多くの輸入作物がわたしたちの食生活を支えています。たとえば、フィリピン産のバナナ。スーパーで100円程度で売られているバナナは、大規模なプランテーション栽培によって作られています。現地でバナナがどのように栽培されているか、農園でどんな人たちが働いているかは、日本の消費者からは見えません。


イニアビ農園は、自然栽培を実践し「みんなにやさしい野菜」を育てる小さな農園です。野菜の生産販売のほか、畑をフィールドにした教育プログラムを展開し、自然栽培の方法や世界の生産地について学ぶことができます。


オーナーの福岡さんに、イニアビ農園ができたきっかけやプログラムに込める思いをお聞きしました。



「みんなにやさしい野菜」を育てる小さな畑を展開


農園で育てている野菜。オンラインやマルシェで販売しています(出典:Facebook)


広島県安芸高田市向原町に広がる小さな畑、イニアビ農園。オーナー夫婦は、3年前に安芸高田市に移住し、活動の拠点となる古民家を購入しました。休耕地に根をおろし、土作りから野菜の栽培をスタートさせます。


農園では、自然栽培で育てた作物の販売や、農を通じた教育プログラムが行われています。教育プログラムの企画や実施を担当するのが福岡さんです。


「もともと田んぼだった耕作放棄地で、土壌改良を進めてきました。草をしっかり生やしてからそれを刈り取ってすき込んだり、麦を蒔いて根で土をやわらかくしたりしています。まだ軌道に乗っているとは言えないけれど、3年前より土が良くなっていますね。栽培と並行して、畑を通して環境や人権や平和について学ぶ教育プログラムも実施しています」


4年目の畑の様子。もともとはイネ科の雑草ばかりでしたが、土づくりを進めるうちにナズナやホトケノザなどが生えるように(出典:Facebook)


農園では2種類の教育プログラムが実施されています。畑で作物の育て方を学ぶ「自然栽培教室」と、栽培や食べることを通して世界各国の現状を学ぶ「世界とつながる農園プログラム」です。


自然栽培教室は、耕作放棄地を開墾した畑で開催され、座学や実践を通じて農薬や肥料に頼らない栽培方法を学びます。プログラムの目的について福岡さんは次のように話します。


「自分が食べる物を自分で作る喜びや尊さを伝えられればと思っています。自然栽培は、土があれば誰でも始められる農法です。生産や消費による環境への負荷も少ないし、永続的に土や環境に向き合っていくために必要な人間の姿勢が詰まっていると感じます。半面、一人で草や気候と向き合うと孤独な作業になりがちなので、一緒にできる人がいるとより続けやすいんです。自然栽培の実践者が増えれば、貧困や環境破壊などいろいろな問題が解決する、というのがわたしたちの考えです」


自然栽培教室の様子。農薬や肥料を使わずに野菜を管理する方法を学びます(出典:Facebook)


世界とつながる農園プログラムでは、小中高生や大学生を対象に開催され、課外学習や遠足・大学のゼミの活動の一環として依頼されることが多いそうです。


自分たちの食べ物が作られる背景に目を向け、普段食べている作物が世界のプランテーション栽培(単一作物を大量に栽培するために開発された農法)や土地収奪につながっていることを学びます。


座学で学ぶ様子。古民家を購入して自宅兼活動拠点にしています(出典:Facebook)


「目に見えない存在の犠牲のうえに自分たちの暮らしがある事実を、食べることを通じて伝えています。なにかを強要したいとは一切思っていないし、健康に食べて安全に生きていくことが一番。そのうえで、自分たちの生活が世界とつながっているという体感覚を持って、これからの社会を作っていく人が増えたら良いなと思っています」



キャリア志向からの変化。国内外の農園に感化され畑に興味を持つ

福岡さんはもともと畑や環境問題に興味があったわけではありません。むしろ、大学進学やキャリア・学歴・出世を重視する意識が強く、1次産業に携わって小さなビジネスを展開する未来は全く予想していなかったそうです。


そんな福岡さんが畑に関心を持ったきっかけは、大学生のときに調査のため訪れたポリネシアのタヒチ島でのファームステイでした。グローバル被爆者の研究をしていた福岡さんは、現地で見た自給自足の生活をする人々の姿を見て、生活の豊かさについて考えが変わったといいます。


春の畑の様子。自宅前の畑では自分たちが食べるための野菜を作っています(出典:Facebook)


「現地の農家や漁師の人と過ごすなかで、自分たちが暮らす環境の恵みを受け、自分たちで作った衣食住で生活をすることがどれだけ豊かで安心なことか、というのを思い知らされました。軍縮や人権、安全保障などの仕組みによって社会の安全を保障することを学んできたけれど、違った側面もあると気づきましたね。社会の仕組みではなくて、自分たちで食べ物を作って人に分け与えるコミュニティがあることが、なによりの安全で、コミュニティが有機的に続いていくために必要なあり方ではないかと考えるようになりました」


