いすみ鉄道は千葉県房総半島のいすみ市と大多喜町の間を約27kmに渡って走るローカル鉄道です。元々は1930年にいすみ市にある大原駅と大多喜駅間が開通し、木原線として開業。その後国鉄「JR木原線」として運営していた時期を経て、1988年に「いすみ鉄道」として運行を開始しました。


いすみ鉄道は、自治体からの出資で運営する第三セクターの鉄道会社。経営は厳しく、廃線の危機にも見舞われてきました。厳しい状況の打開策として社長公募を始め、現在いすみ鉄道の三代目公募社長を務める人物が古竹孝一さんです。


ご実家は香川でタクシー会社を経営しており、古竹さんは後継者として社長をされていました。それから、いすみ鉄道の社長公募で選出され、2018年よりいすみ鉄道の社長に就任されました。


今回は、そんな古竹さんのこれまでのご経験や社長として大切にしている考え、いすみ鉄道の今後についてお話を伺いました。



家業を継いだ社長としては異例の経歴


古竹さんは香川県出身ではありますが、学生時代は千葉県の津田沼で過ごされました。ご実家がタクシー会社であることから、大学では交通工学を専攻。大学院を卒業してからは関東での就職を経験後に香川へ戻り、家業を継ぐ予定でいたといいます。


「会社の選考に行く予定だった当日に、親父から香川に帰って家業を継ぐようにいわれたんです。後継ぎの身としてはNOと言えず、学生時代に思い描いていた関東での就職は叶わなかったんですよね」


その後香川に戻ってからは赤字状態だった家業を立て直し、事業を拡大されました。大学院を卒業してすぐに結婚もされています。香川で忙しい日々を過ごしてきた古竹さんにとって、47歳になる誕生日が転機となりました。


「自分の誕生日にいすみ鉄道の社長公募を知ったんです」


二人のお子さんも大学生になり、もともと奥さんと二人で何か新しいことを始めたいと思っていた古竹さん。後輩の方から社長公募の知らせを受けたといいます。大学院を卒業してからすぐにタクシー会社を継いだこともあり、大学時代に研究していた駅前広場の事業計画などの経験が活かしきれていない現状にモヤモヤとした想いを抱えていました。


誕生日に届いたいすみ鉄道社長公募の知らせは、後継ぎだから仕方ないと思って諦めていた古竹さんにとって運命的な出来事でした。


「跡継ぎという立場でもやりようによっては自分のやりたいことができるんじゃない?って考え直したんです。それでいすみ鉄道の社長公募への応募を決意しました。結果として学生時代に掲げていた関東就職のミッションが果たせましたね(笑)」



「企業の社長」から「第三セクター鉄道会社の社長」へ転身


いすみ鉄道の社長に就任する前は、一般的な企業の社長をしていた古竹さん。就任当時は、自治体の出資で運営する第三セクターという特殊な形態に頭を悩ませたそう。


「15年間一般企業の社長をしていたこともあり、いすみ鉄道の社長に就任した当初はカルチャーショックが多くて体を壊しましたね」


いすみ鉄道のオフィスには、大切な書類の保管場所がなく、机の上に散乱している状態。また、鉄道会社が赤字の場合、人件費が高いケースが一般的だと聞いていましたが、いすみ鉄道の場合は、社員の給料が安く、鉄道にかかる費用がとてつもなく高い状況でした。古竹さんは自身の給料を下げ、オフィス家具を購入するなど環境を整えることからスタートしたといいます。 


2018年の就任時から、これまでに豪雨やコロナ禍での営業などさまざまな困難にも見舞われてきました。これまでの人生経験からイレギュラーな事態には慣れていると語ってくれた古竹さん。大変な時でもポジティブな姿勢で乗り越えてこられました。


「豪雨の時には、鉄道関係者の団結力の高さを見られてよかったと感じましたね。皆さんのとにかく一刻も早く鉄道を復旧させようとする雰囲気がすごくて。ある意味ああいった非常事態でしか見られない姿だと思うので、それが見られて貴重な経験でした」


「コロナの最初の頃は、学生さんが全く乗車しなくなって、売上がほとんどない日も多くありました。ガラッとした車内を見た時に、『このまま10年間何もしなかったら、いすみ鉄道はこうなりますよ』と神様が教えてくれたかのように感じたんです。じっとしていたらだめなんだって思わせてもらえました」


物事をポジティブに捉えられるようになったのは、タクシー会社からの経験も含め、過去に3回会社が潰れると思っても案外潰れないことがわかってから。


「32歳で家業の社長を継いでから本当に今までいろんな苦労をしてきました。そういう経験があるからいくらでもマインドを変えられる自信があるんですよね。昔は、人をコマみたいに扱ったこともありますし、何人もの人にクビを宣告した経験もあります。その度に叩かれて成長して今があるって感じです。最初から物事をポジティブに捉えられてきたわけではないんですよね」



何よりもいすみ鉄道を残すことが一番大事


いすみ鉄道の社長として日々さまざまなことを考える上で、古竹さんが一番大切にしていることは「いすみ鉄道を将来残れる会社にすること」だといいます。


 「何が起こるかわからないこの世の中。これが正しいと言い切れる人はいないと思います。そんな世の中では、何が起きても存続させることが重要だと思うんです。よく、鉄道会社の社長としていすみ市や大多喜町についてどう考えてる?などの質問を受けます。それはもちろん色々考えてますが、一番に考えているのは、いすみ鉄道をいかに残れる会社にするかってことなんですよね。そのために犠牲があっても仕方ないくらいの気持ちじゃないと残せない。そのくらいの覚悟でいます」


