eスポーツで自ら率いるチームを日本一の座に導いたこともある、歯科医の辰本将哉さん。今は広島県で「おひさま歯科・小児歯科」を経営し、46人のスタッフを雇用しています。
職場に不満を抱いて退職するスタッフはいないといい、患者さんからも「行きたい歯医者さん」と評判です。そうなった秘訣は「経営者対スタッフ」や「医師対患者」ではなく、「人対人」の信頼関係を築くことだといいます。
そこには、過去、eスポーツのチームメンバーに裏切られた苦い経験から得た教訓があるそうです。
「そんな場所で開業しても患者は来ない」といわれたが今では他県からも患者が訪れる
広島県広島市中区光南にある「おひさま歯科・小児歯科」(以下、おひさま歯科)は、患者さんから「行きたくなる歯医者さん」と評判です。
医院の正面(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
歯医者さんといえば、行かずに済むならなるべく行きたくないところです。しかし、辰本さんが院長を務める「おひさま歯科・小児歯科」は、診察日ではない患者さんがお菓子持参で訪れて、受付のスタッフと世間話をして帰ったり、子供でも「また行きたい」といったりする、一般的にイメージされる歯科医院とは違った雰囲気があるようです。
通常子供が歯医者さんに来ると、泣き叫んで、さながら阿鼻叫喚の世界になりがちですが、おひさま歯科は子供の泣き声が聞こえないことも特徴のひとつ。
「人対人のコミュニケーションを大事にしていまして、患者さんからスタッフへの評価はすごくいいです。お子さんも、1歳~2歳くらいの子は泣きますが、それより上の子は静かですね」
そこには、子どもが歯医者を好きになったり信頼したりしてもらえるような、様々な取り組みがあるそうです。
幼児の診察(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
「例えば受付スタッフ、保育士、歯科助手が頻繁に声をかけます。兄弟で来院されたら、お兄ちゃんから治療を行い、笑いながら治療されているのを見せて安心してもらってから弟の治療を行います」
治療を嫌がって、あるいは怖がって暴れる子にも、押さえつけて無理やり治療することはないそうです。
「それをすると、トラウマになってしまいかねません」
大人になっても歯医者さんに対して何となく恐怖心を抱いてしまうのは、子供の頃に受けたトラウマかもしれません。そうならないように、辰本さんの信条として、たとえ幼児であっても1人の人間として接するといいます。
「時間をかけて説得します。レントゲン撮影の説得に、2時間をかけたこともありました」
このようにして患者さんの信頼を得た結果、「おひさま歯科・小児歯科」の患者数は、広島県内でもトップクラスだとか。
院内の保育士さんと(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
しかし、現在の場所で開業するにあたっては、歯科医の先輩たちから「そんな場所で開業しても、患者は来ないよ」と否定的な見方をされたそうです。
「広島市中区は三角州になっており、西区、観音、江波、吉島、千田町、宇品という小さな島に分かれています。私が開業している吉島にだけ電車が通っておらず、交通の便が非常に悪いのです」
吉島の北端には平和記念公園があるため、その南側へ路線を通すことが物理的に難しいといいます。
医師治療風景(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
「医院は吉島の最南端にあり、少し先は海とゴミ処理場と工場しかない行き止まりだから、人は来ないだろうとのことでした。また、人もあまり住んでいません。島から島へ橋を渡ってまで来ないのではないかというのが、先輩たちの声でした」
ところが現状では、橋を渡ってくる人のみならず、他県から来られる患者さんもいるそうです。
「当院のような明るく親しみやすい自然な雰囲気で、信頼されているからでしょう」
このような医院運営を目指した背景には、辰本さんの苦い経験があったといいます。学生時代からeスポーツでチームを率いて、大きな大会で日本一の座に上り詰めたこともあるという辰本さん。しかし、その裏では、チームのメンバーから裏切られたと感じる経験もあったそうです。
その経験から得た教訓が、今の組織づくりに活かされているといいます。
歯科医師院内セミナー(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
派閥をつくったり批判的になったり……チームを去るメンバーに共通して現れる兆候
これまで幾度かチーム運営で失敗してきたという辰本さん。チームが上手くいかないときには、ある共通した前兆が現れるといいます。
「初めは分からなかったのですが、関係性が悪くなったりメンバーが抜けたりする経験を積むうちに『この人、チームを抜けるかも』という兆しが分かるようになってきました。まずは、チームの調和を乱す人ですね。それと、派閥をつくるような動きが見えてくると危険な兆候です」