大学を卒業した福岡さんは広島でNPOに就職し、放課後児童クラブの催しを企画したり、修学旅行で広島に来る学生向けの教育プログラムを作ったりする仕事を始めます。仕事が休みの日には、日本の小規模農家を訪ねるようになりました。オーガニック農家や移住者と交流しているなかで、今のご主人に出会い、広島を拠点に自身も農業を始めます。


マルシェの様子。さまざまな種類の野菜が並びます(出典:Facebook)


「タヒチの農家と日本の小規模な農家には共通点があると感じました。それは、お金じゃないやりとりがあることや、もののやり取りのなかに人同士のコミュニケーションがしっかりあること、自然に感謝していることです。農家を訪れる経験を重ねるうちに、自分たちが農園をやるときのベースとなる価値観が組み上がってきました」


福岡さんは海外の農園にも訪問し、現地の取り組みや考え方に触れていったそうです。当時を振り返る彼女は、「ハワイやニュージーランドの農園にも行きました。貧困地域では農園が子どもたちの居場所になっていたりして、農園のポテンシャルは大きいなと感化されました」と話します。


学生時代のタヒチ島での経験や、帰国後に国内外の農村で得た知見や価値観がイニアビ農園の原点になっていることが見て取れます。



自分の食べる物を作ることで、誇りを持って生きられる


子どもに人気のさつまいもは、教室の合間のおやつにぴったり(出典:Facebook)


4年目を迎えた今、福岡さんはプログラムを通して、自分たちの課題意識に共感してくれる人は想像以上に多かったと活動を振り返ります。


「始めた当初は自分たちがやろうとしていることが曖昧だと感じていたんです。いいことをしているはずだ、と思って進めていましたが、思ったような反応が得られないこともあり、辞めようかと思った時期もありました」


試行錯誤を重ねるうちに、「良い学びをもらった」と声を残してくれる人も増えていきます。


地域活性のフィールド学習の場として県内大学からのニーズの高まりを感じたり、SDGsジャパンスカラシップ岩佐賞を受賞したり、客観的に評価されるようになったことも福岡さんたちの背中を押しました。


「畑を始めてみたいけど、どうすればいいかわからない」という初心者の参加者が多いそうです(出典:Facebook)


「世界から飢餓をなくしたいという想いをもとにプログラムをコーディネートしています。ただ、グローバルで規模の大きな課題に投石することにどんな意味があるのか、確信を持てないこともありました。自分も学生のときは、できることは募金くらいだよね、と考えていましたし。でも、今は学びを提供することで社会を変えられるという感触を掴んでいます」


福岡さんはプログラムの教材としている、モザンビークのトマト農園のことを話し始めます。モザンビークでは、日本に輸出するために大規模なトマト栽培がおこなわれていますが、現地の人はトマトを食べることはなく、8割の人が栄養失調に陥っているそうです。


トマトを生産するために、飢餓で苦しんでいる人たちがいたり、目に見えない犠牲のうえに生活が成り立っていたりすることを知ったとき、胸に浮かぶ違和感を無視できるか、と福岡さんは問います。


6月の畑の様子。じゃがいもの花が咲いています(出典:Facebook)


「どんな野菜でもいい。プランターや畑で育ててみれば、人間以外の生き物が持つ力強さや、自然から癒される喜びを感じられるんじゃないでしょうか。栽培教室がその感覚を持つきっかけになるとうれしいです」


植物や菌などの人間以外の生き物とのつながりを感じ、自然界に目を向けるようになると、人間中心の社会のアンバランスさに気づくかもしれません。自然栽培は生活を見直すきっかけをくれる場にもなりそうです。福岡さんの言葉はさらに続きます。


「土と向き合って、自分が食べる物を自分で作ることは、わたし自身が違和感のない生活をするために必要な作業だととらえています。自分の生活には、自分で落とし前をつけたいと思うんです。犠牲のうえに暮らしがあることの違和感をごまかして、対峙せずにいることは自分にとってかっこいい大人だとは言えないので。課題を知って、違和感に気づいたときに、無視をしないこと。今一度、自分に誇りを持てる生活のあり方を考えてみること。プログラムを通して、子どもたちにそんな生き方を伝えたいです」


―――

「グローバルで規模の大きな課題に投石することに確信が持てないでいた」という福岡さんの言葉は、ニュースで報じられる重い社会課題を前に、足がすくんでしまうわたしたちの言葉を代弁してくれているように感じます。


フラットな気持ちで課題を知ったり、違和感を無視できるか自分に問うてみたりすることは、すくんだ足を一歩踏み出すためのきっかけになるかもしれません。誇りを持って生活できる方法を実践して、勇気をもって石を投げこめば、輪が広がり、よい連鎖が生まれるはずです。福岡さんの言葉はわたしをはじめ多くの人の背中を押してくれる強さがありました。




■ イニアビ農園


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