福井県越前市の味真野地区は、室町時代から続く味真野茶の産地でした。しかし、時代の移り変わりとともに生産量は減っています。


「どなたかが味真野茶の拠点を作って情報発信をしてくださればいいなとずっと思っていたのですが、まさか自分が取り組むことになるとは夢にも思っていませんでした」


そう語るのは福井県越前市在住の渡辺喜恵さん。2023年3月に地元の公民館を退職し、同年7月15日に「味真野茶屋」を開店しました。店舗では味真野茶(煎茶・紅茶)のほか、味真野茶を使ったデザートや地域の食材を使用した料理などを提供しています。


渡辺さんは茶屋経営の傍ら地元の有志でつくられた味真野茶保存会にも所属し、以前のような製茶業の盛んな味真野地区の復活を目指して活動中です。


今回は渡辺さんに味真野茶屋を開業するまでの道のりや地域社会への想いについて詳しく伺いました。



退職後は人の役に立てることをしたい


越前市の公民館に勤めていた渡辺さんは、65歳となり迎える年度末の2023年3月で退職することを決めていました。しかし、退職してから具体的に取り組むことは決めていなかったといいます。


「何か人の役に立つようなことができたらいいなとは思っていましたが、具体的にしたいことがあったわけではありませんでした」


後日、旧友に「そういえば昔、お店を開きたいって言ってたね」と言われたそうですが、本人は言っていたことすらも忘れていました。そんなとき、退職を知った地域の方から「味真野会館の1階が空いてるから、何かやろうと思えばやれるよ」と提案されます。味真野会館は商工会が管理している築50年の建物で、1階は3年ほど前まで夜も営業をしていた食堂でした。


長年公民館に勤務していた渡辺さんにとって、飲食店の経営は簡単なことではありません。しかし、潜在意識の中で飲食店経営に強い憧れのあった渡辺さんは、日に日に茶屋開業への想いが大きくなっていったといいます。


「福井県内で地場産業としてお茶の生産をしているのは味真野地区だけです。最終的に起業の決断をしたのは、この茶文化を伝えたいとの想いでした」


退職の日が刻々と迫る中、渡辺さんはとうとう挑戦を決意します。



クラウドファンディングで支援者の想いを知る


カウンターの棚に並べられた味真野茶


飲食店を経営するには、味真野会館の改修費用が必要でした。「お金がなくても実現する方法はないのだろうか」と考えたときにクラウドファンディングを知り、説明会に参加したといいます。


すぐに準備を始め、公民館を退職した約2か月後の2023年5月8日にはクラウドファンディングを開始しました。改修工事の開始は6月頃の予定をしており、本当に費用が確保できるかはわからない状況です。


「自分が良いと思ったことは考えるよりも先に行動してしまうタイプです。後から色々考えるので、始めてからは不安でした。資金が集まらなければ自腹で支払わなければならないわけですから」


渡辺さんは不安で眠れない日々を過ごしていたそうです。しかし、不安な想いとは裏腹に、クラウドファンディングは成功します。


クラウドファンディングを開始した日から、約1か月半後の6月23日までに集まった支援者は124人。最初の目標金額100万円に対して支援総額は約203万円という結果を見て、渡辺さん自身は驚きます。


クラウドファンディングには、地元の方々の「味真野地区を訪れる観光客に味真野地区や味真野茶の魅力を知ってもらいたい」「観光客には少しでも長く味真野築に滞在してほしい」との想いが込められていました。


「じつは、緩くやっていければ良いかと考えていたのですが、多くの人に支援していただいたことで『これではいけない』『しっかりやっていかなきゃ』と思いました。特に約半数は地元の方々からの支援だったので、その想いに応えなければなりません」


クラウドファンディングに取り組んだことで、支援者の想いによって自分の背中を押された気がしたといいます。



大急ぎの改修工事

改修工事の対象は、築50年で古くなった厨房や水漏れするトイレ、タバコで焼けた跡がある壁などでした。改修せずに使用している床や換気扇などには食堂だった頃の名残が見られます。


