私たちが毎日必ず触れるモノ。それはスマホでも、ペンでもなく「器」です。スマホは時に触れたくもない日があるし、ペンについてはもはや最近使っていないという人までいるかもしれません。それに引き換え、ごはんをよそうお茶碗やコーヒーを飲むマグカップ。私たちはそうしたモノを器と呼び、それがなければご飯も水も口にすることはできません。つまり、我々の生活は器なしでは絶対に成立しないのです。


ただ一方で、器は日常に溶け込みすぎて、それらが日々の暮らしにどのような影響を与えているかなんて到底想像もつかないもの。そうした状況の中で 「器を選ぶという豊かさに触れてほしい」 と語るのは、てしま島苑の松下龍平さんと松原恵美さん。


今や、量販店に行けば格安の皿やカップが手に入る時代。そんな時代に、一つ一つ人の手によって作られた器を使う意味はどこにあるのか。また二人の陶芸が目指すところはいかなるものか。香川県・丸亀港からフェリーで1時間30分。彼らが移住し、陶芸活動を行う離島・手島までお話を伺ってきました。




器を選ぶ豊かさとは

「いくら私たちが陶芸をしているからって、小さな子どもたちがプラスチックの器を使うことに問題意識を持っているわけではないんです。彼らや彼らの親御さんには壊れにくい、怪我しにくいお皿が必要ですから」


今日、器、特に食器と一声に言っても、彼らの作る陶器のほかに、プラスチック製に紙製とその材料は多岐に渡ります。加えて、家具の量販店では「どんな料理にも合う5点セット」といったような商品が人気を博す状況です。このような時代の趨勢の中で、彼らが生み出すようなこだわりの器を消費者が使うということにはどのような意味があるのでしょうか。


「たしかに壊れにくいお皿や何にでも合うお皿は便利だけど、人生がずっとそればかりではお皿を大切にするという感情や心が育たないのではないか」 と語る松原さん。


松原恵美さん。1990年、京都府生まれ。左に彼らが普段使う食器棚が見える。


また松下さんは 「自分が実際に手に取り吟味して選んだ器なら、たとえ盛るのがスーパーのお惣菜やちょっとしたお菓子であったとしても心にグッとくる感動があったりする。その感動は結果的に『やっぱり、自分で選んだ皿で食べると美味しいな』と心が豊かになることに繋がると思うんです。そんな経験を多くの人にしてもらえれば」 と言います。


松下龍平さん。1986年、埼玉県生まれ。手前に見えるのは試験的に導入したという、小さな薪窯。


小さな子どもがいるから、高齢者がいるからという特別な事情で量産品や誰にでも合うユニバーサルデザインな食器を使うこと自体は悪くない。一方で、なぜ自分たちがそのような器を使用するのかに自覚的であるか否か。無自覚になんとなくそうした器に触れているのであれば、彼らの考える豊かさというものに、私たちはまだ近づけていないのかもしれません。


「これは市販のお菓子ですよ」と笑いながらてしま島苑の皿に盛られたアーモンド菓子。



「はじまりの見えるものづくり」

今、彼らは手島で、器の材料すべてを島産にこだわり、そしてそれを自己調達しています。そして、彼らがそのような器づくりの中でこだわっているのは「はじまりの見えるものづくり」。


この点に関して、松下さんは 「もともと関東に住んでいたときも、器は作っていました。ただ当時は材料を全て仕入れるしかなかったんです。例えば土もオンラインショップで調達していました。もちろん商品だから、その土がどんな成分を持っていて、どこで採れたかは分かる。でも、どういう山で削られたのかなんてことまでは分からなかったんです。当時からそれにどこか違和感を覚えていた。だからこそ、今は自分たちで材料を採取しています」 と過去の経験を振り返ります。


ゲストを招いて行ったイベントで材料となる雑草を集める様子。


誰が、どこで、どういう風に採取した材料で作られたのかが分かる。これこそがてしま島苑が生み出す価値だと二人は言います。そして、この価値は器の色や形状といった外面的なそれとは異なる価値観で顧客の胸を打つことも。つまり、どこかで松下さんと同じような違和感を抱いていた人にとっては、彼らの「はじまりの見えるものづくり」は一種の違和感からの解放へ繋がるということです。


