自らを「笑顔の配達屋さん」だという尾崎杏奈さんは、クラウン(clown/道化師)を専業で営むプロのパフォーマーです。


道化師といえば、日本では「ピエロ」といったほうがイメージされやすいですが、尾崎さん曰く、クラウンとピエロは意味が異なるとか。


「クラウンは職業名、ピエロは昔存在した役者の名前に由来します」


プロのクラウンとして活動する尾崎さんに、この道を志したきっかけや活動にかける想いについて聞きました。

このメイクと衣装がピエコロさんの基本スタイル(画像提供:尾崎杏奈さん) 



子どもたちにパフォーマンスを披露する「笑顔の配達屋さん」ピエコロ

2014年から、クラウンの「ピエコロ」として活動を始めた尾崎さんは、風船で動物の形をつくるバルーンアートやパントマイムなどが子どもたちに人気の「笑顔の配達屋さん」。


様々な芸を披露して人々を楽しませるパフォーマーは、プロ・アマあわせて数多くいますが、尾崎さんは専業で活動するプロのパフォーマーです。


保育園や幼稚園での公演が多い(画像提供:尾崎杏奈さん)


「子どもが好きなので、保育園や幼稚園、小学校から呼ばれたり、イベントに出演したり、マルシェの会場に呼んでもらったりして、子どもたちに笑顔を届けています」


ところで「ピエコロ」という、特徴ある名前の由来はなんでしょうか。


「本名が杏奈(あんな)なので、mixiでハンドルネームを『あんころ』と名乗っていたことと、見た目の体型、コロコロ笑う、小さいものが好きというイメージから『コロ』の響きがちょうどいいかなと思って」


そういうわけで、「ピエロ」+「コロ」=「ピエコロ」になったのだそうです。ちなみに、コロコロに見える体型は衣装のデザインのせいです。

(画像提供:尾崎杏奈さん)


保育園や幼稚園でパフォーマンスを披露するほかにも、企業の式典や自動車メーカーが開催する展示会などのイベントに呼ばれて、土日のスケジュールがほぼ埋まっていたこともあるとか。


さて、ここまで読まれて、お気づきになったことはありませんか?


子供を「子ども」、元気を「元氣」と書いています。尾崎さんは、元気の「気」を「氣」と書くそうです。「氣」はエネルギーを意味する漢字です。日本人がもつエネルギーの源は主食の米から来ていることから、昔は「氣」と書かれていたことを知ったからだといいます。また「こども」も、子供ではなく「子ども」と書くことにしているとか。


「昔は、貧しくて食べていけない家が、子どもをお供えしていたという話を聞いたので」


もちろん諸説ありますが、尾崎さんの想いがあって、このように書いているとのこと。ですから本稿でも、尾崎さんの想いを尊重した表記にしています。



販売員から道化師へキャリアパス。山奥のサーカス学校でウクライナ人の先生から学ぶ

尾崎さんが人前でパフォーマンスを披露することに喜びを感じるようになったきっかけは、小学生時代の金管バンドクラブにあるといいます。バンドには楽器とダンスのチームがあって、尾崎さんはダンスをしていました。


「幕張メッセで行われた全国大会で道化師役をいただいて、ソロでダンスを踊ったんですよ。始まる前は、すごく緊張していたんですけど、舞台に立ってしまうと『やるしかない!』って。それまで何カ月も練習してきた成果を、一気に放出する感じを味わって、将来はもっと人を喜ばせるようなパフォーマンスをしたいと思ったんです」


そのとき師事していたダンスの先生からいわれた「手に職を付けなさい」の言葉に従い、尾崎さんは服飾専門学校へ進みました。卒業後に就職した会社では、販売員として全国の百貨店をまわったといいます。


「接客をしていました。その経験が、道化師として他人とコミュニケーションを取る際に、すごく役に立っています」


衣装はいくつかのパターンがある(画像提供:尾崎杏奈さん)


販売員の仕事を、5年ほど勤めたあと退職した尾崎さん。向かった先は、群馬県にある日本で唯一のサーカス学校、沢入(そうり)国際サーカス学校でした。


「トロッコ列車に乗って、すっごい山奥へ入っていくんですよ。サーカスってノスタルジックなイメージがあるじゃないですか。まるで夢の国へ向かっている気分で、ワクワクしながら列車に揺られていました」


