「もっと雇用を作って、障がいのある方の居場所を作りたいんです」
そう語るのは、元全日本プロレスのプロレスラーで、現在は北海道三笠市「 湯の元温泉」の経営者、杉浦一生(すぎうら・いっせい)さんです。
元々は「ブルート一生」という名前でリングに上がり、当時は194cm140kgという恵まれた体格と、学生時代にはレスリングの大会で優勝という実績から、大型新人とよばれていました。
そんな杉浦さんが、なぜプロレスラーを引退後、三笠市の温泉旅館を引き継いだのか、お話を伺いました。
憧れのプロレスの世界へ。人気を博すもケガで引退へ
小さい頃は内向的で体が大きかったことから、いじめにあっていたという杉浦さん。親戚に誘われ、初めてプロレスを見た時に衝撃を受けてプロレスラーを志すようになったといいます。
「小さい体の選手が、ヘビー級の選手と互角に渡り合っているのを見て、小さくても勝てるんだって思いました。当時の私は自分の体が大きいと気づいていなかったので、すごく勇気をもらえたんです」
プロレスの世界に魅せられた杉浦さんは、オリンピックのメダリストを輩出した経験もあるレスリングの強豪校、岩見沢農業高校、山梨学院大学へと進学。山梨学院大学時代には2004年全日本学生選手権グレコローマン120kg級にて優勝、アジア選手権でも4位入賞と、着実に実績を積み上げていきます。
その後、一時は自衛隊に入隊するも、レスリングでの成績と190cmを越える恵まれた体格から、プロレスラーの世界で注目を集めていた杉浦さん。全日本プロレスの人気レスラーである諏訪間幸平氏から誘いを受け、幼少期から憧れたプロレスの世界へ足を踏み入れます。
人気プロレスラーとして知られる武藤敬司氏の付き人を勤めながらキャリアを積み「ブルート一生」としてプロレスデビューしました。
大型新人として「プロレス界の歴史を塗り替えるのでは」と次世代のスター候補として期待されていましたが、「お前は優しすぎる」とヒール役にすら言われてしまうほどの温厚な性格と、学生時代から痛めていた右肩を骨折してしまう大怪我が重なり、プロレスラーを引退することに。
「すごい世界を見させてもらいました。本当にいい思い出です。ですけど、プロレスラーになれたことで、自分の心に一区切りついてしまっていたのと、ケガをごまかしながら万全といえない状態で、お客さんの前に出てプロを名乗るのはどうなのかなと考えました」と、杉浦さんは引退当時を振り返ります。
「人の役に立ちたい」ボディーガードを経て、障がい者の苦しみを知る
プロレスを引退後、大学時代の先輩が経営するラーメン店で働きながら、今後の人生について「人を守る仕事がしたい」と考えるようになったといいます。
「自分の体は大きいし、プロレスでも少しだけ成績は残していたので、この体を生かして人の役に立てるんじゃないかなって当時思ったんです。そこで、人を守る仕事で大きな体が役に立つボディーガードの専門学校へ行くことにしました」
ボディーガードについて学ぶ中、実習先の会社が精神疾患者の救急搬送を実施していたことで、初めて障がい者の方と関わることになり、杉浦さんの考えに大きな影響を与えました。
「ボディーガードって政治家や社長を守るイメージが強いと思います。ですけど、障がいのある方を病院まで車で送っている内に『人を守るってなんなんだろう』って思い始めました。本当に困ってる人たちって、障がいで周囲から理解されずに苦しんでいる人たちなんじゃないかと感じたんです」
本人たちには見えている幻覚に対して、周囲に助けを求めても、理解されずに孤立していく。そんな様子を目の当たりにし「この人たちの居場所を作らなくてはいけないのでは」と考え、福祉の世界へ飛び込みました。
「障がいに苦しむ人たちの居場所を作るために、なにをすればいいのか」と考えた結果、グループホームという、障がい者の就労や生活を支援する障がい者福祉サービスを知ります。
生活の支援を手掛けるために、様々な人々に支援を求めながら、杉浦さんは2013年に栃木県の鬼怒川温泉に第一号のグループホームを開設。生活や暮らしに関わる障がい者支援をスタートさせました。