実際に改修工事が始まった時期は、クラウドファンディングの締め切りが近付きつつある6月頃でした。 工事は順調に進み、クラウドファンディングを開始した約2か月後の7月15日にオープン。渡辺さんは、多くの人に支えられていることを日々実感しているそうです。



改修前と改修後の厨房(画像提供:渡辺さん)


「開店してからの1年間は、支援者や地元の方々の気持ちに応える年にしたいと思っています」と明るくにこやかに話す渡辺さんは、その表情とは裏腹に、提供する料理の値段も決められないと悩みを打ち明けてくれました。そこには渡辺さんのこだわりがあるようです。



味真野茶屋のこだわり


食後に提供された雁ヶ音茶と茶団子(抹茶きな粉)


渡辺さんは、自分の納得した食材しか使用しないと決めているそうです。こだわりが強すぎて、原価率が下げられないのが悩み。また、余った食材を無駄にしない取り組みにも渡辺さんらしいこだわりを感じました。



食材にこだわり過ぎて下げられない原価率


11月のおすすめメニュー「あじわいランチ1200円」


「私は料理学校に通って勉強したこともなく、レストランでの勤務経験もありません。ですから、本当に自分が作ったものでお金をいただくことに抵抗がありました。だから、せめて材料にはこだわろうと思っています」


先日は1尾390円の生サンマを、値段が合わないと悩みながらも購入したそう。無添加の食材にこだわっているため、材料費がかさむと嘆きます。飲食店の材料原価率はおおよそ30%といわれますが、味真野茶屋では30%をはるかに超えている状況です。


訪れるお客さんの中には年金暮らしの方も多く、料金を上げることもできません。添加物が入っていないことも重視しているけれど、それ以上に美味しいと思えるものを選んでいるそう。材料費と価格の設定に日々板挟み状態だといいます。


取材時には11月のおすすめの「あじわいランチ(税込み1200円)」をいただきました。季節の根菜や胡桃のかき揚げ、越前大野産の赤大豆が入った茶飯、柿と大根の酢の物など、食材へのこだわりを強く感じるメニューでした。


10月までは茶蕎麦を提供していましたが、茶葉の不足と新蕎麦の入荷が重なったため、11月からは蕎麦に変更して価格も下げたとのこと。茶蕎麦は渡辺さん自らが試作を重ねて、そば粉や茶葉の比率を決定し、近くの製粉所に製造を依頼していました。


渡辺さんは「地域の人に支えられてお店を続けられているという想いが大きいので、値段を上げられない」といいます。価格設定のときには、「年金暮らしの者には1,500円のものを何度も食べに来られないよ」というお客さんの声を尊重し、11月から1,200に価格を抑えたそうです。


「味真野地区の人たちが気軽に来られるところにしたいという想いが強くあります」と渡辺さんは言います。



インスタグラムを活用し食品ロスをなくす取り組み

昨今では食品ロスが問題になっていますが、味真野茶屋でも食品ロスをなくす取り組みをしています。


「うちは作り置きや調理済みの総菜を使わず、すべて手作りなので、その日に作ったものはその日の内に食べることが大前提です。ですから、総菜が残ってしまったときにはインスタグラムに掲載して、テイクアウトでの販売をしています」


売れ残った商品は17時30分まで販売している


午後2時のランチ時間を過ぎると営業を終了するため、残った食材は食品ロス対策を兼ねたテイクアウト販売としてインスタグラムに写真と告知を掲載するのが渡辺さんの日課となっています。


取材当日も手際よく写真を撮影している渡辺さんの姿があり、茶飯や酢の物、里芋の煮物、ピーマンとちりめんじゃこの炒め物、だし巻き玉子などがインスタグラムに掲載されていました。電話連絡のうえ、午後5時30分までに取りに来ていただける方限定の販売となっていますが、写真を掲載してすぐに電話がかかってくることもあるといいます。


「多くは味真野地区内の方が多いのですが、先日は隣の鯖江市からわざわざ取りに来られることもありました」


食材ロス対策でも地域の方々に支えられているという渡辺さん。自身もさまざまな地域活動に取り組んでいます。



味真野茶保存会にも参加して活動の幅をひろげる


茶摘み体験の様子(画像提供:渡辺さん)