そこは渡良瀬川のほとりにある、廃校になった小学校の体育館を利用した、パフォーマーを養成する学校でした。


「当時はウクライナ人の先生が教えてくださっていました」


ウクライナ人の先生はその後帰国されて、今は日本人の先生に代わられたそうです。 尾崎さんは1週間の短期メニューを、2度にわたって受講。科目はトランポリン、玉乗りなどのほか、かなり厳しい筋トレもあったとか。


「バルーンアートは、女性のパフォーマー仲間から物々交換で教えてもらいました」


物々交換? つまり、バルーンアートを教えてもらう代わりに、尾崎さんは身体を柔らかくするストレッチを教えてあげたのだそうです。


ダンスは得意(画像提供:尾崎杏奈さん)



初めはアルバイトで生計を立てながら活動していたが不思議な体験が意識を変えた

2014年からパフォーマーとして活動している尾崎さんですが、初期の頃は手書きの名刺をつくって活動の場を求めていました。


「それこそ、アプリでつくったような簡単な名刺です。自分の名刺とクラウンの名刺をくっつけて、二つ折りになるようにつくったんです」


ある日、その名刺を携えてケーキ屋さんを訪ねた尾崎さん。店頭には、マルシェの出店を募集する告知が出ていたそうです。


「その頃はハンドメイドで小物の販売もやっていたので、『自分でつくって売りたいんですけど』って名刺を出したんですよ」


その名刺を見た店員さん、ピエコロのほうに興味をもったらしく、奥から店長を呼んできました。


「奈良の宝山寺で行事が行われる日に出店するから、手伝いに来てくれないかという話を、その場でいただいたんです」


そして、宝山寺の境内に出店したケーキ屋さんの前でパフォーマンスを披露したのが、クラウンとしての初仕事になりました。


また同じ日、たまたま居合わせたパフォーマーから声をかけられて、あるアコーディオン奏者の男性を紹介されたことから、別の日に行われたマルシェの会場でバルーンを配ったり音楽隊と一緒に練り歩いたりもしたそうです。


これをきっかけにパフォーマーどうしの人脈が広がりつつありましたが、まだ専業で生計を立てるのは厳しかったといいます。


パフォーマー仲間、イリュージョニストのGAKUさんと一緒に。(画像提供:尾崎杏奈さん)


「スーパーで、レジ打ちのアルバイトをしていました。でも、レジを打ちながら、やっぱり考えてしまうんですよね。この時間をパフォーマンスの時間に割きたいなとか、いろいろとね」


そんな日々を過ごしていたとき、尾崎さんは車を運転中に事故に遭います。


「右折するため交差点に進入して、前の車2台が行ったから自分も行こうとしたら、前からドーンとぶつかってきました」


この瞬間、尾崎さんは不思議な体験をしたといいます。


「ちょっとスピリチュアルなお話なんですけど、正面衝突して『あぁ、もう駄目だ』と思って目をつぶったんです。私の車が180度回転して止まったんですが、回転しているときに、誰も乗っていない後部座席から腕をしっかり掴まれて、年配の男性の声だったと思うんですけど『絶対に腕を曲げたらあかんで!』って聞こえたんです」


尾崎さんが我に返ると、車は止まっていました。


「煙は出てるし、エアバッグも出てるし、とりあえず車の外に出たらオイルも漏れていたし、何が何だか……」


その後、警察が現場に到着。そのあと病院で診察してもらったら、顔にうっすらと掠り傷ができていたそうです。


「車の窓ガラスが粉々に割れていたので、あのとき腕を曲げて前かがみの姿勢になっていたら、もっとひどいケガを負っていたかもしれないですね。助けられたんだと思ったら、その瞬間なんだか急に吹っ切れたんです。変なきっかけですけど、アルバイトを辞めて、やりたいことをやろうと決めました」


それからは奈良県を中心に、大手の不動産会社のイベントをはじめ大手百貨店のイベントなどへ、仕事がつながっていったという尾崎さん。気が付けば、ピエコロとして生計が立つようになっていました。住まいを東大阪市に移して、独り暮らしも始めたそうです。


「ところが、東大阪へ引っ越して1年目でしたね」


コロナ禍が、日本のみならず世界中で猛威を振るい始めたのです。


物憂げな表情(画像提供:尾崎杏奈さん)



ピエコロのショーは子どもたちに愛と笑顔を伝えるため

コロナ禍は、尾崎さんのようにエンターテインメントの世界で生きる人たちに、深刻な影響を与えました。イベントが軒並み中止になって、出演の機会が激減したのです。


外へ出ることさえ憚られる状況の中、一人暮らしの部屋で「この先どうしようか」と不安を募らせたこともあるといいます。


「ピエコロをやりたい、パフォーマンスが楽しい、子どもたちも好き。ピエコロのパフォーマンスを伝えるために何ができるかを考えて、動画サイトでバルーンアートを配信し始めたんです」