「目の前のものがどこから、どのように作られるのだろう?という問いを私たちの場合は陶芸を通して学んでいます。ただこの問いは、どのような仕事にも通底する部分があるのではないかと思うんです。陶芸を通して、何事にも『はじまりからおわりまで』を意識するきっかけを与えることができれば良いなと思います」


完成した器という終わりの点だけではなく、始まりの点も知ってほしい。そうすると点同士を結んでできる線を意識する大切さが浮かび上がってくるのだ、と。


完成した器たち。てしま島苑のギャラリーで購入可。



手島焼ができるまで

では実際、彼らの器づくりとはいかなるものなのでしょう。


彼らの器づくりは、まず山や海岸で土を掘り出すところから。そして掘り出した土を乾燥・粉砕し、水を加えて粘土にする。ここで一つ注意すべきは、手島の土と一声では言うものの、実際山の土と海岸の土では性質が異なること。たとえば、最初にこねた時の粘り気は、採土した場所によって大きな差が出るそうです。


手島にて土を採取する様子(写真提供:てしま島苑)


そのため、彼らからすれば、手島の土が常に「良い土」だと言い切ることは難しい。ただ、数か月間粘土自体を寝かせてみたり、彼ら自身の技術を加えたりすることで、その粘性を補うこともできる。だからこそ、土自体の良し悪しは、彼らがそれを器として形作ることで補完されていくのです。また彼ら曰く粘り気だけでなく、耐火性やどの程度形成をやり直せるか、すなわち可塑性も土によって異なっているようです。


また彼らの器づくりで、さらに時間と手間がかかること。それは「釉薬(ゆうやく)」作り。釉薬とは、陶磁器の表面にガラス層を作るために必要な材料で、この層は陶器への水や汚れの染み込みを防ぐという機能的な役割だけでなく、器自体の色合いや質感を決める性質も持っています。


さて、そんな釉薬を作るためには、沢山の灰が必要とのこと。そのため、彼らの釉薬作りは灰にするための植物を集めるところから。ときに島の農家から枯れた野菜や花の株などをもらい受けることもあれば、一方で荒れ地に踏み入り雑草をひたすらに集めることも。それらを燃やし、灰を作り、清水でアクを抜く。この「水を注いで、入れ替えて」という作業をおおよそ3ヶ月間繰り返すのです。


左:荒れ地に広がる雑草として有名なセイタカアワダチソウが釉薬となっているプレート 右:ヒマワリを釉薬に使った小皿


そうしてできた土と灰。さらに、これらに島の貝類や石などの粉を組み合わせながら、自分たちが思う理想的な器を目指していきます。彼らの工房に並べられた数多のテストピースは、彼らの日々の実験結果そのものなのです。



保管されているテストピース。材料の配合を日々記録している。材料の配合、焼成時の温度など、条件がかみ合わないと器が欠けてしまうことも。



いつの間にか辿り着いた陶芸の魅力

彼らの現在の暮らしと仕事ぶりを伺うと、きっと幼いころからこだわりの器に触れてきたではないかと思えてきます。ただ松下さん、松原さんそれぞれの生まれ育った家庭も、他の家庭と同じく 「うちの実家だって、謎のキャラクターが印刷された皿を使ってましたよ」 とのこと。


そんな二人が陶芸と出会ったのは、松原さんは高校時代、松下さんは大学時代に遡ります。


松原さんは京都の美術系の高校で当初はファッションを学ぼうとしていたそうです。ただ授業で陶芸に触れるうちに陶芸に傾倒。「シンプルに作るのが楽しかったんです。粘土を触るのが面白くて」と当時を振り返ります。その後進学した美術大学でも陶芸を専攻します。


一方、松下さんも同様に美術大学に進学しますが、入学当初は家具や空間のデザインを専攻していたそうです。そのような学びの中で、増えていったのがキッチンや食器のデザインと向き合う時間。そしていつからか 「机の上でデザインを考えるだけではなく、実際に材料を手に持って、触って何か作ってみたい」 と思った先にあったのが陶芸だったと言います。


そんな二人はそれぞれ就職、退職を経て京都にある職業訓練校の陶芸コースにて出会います。そして、同じコースの友人に手島を紹介されることで、この島に移住してきました。 


庭の窯場にて。ここで日々、試作を重ねている。



2022年の晩秋には、手島の土で作る本格的な薪窯が完成予定。



島で作って、暮らすとは言うけれど

今こうして、手島にて手島産にこだわりながら器づくりを続ける二人。彼らの話を聞けば聞くほど、彼らの器づくりは「手島でなければ実践できない」という風に見えてきます。ただ本人たち自身は、意外にもそうした認識は持っていないとのこと。