古竹さんは、常にいすみ鉄道が明日なくなるかもという気持ちを持っているといいます。全国に40社ほどあるという第三セクターの鉄道会社。鉄道会社は沿線地域の特性に左右される中、いすみ鉄道は売上だけでみると下から5番目という状況だそう。


「あれ、もしかして下から順番に切られていったら、いすみ鉄道も終わりが近いんじゃないか?みたいなことも思いながら過ごしてます。あと、もし脱線したら?橋が落ちてしまったら?とかね。そんなことを頭の片隅におきながら、未来に向けて残すぞって根性も同時にもちながら日々奮闘しているんです」



鉄道会社の社長になって感じるやりがい


鉄道会社の社長になって実感したことは、いろいろな企業や活動をしている人から「いすみ鉄道でこんなことできませんか?」と声をかけてもらえることに楽しさを感じるということだそうです。古竹さんから「面白い活動しているね、何か手伝えることある?」といった具合に声をかけることもあるといいます。


「いろいろな人に会えるっていうのも鉄道会社の社長をしていて楽しいと感じることです。鉄道会社の社長をやっているからこその出会いがたくさんあります。でもそれは、私が偉いのでもなんでもなくて、いすみ鉄道に付加価値を感じて僕に近づいてきてくれる。そういう部分でもいすみ鉄道自体に残す価値を感じていて、そのために頑張らないとって思うんですよね」


また、古竹さんは鉄道会社の社長として「敷居の低さ」を大切にしているといいます。大学生以下の方から何か依頼があった場合は、基本断らない姿勢をもっています。一般的に鉄道の世界では「運行に関係のないこと」とされる依頼は門前払いをすることが多い中、古竹さんのような対応は異例です。


「誰でも同じように扱うことが大事だと考えています。鉄道って大量輸送ですし、誰でも乗ってもらえるっていう特徴があるじゃないですか。同じ対応を外に向けてもしているだけなんです。いすみ鉄道は運行だけではやっていけない。地域のシンボルとしてちゃんとした立場であることを行動で示していかないと」



いすみ鉄道を残すために大切な3つのこと


いすみ鉄道を残していくために社長が意識している3つのことを教えてくださいました。


「1つ目は、安全。何よりも鉄道会社としては第一の使命ですよね。家業のタクシー会社では事故はつきものという環境でしたが、鉄道の世界では、とにかく安全が第一です」


2つ目は地域との連携です。地域と連携をして何かをしていくには、「これをやろう!」と手を挙げた人たちの情熱がまずは大切だといいます。さらに、人口が減っている地域ではプラスして「寄り添う姿勢」が必要だとのこと。何かを始めたとしても、最初に無理をして継続できないことであれば意味がないといいます。 


「やろうと言い出した人に一番情熱があって、関わる人たちが楽しんでいて、それをみて周りの人が集まってくるみたいな。こういった流れが自然とできる事業をどんどんと地域に生み出せたらなと思っています」


3つ目は、社会実験の取り組み。社会実験とは、道路施策の導入に先立って、場所や期間を限定し、行政機関や地域住民協力のもと行われるものです。


「いすみ鉄道は、無くても困る人が少ない鉄道であるという現実があるからこそ、無くさないためにはどうするかを考えなければいけないと思っています。そのための一つの行動として、社会実験に常にトライする姿勢でいる会社でいようと思っています」



「い鉄ブックス」について


引用:い鉄ブックス – あなたの家に眠っている本でいすみ鉄道を応援しませんか

https://itetsubooks.club


いすみ鉄道では、地域連携の取り組みの一つとして「い鉄ブックス」という古本事業に取り組んでいます。寄付してもらった古本をネットで販売し、そこから得られた収益をいすみ鉄道や沿線地域で活用するというものです。寄付された本はネットで販売する他に、民間の図書館で活用したり、古本市などのイベントを開催したりといったことに使用されています。


「い鉄ブックス」の取り組みは、前でも述べた、情熱を持って始めた人と、楽しみながら協力する地域の関係者や専門業者の方が揃っています。だからこそ事業としてうまく成り立ち、現在まで継続できているそうです。


取り組みがスタートしたきっかけは、古竹さんの地元の人との繋がりでした。香川の廃校で就労支援事業をしていた知り合いの方が、廃校を取り壊す関係で、本の保管場所に困っていたといいます。そこから古本を活用する「い鉄ブックス」の取り組みに話が発展していったそう。


「彼とは、飲み友達になって、その後、一緒に事業をやることになったんです(笑)そういった感じで、人と人とがキュッと繋がって何かを始める感じが好きですね。今後もそんな風にいろいろな人と一緒に楽しいことができたら嬉しいですね」



いすみ鉄道の今後


「全国にある第三セクターの鉄道会社40社の中で最後に残る鉄道会社でいたいと思います。他の会社には負けたくありません」


そう力強く語ってくれた古竹さん。いすみ鉄道を残すために安全遵守や地域連携の取り組み、社会実験への参画など3つのことを軸に今後も活動していかれるといいます。


また、同時に若い人が常に入ってきてくれる鉄道会社にしたいとも語ってくださいました。社長就任当時、いすみ鉄道には古竹さんよりも若い人がほとんどいない状況だったといいます。ですが、今では地域おこし協力隊としていすみ市や大多喜町にきた20代の方や、高校を卒業してすぐにいすみ鉄道の社員として働いている方もいます。


「若い人が強い意志を持って入りたいと言ってきてくれるのは、単純に嬉しいですね。若くして入ってきてくれた彼らのためにも、いすみ鉄道をしっかり残れる会社にしていきたいです」



■ いすみ鉄道


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