動画配信を始めたことがきっかけで、バルーンアートのレパートリーが増えたという尾崎さん。


「毎回違うものをつくらないといけないと思って、視聴してくださっている人からリクエストを募ったら、けっこうな数が来たんですよ。リクエストに応えようと日々研究を重ねているうちに、レパートリーがどんどん増えました」


今では、時間をかけたらたいていの形がつくれるようになったそうです。


「ショーの構成や時間に合わせて、そのときできる限りのバルーンアートをつくっています」


YouTube ピエコロのわくわく製作所(公式チャンネル)

https://www.youtube.com/@Clown-Piecoro.official


そんなとき、広島で活動しているパフォーマー仲間の「おんぷらんと」から連絡がきました。


「パフォーマーたちがTwitterで1つずつ芸のリレーをしていて、私にまわってきたんです」


それがきっかけになって、今は「おんぷらんと」の2人と一緒に活動範囲を広げ、大阪、広島、山口、福岡、福井などへ出張する機会が増えているそうです。


おんぷらんとの2人と(画像提供:尾崎杏奈さん)


コロナ禍で厳しい状況にあっても、道化師をやめる選択はなかったという尾崎さん。ピエコロのショーは、単に見てもらいたいとか、すごいと思ってほしいというのではなく、メッセージを伝えるツールだといいます。


「ショーの終わりに地球のバルーンを見せて、子どもたちに『これなんだと思う?』って尋ねるんです。そうしたら『ふうせーん』とか『ちきゅう』って答えてくれます。そこからさらに『この地球は何でできてると思う?』って尋ねるんです。そしたら、また『くうき』とかいろいろ答えてくれるから、実際に割って見せると、中からハートのバルーンが出てきます。そこで一言『この地球は、みんなの愛でできているんだよ』ってメッセージを伝えるんですよ。そうしたら子どもたちは、真剣な表情で聞いてくれます。そして最後に『今日も一緒に笑ってくれて、ありがとう』って感謝を伝えて、ショーを締めくくります。地球のみんなを笑顔にしたい」


「地球はみんなの愛でできているんだよ」メッセージを伝えたい(画像提供:尾崎杏奈さん)


このような心情が尾崎さんに芽生えたのは、幼い頃だといいます。


「通っていた幼稚園で、先生が広島の原爆をテーマにした絵本を読んでくださったり、世界には戦争や紛争が起こっている国が実際にあるんだということも、ニュースで目の当たりにしたりして、私自身も戦争というワードに敏感な子どもでした。ある事故のニュースで、外国の方が亡くなって日本人が助かったと聞いたら『どうして外国の人が沢山死んでるのに、日本人で死んだ人がいませんでしたって言ったの?日本人じゃなかったらいいの?』って、母を困らせるようなところがありました」


感受性が豊かな子どもだったのでしょうか。父親は出張で家を空けることが多かったそうですが、帰ってきたら子どもたちと一緒にかくれんぼが始まるような、優しく明るい家庭環境で育ったといいます。


最近はおんぷらんととの共演が多い(画像提供:尾崎杏奈さん)



自分も他人も心穏やかに笑顔でいられたら地球は元氣になる

「近年、人の心に鬼が棲んでいる」という尾崎さん。


「妬みや恨み、他人を攻撃する、悪口をいうのって、心に棲んでいる鬼の仕業だと思うんです。今日1日自分が笑って、相手も笑って、みんなが心穏やかに生きられたら、きっと何十年何百年先も、地球は元氣なんだろうなと思います。そんな笑顔を届けられるようなパフォーマンスを、これからも頑張っていきたいです」


じつは尾崎さん、2023年1月に結婚したばかり。子どもができたら、一緒にパフォーマンスをしたいという夢をもっています。


「子どもの意志を尊重しながらですが、人を笑顔にすることで自分が幸せになれることを学んでほしい」


子どもたちを笑顔にしたい(画像提供:尾崎杏奈さん)


子どもたちを笑顔にするため、学校での公演をもっとやりたいともいいます。


そして「ピエコロと杏奈の人生を楽しみたい」と語ってくだった尾崎さん。今も1日100回の腹筋運動を欠かさず、最高のパフォーマンスを披露できるように備えています。




クラウンピエコロさん


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