親の職業は知っている。ただ実際、親が働いているところをこの目で見たことはない。きっと今を生きる多くの人間にとって、親が働く姿というものは空想の世界とほぼ等しいのではないでしょうか。


一方で、やすまる農園を営む安田幹男さん・朋美さん夫妻の一人娘みとちゃんは、両親の仕事を自分の目で見つめています。ときには一緒にお手伝いをすることも。


奈良から朋美さんの故郷へUターンし、香川の山間の集落・小蓑地区で農業に勤しむ家族のライフスタイル、そして農園のこれからを取材しました。



高松市中で暮らし、小蓑へ通う

「最近は朝9時頃にみとを幼稚園へ送り届けて、そこから小蓑で昼過ぎまで農作業といった生活ですね」


やすまる農園の畑があるのは三木町・小蓑地区という香川県と徳島県の県境に近いエリア。この小蓑は朋美さんのおじいさまの生まれ故郷でもあります。


長女・みとちゃん。左に写るのは母・朋美さん。


さて、温暖なイメージが強い瀬戸内・香川とはいえ、小蓑地区はいわゆる高冷地。そのため、香川の海側や平地に比べると、夏でも涼やかで、その分、冬の寒さは厳しい場所です。


また過疎地域で、少子高齢化も激しく 「いま、小蓑地区には子どもが居なくて、小学校や中学校はやってないんですよね」 とのこと。取材当時、幼稚園の最終学年に所属していたみとちゃん。もし小蓑で暮らすとなると、今後の義務教育の面で大きな課題があります。


いま安田さん一家は朋美さんの実家のある小蓑から車で30分程度山を下りた高松市内で暮らしています。つまり、移住して農業に従事するとは言っても、あくまで自分たちの日常生活が問題なく営める範囲で居を構えたというわけです。



小蓑で栽培するということ

そうであるならば、なぜそこまでして、やすまる農園は小蓑での栽培にこだわるのでしょう?


農業従事者が減りゆく昨今では、きっと高松の自宅近くでも農地を確保することもできたと考えられます。また特に小蓑は山間にあるため、農地面積が狭いうえに、そして平地ではなく斜面での栽培が余儀なくされます。つまり、栽培難易度が高く、効率性も低いということです。


このこだわりに対する疑問として、まず返ってきた答えは味の違い。


「やっぱり小蓑の野菜はなんか味が違うと思うんです。たとえば、白菜。実際、奈良に居た時も、小蓑の地理的条件に似た地区の白菜を買ってみたりもしたんですけど、やっぱり小蓑の白菜とは違うなと」


やすまる農園の白菜。取材時はまだ結球途中でした。


朋美さん曰く、甘みはもちろん、口に入れると溶けるような感覚が小蓑の白菜にはあるといいます。


そのおいしさの一因は、高冷地ならではの厳しい霜。ほうれん草もまたやすまる農園では人気の冬野菜です。「ちぢみほうれん草」とも呼ばれるそれは、葉が肉厚にして柔らかく、そして甘い。そうした特徴がお客様にも好評とのことでした。


やすまる農園のほうれんそう


また味以外の回答として挙がったのは、小蓑に暮らす人たちの存在。


「小蓑の人にここで農業やらんか?と誘ってもらったということもあり、最終的には小蓑でやろうと決めました」


実際、香川への移住を検討している段階では、幹男さんが県内の企業に転職するという可能性も少なからずあったといいます。それでも移住前に数回小蓑を訪れ、そして地元の人たちと一緒に農作業を体験。そうした中で、せっかく生まれた縁なのだから、それをおざなりにはできない、大切にしていこうと思うようになったそうです。


そして、現在も地元の人との関係は続いており、土づくりの時期にはトラクターなどの農業機械を貸してもらうこともあるといいます。またそのお返しとして、夫妻が力仕事や地域イベント等に積極的に参加していくこともしばしば。