経営当初は10名程度の規模だったものが、県をまたぎ、東京や千葉、埼玉といった関東圏で複数の施設を次々に開設。最終的には100名以上の障がい者を受け入れるほどの大きな規模になりましたが、だんだん自身のポジションに違和感を感じるようになっていきます。
「元々は障がい者の方を守る現場の仕事をしたかったんですけど、規模が大きくなっていくにつれ、それぞれの施設をグルグルと巡って管理することに追われるようになってしまいました。あと、その時は生活支援しかできていなかったので、障がい者の雇用についても手掛けなくてはと思ったんです」
自身の求める新たな支援の形を目指し、急速に規模を大きくさせたグループホームから身を引き、地元の北海道へ帰郷することに。北海道で障がい者の住まいと雇用の両面から支える仕組みを目指しました。
「すぐに雇用を産み出せる」売りに出されていた温泉旅館を事業継承
また0からのスタートとなった杉浦さんは、北海道に帰郷した当日から新たに事業を開くための場所を模索。そこで、タイミングよく事業継承者を探していた湯の元温泉旅館と出会います。
今まで旅館の経営に携わったことはありませんでしたが「ここなら、そのまま利用者が働ける環境が作れるのでは」と考え、事業継承を決断し、帰郷の1か月後には旅館に住み込みで働くことに。
当初は障がい者の方が、この旅館で上手くコミュニケーションをとりながら働けるのかが不安でしたが、その考えは杞憂に終わったといいます。
「この旅館はホテルのような接客というよりは、家族的な接客をしていたので、障がい者の方にマッチしていたんです。だから旅館のスタッフは福祉の経験がなくても、コミュニケーションが上手くできたんですよね。すごくありがたいです」
“障がい者だから配慮する”、“弱者だから支援する”というような、差を設けるのではなく、あくまで人としての対話を大事にしていた杉浦さんにとって、この環境は非常にマッチしていたと、笑顔で語ってくれました。
事業継承の前から働いていた社員たちは現在も1人も欠けることなく働いており、杉浦さんと二人三脚で温泉旅館の運営を続けています。
「そういう人たちもいる」偏見のない世界を目指す“すぎうらんど”
現在、湯の元温泉旅館を中心とした地域を“すぎうらんど”と呼び、同じ敷地内にサウナ、プロレスのリング、家庭菜園ができる畑を開拓予定だといいます。
その他にも、三笠市内でグループホームを新たにオープンさせるなど変わらず精力的に活動を続けている杉浦さん。 そこには、ある1つの思いがありました。
「障がい者という枠にとらわれていたら、その枠から出られないんです。だから少しでも、その枠から出て、地元の色々な人と交流していくことを意識しています。その活動のおかげで、近隣住民の方にも快く話しかけてもらえる機会が増えました。これは大きな一歩だと感じています」
現在運営しているグループホームの利用者は、近所に住む高齢者に代わって屋根の雪下ろしを手伝ったり、三笠市の消防団に協力したりするなど、積極的に地域の活動に貢献。人不足に悩んでいる業務を手助けしたり、地元の人たちが集まれる場としてグループホームを新たに開設したりするなど、交流の場をどんどん広げています。
「障がい者ではなくて、1人の人間として交流してもらえるよう考えています。健常者も障がい者も同じ人だし、当たり前ですけどお互いに知ってることと知らないことがあるんです。たとえば散策ルートで、地元の人にしかわからない知識を話しながら自然の中を案内して、ガイドが実は障がいを持つ方でしたというと、偏見の目は変わるんじゃないかって思うんです」
取材中、熱意ある言葉を話した杉浦さん。
杉浦さんは、思い描く「偏見のない世界」を作るため、今日も活動を続けます。
杉浦一生さん(すぎうらんど国王)
■ 湯の元温泉旅館
公式HP
住所
〒068-2101
北海道三笠市桂沢94
電話番号
01267-6-8518