エフエムひめ局長・本庄強さん


「エフエムひめ」局長の本庄強さんは元芸人。40歳を過ぎて芸人をやめ、芸能プロダクションや広告代理店の経営を経て、親族から譲り受けた空き家を改装して2019年に「エフエムひめ」を開局。


ラジオをやるつもりはなく、たこ焼き屋を始めるつもりで空き家を改装したそうです。それがミニFM&インターネット放送局になった経緯と現在の想いを聞きました。



パーソナリティが放送枠を買い自分の番組を制作して放送する

下町の雰囲気が残る大阪市淀川区の住宅地に、ミニFM&インターネット放送局「エフエムひめ」があります。


ミニFM局とは、微弱なFM波を使って放送するラジオ局のことで、放送範囲はせいぜい半径100メートル程度。放送免許が要らず、機材さえあれば誰でも始めることができます。ネット配信を併用して、事実上の全国放送が可能です。


住宅街でひときわ目立つエフエムひめ(画像提供:エフエムひめ)


局長の本庄強さん(49歳)は、吉本総合芸能学院(New Star Creation=NSC)11期生の、元芸人さん。同期には中川家、陣内智則さん、ケンドーコバヤシさんらがいます。


「エフエムひめ」局舎の外見は、スカイブルーの壁がひときわ目立つ2階建て住宅。勝手口から入って急な階段を上るとスタジオがあります。

「すべてDIYで、自分がつくりました」

放送機材は、伝手(つて)をたどって譲ってもらったものと、前から本庄さんが所有していたものを利用。音楽を流したりミキシングをしたりする機能を備え、番組の録音や生放送ができるようになっています。


番組パーソナリティは、芸人やミュージシャンを目指す若者、役者、介護士、主婦など、職業も年齢もさまざま。パーソナリティが放送枠を1時間あたり1000円で買い、自分のコンセプトで番組をつくって放送するのが基本だそうです。


取材に訪れた日は、インディーズのお笑いコンビ「飛び抜けて視神経」が番組の録音を行っていました。


パーソナリティ自らミキサーを操作しながら番組を制作するブース


2人は今年30歳になる男性で、「お舟ちゃん」はイラストレーターと舞台美術の仕事をしています。「こだま」君は、なんと僧侶だとか。和歌山県にある実家がお寺だそうです。外見のことをいっては失礼ですが、お舟ちゃんはスリムでこだま君はぽっちゃり体形の、典型的な凸凹コンビです。


せっかくなので、なぜ「エフエムひめ」で番組をもつようになったのかを聞いてみました。

「広告掲示板のジモティで、ラジオパーソナリティ募集の告知を見たのが最初です」(お舟ちゃん)

それは本庄さんが出した告知でした。

「相方のこだま君に相談するより先に、本庄さんへ連絡しました。そうしたら『すぐ来て』と返事をいただいて、こだま君を連れてきたというわけです」

これこそミニFM局ならではの、小回りの良さでしょう。2人は今年4月から週に1度、1時間枠の番組をもつことになりました。


収録が終わったらすぐ編集


番組のコンセプトを尋ねると、お舟ちゃんが間髪を入れず「こだま君のリハビリ」と答えました。

「この人(こだま君)は30歳までアルバイト経験なし、恋愛経験なし、まともに人と喋ったこともない、ネタも書かないんです。だから、こだま君を社会参加させるためのリハビリです」

お舟ちゃんは日頃から、こだま君に「とにかく、喋ってくれ」と発破をかけているといいます。

「番組の中での僕との掛け合いが、こだま君にとってコミュニケーションの訓練なのです」


番組をやり始めて4~5か月経ち、リスナーからの反響はどうなのでしょうか。

「はじめは、Twitterで『おもしろい』とコメントしてくださる方がいたんですが、ちょっとずつ減ってきました」 「初めの頃のコメントも数えるほどで……」(こだま君)

「こだま君を喋らせないときのほうが、リスナーの反応が良いです」(お舟ちゃん)

思わず「アカンやん」とツッコミそうになったとき、本庄さんが「でもね、僕はこの2人を面白いと思ってるよ」と、優しくフォローしていました。


ここに1人1000円を入れてブースに入る



阪神淡路大震災の経験から防災情報の重要さを痛感した

3人兄弟の末っ子に生まれた本庄さんは、母親に厳しく育てられたといいます。 

「戦時中に祖父は、満州で従軍していました。復員してきたときは、まるで人が変わったように厳格な性格になっていたそうです」

過酷な軍隊生活が祖父の人格を変えてしまったのでしょうと、本庄さんは振り返ります。

「その祖父に育てられた母ですから、私たちにも厳しく当たるわけです。父は物静かな人でしたけど」

今なら児童虐待で児童相談所へ通報されかねないような折檻を、何度も受けたそうです。


高校を中退した17歳の頃、本庄さんはNSCの存在を知ります。これが大きなターニングポイントになりました。

「吉本興業へ電話をかけて、問い合わせました。どこかに勤めて定年まで働けば、それなりの給料をもらえたかもしれません。でも自分の中に冒険心みたいなものがありました。芸人の世界って、未知数じゃないですか。そのときは若気の至りだったかもしれませんけど、やってみたいと思ったのです」

