大阪のすさまじい通勤ラッシュを避けるため、なるべく職場から近い場所へ引っ越して、自転車通勤を始めた森本保乃花さん。


振り返ってみれば、それが自転車競技を始めるきっかけでした。昔も今も運動は嫌いだという森本さんがレースに参加したり、大阪~東京間を自転車で24時間以内に単独走破するキャノンボールに挑戦したりするようになったのは、まさに「そこに自転車があったから」といえます。


森本さんの自転車ライフについて、お話を伺いました。




大阪生まれの山口育ち。大阪の通勤ラッシュに耐え切れず自転車を購入

サイクリングミッションプロデューサーとして、サイクリングコースの開発と監修に携わる森本保乃花さんは、1992年(平成4年)大阪生まれ。幼少の頃に山口県へ引っ越して、子供時代を過ごしました。


25kmの距離を自転車通学していたこともあるそうですが、もともと運動が嫌いで、競技や職業で自転車に携わることになるとは夢にも思っていませんでした。


高校生のとき大阪に戻ってきて、就職も大阪でした。就職した当時は、だんじり祭で全国的に有名な岸和田市に住んでいた森本さん。大阪市平野区の出戸(でと)という町まで、約1時間半かけて電車通勤をしていました。岸和田からの通勤は、まず南海電車で市内へ出て、そのあとJRと地下鉄を乗り継ぎます。


森本さんが利用していた路線は、大阪でもとくに通勤ラッシュが激しく、満員のため乗れないお客さんを積み残していくことも珍しくありません。


2022年9月第37回 JBCF 舞洲クリテリウム(画像提供:森本保乃花さん)


「こっち(大阪)の電車がめっちゃ混んでいて、けっこう早めに心が折れて『もうムリ!』と思いました」

就職して1年も経たないうちに、職場から比較的近い町に引っ越したそうです。


しかし、そこから通勤するには、やはり短時間でも満員電車に乗らざるを得ませんでした。

「それも無理だったので、こうなったらチャリンコだなと思って、職場まで5~6kmをママチャリで通っていました」


こうして通勤ラッシュから解放された森本さんは、自転車通勤が適度な運動になったのでしょう。ごはんを美味しく食べられるようになったといいます。


2022年9月 六甲有馬ヒルクライムフェスタ2022(画像提供:森本保乃花さん)



「よく追い抜かれる、あの自転車は何だ?」とクロスバイクを購入 

ママチャリで通勤するようになった森本さんが、気になっているものがありました。

「クロスバイクをよく見かけるんですよ。なんや、あれ?速いし、ええやんって(笑)」


そう思ってクロスバイクを買い、通勤で乗り始めました。

「速い速い、快適快適とご機嫌で乗っていたんですけど、思いのほか頻繁にパンクするしトラブルも多いんですよ。それが気になりつつも、ママチャリより速いから手放せなくなっていきました」


クロスバイクが気に入った森本さんでしたが、今度はロードバイクによく追い越されることが気になりはじめました。

「同じような細いタイヤなのに、なんで負けるのか不思議だなと」


考えても分からないから「とりあえず買おう」と、自転車屋へ見に行ったそうです。

「そうしたら、11万1500円の値段がついているめっちゃ可愛い子(ロードバイク)がいて、この子に決めたって感じで買いました」


ツールドおきなわ9位(画像提供:森本保乃花さん)


このときロードバイクを手に入れたことが、今に至る森本さんの人生を決めたのかもしれません。

「値段が高かったし、使いこなさないともったいない。じゃぁ乗るかという感じで、白浜まで走りました。今考えたら、サイクリングには全然適していない変な服装でした」


ほぼ思い付きだったという森本さん。2015年1月の朝、当時住んでいた鶴橋の自宅を出発し、途中で住之江区の自転車屋さんに立ち寄って、自転車の速度や走行距離などを測定するサイクルコンピューターを購入。白浜を目指して、南へ南へとロードバイクを漕ぎ続けました。


和歌山県に入ったものの、白浜まではまだ遠く、由良町で日が暮れてきました。やむなく宿を探して一泊し、翌日白浜へ到着。西日本最大級の海鮮マーケット「とれとれ市場」に立ち寄り、白浜の海を満喫した頃には、自転車を漕ぐ気力は失せていたそうです。


白浜の「とれとれ市場」で海鮮丼を食べた(画像提供:森本保乃花さん)


