有名なグルメや観光スポットがなくても、つい気になって旅行先に選んでしまう場所とはどんなところでしょうか? また、「もう一度ここに来たい」旅行先でそう思う瞬間、わたしたちはなにを見てどんなことを感じているのでしょうか? 


西畑町は、福井県内でもほとんど名前を知られていない越前海岸の小さな町。住民の半分以上が高齢者に当たる限界集落ですが、年間1万人以上が訪れ、何年もリピーターとして通うファンもいる、知る人ぞ知る場所になっています。


「またここに来たい」そう思わせる魅力に迫るため、ハワイ語で「家族」を意味する「ohana」という語を付けた「たかすオハナ牧場」のオーナー藤井さんにお話を伺いました。 



ローリスクな挑戦を重ねて見えてきた集落の資産


5月の牧場は潮風がさわやかで気持ちが良いです。遠くに海が見えます。


越前海岸沿いの国道にポツンと現れる「牧場&カフェ」の看板を目印に、細い角を曲がって1kmほど進んだ先に西畑町はあります。住宅地の先は山が立ちふさがり通り抜けができないため、村を行き来する人は住民だけという状態が長く続いていました。


そんな西畑町でたかすオハナ牧場を始め、カフェ・民宿の3施設を経営しているのは、この地域出身の藤井さんと、町の20人目の住人として大阪から移住した妻のジュンコさんです。



生家の空きスペースで農家民宿をオープン

藤井さん自身もUターン者の1人で、両親の看病のために東京から帰郷しました。両親が亡くなり、スペースを持て余した実家の広間や応接間を見て「なにか活用する方法はないか」と思案していたといいます。


そんな折、たまたま友人が見つけた新聞記事の「農家民宿」の文字に目が留まります。


「県の機関に話を聞きに行ったところ、農家民宿を始めるのは意外とハードルが低いことがわかりました。農地があって、人を泊められる家があって、農業体験を提供することができれば、家を改装する必要もないし、初期投資もほとんどありません。1カ月に一人でもお客さんが来てくれれば、電気代の足しになるだろうと軽い気持ちで始めました」


オーベルジュフジイフェルミエの玄関。家の外も中もほとんどリノベーションはしていません。(写真はHPから)


「知らない人を泊めるのは危険かもしれない、そもそも小さな村に客は来てくれるのか」と周囲からは反対の声もありましたが、藤井さんはリスクを感じなかったといいます。


「やってみてうまくいかなくても失うものはない、とりあえずやってみよう」と2016年に「オーベルジュ・フジイフェルミエ」をオープンさせます。


オーベルジュ(auberge)とは、フランス語で宿泊場所を兼ね備えたレストランのことです。


オーベルジュフジイフェルミエでは農家民宿の夕食としてはめずらしく、フレンチシェフから料理を学んだ藤井さんお手製のディナーコースが振舞われます。丁寧に作られた食事と心地のよいおもてなしが人気となり、予約サイト内に良い口コミが増えていきます。


口コミが次々にお客さんを呼び、オープンから1年足らずで100人以上の宿泊客が訪れました。国内では大阪や名古屋から、海外からも多くのお客さんが訪問し、今では年間400人から500人もの人が泊まりに来る人気の農家民宿になりました。


宿泊客は町内を散歩したり、近くの山をトレッキングしたり、なにをするわけでもなく西畑町での時間を過ごします。藤井さんは宿泊客と接するうちに、村の見え方が変わったといいます。


「西畑町には観光スポットはありませんが、なにもないことがここの資産なのかもしれないと思うようになりました。たとえば、有名な滝があれば、人が集まって、静けさがなくなってしまいます。集落を散歩して、風の音を聞いたり、草の匂いを嗅いだり、遠くに見える海を見たり、そんな風にくつろぐ時間を過ごしたい人が、ここを選んできてくれるのだと思います」



休耕地に放牧したヤギが村に人を集める

西畑町は山間のわずかな土地を農地としていたため一戸あたりの耕地面積が狭く、効率良く農業で収益を得られる立地条件ではありませんでした。戦後の高度経済成長期以降、多くの人が町外へ働きに出ていき、現在は全世帯が離農しています。