NSCを卒業した後は、学園祭や結婚式の司会に呼ばれることが多かったそうです。


一方で、自分がやりたいネタと吉本の舞台を見に来るお客さんのニーズとの間にギャップを感じるようになり、吉本を辞めてフリーになりました。その後、電話帳に載っている全国の放送局へ片っ端から電話をかけて自分を売り込んだり、プロデューサー業や広告代理店をやったりして生業としていたとき、母方の叔父が亡くなります。

「叔父は生涯独身で子供がいなかったので、亡くなった後は西淀川区の姫島(ひめじま)に先祖代々受け継いできた土地と家だけが残りました。そこを僕が管理を兼ねて自由に使っていいことになったのです」


その家には広めの土間があって、片づけたら店舗にできそうでした。

「たこ焼き屋をやろうと思って、きれいに掃除して、ホームセンターで材料を買ってきて自分で店舗をつくったんです。さあ、これで開店できるぞと思ったら、保健所の検査を受けないといけない。それを知らずに店をつくったから、合格基準を満たしていなかった」


結局、たこ焼き屋の開店を断念した本庄さんは、次の手を考えました。

「芸人時代はラジオもやっていたことを思い出して、ここでラジオをやろうと。ミニFM局は免許が要らないから、誰でもできるんですよ」


最初のエフエムひめはこの家を改装して開局した


たこ焼き屋のつもりでつくった店舗を、再び手作業で改装。もともとイベント用に所有していた機材と、知人から譲ってもらったパソコンを利用して、ラジオ局の体裁を整えました。番組に出てもらうパーソナリティは、路上ライブで歌っているミュージシャンの卵をスカウトしたり、知人に「ラジオに出ぇへんか?」と声をかけたりして集めたそうです。


こうして2019年5月、ミニFMとインターネット配信を行う放送局として「エフエムひめ」が産声をあげました。局名の「ひめ」は、開局した場所の「姫島」に由来しています。

「最初は火曜日だけの放送でした」


本庄さんが当時から考えていたのは、番組の中に防災と防犯の情報を必ず入れることでした。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災で、芸人仲間を亡くされた本庄さん。ボランティアで瓦礫の撤去や家屋の解体作業を手伝ったそうです。


その当時、避難所で経験したことが、ひとつのきっかけになっているといいます。

「夜中にみんなが寝静まっているときでも『○○町の△△さん、おられますか?』って、拡声器を使って平気で呼びかけがあるんです。『うるさいわ!』と文句をいう人もいましたけど、他に手段がないのです」

せめて地域限定でもいいからラジオがあれば、夜中に拡声器で呼び出す必要はなくなるはず。そのときの想いが、ミニFM局から防災情報を流そうという発想につながりました。


台風が接近しているときは本庄さんが局に詰めて、淀川や神崎川の水位や雨量など地域に密着した防災情報を伝え続けることから、「エフエムひめ」は「淀川防災ラジオ」という愛称でも呼ばれています。


「エフエムひめ」が開局して間もなく、不動産の所有権に関して兄嫁から異議が出て、本庄さんは退去を求められました。問題は、裁判にまで発展。結局本庄さんが明け渡すことになり、2021年4月に現在の場所に移転してきたのだそうです。


2019年5月エフエムひめ開局



電波は半径100メートルの範囲しか出せないけれどネットも同時配信で事実上の全国放送

今は「エフエムひめ」の運営に専念しており、広告代理店やタレントのプロデュース業はやっていないという本庄さん。これからミニFM局を始めようとしている人に頼まれて、技術提供に赴くこともあります。


また、世の中には電波マニア(?)がいて、愛知県や千葉県から「受信報告書」が届くことがあるといいます。受信報告書には、番組を受信した日時、場所、聞こえた番組名などが記されています。

「もちろん、愛知県や千葉県で聞こえたということではありません。高性能ラジオを携えて、わざわざこの近辺までやってきて、電波がどこまで受信できるか確かめることを趣味にしている人たちがいるんです」


受信報告書を受け取ったラジオ局は、ベリカードという返礼を送るのが慣習になっているとのこと。電波マニアは、ベリカードのコレクターでもあるそうです。


エフエムひめのベリカード(画像提供:エフエムひめ)


「エフエムひめ」では番組のネット配信もしているので、事実上の全国放送といえます。それでもわざわざ電波を捕まえるために、遠くからやって来る人がいるというのは、新鮮な驚きでした。開局当時は火曜日だけの放送だった「エフエムひめ」は、今では1週間を通して放送しています。


本庄さんは、とくに若手の芸人やアイドルに協力的な印象です。彼らが世に出る足掛かりをつくるために番組枠を安く提供し、機材の使い方を教えたら、番組のコンセプトも制作も当人に任せているのだそうです。


これから売り出すアイドルの卵たち(左奥、白シャツ黒マスクの女性はプロデューサー)


ご自身もかつて芸人だった経験から、彼らにはとにかく「知ってもらう場」が必要だと熱っぽく語る本庄さん。取材に訪れた日も、これから売り出すというアイドルの卵が、プロデューサーに伴われて訪れていました。


阪神淡路大震災で友人を亡くした苦い経験を教訓に、地元の人たちが今すぐほしい防災・防犯情報を提供する一方で、若手の芸人やアーチストらにFMラジオで表現の場を提供する本庄さん。


「エフエムひめ」にパーソナリティとして参加しているメンバーは、約60人いるそうです。この中から将来、メジャーになっていく人材がいるかもしれませんね。



■ エフエムひめ(本庄プロモート)


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