「なんか変やけど、めっちゃ面白い」

紙芝居屋のガンチャン・岩橋範季さんのホームページを開くと、最初に出てくるフレーズです。


軽妙な語り口と意表を突くお笑いのツボ。オリジナルのストーリーで観客を引き込んでいく話術。紙芝居はまさに総合芸術だと実感します。



脚本を勉強するために上京したガンチャンは金沢でピザ屋さんの店長になった……!?

大阪市西成区の天下茶屋(てんがちゃや)という下町で、一般社団法人・社会の窓社を営む紙芝居屋のガンチャンこと岩橋範季さん(42歳・以下、ガンチャン)は、紙芝居だけで生計を立てているプロの紙芝居師です。


これまでに制作した紙芝居は、300作品を超えるといいます。社会の窓社には「ヨンタクロース」「意味なし芳一」「マッチョが売りの少女」など「なんだか面白そう」と興味を引く作品がズラリと並んでいます。


社会の窓社の壁際にズラリと並ぶ紙芝居


子供の頃から、ストーリーをつくることが好きだったというガンチャン。初めて正式につくったストーリーは、大学受験の課題でした。

「芸術系の大学で、脚本をつくる課題でした。テーマは自分をアピールするもので、10分~15分くらいのストーリーです。内容はあんまり憶えてませんが、星新一さんの作風に寄せて、最後にどんでん返しがあるような感じ」


大学は映像学科で、シナリオをつくったりデッサンをしたり、カメラ、動画編集、音楽など、映像制作に関することを学んだそうです。

「今は動画もデータですけど、僕らの頃はビデオテープで編集した最後ぐらいの世代じゃないかな」


映像学科を選んだのは、脚本家を目指していたからだといいます。

「小説は、字をたくさん書かないといけないじゃないですか。脚本は、小説ほどたくさんの字を書かなくていいかなと思ったんですね(笑)」

将来の職業を決めるときに“文字数”を基準に選択するという、きわめて珍しい例ではないでしょうか。


大学を出た後、ガンチャンは本格的に脚本を勉強するために上京します。脚本スクールに通いながら生活費を稼ぐため、ピザ屋さんでアルバイトを始めました。


脚本の勉強に専念するため、ピザ屋さんをいったん辞めた時期もありましたが、辞めた店から「金沢に新店を出すから、手伝いにいってくれないか」と頼まれたガンチャン。その依頼を引き受けました。

「ちょっと行くぐらいやったら面白そうかなと思って。25~26歳くらいのときだったかな」

金沢の店をしばらく手伝って、いったんは東京へ戻ったガンチャンに、再び金沢行きが打診されました。

「金沢の店長が退職するから、その後任にどう?みたいな話でした。店長ができるなら面白そうやなと思って、今度は正社員として研修を受けて金沢へいきました」


ところが金沢は、宅配ピザの激戦地でした。交通の便が良くないうえに、冬はあまり外へ出かけないため、宅配ピザがよく売れるのだそうです。既存のピザ屋さんが顧客を奪い合っている地域で、ガンチャンが勤めていたピザ屋さんは新規参入でした。割り込んでいくのに苦労したといいます。しかも店長業務ができるのはガンチャンだけだったので、仕事は多忙を極め、長時間労働を強いられました。


「社員は僕だけで、他のスタッフはほとんど学生のアルバイトです。業務を代行できるスタッフを育てても、卒業したら辞めていくんですよ」


そんな中、やっと店長業務を任せられるスタッフを育てたと思ったら、店の売り上げの一部を盗んで姿を消すという事件が起こります。

「レジの金額が合わないことから盗られたことに気が付いて、犯人もすぐに分かりました。本社からは『警察だけは勘弁してあげて』という温情があったのですが……」

当然そのスタッフは解雇したので、ガンチャンは相変わらず忙しいままでした。

「休みがないし、脚本の勉強をする時間も取れない。体力もしんどかったけど、それ以上にメンタルがきつかったですね」


間もなく、ガンチャンはピザ屋さんを退職して、大阪へ戻りました。

「それが2008年か2009年頃でした」




ハローワークでみつけた「紙芝居師募集」のオーディションに落ちて師匠の内弟子に

大阪へ戻ったガンチャンは、脚本家になる夢を諦めていませんでした。学びながら働ける仕事を探すため、ハローワークを訪れます。思い返せば、このとき見つけた求人が、ガンチャンのその後を変えることになりました。


