カフェや病院の待合室、あるいは自宅の玄関先などに本棚を置いて、各々お勧めの本を持ち寄ってできるライブラリー。


そこから人のつながりができ、学び合いの場になっていく空間「まちライブラリー」の提唱者・礒井純充(よしみつ)さんにお話を伺いました。


まちライブラリーの提唱者・礒井純充さん



本を媒介として居場所ができたり人がつながる場ができたりする

「まちライブラリー」は、利用者が互いに本を持ち寄り、本に込めた想いを書いたメッセージを付けて本棚に置いておきます。その本を読んだ人が、今度は自分のメッセージを付けて返すのです。自分が感銘を受けた本やお勧めの本を持ち寄って、本を寄贈した人と読んだ人、あるいは読者どうしの出会いが生まれる場が「まちライブラリー」です。


2011年に「まちライブラリー」を提唱し、今も活動の先頭に立っているのは、一般社団法人まちライブラリー代表理事の礒井純充さんです。


「図書館」ではなく横文字の「ライブラリー」と呼ぶ理由を、次のように話してくださいました。


「図書館というと、我々の頭の中には公共図書館みたいに、お堅いイメージがあるでしょ。本を静かに読むとか、話をしてはいけないとか。そうなっちゃってるから、既成概念を壊すために、ライブラリーと呼んだほうがいいかなと思ったわけです。私なりの解釈ですが、本を媒介として人が繋がって、そこからまた何かが生まれるような空間を目指しています」


始めた当初は、礒井さんの個人的な活動だった「まちライブラリー」。今は「地域の活性化やまちづくりの促進に貢献する活動」として自治体や企業がサポートしてくれています。


礒井さんは何故、お金にならない「まちライブラリー」に心血を注ぐのか。そのきっかけになった出来事がありました。



18年間育て上げたプロジェクトからの異動命令。子供を奪われたような寂しさを味わう。

大阪生まれの礒井さんは1981年、都市再開発事業や不動産業などを行う総合デベロッパー「森ビル」に入社。29歳のとき、森泰吉郎社長の指名を受けて、社会人を対象にした新しいタイプの教育事業に携わることになりました。


準備を経て、試験的に実施した7回の講座を成功させ、本格的に「アーク都市塾」がスタート。「アーク都市塾」の成功をもとに計画された、東京の文化・情報発信拠点を目指す「六本木アカデミーヒルズ」の創設にも携わった後は、会員制図書館「六本木ライブラリー」を企画しています。


気が付けば、教育事業に携わって、18年の歳月が流れていました。2005年、礒井さんは、異動命令を受け、「六本木アカデミーヒルズ」を離れることになります。


「自分が育ててきた子供を、いきなり他人に取られたような気分で、非常に寂しく思いました」


人事異動はサラリーマンの宿命とはいえ、やはり割り切れないものがあったといいます。


その2年後、礒井さんが立ち上げから携わった「アーク都市塾」が廃止されてしまいました。 


「やりたいことは、仕事以外のライフワークの中で見つけるしかないのか……」


組織の都合で振り回されることに疑問を感じながらも、新しい部署で「早く成果を出そう」と、もがく日々が続いた2010年、とうとう体が悲鳴を上げます。礒井さんは当時を振り返って「心を病んだ」といいます。しばらく休職することになりました。



失意の中52歳で出会った26歳の師匠

これまで築いてきたものと目標まで失った日々を過ごしていたとき、メールで届いたあるイベントの案内が目に留まりました。


「限界集落を歩き回った若者が話をするというのです。参加してみることにしました」


そこで出会ったのが、当時26歳の青年・友廣裕一さんでした。彼は、世界にはお金がなくても、時間を急がなくても、楽しく生きている人たちがいることや、いわゆる右肩上がりだけを成功とする価値観以外の生き方があることを体感したといいます。


そして、友廣さんの生き方も、礒井さんには新鮮に映りました。とくに意味を求めず、目の前の人を大切にして、その人の紹介で次の場所へいき、農作業や山仕事を手伝って、また次のところへいく。そうして出会った人の助けになることが、友廣さんの存在価値だというのです。ビジネスの世界で生きてきた礒井さんとは、対極にある生き方でした。


人間関係のしがらみ、ぶつかり合い、そこから湧き出す「負の感情」という毒素を取り除いてくれる先生になると感じた礒井さんは、友廣さんを師匠と呼ぶことにしました。


まちライブラリー@もりのみやキューズモール

その後半年間、礒井さんはさながらカバン持ちのように、友廣さんと行動を共にしたそうです。その過程で、高知県で行われたあるフォーラムに参加しました。50人の若者が1人ずつ夢を語り合うのです。52歳の礒井さんにも語る順番が来ました。