「サイクリングに適したパンツを履いていなかったので、お尻が痛くて……。そんなわけで、白浜から友達に連絡して事情を話し、車で迎えに来てもらいました」


そんな状態だったにもかかわらず、森本さんは、白浜から帰って間もなくの2月、レースに出たそうです。「こういう自転車って、レースに出るやつやな。レースに出たいな」と考え、白浜へ出発する前に、大阪府堺市の堺浜で行われるレースにエントリーしていたのです。


森本さんにとって初めて参加するレースでしたが、なんと優勝しました。


「足の疲れは全然なくて、白浜から帰ってきて2~3日もしたらピンピンしていました」

高校生のとき、大阪へ戻ってくる前は、山口で25kmの道のりを自転車通学していたといいますから、基礎体力ができていたのかもしれません。


ここまでお話を伺って「こういう自転車は遠くへ行くやつ」「レースに出るやつ」と、自転車に合わせて行動を決めている印象を強くもちましたが、森本さんは子供の頃から持ち物に合わせて行動パターンを決める性分だったのでしょうか。

「わりと思慮深いほうだったはずなんですけど、大阪へ戻ってきて大人になった頃から『なんとかなるやろ』という性格になった気がします」


2015年4月岸和田競輪場で初めての競技場バンク走行会(画像提供:森本保乃花さん)



日本人女性初!? キャノンボールに挑戦して大阪~東京間を22時間55分で走破

初レースで優勝しても、競技レベルで自転車に取り組もうとは思わなかったという森本さん。しかし、トライアスロンをやっている知人を通して競技チームを紹介されたことから、誰かと一緒に走る楽しさを覚えたため、本格的に取り組んでみようという気持ちに変わっていったそうです。


そして、森本さんの自転車ライフを語るときに外せないのが、3度に渡る「キャノンボール」の挑戦です。


大阪市道路元票から2度目のキャノンボールに出発(画像提供:森本保乃花さん)


「キャノンボール」とは、大阪の梅田新道交差点にある大阪市道路元標と、東京の日本橋にある日本国道路元標の間を、24時間以内で走り切るチャレンジのことです。最初の成功者は1969年、大阪から出発して23時間40分で完走した22歳(当時)の男性でした。


このキャノンボールに、森本さんは3度挑戦して、2度完走しています。


「初めて挑戦したのは2018年12月です。箱根を越えたあたりから雨がポツポツ降り始めて、横浜で雨足が激しくなってきて断念しました。時間的に、24時間以内のゴールが難しくなっていたこともあります」


2度目の挑戦は、2019年4月でした。


東京を目指して20時間以上も自転車を漕ぎ続けながら、休憩はとれるのでしょうか。

「休憩は、ゴールまでにコンビニで4~5回。店へ入る前に駐車場やレジをパッと見て、誰もいなかったら、まずトイレへ行きます。買うものも決めています。5つ入りのパンだけ、さっさと支払いを済ませて、すぐ出発しました」


時間勝負なので、トイレ、買い物、水分補給だけで、必要最小限のことしかしないそうです。


「おにぎり1個ぐらいは食べてもいいというルールは、自分の中に一応あったんですけど、そうなると昆布にしようかな、ツナにしようかな、梅にしようかなって迷いが生まれて時間をロスしてしまうから、そういう邪念が生じないようにパンを買うって決めました」


5つ入りのパンは、1個当たり約100キロカロリーだそうです。それを20分おきに1個ずつ食べて、カロリー補給をしながら走り続けるのだとか。

「信号待ちで止まったときに、サッと取り出して食べます。食べている最中に青信号になったら、口にくわえたまま走り出すときもあります(笑)」


つまり、ゴールするまでは、普通に食事を摂ることはないということです。もちろん、仮眠をとることもありません。


そんな過酷な道中は、どんなことを考えているのでしょう。

「20分経ったからパン食べよう。次はジャムにしようとか、餡子にしようとか。景色を楽しむ気持ちの余裕はあります。静岡だったら、富士山を見て『きれいだなぁ』って思いながら走っています」


カロリー補給とともに大事なのが、水分補給です。

「750mlボトルを2本車体に装着していて、コンビニに着いたとき補給します。基本的に2本しか携行しません」

途中で足りなくなると大変ですが、用心しすぎて携行量を増やしたために重くなっても、タイムに影響してしまうからでしょう。


2021年10月19日東京の日本国道路元票にゴール(画像提供:森本保乃花さん)


