「私は短気でせっかちだけど、シダ植物を見ている時は心が穏やかになるんだよね」と語るのは、岐阜県可児市で生科学総研株式会社を営む、村瀬正成さん。
村瀬さんは人間心理の検査と動植物の調査を、仕事にしています。日本で人間心理検査と動植物調査の仕事を両立している人は村瀬さん以外にいないそうです。
村瀬さんはシダ植物が大好きなことをきっかけに、研究仲間と約20年かけて岐阜県内に自生するほぼすべての維菅束植物を網羅した『岐阜県植物誌』を完成させました。
そんな村瀬さんに「好き」を仕事にしてきた過程や、植物と人間の関係性を伺いました。
子どもが学校に行かなくてもいい風潮は間違っている
村瀬さんが営む生科学総研株式会社では、応用心理研究所と生物環境研究所の2つの事業を行っていることで、村瀬さんは二足の草鞋を履いています。
まず応用心理研究所の事業内容は、クレペリン検査を通して、教育の場で活用することです。クレペリン検査とは、簡単に言うと心理検査のこと。1桁の数字を連続して足し算する検査方法です。対象者の計算量の変化や筆跡、筆圧などで、性格や認識能力、精神的安定性などを見極めます。
クレペリン検査で得られた結果を用いて、生徒が過ごしやすい学校生活を送れるように手助けをするのです。最近は、愛知県の学校でクレペリン検査を実施しました。検査結果は、クラス編成の過程で役立てることなどを目的としています。
村瀬さんは、検査結果を基に先生たちへアドバイスを提供し、先生たちは「クラスのリーダー候補をどのように振り分けるべきか」や「孤立しがちな子どもをサポートできる生徒がクラスに存在するか」などを考慮して、論理的な検討ができるようになります。
「子どもたちは学校教育の中で学ぶべきで、子ども同士がお互いの立場や気持ちを理解し合うことは、学校教育でしか身につかないことです。『学校に行きたくなかったら、行かなくていい。学校へ行かなくても成功している人はいる』という評論家もいますよね。しかし、学校へ行かずに成功している人は、ほんの一握りです。学校へ行かずに非行に走ったり、犯罪を犯したりする子供もたくさんいます。そうならないためにも、子どもは学校へ行って欲しいです。そのためのサポートを仕事にできているので、やりがいはあります」
仕事場には植物の書籍が所狭しと並んでいる
シダ植物が大好きでいつの間にかお金が稼げるように
もう一つの生物環境研究事業では、動植物の生態を現地で調査しています。どの地域にどんな動植物がいるのか、自分の目で見ながら記録をしていくのです。
村瀬さんは一人で山に入って調査をしているときに、自分の身長より大きい熊がじっと見ていたことがあったと言います。また雪山では、滑って転げ落ちそうになることも。
生物環境研究事業を始める前から村瀬さんはシダ植物が大好きで、趣味でシダ植物の研究をしていました。そんな中「公共工事を含めた土地開発のためには、周辺の動植物調査が必須」と政府から通知が出たこともあり、シダ植物を初めとした動植物の研究で、お金をもらえるようになったのです。
「チームで調査しているので、研究にお金がかかります。好きで始めた研究でしたが、お金がもらえて助かったのが本心です」
特にシダ植物は調査する人が極めて少なく、シダ植物を勉強したい人向けに教えられる人もいません。そのため村瀬さんの調査は、研究者に重宝されます。また、村瀬さんが大学へ出向いて、シダ植物に関する知識を学生に伝授することもあります。
そして、植物以外の範囲でも調査をしています。ほ乳類・鳥類・両生類・は虫類・昆虫類・類魚類・底生動物等の生態系を調査し、さらに経年変化を観察した結果から、環境アセスメント対策をします。環境アセスメント対策とは、開発事業などによって環境にどのような影響を及ぼすのか事前に対策をすることです。
レースに出したハトたち
「私は植物が好きですが、猫やハトを飼うほど動物も好きです。趣味でハトのレースにも参加しており、北海道から岐阜までハトを飛ばして、どれくらいで帰って来れるのかのタイムを競いました。ハトの種類やあげる餌によってタイムが縮まったり伸びたりするので、奥が深いです」
応用心理研究所と生物環境研究所の仕事は、割合として半分ずつです。岐阜県だけではなく、静岡、愛知、長野でも活動中です。
会社には、5歳の頃から村瀬さんと一緒に自然観察をしてきた女性が働いています。既に村瀬さんが生物調査を始めている時に、住まいが近所であったことから出会い、女性の進学先から就職先まで、全て村瀬さんが関わったと言います。
中日新聞にも取材を受ける
20年かけて2,359種類の維菅束植物を一冊の書籍にまとめた
2020年に岐阜県内に自生するほぼ全ての維菅束植物を、村瀬さんと研究仲間はまとめて書籍にしました。書籍名は『岐阜県植物誌』。
書籍で紹介している植物は、なんと2,359種類です。植物ごとに解説を加え、地域分布図も付けました。『岐阜県植物誌』を読むことで、岐阜県内のどこの地域に、どんな維菅束植物が自生しているのか、一目でわかる内容になっています。