「まちライブラリーをやるのが夢だと語ったら、参加者の多くが『おもしろいですね』と受け止めてくれました」


この反応は、礒井さんにとって、ある意味で新鮮な感動があったようです。ビジネスの世界で「『まちライブラリー』をやりたい」といっても、やれ意義がどうの、収益性がどうのと、批判的な意見を浴びていたでしょう。


「そのような体験をしていた自分に、初めて勇気を与えられ、背中を押してくれる本当の仲間を得た思いでした」



勤めている会社の肩書や収入より「素」の人間が問題なのだ

友廣さんと出会ってからしばらくして、礒井さんは早稲田大学教授の友成真一さんを紹介されました。友廣さんの、大学時代の師匠だそうです。


友成さんは、組織や会社を「タコつぼ」、その中にいるひとりひとりの人間を「素ダコ」に例えて、独自の「自分経営」論を構築しています。私たちは他人を見るとき、つい「タコつぼ」に目が行きがちですが、問題は中の「素ダコ」ではないかというのが友成さんの考え方です。つまり、幸福は個人の問題なのだから、個人が生き生きと生活できることが大切なのだといいます。


「自分が本当は何がやりたいのか、気づかされました。『教育』ではなく『学び』だったのです」


友成さんの考えに触れて、礒井さんの胸につかえていたものが落ちた瞬間でした。


ちなみに現在の「まちライブラリー」のロゴマークは、このタコに由来しているそうです。


画像提供:まちライブラリー

礒井さんは、友廣さんと友成さんとの3人で「まち塾@まちライブラリー実行委員会」を結成し、「まちライブラリー」の実現に向けて動き始めました。 


礒井さんが最初にもっていた構想は、「まずは学び合う機会として塾をやって、それをやる場がライブラリーだったらいいよね」ということでした。


「『まち塾』は学び合う機会、『ライブラリー』は学び合う場です」


互いに対等でフラットな関係をつくるには、会社や肩書はむしろ邪魔になります。ならば誰もが1冊は持っている本を持ち寄って、それについて紹介し合えば、いわゆる自分の「タコつぼ」に触れないで話ができます。しかも、自分が読んで感動したり共感を覚えたりした本の話をするときは、心を開かざるを得ませんから、お互いを素の人間として受け入れ、学び合うことができるという考えです。


こうして最初のまちライブラリーが、大阪市中央区谷町にあるISビルの1室で始まりました。ISビルは礒井さんが父親から譲り受けたビルで、2008年に礒井さんの蔵書1500冊を運び込んで「ISライブラリー」と呼んでいるスペースがありました。勉強会やイベントなどに開放していましたが、本を持ち寄ってもらうには手狭です。


礒井さんはそのスペースとは異なる1室に、DIYで本棚やブックエンドをつくって「まちライブラリー」としました。


「まちライブラリー」に置く本は、利用者から寄贈をお願いすること、背表紙の裏にカードを貼り付けて、寄贈者のメッセージを書いておき、読んだ人が感想を書き足していくことも初期の段階で決まっていきました。本を集める必要はなく持ち寄る方法にすることで、小さな本棚ひとつあれば、誰でもどこででも「まちライブラリー」を始めることができるわけです。


こうして、利用者がライブラリーを育てる「まちライブラリー」の形ができあがっていったのです。


えほん文庫てんてんとム~シムシ(大阪市)・画像提供:まちライブラリー



蔵書10数冊から2万冊まで全国にさまざまな規模の「まちライブラリー」が誕生

礒井さんは現在、定年後の延長雇用で森記念財団普及啓発部長を務めています。森記念財団は町づくり普及啓発の一環として後援団体になっており、礒井さんが「まちライブラリー」のために活動する時間を自由に取れることになっているそうです。


2011年から始まった「まちライブラリー」の取り組みは、全国に広がっています。「まちライブラリー」オーナーは個人だったり企業だったり、さまざまです。


大阪市中央区の「まちライブラリー@もりのみやキューズモール」の佇まいはおしゃれな大型書店のようで、2万冊の蔵書を擁し、カフェまで併設されています。さぞかし家賃も高いだろうと思いきや、オーナーが不動産会社なので賃料はかかっていないのだとか。


対照的に、個人宅の玄関先に小さな本箱を置いたりクリニックの待合室に本棚を置いたりした「まちライブラリー」は、蔵書も10数冊と、一口に「まちライブラリー」といっても規模や蔵書、運営スタイルなどはさまざまなのです。