〔紙芝居師募集・月給13万円〕の募集に目が留まったガンチャン。京都で活動する紙芝居の一座とアパレル系の企業がコラボして紙芝居を事業化するにあたり、紙芝居師を募集するというのです。


ガンチャンはこの求人に応募し、オーディションを受けました。

「オーディションでは、黄金バットを即興で演じました」

しかしその後、合否の連絡がありません。

「あんまり待てないので、電話をかけて尋ねてみたら『とりあえず来てください』と」

あとで分かるのですが、ガンチャンがオーディションを受けたときは、すでに採用枠の3人が決まっていたそうです。


社会の窓社の玄関


「具体的にどんな形で運営されるのか、形がはっきり決まっていない印象でした。とにかく一座を立ち上げるから、メンバーを集めようとしていたのでしょう。中崎町(大阪市北区)にオーディションの落選組を何人か集めて、紙芝居講座みたいなことを週に1回やっていたので、それを受けていました」


東京でオーディションが行われるときは、ガンチャンがドライバーを頼まれることもありました。車の中で師匠や師匠の息子さんらの紙芝居談義を聞いているうち、しだいに紙芝居の面白さに目覚めていったそうです。


そしてまた、波乱が起こります。コラボする予定だった紙芝居一座とアパレル系企業が、意見の相違から袂を分かつことになったのです。

「月給13万で採用されていた3人のうち2人はアパレル系企業へいって、もう1人と僕が一座のほうへ残る格好になりました」


こうしてガンチャンは、気がついたら紙芝居一座師匠の内弟子になっていました。

「無給でアルバイトもしませんでしたけど、ごはんは食べさせてもらえましたから困ることはなかったです。一座の雰囲気もアットホームでした」


紙芝居はどんな稽古をするのか尋ねてみると「師匠から稽古をつけてもらったのは、1回だけです」とのこと。稽古らしい稽古はなく、師匠や兄弟子が演じているのを見て、喋り方やお客さんとの掛け合いを憶えるというものでした。


作風の一例・『ももももももたろう』(2017年・ガンチャン制作)


そんな日々を送りながら、ガンチャンはひとつの現実に気づき始めたといいます。

「師匠には息子さんがおられて、ほかに兄弟子たちもいました。その人たちと同じポジションに立てそうになかったのです」

つまりレベルアップできそうにないことに気づいて、弟子修業に入って半年ほど経ったとき、一座を辞めることにしました。


無給でも賄いだけは付いていた生活から、賄いもなくなりました。たちまち困窮したはずですが「そのへんは、あんまり深く考えてなかった」というガンチャン。

「2009年に一座を辞めて、またピザ屋さんでアルバイトしました」


実際にはそうとうな苦労を味わっているはずですが、ガンチャンは「苦労は憶えていないんですよね」といいます。苦労を語りたくないというよりも、気持ちの切り替えが早いのかもしれません。


作風の一例・『メリー栗栗栗スマス』(2021年・ガンチャン制作)



独立後5~6年はアルバイトをしながらイベントや公園まわり

師匠のもとを離れて、紙芝居師として独立したガンチャン。紙芝居は構成、脚本、作画、演者を独りでこなす総合芸術です。そういう意味では、脚本家になる夢を、紙芝居という形でかなえました。


