これまで訪れた銭湯は1026軒。大阪のみならず、出張で訪れる町の銭湯にも入るため、入浴セットは必携という漫画家のラッキー植松さん。年々減る一方の現状を憂い、銭湯の魅力を漫画に描いて発信し続けています。



銭湯マップを携え、今日はあの町、明日はこの町、地図にない銭湯を発見することも。

子供の頃、銭湯へ行く楽しみといえば、お風呂上りに飲むフルーツ牛乳。当時はガラス瓶で売られていて、ショーケースから自分で取り出して番台のおばちゃんに代金を支払うシステムでした。そしてなぜか片手を腰に当てて、仁王立ちのスタイルで一気飲みするのが、子供たちの間でスタンダードになっていました。火照った体に、キンキンに冷えたフルーツ牛乳を流し込む。まさに至福のときでした。そんな下町の情緒を象徴する銭湯が、すさまじい勢いで数を減らしています。


ラッキー植松さんの手元に、大阪府浴場組合が発行した「大阪お風呂マップ」という冊子があります。大阪府下で大阪府浴場組合に加盟している銭湯を地図で示した、銭湯ガイドブックです。ページを開くと、ほとんどの銭湯に蛍光ペンで線が引かれています。そこはラッキーさんが入った銭湯だそうで、大阪府内の銭湯はほぼ制覇したように見えます。


「これに載っているのは組合に加盟している銭湯だけです。加盟していない銭湯もあります」

インターネットのない時代は、この地図を頼りに銭湯めぐりを楽しんでいたというラッキーさん。

「街を歩いていて、地図に載っていない銭湯を発見することもあります」

また、出張したときは当地の銭湯に入ることが楽しみなので、入浴セットは必携アイテムだとか。2022年10月22日現在、大阪府以外の銭湯も含めると1026軒の銭湯に入ったといいます。


ところで、地図にバツ印をつけているのは、もしかして印象が悪かった銭湯かと思いきや「それは、廃業した銭湯です」とのこと。後継者不足や経営不振などの理由で、廃業してしまう銭湯が相次いでいるのだそうです。そういわれて、あらためてページに目を移すと、廃業した銭湯のあまりの多さに言葉を失いました。


大阪府公衆浴場業生活衛生同業組合が公開している「一般公衆浴場(大阪府)の現状について(令和2年11月2日)」によると、大阪府下の公衆浴場(銭湯)は昭和45年(1970)の2346軒をピークに年々減り続け、令和元年(2019)には346軒と、ピーク時の約7分の1まで減っています。全国的に見ても、銭湯は減る一方なのだそうです。


参考:「一般公衆浴場(大阪府)の現状について」

https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/5899/00139549/yokukumiai1.pdf


親子3世代で背中の流しあい(画像提供:ラッキー植松さん)


減り続ける中で、銭湯の有用性が見直された出来事がありました。

「1995年の阪神淡路大震災で、停電したりガスが止まったりして、おうちの風呂が使えなくなりました。あのとき銭湯の存在が見直されて、どこに銭湯があるのか情報を網羅したものがあったら便利だろうと、震災の翌年に『大阪お風呂マップ』が発行されました」


ラッキーさんは「大阪お風呂マップ」を入手し、入った銭湯に蛍光ペンで印をつけて、短い感想を書き加えるようになりました。

「そういうことをし始めると『ここにもある』とか『ここも行かなければ』っていう感じで楽しくなってどんどんはまっていきました」 


では、さぞかし昔からお風呂好きだったのだろうと思ったら、ラッキーさんの口から意外な言葉が出ました。

「じつは、若い頃はお風呂が嫌いだったんですよ」


アントニオ猪木さんを偲び地元の画廊で開催した「ラッキー植松闘魂作品展 Lucky Suplex’22」でのラッキー植松さん



銭湯に通い始めたきっかけは必要に迫られたから

ラッキーさんは、大阪市東住吉区で生まれました。家風呂がまだ珍しかった昭和30年代の半ばでしたが、わりあい早くからお風呂があったそうです。でも入浴は嫌いだったとか。

「面倒くさかったのと、反抗期のせいもあったかな。風呂に入らないと親に怒られるから、仕方なく入っていた感じです」


そんなラッキーさんですから、わざわざ銭湯へ行こうという発想はありませんでした。銭湯へ行き始めたのは、20代の半ば頃に転居したことがきっかけでした。

「生野区に住んでいた祖父母を、介護のために自宅へ引き取ったとき、入れ替わりに祖父母が住んでいた家で独り暮らしをすることになったんです」

そこは古い長屋で、お風呂がありませんでした。子供の頃は、祖父母の家に遊びに行ったら銭湯へ連れて行ってもらったことがあるそうですが、銭湯通いが生活の一部になるのは初めてのことでした。


そのような事情で、必要に迫られて銭湯通いを始めたラッキーさん。あることに気づいてから、心境が変わり始めたといいます。


銭湯はコミュニケーションの場でもあった(画像提供:ラッキー植松さん)


「生野区って、大阪市の中でも銭湯が多い地域です。ふだん利用している銭湯からちょっと歩いただけで、また別の銭湯があるんです。いつもの銭湯が休業だから今日はあっちの銭湯へ行ってみようとか、夜遅くなったけど向こうの銭湯はまだ営業しているとか、あっちこっちの銭湯へ行くようになったんですよ」


いろいろな銭湯へ入ってみると、それぞれに違いがあることにも気づいて、だんだん興味をもち始めました。そして気が付くと、銭湯めぐりをするようになっていたのだそうです。


