「100年後に帰ってきたとき、『昔、ここに可愛いお花屋さんがあったんだよ』って誰かが話しているのをお空から見て、『ああ、やってよかったな』ってその意味がわかったらいいと思っています」
そう語るのは、福井県敦賀市の博物館通りに佇む生花店「百年花屋(ひゃくねんはなや)」のオーナー・今井珠里さん。
百年花屋の第一印象は、一般的な華々しい生花店とは少しだけ毛色が異なります。
店内には、切り花用の冷蔵ショーケースはなく、色とりどりの花も置かれていません。ほのかなユーカリの香りが、心地よいリラックス効果を生み出す不思議な空間でした。
店内の様子(画像提供:今井さん)
ディスプレイされているのは、上品で落ち着いた色合いの生花とドライフラワー。それはまるで、ノスタルジックな博物館の中に入り込んでしまったかのよう。
東京生まれの今井さんは、2017年の結婚を機に福井県敦賀市に移住し、2022年2月に以前から親しみを感じていた博物館通りの空き店舗「さなだミート」をリノベーションして生花店をオープンしました。
しかし、店舗ビジネスに興味があった当初は生花店を経営するつもりはなかったといいます。どのようなきっかけで百年花屋をオープンすることになったのでしょうか。
きっかけはまちづくり推進ワークショップ
今井さんは、「敦賀Rハッカソン2023」と書かれた一枚のチラシを取り出します。
「きっかけは、2020年11月に開催された第2回目の『敦賀Rハッカソン2020』でした。このチラシは今年開催予定のものです」
「敦賀Rハッカソン2023」のチラシ
まちづくり会社(行政や市民、事業者が一体となって「まちづくり」を進める民間企業)の港都つるが株式会社が主催する敦賀Rハッカソンは、まちづくりの推進を目的とした実戦型ワークショップ。
リノベーション分野の講師を招き、グループを作って3日間でまちづくりの事業プランをつくる企画です。
ただ「やってみたい」だけで応募
敦賀Rハッカソンのチラシには、参加条件としてスキルや興味関心について10項目が記載されていましたが、今井さんはほとんどの項目に該当していなかったといいます。
「行政経験もないし、リノベーションにも興味ありませんでした。当時はノートPCも持っていませんでしたし、アドビ系ソフトウェアもまったく使えなくて。ただ、何かのお店をやってみたいという意欲だけで応募しました」
じつは、今井さんが申し込もうと思ったとき、すでに応募締め切りから1週間が過ぎていたため、参加できないと諦めていたとのこと。
ところが、港都つるがの担当者は「いいですよ」と二つ返事だったそうです。ここから今井さんの運命は大きく変わり始めました。
課題は肉屋さんのリノベーション
現在も店内の天井や壁には「さなだミート」の面影が残る
敦賀Rハッカソンでは、参加者12名が6名ずつに分かれ、それぞれのグループで実際にまちが抱えている課題を元に、まちづくりのプランを考えました。プレゼンの内容次第では、実際にアイデアが採用されるというものです。
今井さんのグループに割り当てられたのは、港都つるがが管理する博物館通りの「さなだビル(1階の「さなだミート」と2階、3階の居住空間)」のリノベーションでした。
3日間のワークショップを終え、最終的にグループとしてプレゼンした内容は、ビル内の1階部分に商店街を作るアイデア。小さな店舗をビル内に配置し、屋台やチャレンジショップのような業態を提案しました。イベントに出店するような気軽な感覚でできるため、初めて開業する人にも最適です。
さらに、2階を漁師の民泊に、3階をゲストハウスに、そして「さなだミート」の社長が取り組んでいた「晴明の朝市」を復活させることも提案しました。
プレゼンでは高評価を得たものの、費用の捻出が難しいとの判断。結果、Rハッカソンの3日間終了後に、アイデアそのままではなくできることから工夫して取り組むことになりました。
じつは、店舗ビジネスには興味があったものの、今井さんが敦賀Rハッカソンへの応募を決意したときはまだ明確な事業イメージはありませんでした。
しかし、元々花屋で働いていたこともあり、「自分ができるとすれば、花屋しかない」と考え、敦賀Rハッカソンと同時進行で具体的な事業計画を練り始めます。
敦賀Rハッカソンと同時進行で企画書を提出
博物館通りにある「さなだミート」の斜め向かいには、港都つるがが管理する別のテナントがありました。当時テナント募集があり、今井さんは生花店の企画書を作成して持ち込みます。
しかし、テナントからの採否連絡よりも先に、「さなだビルの1階で花屋やろう」と港都つるがの担当者から連絡があったとのこと。気がつけば色々なことがつながり、すべてが前向きに進みます。