このように「小蓑地区の人々と支え合ってきたからこそ今がある」と2人は言います。


玉ねぎの植え付けに精を出す、父・幹男さん。



減農薬・減化学肥料を目指す理由

こうして小蓑の地で産声を上げたやすまる農園。やすまる農園で育てる野菜は季節によって様々。夏はナス、冬にはほうれん草を収穫し、秋には春に向かって玉ねぎの準備をします。


また栽培では、できる限りの減農薬・減化学肥料を心掛けているとのこと。一方でこのような栽培方法は思想的なものというよりも、安田さん夫婦の体質を考えての調整、また農園としての立ち位置の模索から生まれてきた現実的な判断だといいます。


「自分の体質的に化学肥料や農薬を使っていると、調子が悪くなることがあるんです。きっと頭よりも体の方が自分の体質を理解してるんじゃないかな」 と朋美さん。


またやすまる農園では、希望者に対して農家体験も受け入れており、これもまた減農薬・減化学肥料の理由の一つ。


「うちの農園の場合、他の農家の畑と違って、子どもが畑に遊びに来るという場面が多い。実際私たちもなるべく土や作物と触れ合ってほしいと考えています」


やすまる農園では、健康そして農園の運営両方を鑑み、自分たちが今できる最善策を日々の農作業で実践しています。



野菜のラベルづくりに隠された願い

そのような畑に遊びに来る子どもたちと行うのは、単なる収穫体験だけでは終わらない農業体験。


「収穫体験とはいっても、イチゴなどでない限り、ナスなんかは子どもからすれば一本収穫したらもう満足なんです。挙句、ナスは嫌いという子もいますしね」


そんな時に考え付いたのが、自作のラベルづくり体験。子どもたちはナスを収穫した後、自分たちで袋に詰め、そこにお手製の商品ラベルを貼りつけます。そうすると、たとえナスが嫌いな子どもでも、おじいちゃん・おばあちゃんへのプレゼントにしようと喜々として作業を進めることもあるようです。


ラベルづくりの様子(画像提供:やすまる農園)


「たしかにナスは嫌いかもしれんけど、そもそもナスがどのように実をつけて、そしてその後どのような作業を経てスーパーに並ぶのか。そうしたことを実際の体験として知る中で、嫌いな野菜でも愛着を持ってもらえるんじゃないかなと。袋詰めしたりラベルも作ったりして、それらも含め農家さんの仕事ってこんな風なんだと知ってもらえれば嬉しいですね」


野菜嫌いの子どもは少なからずいる。それはもちろん致し方ないことではあるけれども、一方でやはり野菜のことを好きでいてほしい。であれば、野菜を食べてもらうということだけにこだわらず、袋詰めのように直接野菜に触れて、野菜を身近に感じてもらえばいいのではないか。


「シンプルにナスの収穫を無限に続ける子、虫取りに夢中になる子、ラベルのお絵描きに没頭する子、おばちゃんがナス好きだからとラベルにまさかのおばあちゃんを描いた子もいました」


こうして子どもたちが完成させてくれるナスはどれもプライスレスだったとのことでした。



ようちえんのみんなと作る野菜

さて、こうして夫婦二人三脚、ときにはみとちゃんも加わりながら、前へと進むやすまる農園。そんな中で、安田さん夫妻はみとちゃんの通う「森のようちえん」でのコミュニティが今のやすまる農園を支えていると語気を強めます。


「幼稚園のスタッフさんだけでなくママさん・パパさんも、私たちの働き方を理解してくださっていて、幼稚園内でお世話になっているのはもちろん、野菜を買ってくれたり、畑でお手伝いまでしてくださったりするんです」


実際取材の前日も幼稚園でつながった保護者たちが農園を訪れ、皆で玉ねぎの植え付けを行ったとのこと。


「みとは今年で幼稚園を卒業するけれど、いまのような繋がりは卒業後も大切にしていければと思っています」


また幼稚園の代表スタッフからはこのような温かい言葉をかけられることも。 

「今時、親の仕事を見ている子なんて少ないよー」

この言葉は、農業というリスクの多い職業の下で子育てを続ける不安を和らげてくれるものだったと朋美さんは言います。


そんな中、実はナスが苦手というみとちゃん。ただ普段は家でナスを口にしなくても、幼稚園でやすまる農園、つまり自分の両親の野菜を振る舞うときは、嫌いなナスを一所懸命に食べるらしいのです。