味真野地域では、伝統的な茶文化の継承のために味真野茶保存会がさまざまな活動をしています。味真野茶保存会は、茶園の整備を実施したり、摘んだ茶葉を煎茶、紅茶に加工販売したり、お茶を使用したクッキー、シフォンケーキ、煎餅、まんじゅう等を開発したりしている団体です。


2023年3月まで公民館で働いていた渡辺さんは、味真野茶保存会とは関わりがあったものの、実際に会員になったのは退職してからでした。現在は会員として味真野茶の看板を掲げ、児童館で茶団子の作り方を教えています。


また、小学校の総合学習で『食グループ』の子供たちが考えた味真野茶を使ったメニューを味真野茶屋で紹介することも考えているとのこと。地域の声やアイデアを形にすることで、さらに茶文化を広めたいと渡辺さんは語ります。



味真野地区に茶文化があったことを伝えたい


味真野茶保存会から寄贈された茶もみ唄の額


味真野茶保存会は、渡辺さんが味真野地区の公民館に配属となった2年後に、「茶もみ唄を伝えたい」「茶文化があったことを残したい」との想いから発足しました。


店内には味真野茶保存会から寄贈されたという茶もみ唄の額が飾られています。茶もみ唄は収穫した茶葉を焙炉(ほいろ)の上で揉み込む作業をしながら歌う唄です。


2010年からは毎年11月頃に茶もみ唄の全国大会を開催し、今年は地元の幼稚園児も歌ってくれたとのこと。全国大会とはいってもまだまだ知名度が低いため、普及する一役も担いたいと語ってくれました。



来年は手摘みの茶葉を今の3倍に


重要文化財・旧谷口家横の茶畑


現在、味真野茶は重要文化財である旧谷口家横の茶畑を含む大きな4箇所の茶畑と、民家の間の小さな茶畑で主に栽培されています。昔に比べれば栽培量は少なく、普及のためにも栽培量を増やす必要があります。


近年は味真野茶屋のすぐ近くにある「タケフナイフビレッジ」横に植栽しました。ただし、お茶の木の成長には4〜8年が必要であり、規模拡大にはまだまだ長い年月がかかりそうです。


「来年は手摘みの茶葉を今の3倍くらいにしたいと思っています。味真野地区では、毎年新茶の採れる5月に手摘みと茶もみ体験を開催していますが、さらに体験イベントとして規模を拡大し参加者を募りたいです」と渡辺さんは熱く語ってくれました。 



味真野茶の歴史を刻む


味真野茶屋のすぐ近くには継体天皇の銅像がある 


味真野地区は深い歴史のある地域。味真野茶屋の向かい側には万葉集にゆかりの深い味真野苑があり、苑内には継体天皇の物語で知られる恋のパワースポットや無料で入場できる万葉集の資料館、万葉館があります。また、裏手にある「タケフナイフビレッジ」は、700年の歴史がある越前打刃物の製造と販売を行なう協同組合です。


昨今は新しいものにばかり注目しがちですが、室町時代からの長い歴史を持つ味真野地区の文化を次の世代へつながなければなりません。渡辺さんのように、自ら声を上げ、行動する人が必要です。 


 「自分でも無謀なことに挑戦していると自覚しています。でも、65歳になって、自分がやりたいと思うことをさせてもらいたいと考えるようになりました。人生の中で、縁とタイミングは重要だと思っています。人生、何が起こるかわかりませんね」


そんな風に語る渡辺さんは、当初は反対していた家族も今では応援してくれているといいます。


店舗前に設置された目印ののぼり旗(向かいは万葉の里 味真野苑)


「味真野茶のことや味真野地区の魅力を、もっと全国の人に知ってもらい、後世にも残したいと考えています」


味真野地区の年配の方々は、子供の頃に茶摘みをするとお小遣いを貰えたというほど、製茶業が盛んな地域だったそうです。


途絶えかけた文化を復活させることは難しいかもしれません。しかし、地域の方々の熱い想いで実現できるような気がしました。




■ 味真野茶屋


ホームページ

r.goope.jp/ajimanochaya


住所

〒915-0023

福井県越前市池泉町20−17−1 


営業時間

10:00-15:00


Instagram

@ajimanochaya