夏が近づくと、スーパーにたくさんの夏野菜が並びます。その中でも一際目を引いた「きゅうりづくり四十年の経験と自信・たかはし農舎のきゅうり」とパッケージに書かれたきゅうり。
緑の色が濃く、真っ直ぐでピンとした見た目に、“カシュッ”と歯切れの良い食感と同時に、瑞々しさが溢れます。青臭さがなく、一本まるごと、そのままいただきたくなるきゅうり。
「きゅうりって、こんなにおいしいんだ!」
筆者である私は、何気なく手に取ったきゅうりの味に感動し、秋田県美郷町にある「たかはし農舎」に取材を試みました。
代表取締役の髙橋洋生さんは、祖父の代から続く農業を営んでおり、3代目として日々の農作業や経営に奮闘しています。きゅうりだけではなく、3〜4月はほうれん草の生産・加工・販売も手掛けています。
農業業界の抱える現状から思ったこと
きゅうりの時期が終わると、ハウスは全てほうれん草畑に切り替わります。一週間以内に撤去して一面をほうれん草畑にするという、なんともハードなスケジュール
2005年に東京農業大学を卒業した髙橋さんは、家業を継ぐために、地元の美郷町に戻ることに。髙橋さんの実家は、一般的なビニールハウスできゅうりづくりをしており、大きな農業組織を通して販売を行っていました。
「(農業組織を通すことの大変さとして)良いものを作っても評価されない。売り場のニーズに合った規格を作りたいのに、規格を変えられない。例えば私が農業組織に対して『5本入りのきゅうりを3本にして売りたい』って言っても、受け入れてもらえない。お客様の声も農業組織で対応するので、よっぽどのことがない限り、こちらの耳には届かないですね」
経営に関わる数字を見ても、けっして良いものとはいえなかったといいます。 このままだと実家の農業は苦しいと考えた髙橋さん。しかしどこの農家でもあり得ることで、次世代を担う若い人が農業から遠ざかってしまうと、同時に危機感を感じたのです。
「実家の農家で作るきゅうりは技術的に悪くなかったから、農業組織が決めた限られた範囲だけで販売するのではなく、僕が営業活動をして販路を広げようと考えました」
おいしい作物を通じて健康と笑顔を届けること、地域貢献をしていくこと、そして次世代に繋げる農業を目指すこと。それは、髙橋さんが実家の農業を法人化するはじまりでもありました。
農業の法人化と次世代に農業を残すための大きな決断
農作物の販売にあたっては規格指定があるために、指定の段ボールやフィルムで梱包・出荷していましたが、コストを抑えるために髙橋さん自身でデザイン・外部委託したパッケージや梱包材へと変更し、利幅を増やすというビジネスの基本を実践していきました。
「きゅうりはどこにでも売っていますが、本当に美味しいきゅうりを作れるのって、秋田県では10人もいないと思います。持論にはなりますが、それくらい秋田の農業のレベルって低いんです」
髙橋さんは勉強も兼ねて、南は九州、北は北海道と、きゅうりづくりの技術が優れた方たちのオンライン会議にもよく参加をしているそうです。
「同業者の方と意見交換をしていくうちに、美味しいきゅうりが作れるようになり、秋田県内でも良いお値段で取引ができるようになりました。“たかはし農舎”という会社を自分で作って、代表取締役をやるわけだから、そのためには色々と勉強しなければいけないんですよね。個人事業主でやるより会社組織にした方がメリットが多いので、法人経営という形をとっています」
事業として長く続けていくためには、人が変わってもきちんと継続できるシステムがないと続かないと、髙橋さんはいいます。
「例えばあまり見ることのない、うちの三角屋根のハウス。これはフィルムの張り替えだけで脚は50〜60年にわたり使い続けることができるんです。通常よくみるアーチ型のパイプハウスは、約25年で脚が腐って全部解体をしなければいけない。自分が65歳になったときに、10棟全部の解体の負担を残して、次世代に繋げる?そんなことは考えづらいですよね」
ハウスを維持していく点でみても施設運営は難しく、よっぽど本気で継承を考えていかない限りは途絶えてしまう。自分の世代だけではなく、次の世代へ、農業の未来へ。
そんな本気の決意が垣間見えるのが、総事業費2億円を超えるという、全10棟の巨大な三角屋根のハウスです。
健康でおいしいきゅうりとは
たかはし農舎のInstagramに必ず登場するのは“にゃーちょっこりさん”。思わず「ぷっ」と笑ってしまうような、ユーモア溢れる投稿が揃います