「まだネット情報がない時代ですから、行き当たりばったりで風呂をみつける感じでした。あるとき生野区で『こんなところに風呂屋があるわ』って偶然に見つけて、後日行ってみたらシャッターに貼り紙がしてあるんです。2~3日前に廃業したと。そのとき初めて、銭湯ってなくなるんやなと気づいたんです」 


失われつつある銭湯の風情(画像提供:ラッキー植松さん)


今ならネットで情報を検索できるため、行ってみなくても廃業や休業の情報が入手しやすくなりました。でも以前は、行ってみたら休業日。仕方がないから地図で近くの銭湯を探して行ってみたら、そこもまた休業日。そういうことが3軒連続あって、4軒目でやっと入れたこともあったそうです。

「いちばんショックだったのは、目的の銭湯にたどり着いたら解体工事の真っ最中だったときですね。崩された瓦礫の隙間から、空しく剥き出しになっているタイルが見えたときは、愕然として膝から崩れ落ちそうになりましたね」



銭湯を専門に描いているつもりはないけれど銭湯文化を応援したい

大阪芸術大学映像計画学科を卒業してから3年ほど経った頃に、ラッキーさんは漫画家デビューしました。

「週刊少年マガジンに、読み切り漫画が掲載されました」

しかし連載には至らず、その後は広告媒体で描いたり展示会を開いたりしていたそうです。


一方で、銭湯にはますます興味をもっていきました。

「その頃はまだ、単なる銭湯ファンとして行ってたんです。今もそうですけど、銭湯ってどんどん減っていってしまうんですよ。なにか応援できないかなと考え始めていました」


ならば、絵を描いて銭湯をアピールしようと、銭湯ファンが銭湯を応援する「銭湯文化サポーター's」に参加して、応援イベントのために銭湯をテーマにした漫画を描き始めたラッキーさん。やがて銭湯をテーマにしたエッセイの仕事が入るようにもなりました。


ラッキーさん著「なにわ銭湯いろはカルタ読本」にも収録されている作品(画像提供:ラッキー植松さん)


「銭湯の店主さんは一国一城の主で、僕らが『応援したい』といってイベントの話をもっていっても『放っておいてくれ』と相手にされないことが多かった。でも僕らは、銭湯がなくなってほしくないから、勝手に応援する。そのうち銭湯の経営者が代替わりして息子さんらが継いだら、僕らの活動を面白がって一緒に協力してくれるようになってきました」


ラッキーさんのほかにも絵を描く仲間がいて、脱衣場に作品を展示するだけでなく、濡れても画材が滲まないようにラミネート加工して浴室にも展示するなど、作品の見せ方にも趣向を凝らしたといいます。作品を展示するほかにも、銭湯のオーナーが主催して脱衣所で音楽ライブが実施されたこともあるそうです。


「イベントをやったからといって、お客さんが増えるわけじゃないでしょうけど、銭湯文化を守ろうと応援している人がいることは認知されてきました」

銭湯を応援する側にも、やや変化が表れてきました。若い人が銭湯の魅力に気づいて、一緒に応援する側に加わっているそうです。


ラッキーさんにとって「良い銭湯とは?」と尋ねてみました。

「基準が難しいですね。今も毎日どこかの銭湯には行くんですけど、基本的にその日の気分で、今日はあの露天風呂でゆっくりしたいなとか、今日は人が少ないところでゆったりしたいとか。だから日の気分で、行く銭湯が変わるんです」

つまり、その日の気分に合った銭湯が「良い銭湯」ということでしょう。

「逆にいうと、そうやってあちこち選べるのが銭湯巡りの面白いところです。『私のお風呂は町のあちこちにある』ということです」


ただ、お気に入りの銭湯を強いて挙げるなら、1軒あるといいます。敢えて店名を伏せますが、お湯の温度がおそらく大阪でいちばん熱いとか。

「お湯と水風呂に、交互に入るんです。温冷交互浴という入浴法で、めっちゃ気持ちいいんです。 医学的な根拠は知りませんが、体感として全身マッサージ効果と、お肌にいいみたい」


今も銭湯通いを毎日続けているラッキーさんですが、ふだんは自宅から自転車で移動できる範囲を、その日の気分でチョイスしているとか。また、昔のようにフラリと訪ねることはしなくなり、事前にネットで調べてから行くそうです。


銭湯娘(画像提供:ラッキー植松さん)



ラッキーさんは美人画も描く(画像提供:ラッキー植松さん)


ラッキーさんの活動は現在、認定NPO法人・高齢者大学校で似顔絵、専門学校で漫画、文化サロンで似顔絵、高校のクラブでイラストを教えるほか、展示会に出品する作品の制作をしています。


今後の展望を尋ねてみました。

「ブログを始めるときに、何か目標があったほうがいいだろうと、銭湯(せんとう)にちなんで1010軒入ることを目指したんです。そのときは『そんなに入れるかな、遠いなぁ』と思っていたんですが、2019年12月13日に到達しました。目標を達成してしまったので、どうしようかなと次の目標を探しているところです」


ブログを始めたとき、すでに300軒ほどの銭湯に入っていたといいます。ライブドアブログのいちばん古い記事をたどると2005年5月28日ですから、2019年12月までの14年半で700軒以上の銭湯を訪れたことになります。それをさらに1026軒まで増やしていますから、きっとこれから先も増え続けるでしょう。


30年来のプロレスファンでもある(画像提供:ラッキー植松さん)


余談ながら、ラッキーさんは30年来のプロレスファンでもあります。今年10月1日、アントニオ猪木さんの訃報を知ると、11月初めに開催予定だった個展のテーマを急遽プロレス関連に変更し、アントニオ猪木さんの死を悼みました。



ラッキー植松さん


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ブログ「楽喜的銭湯楽園生活」

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