2021年3月、内装工事の合間の土日を利用して「百年花屋」をプレオープンすることになりました。
内装工事は業者に依頼するとともに、ワークショップを終えてからもつながりのあった敦賀Rハッカソンのメンバーにも手伝ってもらったそうです。
ほどなくして工事が完了し、2022年2月9日に正式にオープンしました。
プレオープン時には「さなだミート」の備品や設備が多く残されていた(画像出典:Facebook)
百年花屋の商品へのこだわり
百年花屋には一般的な生花店とは少し異なったこだわりがありました。それは花のディスプレイ方法や仕入れる商品に関する部分です。
花とお客さんとの距離をつくらない
ククミス(おもちゃメロン)も手に取って好みのものを選べる
百年花屋には、一般的な花屋で目にする切り花用の冷蔵ショーケースが設置されていません。お客さんが購入後に冷蔵庫に入れて保管することはないため、同じ状態で販売したいとの考えです。
また、お客さんと花の距離をつくらないことも意識しているといいます。冷蔵ショーケースを設置しないだけでなく、ディスプレイ方法にもこだわり、お客さんが自由に手に取り、花合わせができるように工夫されていました。
今井さんはその日のとっておきの花だけを用意するため、色が偏っている日もあります。ただし、色が偏っている日でも、売り場自体をブーケのイメージに一貫。
「この売り場をぎゅっと束ねたら可愛いブーケになるイメージです。花が並んでいるのを指さして『こういう雰囲気でおまかせ』とオーダーしてもらえるような売り場を毎日つくるようにしています」
商品の仕入れについても、今井さん独自のこだわりがありました。
地産地咲で新鮮な花を提供したい
店内には落ち着いた色合いの花が多い
今井さんが商品を仕入れる際に意識しているのが「地産地咲」です。
現在、福井県内にある3ヶ所の農園から仕入れをしていて、そのうち坂井市春江町にある栽培品種の多い中庄農園から最も多く仕入れています。
中庄農園で栽培する花は東京の大田市場や関西の市場などの都市部への出荷が主となるため、福井や金沢の市場では出回ることがありません。
今井さんはそれぞれの農園に直接出向くことで、都市部へ出荷されるような質の良い花も新鮮な状態のまま仕入れられています。栽培状況や品種を自分の目で確認し、直接交渉して仕入れているとのこと。農園に訪れるたびに新たな発見があるのも楽しいといいます。
規格外でも美しい花には商品価値がある
一部が石化したアカシア・ブルーブッシュ
農園では今まで出荷されずに廃棄されていた商品にも、今井さんは商品価値を見出しています。
たとえば、ある農園では規格が厳しく、花(つぼみ)の数、葉の数、はかま(水仙の足元にある白色の表皮)の長さや、はかまから花の先端までの長さが短いなどの理由で商品としては出荷できないものが多くあります。実際、商品としての品質上はまったく問題がない花でも、今までは廃棄されていました。
「規格外の野菜だから安く買えるという発想は好きではありません。だから、今までは規格外で出荷できなかった花も、適正価格で仕入れて販売しています」
また、中庄農園で栽培されているアカシア・ブルーブッシュという品種には、茎の一部が平たく石化(通常は独立した茎や葉などが複数癒着して扁平な形状になったもの)するものもあります。従来は、石化したアカシアは商品として販売していませんでした。
しかし、百年花屋では石化も一つの個性と捉え、「アカシア石化ブルーブッシュ」として販売しています。
「お客さんは面白がってくれるので、他の生花店では取り扱っていないようなものも置きたいと思っています。いつか、お客さんと農園を回るツアーも企画したいですね。日本海に面したところで水仙が栽培されている様子を見ていただきたいと思います」
博物館通りのつながり
敦賀市立博物館の通り沿いに百年花屋がある
今井さんは以前から博物館通りのノスタルジックな雰囲気が大好きだったといいます。一人でふらっと博物館通りまで車で訪れ、石畳風の路面を散策して帰ることも多かったとか。
「私自身は個人として大した力もありませんし、ただの小さなひとり花屋です。でも博物館通りには面白い人がたくさん集まってくるので、大きな可能性があります。ここはとても愉快な通りです」
敦賀Rハッカソンへの参加により、博物館通りに多くのつながりができたといいます。
第3日曜日には朝市「晴れの(日)」を開催
観葉植物を手入れする今井さん
毎月第3日曜日、博物館通りにお店を構えるオーナーらが中心となって朝市「晴れの(日)」を開催しています。
晴れの(日)は、2000年12月から約20年間続いた「晴明の朝市」の後継イベントとして復活させたもの。じつは、敦賀Rハッカソン2020で提案したアイデアの一つであり、当時のメンバーの尽力により実現できました。