師匠のもとを離れた直後には、通天閣で有名な新世界でのイベントに参加したり、昔ながらの公園まわりのスタイルで子供たちを集めて演じたりしたこともあるそうです。


「あるとき、mixiの掲示板を見た人から、結婚披露宴で新郎新婦のストーリーを紹介する紙芝居の制作を頼まれました」

新郎新婦のなれそめから結婚に至るストーリーを紙芝居にして、披露宴会場で演じてほしいといいます。


それ以後、ガンチャンの紙芝居を知った人から人へとつながって、企業の社員研修のための紙芝居や、防災意識を啓発する紙芝居などの制作と公演の依頼が少しずつ増えました。

「たとえば化粧品会社で、販促ツールに使われることがあります。あるいは企業のイベントで演じたら、モニターで動画を流すより面白いし印象に残るじゃないですか」


海外の子供たちに紙芝居の魅力を伝える(画像提供:ガンチャン)


ときには公演が終わった後に「今度イベントやるから、紙芝居をやってくれないか」と、主催者から直接声をかけられることもあるといいます。もちろん“面白いこと”の探求心は衰えておらず、オリジナルの制作も行っています。


こうして、日々の暮らしの中で紙芝居を演じたり制作したりする比率が増えるにつれて、アルバイトを減らしていったそうです。

「アルバイトは5~6年やっていましたね」


今はイベントの出演料や、委託で請け負った紙芝居の制作料などで生計を立てられるようになったそうです。



紙芝居のすそ野を広げるために後進を育てたい

紙芝居の醍醐味は、お客さんとのコミュニケーションだというガンチャン。同じ作品を演じても、お客さんの属性によって反応が全く違うそうです。


「たとえば、子供が見てくれているとします。学校で演じるのと、ショッピングモールで演じるのとでは、子供の反応が違うんです」

学校では周りはみんな友達だから、面白い場面では完全に心を開いて笑ってくれるそうです。ところがショッピングモールだと、両親に連れられていることや周りが知らない人ばかりという環境のせいで、あまり弾けて笑わないのだそうです。


「ですから、最初に心を開放させるプロセスから入ります。それも含めて、お客さんと一緒につくれるのが紙芝居の魅力です」


後進の育成にも取り組むガンチャン(画像提供:ガンチャン)


紙芝居を演じるスキルをもっている人はたくさんいますが、ガンチャンのようにプロとして紙芝居で生計を立てている人は、全国に10人ほどしかいないそうです。ほとんどの紙芝居師が他の仕事をもっていて、休日だけ紙芝居をやる兼業かボランティアだとか。


「面白い作品がなかなか無いのです。委託を受けてつくっていますけど、制作料をいただきます。お金をかけたくなかったら自分でつくればいいのですが、絵が描けないといけない。市販されている紙芝居もあるんですけど、そういうのをイベントで演じてもあまりウケません」


しかし、紙芝居ができるようになりたい人はたくさんいるそうです。ガンチャンも紙芝居のすそ野を広げたいとの想いをもっていて、社会の窓社で後進の育成に乗り出しています。

「今10人くらいいて、20代半ばから60代くらいの人までいます。やるからには、プロとして稼げるようになってほしいですね」


2023年には、小学生が審査員をやる紙芝居グランプリを計画していて、ホームページでも告知されています。

「たとえば小学校4~5年生は紙芝居を好きかっていうと、絶対好きじゃないですよね。『あんな子供っぽいものは見ない』というんです。じゃぁ紙芝居が幼児向けかというと、そうではない。かつては公園に1人で来られる年齢の子が対象でした。ということは、小学校高学年以上がターゲットだったんですよ。だったら、その年齢の子たちが面白いと思えるものを見てもらおうということです。もっといえば、小学校高学年の子が面白いと思うものは、大人が見ても面白いはずなんです」


ワークショップ(画像提供:ガンチャン)


300年前に大阪で発祥した落語は、いまや日本の伝統芸能として広く認知されています。紙芝居も、伝統芸能にまで成長する余地は十分にあるとガンチャンはいいます。


大人からは「子供が見るもの」、小学生からは「子供っぽい」といわれる現状を打破するべく「小学生にいちばんウケる紙芝居を決めたらいい」というコンセプトのもと、令和の新しい紙芝居を目指しているガンチャンです。



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