そんな兆しが見え始めたら、辰本さんはそのメンバーとコミュニケーションを図るよう努めたといいます。
「声をかけて『最近のチームの状況をどう思う?』といった感じで会話を試みるんですけど、相手からはチームを良く思っていない発言がボロボロ出てきます」
チームが大きくなると、どうしてもコミュニケーションの密度が薄くなってしまうという辰本さん。1対1で話す機会を設けると、それまで溜めていたものを一気に吐き出すように、不平不満やチーム批判が飛び出してくるのだそうです。しかも、チームを抜ける決心を固めているだけに、辰本さんに向ける言葉にも容赦がないといいます。しかし、それらの言葉は、辰本さんから見ればわがままでしかないとのこと。
eスポーツのイメージ画像
「いってることは、確かに頷ける点もあるんですけど、個人プレーなので組織崩壊には至らないんですよ。チームを脱退するときは、その人だけがチームを脱退するので。いちばん怖いタイプは、組織を壊していく人です。1人でチームを抜けるだけではなく、密かに根回しをして、主要なメンバーをごっそり引き抜いていきます。引き抜かれるメンバーのほうには兆しが見えないので、やられたときはショックでした」
引き抜いたメンバーで別のチームをつくって、辰本さんのチームと対戦することもあるとか。
「でも、そういうチームには協調性がなく、すぐに崩壊していくことが多かったです」
また、チームを抜けていく人は、若い人が多いともいいます。
「社会経験のない中高生ですね。他人にマウントをとったり、スタンドプレーが目立ったりして、とんがっています」
そんなメンバーが抜けたとき、辰本さんはチームの方針や運営に至らない点があったのではないかと、初めのうちは反省していたそうです。
「たとえば12人対12人で対戦するゲームの場合、自分のチームから12人の選抜チームを編成します。いわゆる、選りすぐりの精鋭部隊です。勝つためには仕方のないことですが、選抜から漏れたメンバーから不満が出ます」
ならば2チーム制にして、12人のチームを2つ編成して24人体制でやるという努力も試みたそうです。
「自分が思う悪いところや、不備を改善していくわけです。そうして『非』の部分を潰していっても、結局脱退する人は出てきます。それについてはしょうがないと思うし、チームに合わなかっただけで、自分のやり方が拙かったんじゃないかと気にしすぎるのはやめました」
院内の様子(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
そうした経験を、医院の経営に活かしているといいます。
「スタッフが退職したとき、最初はこの法人に至らないことがあったのではないかと考えていました。勤務時間、給与、雰囲気など、改善すべき点を改善していった結果、自分でこれ以上改善するところがほぼなくなって、個人的な都合で退職する人しかいなくなってきたように思います。自分に至らない所があったのではとは思わないようになりました」
そのためにも、スタッフや自分自身と誠心誠意向き合い、最終的に患者さんに対して最適な医療サービスを提供するという揺るぎない「自身の軸」を決める必要があるという辰本さん。そこがブレたら、経営者個人に寄ったりスタッフに寄ったりする運営になってしまうのだそうです。
かつては序列のないチームをつくり今は上下関係のない職場をつくっている
辰本さんがつくったeスポーツのチームには、序列がなかったといいます。
「私のチーム構成は、マスターがトップにいて、他のメンバーには序列がありません。一般的な会社だと、トップに社長がいて、その下に副社長がいて、部長、課長、社員という序列社会だと思うんですけれど、そういった上下の関係がないのです」
辰本さんがマスターとして運営したチームは50~200人くらいの構成で、ほぼ全員と面識があったそうです。男女比は8対2で男性が多く、年齢層はバラバラ。直接顔を合わせても、年齢差はあまり気にせずフラットな関係だったとか。
しかし、チームの方針はメンバーに伝えて、従ってもらわないと健全な運営ができません。
「従わない人もいるんですよ。そういう人がいたらチームのメンバーと相談をして、本人に伝え、なぜ一緒にできないのかコミュニケーションを取ります。しかし、そういう人は結局チームを脱退していきます」
休憩中(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
また、辰本さんのチームへ新規にメンバーを入れるにあたっては、面接で選んでいたといいます。
「Zoomがなかった当時は、チャットで1時間ほど対話しながら、その人の考え方や人物像を見極めて、チームに合わないと思ったら選考をそこでストップしました」
このような組織づくりを、医院の運営でも実践されています。
「歯科医師と歯科助手の序列もないぐらいです」