長い行程ですから、途中でアクシデントも起こるといいます。

「タイヤのパンクぐらいは、自分で直します」

パンク修理の道具類は必携だとか。


あるいは、予想もしなかったことが起こることもあります。

「2度目に挑戦したときの行程で、夜の8時くらいだったかな、ハンドルを握る手に、不意に鳥の糞がついたんですよ」

あたりは暗いため、鳥の種類までは判別できなかったそうです。


「走りながら考えたんです。コンビニへいって手を洗っても、ハンドルは洗えない。だったらガソリンスタンドへいこうと」

そうして、ガソリンスタンドへ滑り込んだ森本さん。スタッフに事情を話すと、ホースで水をかけて洗ってくれたそうです。


このとき鳥に糞をかけられたことが、かえって森本さんのモチベーションを上げることになったといいます。

「疲れ切ったタイミングで起こったこともあったのか怒りを覚えて、鳥の糞ごときで断念してたまるか。しかも道すがら、おいしそうなハンバーグのお店があるのに食べられないし、なんでこんな辛い想いをしてるんだ。これは絶対に走り切ってやるんだというエネルギーが湧いてきましたね」


そして2019年4月21日、キャノンボール2度目の挑戦は、23時間45分で完走。それから2年半後の2021年10月19日、3度目に挑戦して22時間55分で走破しました。


ちなみに、日本人女性でキャノンボールを完走したのは、森本さんが初めてだそうです。

「SNSで『私やりました!』って公表している人の中では、おそらく最初です」


ちなみに、2度目の挑戦で初完走したあと、森本さんはさらに120km先の「ひたちなか海浜公園」まで足を延ばして観光したそうです。


キャノンボールを初完走後さらに120km足を延ばして「ひたちなか海浜公園」へ(画像提供:森本保乃花さん)



「レースに出るのはあと数年かな」……でも自転車には携わっていきたい

キャノンボールのキャノンは「大砲」、ボールは「弾丸」を意味するそうです。大砲の弾のごとく、まっすぐ突っ走るイメージのチャレンジです。でも森本さんは、過酷なチャレンジやレースにばかり取り組んでいるわけではありません。


「旅が好きで、トータルで日本1周しているんですよ」

たとえば四国で「このお寺へいきたい」「あのお城を見たい」「水族館もいきたいな」と思ったら、泊まる宿も含めて、訪れたいポイントをつなぐコースを考えて計画を立てるそうです。


「走る距離が日によって極端に違ったらしんどいので、1日あたりの距離がだいたい同じになるようにします。宿を予約して、その日走るノルマはこなさないといけないという感じで計画します」


そのようにして沖縄、中国地方、あるいは東日本を走り抜ける旅をして、トータルで日本を1周したことになるのだそうです。


2017年7月に四国をロードバイクで一人旅「名勝・鳴門碑」付近(画像提供:森本保乃花さん)



富士ヒル(レース)には参加しないが雨の中を登った(画像提供:森本保乃花さん)


森本さんに、今後のことを尋ねてみました。

「年齢を考えると、今みたいなペースでレースをガツガツやっていけるのは、あと数年かなと思っています。そのあとは、サイクリングを楽しみたい。将来結婚して子供ができたら、車に自転車を積んでいって、着いた先で子供と一緒にのんびり走る……みたいなことを、ぼんやりと考えています」


今携わっているミッションアプリ「DIIIG(ディグ)」(運営会社:株式会社DIIIG)で、サイクリングミッションプロデューサーを務める森本さん。


たとえば、三重県伊賀市と上野市では、サイクリングコースに設けられたチェックポイントですべてのミッションをクリアすると、完走証とご当地グルメがもらえたり、コースの途中に設けられたスポットで地元産の商品をスマホでお取り寄せできたりするそうです。安全に楽しく走れることはもちろん、アプリとイベントを連動させて、地域おこしにも貢献できるサイクリングコースの開発と監修に携わっています。


このような仕事に、森本さんの「自転車乗り」としての経験と知見が、上手く活かされているといいます。


森本さんの仕事はサイクリングコースの開発と監修(画像提供:株式会社DIIIG)


現在、北海道と九州にはDIIIGが携わっているサイクリングコースはありませんが、今後は増やしていく予定だとか。


エコで健康的な旅の手段としてサイクリング人口が増えると、森本さんが活躍する機会も増えそうですね。



■ 森本保乃花さん


Instagram

@tarohono


Twiiter

@honotaro_


ブログ

ほのたろー伝説

ameblo.jp/hono-tarou