両親が遺した耕作放棄地の管理に悩む藤井さんはヤギを放牧する方法を耳にします。「人間が草を刈る代わりにヤギが草を食べてくれる。ペットを飼うつもりで飼ってみては」と提案する県の畜産試験場からヤギを譲ってもらい、当初4頭のヤギを迎えました。


クラウドファンディングで建てたヤギ舎。周りの柵も少しずつ整備して、牧場を拡張しています。


ヤギが一生懸命に草を食べてきれいに刈り揃えた青々とした地面や、近くの保育園の子どもがヤギを見て嬉しそうにしている様子を見て、光明が差したといいます。


牧場名はハワイ語で家族を表す「たかすオハナ牧場」と名付けました。


「過疎化や限界集落化が進む土地では、どんどん家族が消えていってしまうんです。家族の絆ほど大事なものはないですよね。村にもう一度子どもたちの声が響くように、家族の賑わいが戻るようにと、願いを込めて命名しました」


2021年には牧場の維持管理費を賄うためにヤギと食性が似ているヒツジを飼い、ラム肉として出荷する畜産業にチャレンジします。冬場の日本海では、強風が海水をミスト状に巻き上げ沿岸地域に降らせます。


たかすオハナ牧場の放牧場に生える草は海のミネラルに富み、それを食べる羊たちはフランスのブランドラム肉「プレ・サレ」のよう。藤井さんはオハナ牧場産のラム肉を「福井プレ・サレ」と名付け、県内のレストランへ出荷しました。


2023年に3頭の子羊が誕生。生まれたばかりの子羊とジュンコさん。羊は生後3カ月程度で大人の大きさに成長するそうです。(写真はHPから)


農家民宿も牧場もローリスクな挑戦だったと藤井さんは振り返ります。


「ローリターンだったとしても何もしないよりは確実に成果がある」と地道に挑戦を重ねたことで、限界集落だった西畑町は1年に1万人以上が訪れる場所に生まれ変わりました。


厳しいコロナ禍をくぐり抜けて、2022年には年間450名の宿泊客が戻って来たといいます。



7年目を迎えた民宿の次の一手

2021年にはランチやコーヒーを提供する「カフェオハナ」をオープン。2023年で7年目を迎えるオーベルジュフジイフェルミエの宿泊客は、2000人を突破しました。


藤井さんとジュンコさんは、民宿やカフェのお客さんとのコミュニケーションを大切にしています。周辺の観光案内はもちろん、ガイドブックには書かれていない西畑町の歴史や、自分たちのプロフィールなど2人の話は旅の思い出に色彩を加えてくれます。


民宿の玄関に貼られた写真。海外のお客さんの写真もたくさんありました。


宿の玄関には泊まりに来たお客さんの写真が並んでいます。何枚もの写真の中には、子どもの字で書かれた手紙や夫婦の似顔絵も見られます。


毎年宿を訪れるリピーターも数組いて、じわじわと村のファンが増えてきました。オハナ牧場の名の通り、リピーターと藤井さんたちの間には家族のようなコミュニケーションがあるといいます。


「リピーターになってくれた家族のインスタグラムにアップされる子どもの成長を見るのが楽しみだったり、あちらもヒツジの様子を気にかけてくれたりと、遠方の親戚のような感覚でやり取りをしています。次の年に泊まりに来てくれた子どもたちが、“ただいま!”と言ってドアを開けてくれるのを見ると、関係が深くなっていることを実感します。リピーターのお客さんの中にはここに住みたいと言ってくれる人もいるんです」


空き家を買って住んでみたい、という声もあがるようになり、藤井さんは町への移住につながる筋が見えてきたと強い手ごたえを感じます。


しかし、同時に夫婦2人で切り盛りする牧場・カフェ・民宿の運営には限界があるといいます。 


カフェの酵素玄米おむすびランチ。有機栽培や福井県産のものなど丁寧に調理された食材が並びます。


「動物たちの世話と、カフェと民宿の運営で1週間があっという間に過ぎていく。このままいつまでも夫婦だけでやっていては、進展性がないし、各施設のキャパシティーが限界を迎える日も近い」と話す藤井さんは、次の挑戦として、イタリアが発祥のある地域再生プロジェクトに注目するようになります。