それはなぜなら、彼らがそもそも手島に来たのは、松下さんからすれば理想の制作過程を実現することに島民が比較的寛容であったことが理由の一つ。また松原さんとしては日本中にごまんといる陶芸家の中で埋もれず、注目を集めるためには「島で作っている」という点が強みになると思ったという現実的な理由からでした。


「もちろん材料を手島で調達するということにこだわりを持ってはいますが、一方で手島じゃないとダメなんだという認識、また手島で陶芸をする大義名分は特にありません。島に来たのは偶然の結果であって、逆にそうした大義名分を背負っている人の方がこうしたチャレンジを続けられないのでは?とさえ思います」


他にも、彼らの暮らしには「おしゃれ」「丁寧な暮らし」といった言葉が与えられることも。確かに彼ら自身で改装した工房兼自宅は一見すると、そのような言葉が似合いそうではあります。


二人が自力で改装した居住スペース


その一方で彼らもこう語ります。


「私たちの生活や器を『おしゃれ』『丁寧』といった漠然とした言葉でまとめないで欲しいんです。器を選んでもらうことだって、せっかく同じケーキを食べるなら自分の気に入ったお皿で食べたほうがいいじゃん。ただそれだけなんです。他人がその器をどう評価するかではなく、シンプルにその器が自分の生活や暮らしに充実感を与えてくれそうかどうかで選んでほしいと思っています」


田舎で暮らし、ものづくりをするというと、どこかその地域に全力で身を投じながら活動していると周囲は思う。またそこでは誰もが羨むような生活をしているのではと予想されてしまう。ただ当の二人は等身大の価値観で、自分たちがやりたいこと、楽しいと思えることに邁進しているようです。


だからこそ、彼らの陶芸人生においては、手島での制作さえもが通過点で、陶芸家としての一つの集大成すなわち終点ではないのかもしれません。



ゴールであり、スタートでもある

てしま島苑の二人が常に伝えようとするのは、点だけでなく線を意識することの大切さ。ただ私たちが線と言われて意識するのは、直線ではなく実は「線分」なのではないでしょうか?


線分は必ず始点から”はじまり”、終点で”おわり”ます。つまり、両端の存在する限りある線なのです。もし彼らの器づくりの始点が土や植物を採る、またその終点が完成した器だとすれば、一見その2点を結べば彼らの陶芸を説明できるようにも思えてきます。


ただ、彼らが陶芸を通して伝えようとしているのは、線分では説明しきれない、器ができるまでの背景や彼ら自身の想いのように筆者は感じます。つまり、始点の前に、そして終点の先にも何かが存在しているということです。それは彼らが語ってくれたように、器の材料が生まれた場所の有様。また完成した器で豊かさを届けたいという彼らの願いが始点と終点の前後にはあります。


そして、このように端点を持たず際限なく伸びる線は、線分ではなく「直線」と呼ばれています。


「今トライしていることは、もともとやりたかったことでもある。だから、ゴールにたどり着いたとも言えます。ただ一方で、そのゴールはこれから何かを始めるスタートでもあるんです」


彼らが器を通して常に紡ぎ続ける豊かさという直線。その直線上には、きっと貴方も存在しているに違いありません。




松下龍平さん

1986年埼玉県生まれ。武蔵野美術大学を卒業後、建築デザイン事務所に就職。その後、京都府立陶工高等技術専門校にて陶芸の学び、その後手島へ。現在は陶芸活動の傍ら、てしま島苑の工房の改築やギャラリーの整備にも精を出す日々を送っている。


Instagram

@ryoheimatsushita


松原恵美さん

1990年京都府生まれ。愛知県立芸術大学を卒業後、陶芸教室にて勤務。その後、京都府立陶工高等技術専門校で陶芸を学び直し、手島へ。現在てしま島苑では主に陶芸品の成形を担当している。


Instagram

@bara_creation


■ てしま島苑

「はじまりの見えるものづくり」をテーマに香川県丸亀市・手島にて食器などの陶芸品を制作中。工房にはギャラリースペースがあり、各種陶器の購入も可。


住所

〒763-0111 

香川県丸亀市手島町1575


アクセス

丸亀港から船で90分


Instagram

@teshima_toen