「2000年から調査を開始。岐阜県内の植物愛好家を集めて、約50人で奮闘していましたが、道のりは困難でした。植物への思い入れがあっても、メンバーは調査の知識がありません。また、メンバーが高齢で野外調査に出られないことも。そのため私は、メンバーに標本の作り方から教えました。さらに、調査中に植物の分布が変わったり、絶滅した植物が出てくることもしばしばです。調査を開始した時『大変なことに手をつけてしまった』と思いました。それでも植物を好きな気持ちがチームを一つにまとめ、20年かけて『岐阜県植物誌』を完成させたのです」
『岐阜県植物誌』は、環境保護の基盤となっており、工事が行われる場合には、その工事が周辺地域にどのような影響を与えるのか、わかるようになっています。これが、行政指導の根拠となっているのです。
もし環境を考慮せずに開発が進められた場合、生態系が壊れて人間の生活が困難になることもあります。地域の生態系や環境を保護するために、村瀬さんの成果が大変役立っているのです。
植物誌や自然誌の数々
グリーンパトロールで地域の不良少年を更生させる
仕事として取り組んでいる人間心理と動植物について、別々のように捉えてしまいますが、村瀬さんは関係が深いと考えています。
以前、村瀬さんが住んでいる地域で、番長クラスの不良中学生3人を引き取り、グリーンパトロールと称して一緒に自然観察をしたことがありました。その後も、村瀬さんのお子さんたちも一緒に、夏は海へ潮干狩りに行き、秋は森で紅葉を楽しんだことも。期間としては、約10ヶ月です。最初は態度も悪く、手がつけられなかったそうですが、不良中学生はみるみる良い方向へ成長していきました。
「最初は会話もままならなかったですが、徐々に目を見て会話してくれるようになりました。大自然の中に身を置くと、自分の思いを持てるようになります。『自分と他人は違うんだ。だから、他の人に強く当たるべきではない』と実感できるようです。自然は雄大なので、心が穏やかになり、子どもたちも気付くことがあるんでしょうね。一緒にグリーンパトロールをしていた不良少年たちの中学校卒業式に、私が出席するぐらいの関係性が構築できました」
若い研究者を育てて、自然を守っていくべき
偉大な功績を残していますが、村瀬さんは仕事をする上で、やりがいなどと言えるものは持っていないそうです。
「心理の仕事も動植物の仕事も、やる人がいないのでやるしかない。平地や山地、川がある岐阜の自然が大好きだし、後世に自然を残してやりたいです。未来を作るのは子どもたちなので、心理学を通して人や自然に優しい子どもを育てたい。私にできることをやっていくだけです」
村瀬さんの今後の目標は、若い研究者を育てること。ご自身のように、豊かな自然を守るための研究を続けて欲しいと願っています。
そのためにも、行政が今より研究者に目を向けて、お金を支援したり、研究しやすい環境を整えたりしていくことが期待されます。
祭りで着ていた半被
450年以上続く地域の祭りを存続させるために奮闘
村瀬さんは仕事以外でも、地域のために奮闘しています。
岐阜県可児市の白髭神社では毎年、流鏑馬祭りが開催されます。岐阜県可児市の流鏑馬祭りは約450年以上続き、市重要無形民俗文化財に指定されている、歴史のある祭りです。流鏑馬祭りでは、若者が煌びやかな衣装を着て馬に乗り、弓を的に投げます。
祭りが始まった約450年前から、馬に乗れるのは祭りが行われる地域に住む、若い男性という決まりでした。しかしその地域に若い男性がいなくなってしまったことから、馬の乗り手がいなくなってしまったのです。馬の乗り手がいないと、祭りが途絶えてしまいます。
そこで祭りを継続させるために、村瀬さんが中心となって会を作り、若い女性でも馬に乗れるように主張を続けました。
「私が『若い女性でも、馬に乗ることをよしとするべきだ!』という主張をしたところ、多方面から反感を受けました。昔から続いてきた祭りのしきたりを変えることになりますからね。それでも私はしがらみがなかったし、400年以上も続く祭りを途絶えさせてはいけない思いが強かったです」
村瀬さんの活動のおかげで、6年前から流鏑馬祭りで若い女性も馬に乗れるようになり、一時は存続が危ぶまれた祭りは、今でも継続しています。
現地から採取した植物を、ここで調査します
山を歩けるうちは、仕事をやり続けたい
村瀬さんは、仕事を仕事と思っていません。なぜなら、動植物が大好きだからです。
「今75歳で、一般企業であればとっくに定年を迎えています。でも山を歩ける間は、仕事をしていたいです。私はボーッとしていることができないからね」
日本で唯一といっても過言ではない、珍しい仕事を地方で続ける村瀬さん。大好きな仕事に専念する結果、誰も達成できなかった「岐阜県内に自生するほぼ全ての維管束植物を書籍化」することができました。
20年間一つの目標に取り組み、達成した村瀬さんの生き方は、筆者にとって素晴らしいと感じるものです。
村瀬さんに惹かれる若者が増加し、全国の自然を守る研究者も次々と現れることを切に願っています。
■ 生科学総研株式会社
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