村全体をアルベルゴ・ディフーゾ(分散された宿)に

自分たちの活動や町のこれからを考える藤井さんの口から語られたのは「アルベルゴ・ディフーゾ」という言葉でした。アルベルゴ・ディフーゾ(Albergo Diffuso)とは、イタリア語で「分散された宿」の意。


イタリアの廃村復興プロジェクトの中で生まれた語句で、村全体をホテルとみなし、ある家は宿泊施設、隣の家はレストラン、またある家はスーベニアショップというように、各々の家でさまざまなサービスを提供しようという試みです。


草刈り&エサやり体験をする中学生。楽しそうに鎌で草を刈る様子を見て「どんな体験でも観光資源になりえる」と気づいたそうです。(写真はHPから)


全戸が11戸しかない西畑町には、すでに空き家が2件、住民の高齢化も進み、今後ますます空き家が増えることは明白でした。


そんな中、アルベルゴ・ディフーゾの話を耳にした藤井さんは、西畑町は「分散された宿」を実現するのにぴったりの場所だと感じたそうです。


「西畑町は、畑や田んぼに向かない立地なので地域復興で人が集まったとしても、農業では生活は成り立ちません。でも、観光業なら11人みんなで取り組むことで大きな資源を作り出せます。50軒や60軒もある地域では、住民の足並みをそろえるのが難しいかもしれませんが、小さな地区だからこそアルベルゴ・ディフーゾを形にできる可能性を秘めています」


このまま山の中でひっそりと消えていく未来が予想されていた場所に、さらなる活路が見いだされます。アルベルゴ・ディフーゾが実現すれば、地区の維持だけにとどまらず、地域の人の生活にも彩りを加えられると藤井さんは先を見据えます。


「ラム肉をブランド化して、レストランを開きたいと考えています。雇用が生まれ、この場所で長く過ごす人が増えれば、その中から移住者が生まれるかもしれません。まずは5年後くらいを目途に、一緒に活動してくれる人を見つけて、最終的には2組の移住を呼び込むことがわたしの理想でありミッションです。そのあとは、来てくれた人のネットワークで新しい出会いが広がっていくでしょう」


ラム肉のブランド化を目指すと語る藤井さん。ヨーロッパでは潮風のミネラル豊富な牧草を食べるヒツジは「プレ・サレ」と呼ばれて重宝されています。


働き方が多様化する昨今、場所にとらわれずに、リモートでライフワークを続けながら移住する選択肢も取りやすくなっています。


空き家に移住して今までの仕事をつづけながら、アルベルゴ・ディフーゾの一員としてアトリエやショップを開いて訪れる人をもてなす、西畑町なら、そんな暮らし方ができるかもしれません。


「移住は人生の大きな決断の一つですが、オハナ(家族)がいる西畑町なら大丈夫と言っててくれる人がいればいいし、こちらも、人生観が似ていて一緒にやっていきたいと思える人を積極的に迎えたい。お互いをよりよく知って、力を貸し合い、支え合っていける仲間を探していく」


藤井さんとジュンコさんの挑戦は続きます。


―――

藤井さんとジュンコさんとお話をするうちに、どうしても民宿に泊まってみたくなり、友人を誘ってオーベルジュフジイフェルミエに一泊しました。


読みたい本を読み、ワインを飲みながら饒舌気味にディナーを堪能し、早起きをしてヤギとヒツジにあいさつをするなど、楽しかった旅の思い出の中で、藤井さんがチェックアウト時に渡してくれたおにぎりが印象に残っています。家族以外が手作りしてくれたおにぎりを最後に食べたのはいつだろうかと、ラップをほどいてしみじみと食べました。


ご当地の名物グルメ、パワースポット、写真を撮らずにはいられない絶景、それらはもちろん魅力的ですが、会いたい人がいるから会いに行く、そんな理由で出かける旅があってもいいかもしれません。


海の風を受け入れ、人も動物もうちとけて過ごす藤井さんの牧場、そこにはたしかに「オハナ」がありました。




■ たかすオハナ牧場


住所

〒910-3373

福井県福井市西畑町2−9


Facebook

@takasuohana


Instagram

@cafeohana358