「最近は新幹線が開通することもあり、敦賀市内でも多くのイベントが開催されています。多いときは同じ日に3つくらいのイベントが重なることもありました。でも、晴れの(日)のように定期的に開催しているイベントはないようです」
取材で伺った日は第3日曜日だったこともあり、百年花屋では晴れの(日)としてフランスフェア、ハロウィンかぼちゃ販売、ゲストを招いての風呂敷デモンストレーションが開催されていました。
また、晴れの(日)以外にワークショップも開催しています。
季節のイベントにあわせたワークショップ
敬老の日の手作りアレンジメント「Autumn hyakunen arrangement」(画像提供:今井さん)
直近に開催されたワークショップは「お絵かき探検隊(8月)」や「敬老の日の手作りアレンジメント(9月)」、「ドライフラワーアレンジメント(9月)」です。お絵かき探検隊では、合計29人の子供たちが参加し、賑やかな店内になったとのこと。
ワークショップは定期的に開催しているわけではなく、質の良い素材が入ったときに突発的に開催することが多いといいます。
「『美味しい魚が釣れたので、みんな来てください』みたいな感じです。素材が揃わないとワークショップの開催はできないので」
本当はもう少し頻繁に開催したいそうですが、スタッフは今井さん一人のため、販売とレジ対応を同時にこなしながらワークショップの運営までは一度にできません。
「『ちょっとやってみたい』という方がいらっしゃれば、場所を提供しても良いと考えています」と今井さんが言うとおり、百年花屋は自由度が高いイメージです。
最後に、百年花屋の今後の展望について伺いました。
今後は花だけでなく雑貨や紅茶にも力を入れたい
今後は雑貨も増やしていきたいと語る
「じつは、花屋を始める前、カフェスペースを併設することや、雑貨店の経営も検討していました」
今井さんは、決して現在の生花店が完成形ではないといいます。
花だけでなく雑貨や紅茶などの販売も増やしたい
販売を開始したフランス紅茶「茶と花 Cr...(シェール )」
すでに雑貨販売に取り組んでいますが、今後はさらに雑貨の品揃えに力を入れたいとのこと。「敦賀市内には雑貨屋さんってあんまりないんですよ」と今井さん。
また、最近はフランス紅茶の販売にも力を入れています。フランス紅茶は味のおいしさはもちろんのこと、見た目の美しさと香りとティータイムのコミュニケーションを楽しむもの。縁あって、従来は福井で購入できなかった「茶と花 Cr...(シェール )」の茶葉を入荷でき、販売し始めたそう。
現在は飲食スペースがないため店内では飲めませんが、今後はカフェスペースを作って紅茶と花についてお客さんと語り合いたいといいます。
「まだまだ完成形ではないので、最終的に何屋になっているかわかりません。もしかすると肉屋(さなだミート)に戻ってるかもしれません(笑)」
百年花屋の今後の可能性は未知数のようです。
100年先にはどうなっているかわかりませんが……
百年花屋の店内にて
「百年花屋」の屋号は中学生の頃に青森の寺山修司記念館で観た、映画「さらば方舟」のキャッチフレーズ「百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる」の2行が頭から離れなかったからだといいます。
「映画の中のセリフにも使われていたのですが、そのフレーズがずっと頭に残っていたので、お店を出すって決めたときにはどうしても屋号に『百年』を使いたくて。『百年』を他の誰にも取られたくなくて、早く出店しようと頑張りました」
今井さんのルーツは青森にゆかりがあることも含め、屋号に青森の要素も入れたかったとのこと。また、「さらば方舟」のタイトルから、今井さんの胸の内には、箱物に頼らず、中身を大事にしたいとの想いもありました。
店舗の入っているさなだビルは築50年。新しい建物を建てるのではなく、築50年のビルをリノベーションし、新たな価値を生み出すことに意義を感じているようです。
「今すぐ答えが出なくても、100年後にやってよかったなって思えるように取り組んでいます。100年経てばその意味がわかるようになるかもしれません。100年先にどうなっているかはわかりませんが……」
地方に移住したことで、いつか自分のお店を開きたいという夢を叶え始めた今井さんのところには、同じようにお店をやってみたいという方が相談に来られるとのこと。
「企業誘致もいいけれど、起業誘致できるまちになって欲しいな」と優しく語る今井さんは、晴れた日の太陽のようなまぶしい笑顔でした。
■ 百年花屋
住所
〒914-0062
福井県敦賀市相生町7-13-2