「きっとメンツで食べてるんでしょう。親の仕事をそばで見てるから。自分のお父さん・お母さんの野菜を今日自分が持ってきてるって。分かってるんですよね、親の仕事を」



昭和の宿「こみの」で出迎える来客

またもう一つ2人が力を注いでいるのが、地域で運営する農家民宿のお手伝いです。農家民宿・昭和の宿「こみの」では、小蓑地区での宿泊が可能なことはもちろん、先のとても新鮮な野菜、そして地元のジビエ料理も振る舞われます。


昭和の宿「こみの」玄関。



昭和の宿「こみの」客室。


「ご宿泊される方の中で畑に興味があるという方がいれば、その季節にできる農業体験をご提案しています」


たとえば、ズッキーニのような夏野菜を一緒に収穫してピザを作ってみたり、使用済み米袋でのエコバック作りなんていう変わり種体験も実施しているそう。 そして特に小蓑での農業体験は、景色も売りの一つ。


「景色がやっぱりいい。実際、あんまり収穫体験に乗り気でなかった人でも、畑からの景色は気にいってくれる人も多くて。私たちの畑があるところは、小蓑中では一番の高台にあるので見晴らしもいいですね」


時期によっては、畑から霧がかかった幻想的な風景が見れることもあるそうです。


畑から見下ろした景色。畑の真ん中でみとちゃんが凧揚げに挑戦中。



「野菜で、心やすまる、体やすまる」

ところで、やすまる農園の由来は、幹男さんがふとつぶやいた「やすまるってええなぁ」という一言から。


農園開業前、夫婦のみならず、様々な人とどのような名前をつけようかと話し合っていたという安田さん夫妻。そのような中でやすまるという響きには、二人の名字である安田の「やす」も入っている。そして何より 「野菜で、心やすまる、体やすまる」 という野菜を通じて2人が提供したい想いを込めることができました。


だからこそ今後も作物を栽培・販売するだけでなく、食べるのはもちろん、野菜にもっと触れ合える場所を提供していきたい。


「誰にとっても身近な畑をやりたいとは前々から思っていて、畑で野菜に触れながら色んな意味でやすまってもらえたら嬉しいです」と朋美さん。


これからのやすまる農園について幹男さんも「なんか大それた目標があるわけやないねん、っていうところです。自分たちができる範囲でできることを続けていけたら」と穏やかに語ってくれました。


取材中、「ひらがなで『やすまる』と書くとなんか柔らかい雰囲気があるでしょ」と仰っていた朋美さん。娘・みとちゃんも、ひらがなで「みと」。最初は漢字を当てようかと思っていたけれど、なんとなくひらがなの方が柔らかくかわいいかもという理由でひらがなのままにしたそうです。


「ここらへんにヤギがいるんだよ」

道中、みとちゃんは筆者にこう教えてくれました。


そして今、この一言で心やすまったことを思い出し、やはりこの農園は3人でやすまる農園なのだろうと筆者は一人納得したところです。



■ やすまる農園

香川県木田郡三木町小蓑地区でナスやたまねぎなどの農作物を生産。また、地域で運営する農家民宿の来客向けに、農業体験を実施。山間の高冷地ならではの朝晩の寒暖差と清らかな水を活かした、安心で美味しい栽培、また誰にとっても身近な畑作りを目指している。やすまる農園の作物については、地元香川のイベント・マルシェなどで購入可能。問い合わせはInstagramから。


Instagram

@yasumarunouen



■ 昭和の宿こみの

小蓑地区山南営農組合の小蓑農泊推進協議会が運営する農家民宿。地域住民と一緒に小蓑の良さを伝えるだけでなく、かまど・五右衛門風呂など、昔の農家の暮らしを味わえる宿として営業中。なお朋美さんが主に宿の受付・接客・ホームページ、SNS発信を担当している。希望に応じて、農業体験も対応可。


Instagram

@kominogurashi