たとえば、こんな「まちライブラリー」があります。いくつかご紹介しましょう。


大阪府河内長野市にある「まちライブラリー@長野公園」は、府営長野公園「奥河内さくら公園」の入口に、屋根付きの本棚を設置してあります。開設されてからまだ日が浅い「まちライブラリー」のため、写真ではまだ本が入っていません。どんな本で埋まっていくのか、楽しみですね。


まちライブラリー@長野公園・画像提供:まちライブラリー

次の3枚の写真は東京・大阪・神戸の、比較的小さな「まちライブラリー」です。


左上の写真、「シェアする軒先読書会・まちライブラリー」は、東京都豊島区にある喫茶店の軒先に本棚を置いて開設されています。


左下の写真、大阪市にある「湯里住吉神社の小さな図書室」は、神社の境内にあって、神道系の本と児童向けの絵本を集めています。


そして右の写真は、「ピアノとミシンと本とありのma~ma♪まちライブラリー」という名で神戸市に開設をしています。


画像提供:まちライブラリー

次は、山形県米沢市と岐阜県大垣市です。


写真左「まちライブラリー@小野川温泉 宝寿の湯」は、米沢市にある温泉施設に設けられたコワーキングスペースの一角に設置されています。


写真右「小さな図書室 たかや」は、昭和時代の靴職人が長らく使っていた店内に、絵本と児童書を揃えているそうです。


画像提供:まちライブラリー

他にも屋外のイベントに出張したり、東京の都心から離れた奥多摩に開設されたり、あるいは大学や病院などの大きな施設にも「まちライブラリー」があります。



ライブラリーの本棚にタイムカプセルを置いて、家族の思い出が人々の生活史にもなる

「まち塾@まちライブラリー実行委員会」は、2013年に一般社団法人になりました。「まち塾@まちライブラリー」から「まち塾」が取れて、「まちライブラリー」になったのもこの頃のようです。


2011年に最初の「まちライブラリー」ができてから12年目を迎えた今、礒井さんの胸中をどのような想いが去来しているのでしょうか。


「10年ちょっと経って振り返ってみたときに、私がやりたかったことは、個人の力でも何かやれるんじゃないかということなんですね」


組織の都合に振り回されたことへの反発で「俺の力だけでやってやるという気持ちが強かった」といいます。


「50歳を過ぎたふつうのおじさんが、自分でどのぐらいやれるかを、テストしてたんじゃないかな」


イベントに出張したまちライブラリー(左)とまちライブラリー@奥多摩リマーニ(右)・画像提供:まちライブラリー

やがて、礒井さんの活動に賛同する人が、少しずつ現れます。


「みんなに『おもしろい』っていわれると、人間って不思議なもので自己効力感が出てくるんですね。『うちでもやりたいから、手伝ってください』っていわれたら『はいはい』って出かけていくんですよ。もちろん無料でね。そうやって、どんどん傾注していきましたね」


2023年3月13日現在、「まちライブラリー」は全国で1001件になりました。今後、直近の計画では、西東京市で6月25日にオープンするMUFGパークにできるライブラリー棟(仮)の本棚に、タイムカプセルを置く構想があるといいます。


「思い出の品とか日記とか、写真でもなんでもいいんですけど、箱に入れて本棚に置くんですよ。例えば子供が小学校に入って、卒業するまでの6年間に書いた作文を入れておいて、中学校へ行ったときに公開しようかって、家族のイベント的なことができるでしょ」


そのタイムカプセルは、何気ない暮らしを送る人々の日常生活を記録したアーカイブとして、後世に語り継ぐ意義も併せもつという礒井さん。


「公共図書館のアーカイブっていうと、偉い人の情報や正史になったものしか残さないけど、むしろ生活史のほうが大事なんじゃないかな」


メッセージカード



自分のために始めたことが世のためになることがある

これから「まちライブラリー」をやってみたい人に、礒井さんからのメッセージをいただきました。


「組織やお金がないと何もできないと思いがちだけど、そうでもないと思います。あなたがもっている力はそんなに軽んじないほうがいいし、むしろ力をもっていることに気付いてほしい。まちライブラリーをやってみて人生観が変わったとか、勇気をもったという人がたくさんいます。そういう人たちの中に入っていってほしい。まちライブラリーを、いっぺんやってみたらどうでしょう。やめちゃっても構いませんから」


社会活動だからといって上から目線で構えるのではなく、自分のためにやっていることが結果として世のためになることもあるという礒井さん。


制度や組織に頼らず、自分を信じて歩む活動が「まちライブラリー」であり、そんな「個の力」の集合はきっと大きな力になることでしょう。



■ まちライブラリー


公式HP

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