「なぜかよくわからないけど、人望があるんだよね」と照れながら語るのは、岐阜県可児市で建築板金業を営む、岩井敦嗣さん。子供にミルクをあげるのも難しい経済状態の中で、22歳の時に『有限会社アイビー工業』を起業しました。「将来は必ず、岐阜の繁華街で毎日飲み歩けるぐらいのお金を稼いでやる!」という野望を、地方で形にしてきた経緯を伺いました。


住宅や店舗の壁や屋根を、0.3mm〜0.8mmの金属の平板で施工するのが、建築板金職人の仕事。仕事は、大手ゼネコンや地場の建設会社などから請け負います。あまり知られていない職種ですが、技術や経験が物を言う世界です。


岐阜県可児市という地方で、30年以上も建築板金業を経営してきた歴史と現在を紹介します。


(有)アイビー工業の工場風景



16歳で高校を中退後、住み込みしながら職人としての腕を磨く

岩井さんは、現在56歳。16歳の時に、岐阜県八百津市の高校を中退。その後、岐阜市にある株式会社横瀬板金工業所で住み込みをしながら、建築板金職人としての修行をしていました。岩井さんの親戚が建築板金業を営んでいたことから、この世界へ足を踏み入れたと言います。


「ヤンチャだった私を、岐阜で建築板金大手の横瀬板金工業所へ入れてくれたのがおじさんでした。中学生の夏休みの時からおじさんの仕事を手伝っていて、建売住宅の屋根や壁のビス打ちをしていたので、建築板金職人になることへの抵抗はなかったですね」


横瀬板金工業所で約3年間、社長宅に住み込みで修行したといいます。そこで、一般住宅や大型店舗の板金工事を基礎からみっちり学びました。横瀬建築板金工業所を退職してからは、おじさんの板金屋や修行先で知り合った板金屋を、合計2年ほど手伝っていたといいます。16歳から22歳まで下積みをし、経験を積んで自信を付けた後に、有限会社アイビー工業を起業するに至りました。


「社長宅に住んでいた時は、常に仕事のことを考えていましたね。社長の奥さんに弁当を作ってもらい、朝から晩まで一生懸命働きました。16歳の時から、社長と社長の友達に連れられて、岐阜の繁華街へ毎晩遊びに出かけていました。だから『俺も金持ちになって、毎晩飲み歩いてやるんだ!』という野望がありましたね。だから、下積み時代も弱音を吐かずに頑張れたと思います」


ここで鉄の板を加工して、屋根や壁に取り付けます。



子供にミルクをあげるお金もない中での起業

22歳で起業したばかりの時は、お金がなくて苦労したといいます。当時は仕事をするために必要な道具もなく、お客さんもゼロの状態からスタート。乗っていた車を売りに出して、維持費が安い車に買い換えたことも。さらに、起業した次の年に子供が産まれたので、子供にミルクをあげるお金もなくて、頭を悩ませたそうです。


「22歳で周りと比べると早かったけど、勢いで独立しました。『自分ならなんとかなる!』という自信があったからね。収入の目処が立たない状態で、誰にも相談せず起業したので、奥さんには心配をかけました」


起業初期は、材料を卸してくれる問屋さん経由で仕事をもらっていたといいます。何度か仕事をこなすと口コミで評判が広がり、徐々に仕事をもらえるようになりました。自分から営業をかけることは、してこなかったといいます。


アイビー工業の工場内は全て岩井さんが施工

「住み込みでみっちり修行してきた経験や、お仕事で繋がった方々を大事にしてきたおかげで、いつの間にか仕事に困らないようになったかな。『自分にセンスがあった』というのも、仕事を軌道にのせられた大きな要因だと思います(笑)」


しかし事業が軌道に乗り始めてからも、順風満帆ではありませんでした。岩井さんが40歳の時に、お得意先のゼネコンが倒産したことがあったのです。振り込まれる予定だった金額は、600万円。倒産した会社が民事再生法を利用したので、たった16万円しか振り込まれませんでした。


その時は、銀行に融資をお願いして、従業員や外注さんへの給与支払いを行ったそうです。他に借り入れがなかったことと、起業してから積み重ねてきた信頼もあったので、融資を受けられたといいます。


「民事再生法について学べた、良いきっかけだった」と、今では笑い話に。しかし、振り込まれるはずだった600万円が16万円になったのは、地方から1人で起業した中小企業にとって、大きな痛手だったと推測します。




クレームを最小限に、お客さんの課題は必死に解決する

「お客さんからの感謝」が仕事のやりがいだといいます。岩井さんにとってのお客さんは、建設会社やゼネコンです。建築現場では、様々な問題が発生します。お客さんも頭を抱えるような現場も、お客さんの立場になって解決してきたといいます。


「建物の作りが複雑だったりすると、屋根や壁の納めが非常に難しいです。雨漏れの原因になってしまうこともしばしば。そんな時はお客さんが抱える課題を、自分ごとに捉えて解決します。時には自分の仕事の範疇を超えて、足場屋さんや大工さんの仕事に口を出すこともあります。そうすることで、お客さんに感謝してもらえました」


