では、サラリーマン時代に立ち上げた植物工場の成功を足掛かりに独立起業したのかと思いきや、じつはそうではないといいます。


「大失敗しました。会社の資本で3億円をかけて、野菜工場をつくりました。初年度に1億5000万円を売り上げて5000万円の利益を出す計画でしたが、結果は1年目で4000万円の赤字を出してしまいました」


工場内で作業するときは保護服を着る


なぜ赤字になるんだ? その原因を考え抜いた末に、須貝さんがたどり着いた答えが2つあるそうです。


「ひとつは、初期費用がかかりすぎることです」


植物工場をゼロからつくるにしても、費用を極力抑えて、早期に回収できるビジネスをつくらないといけなかったといいます。


「もうひとつは、思ったほど野菜が高く売れないことです。日本の一次産業全般にいえることですが、エンドユーザーとの間に輸送や仲卸といった業者が多すぎて、農家が利益を出しにくい。利益を出している農家さんはどうしているかというと、エンドユーザーが求める商品に変えたり、直接売れる努力をしたりしているからです」


このときの失敗から、自分たちで物流までカバーできたら採算が合う事業をつくれることに気づきました。


スポンジに種をまいて3週間後に農業装置へ移す


「そのときの気づきを体現しているのが、スパイスキューブです」


とはいえ、4000万円の赤字を出す大失敗の後に起業するのは、相当な勇気が要ったはずです。


「独立する前は会社に内緒で、大阪市の産業創造館にある『立志庵』で起業プログラムを受けていました」


それは事業プランの作成から事業の開始までを、6カ月でトータルサポートするというプログラムでした。須貝さんは、会社の仕事に支障が出ないよう、出社前の早朝と定時退社した夕方以降に通っていたそうです。


「すでに大きな失敗を経験していましたから、自信は100%なかったんですけど、ビジネスモデルが面白いという評価をいただいて1%だけ自信をもった感じでした。でも、日本の農業には失敗経験をもつ人しか気付けない課題があります。それを伝え、解決する必要があると考えて、スパイスキューブを起業したのです」




ノウハウを提供して誰もが成功する農業を実現したい

須貝さんがスパイスキューブの事業として、植物工場のノウハウを提供しようと考えたのは、多くのノウハウが隠されがちなことを憂慮したからでした。


「たとえば、自分の畑とお隣の畑で同じ作物を栽培していて、お隣の作物がなぜかよく育つしよく売れるとします。お隣に『どんな肥料を使っているの?』『どこへ売っているの?』と尋ねても、販路を取られたくないお隣さんは教えてくれませんよね。失敗例にも同じことがいえます。失敗を恥だと思うせいか、なぜ失敗したのかという教訓が表に出ないのです」


そのため、せっかく企業が植物工場に参入しても思うような結果を得られず、ひっそりと撤退する事例が少なくないといいます。


この状態から大きく育っていく


「農業には、前もって得られる情報があまりにも少なくて、実際に始めてから『思っていたのと違う』と気づくことが多いのです。思い描いた通りになんて、なかなかできません」


須貝さんはまた、ノウハウの提供だけでなく、専門の知識をもった人材を顧客に派遣しています。


「これも、サラリーマン時代に失敗して得た教訓です。上手くいかないとき、相談できる相手が欲しかったからこそ、それも弊社で相談できるサービスをつくろうと考えたのです」


失敗を教訓にして会社を設立した須貝さんですが、初めから上手くいったわけではありませんでした。


「1年目と2年目は深刻な赤字で、危機的な状況でしたね」


そのため、一時は本気で遺書を書いたこともあるとか。会社設立から6年目、今期の決算からやっと黒字になり、人を雇えるようになったそうです。その1人が工場を案内してくれた吉浦さん。ほかにパートタイマーを2人雇っているとか。


「やっと利益が出ましたけど、まだ十分とはいえません。同年代のサラリーマンの、平均年収をまだ超えていませんから」


植物工場は今後、社会にどんな影響を与えそうかを尋ねてみました。


「少しずつでも知名度が上がって、スタンダードな農業の仲間入りができるようになってほしいと思っています。日本の農業従事者のほとんどが、個人の農家さんです。これからはそこに、企業が運営する植物工場が参入してほしい。いま農業に参入している企業は、250~300といわれています。弊社も植物工場を5社増やしました。少なくとも100を超えるくらいまで増やせば、新しい農業の形として植物工場という選択肢を示せると思っています。既存の農業にケンカを売るつもりはありません。僕の役目は、企業を植物工場という農業に参入させることです。露地栽培やビニールハウスは自然環境や天候の影響を受けますから、計画通りの収穫が難しい。だから企業は一次産業に手を出さなかった。企業が手を出してくれる形の農業が、植物工場なのです」


植物工場で栽培された野菜の利用例(画像提供:スパイスキューブ株式会社)



須貝さんは「自分たちが食べるものは、自分たちでつくれる時代になってほしい」ともいいます。


「最先端技術を追求するのは先進国の務めかもしれないけれど、自分たちで食べる分は自分たちでつくれないと、(あらゆる意味での)有事の際にたちまち困ってしまう。併せて、働く人に、農業の楽しさと尊さも知ってほしいです」


日本の食料自給率の低さを憂慮する一方で、農業の楽しさと尊さも知ってほしいと願いながら、植物工場の普及に取り組んでいる須貝さんでした。




■ スパイスキューブ株式会社


公式HP

https://www.spicecube.biz/


ネットショップ

https://spicecube-store.com/


YouTube

植物工場産野菜紹介