スタッフの採用にあたって、辰本さんがとくに重視するポイントは協調性だといいます。現場の仕事は、採用後に覚えたらいいという辰本さん。仕事ができるかということと人間性は、別物という考え方なのです。
スタッフルーム(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
「即戦力はあまり考えていません。むしろ性格や人間性、患者さんへの対応が重要です。技術的なことは、教えたら出来るようになります」
歯科医院の中では、一般的に歯科医の院長がトップで、次が歯科衛生士、歯科助手というように、職種によってさながら士農工商のような、ピラミッド型の序列が出来がちだといわれています。
「ピラミッド型の組織にせず、中間管理職を置かない理由として、チーフを任せた人が私とスタッフの間で板挟みになり、悩んだ末に退職してしまうと、ノウハウが途切れてしまうことがあるからです。そのため敢えてチーフを置かず、全員で機能を分担してノウハウを共有しています」
今では、スタッフが職能を兼用することで、どの職種も同等の立場になるようにして、派閥をつくらせないようなフラットな職能組織づくりが、上手く機能しているといいます。
歯科衛生士の指導風景(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
理念に賛同して転職してきたスタッフの前職は空港スタッフやアパレルなど様々
辰本さんの理念に賛同して、医療以外の業界から転職してきたスタッフが少なくありません。税務署職員、空港のグランドスタッフ、保育士、保険営業、金融業界、アパレル業界などバラエティに富んでいます。
今年(2023年)採用された芝田莉果さんの前職は、空港のグランドスタッフでした。今は受付とSNS担当として働いています。
「ホームページの採用情報に記載されている『スタッフと患者様の病院にしたかった』という言葉から、スタッフひとりひとりが主役となって働ける場所だと感じました。採用面接時の1日見学で、実際の雰囲気を感じ取れたことが決め手になりました」
受付(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
事務局で勤務する村本ゆうさんも、他業種から転職してきました。
「前職は保険営業でした。複数の歯科医院に通いましたが、どこも対応が雑だと感じていました。面接の際、スタッフの対応が丁寧で、良い意味で『病院らしさ』を感じない好印象を受けました」
医師も含めてスタッフの序列をつくらないためには、適性検査で協調性を重視したり、辰本さん自身がスタッフを採用する際によく説明したりして、共感できない人は採用しない方針を徹底しているそうです。
「人間の基本的な性質や考えは、ほぼ変わらないと考えています。そのため、今の組織文化に合わない人を変える努力をするより、採用の時点で見極めて良い人材を獲得できれば、さほど気にかけなくても成長してくれますし、厳格なルールで縛る必要もありません」
併せて、医院の外部に人事部長の業務を委託しているといいます。
診察台(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
「スタッフひとりひとりにきめ細かく対応するため、人事部長を置いています。カウンセリングもできる女性の方で、私の考えを伝え、私生活や仕事を含めた悩みを相談し、仕事を円滑にするようにしています。具体的には、主にスタッフと月に1回40分程度、1対1で面談してもらっています。私自身はスタッフのガス抜きはしませんが、人事部長との面談が上手くガス抜きになっているのかもしれませんね」
ちなみに、辰本さんは組織づくりの理念を講演で話すことがあるそうですが、真似をすることは簡単ではないだろうといいます。
「すでに出来上がっている組織だと、それまでに形成された文化があります。その文化を壊して組織改革を行うと、組織崩壊にもつながりかねません。それには理念であったり、トップの強い信念が必要だったりすると思います。また既存の人を変える努力を行うよりも、採用の段階から理念やトップの信念に共感してもらえれば、私の組織づくりの考えを応用できるんじゃないかと思います」
歯科衛生士治療風景(画像提供:おひさま歯科・小児歯科)
コメントをお願いしたスタッフの皆さんが口をそろえるのは、「スタッフが優しく雰囲気が良い」「明るい雰囲気」ということ。それは、辰本さんの努力によってつくられているのと同時に、スタッフの皆さんひとりひとりが「この環境と雰囲気を守りたい」という意識で維持されているのでしょう。
そして患者さんがたとえ幼い子供であっても「ひとりの人間」として接することが信頼に繋がって、「行きたくなる歯医者さん」という評価に繋がっていると感じました。
■ おひさま歯科・小児歯科
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