一方、仕事における岩井さんのこだわりは「クレームをいかに少なくするか」だといいます。納期を守って丁寧な仕事をしても、クレームゼロにするのは難しいそうです。たとえば新築の壁に小さな傷を付けてしまったり、雨漏りを発生させたりなど、クレームは多種多様。


「従業員や外注さんであったり、材料を卸してくれる問屋さんなど、たくさんの人が私の仕事に関わっています。私一人だけで仕事をしていない以上『クレームをいかに少なくするか』に焦点を当てるしかありません。従業員がミスしてクレームに繋がった時は、ちょっとだけ家で不機嫌になることもあるけどね(笑)」


初めてのお客さんと仕事をする時などは、みんなで勉強会を開催してから現場に入ります。勉強会の内容としては、お客様の目的や背景に沿った施工方法の共有が主です。建築板金業界で40年以上も仕事をしてきた経験をもとに、技術指導を行うようにしているのです。


会社として利益が出せるようになってきた今でも、社長業だけに専念せず、現場を熱心に見るようにしていることも、岩井さんのこだわりの1つだと伺えます。


岐阜県の社寺を銅板で施工した写真



社寺の建設や東北大震災の復興支援にも携わる

起業当初は一般住宅の施工案件が多かったものの、現在は大型物件が増えてきているといいます。工場や店舗など、物件の種類は様々です。


中でも、建築板金の仕事では比較的珍しい、社寺の工事も岩井さんは請け負います。「社寺の工事を専門業者に頼むと、費用が高くつく。しかし岩井さんは価格を抑えつつも、高い品質で仕上げてくれる」とお客さんからは好評です。社寺は取り扱う製品が特殊で、一般の屋根とは異なる施工方法であるため、社寺の物件を請け負える板金屋さんは多くありません。岩井さんは社寺の施工方法について、資料や現場を見て、自ら学んだといいます。


「建築で匠と呼ばれる方々は、本当に勉強していると思います。私はまだ匠の域に達していない。しかし周りと協力して仕事を進める技術は培ってきたので、チームで技術力の底上げを図っていきたいです」


また岩井さんは、東北大震災後の復旧にも携わったといいます。復興支援のために東北にきた作業員が泊まれるホテルの、屋根と壁を施工していたそうです。岐阜で施工していたワンルームアパートの実績が買われ、東京の商社経由で依頼がきたといいます。


「東北大震災の翌年の年末から東北に乗り込んだけど、流された車が積み上がっている状態でした。もちろん、私たちの宿泊先も確保できないしアパートも借りられない。だから寝袋を持って、工事現場で寝泊まりしました。いろんな意味で、思い出深い現場でしたね」



人望が厚く、会長・理事長を務める

岩井さんは建築板金の仕事以外でも、会長・理事長として地域や組合で活躍しています。


1つ目は可児市議会議員である、澤野伸さんの後援会長です。後援会長とは、市議会議長が議員活動しやすいようにバックアップする会のトップです。岩井さんが44歳の時に、澤野さんと同じ自治会ということで、周囲の推薦によって後援会長になりました。親睦会を開催するだけでなく、議会傍聴にも出向くことがあるといいます。後援会と議員の間で関係性の厚みがあることをアピールすることにより、澤野さんの活動を手助けしたい思いがあるようです。


「周囲からの推薦で始めた後援会長ですが、応援している議員が活躍している姿を見るのは嬉しいです。また、会のトップでいるということの難しさを感じます。『もう辞めた!』というのは簡単だけど、一度請け負ったことは責任を持ってやり遂げたいです」


2つ目は、岐阜県建設労働保険組合の理事長としての活動です。岐阜県建設労働保険組合とは、建設労働組合独自の、国民健康保険組合です。岐阜県には、7,000名程度の組合員がいます。年4回の理事会や年6回の執行委員会に参加して、組合としての活動内容を決めていきます。補助金を国からたくさんもらえるように、東京でデモ行進をしたこともあるそうです。


「会長職を頼まれやすいのは、『岩井さんに頼めば問題ない!』と思ってくれる人がいるからだと思っています。私よりもネームバリューを持っている人はたくさんいます。それでも頼ってくれるのは、私に人望があるからかな」




歳をとっても、楽しみながら仕事をしていきたい

岩井さんは、今の会社をさらに拡大しようとは思っていないようです。若い頃のように、お金を稼ぎたい欲はないといいます。「お金よりもお客さんの満足度を上げ、自分が楽しみながら仕事をしていきたい」と話します。


「実績もあるし、融資も受けやすいので拡大路線に走ることはできる。しかし会社の規模を大きくしてしまうと、小さくするのが大変です。一般の会社では定年を迎える65歳までは、現場に出て職人としての腕を磨き続けたいと思っています。私の会社で腕を磨いて独立した職人もいるので、若い職人の応援もしたいです。あとは畑仕事をしたり、ゆっくりお酒を飲んで暮らしていきたいと思います」


高校を中退後、若くして地方で起業した岩井さん。数々の困難を乗り越えながら、自分の満足いく形になるように、会社を経営してきました。その柔軟さと芯の強さから、岩井さんを頼る人は後を絶ちません。


きっとこれからも、みんなの親方であり続けるでしょう。



■ 有限会社アイビー工業


住所

〒509-0206

岐阜県可児市土田1085-1