きゅうりが元気である証拠は、実がなり始める前に咲く花が真っ直ぐに伸びるから。ストレスが掛かっていると、どんどん曲がったきゅうりになってしまうといいます。
「きゅうりにとってのストレスは、水不足だったり肥料のあげすぎだったり。お尻が膨らんでいるきゅうりは不健康な状態で疲れちゃっている、なんてこともありますね」
人間もカルシウムやら亜鉛、ミネラルが必要ですが、それは野菜も一緒。
「きゅうりにミネラルやカルシウムが足りないと、断面が白っぽくなって、俗にいう『美味しくないきゅうり』になるんです。花が咲いている段階で、平行に真っ直ぐきれいな花が咲いていると、きゅうりも真っ直ぐになります。花が上向きになってしまっていると、肥料や水不足だと分かるんです。なんらかのサインがきゅうりに出るので、僕たちはそれをくみ取って、足りないものを補給してあげています」
働く人と現場の仕組みを整える
たかはし農舎で働くパートさんは総勢23名。髙橋さんが一人ひとりと連絡を取ってシフトを組み、管理しています。
「勤務体制の管理も、事務方で業務をまとめることが一般的ですよね。ただ、うちは事務員がいないので、自分で勤務体制の管理をしなければいけない。分かっていたことではありますが、これがけっこう大変で。パートさんのお子さんが急な熱で休んだり、体調不良を訴えてお休みされたりすることもあるので、けっこうバタバタです」
ハウスの手前にある作業場の壁には、髙橋さんが作成したシフト表以外にも、作業のルールや注意点、連絡事項などが貼り出されています。
「現場で高い技術を持っていたとしても、このハウスの面積を一人で回していくのは不可能なんです。自分がいなくてもきっちり回るように、指示が見えるように工夫しているので、このボードを見ればパートの皆さんがスムーズに仕事に入っていけます。 この仕組みが完成するまでは、それぞれがちぐはぐな仕事をしていましたが、今は安心してお任せできるところまできました」
パートさんで、農業の経験者はなんとわずか1名のみ。初心者が圧倒的に多い中、技量を統一させるために髙橋さんはどんなことを考えたのでしょうか。
「農業って、長く働いていないと使い物にならないイメージってありませんか。でも、有名なコーヒーショップの店員さんなんて、半年もしたらプロに見えるんですよね。これは農業の仕組み・現場の仕組みが悪いんだろうなって思ったんです。様々な業種の企業の取り組みを真似して組み立てて、ちゃんとしたマニュアルを作って教えると、収穫や袋詰めなんてすぐに慣れちゃいます。農業には現場にマニュアルがないので、それをきっちり作って教育するプログラムを組めば、ある程度はできるようになるんだって感じました」
たかはし農舎では、子育て中の人からシニア層、障がい者の人と様々に働いています。急なシフト変更やお休みが出た時の対応も含め、雇用・人材育成のマネジメントは全て髙橋さんが行っています。
自分の理想とする農業がカタチになった2023年
たかはし農舎は現在、会社を立ち上げて第6期目に突入しましたが、最も大きな喜びを感じたのは今年だといいます。
「去年までは技術を持ち合わせていても、パートさんは不慣れな方が多いものだから、僕の代わりにきゅうりづくりに携わってもらうのが難しかったんです。でも、今年は自分たちの理想のきゅうりができた。これはスタッフ皆さんが技術的に伸びて、仕事がきっちり回ったということなんですよね。この姿を理想として僕はやってきたので、嬉しく思っています」
髙橋さんの理想の農業がカタチになったという2023年、その思いは評価にも通じることになります。
農産物のさらなる価値向上と農業の活性化を目指した「野菜ソムリエサミット」で、たかはし農舎のきゅうりが2023年8月に銀賞を受賞しました。野菜ソムリエサミットとは、日本野菜ソムリエ協会で毎月開催している、野菜・果物、農産加工品の品評会。
青果部門の評価員からは「キュウリ好きに好まれるスッキリとした青々した良い香り」「雑味が無く噛むごとに甘みとうま味が追いかけてくる」と、大きな評価を得ています。
髙橋さんは受賞を受けて、このようにコメントしています。
「この度は野菜ソムリエサミット銀賞に選んでいただいて嬉しく思っております。私が思い描くおいしさのその先へ歩みを進めることができました。日々の努力を怠らずにこれからも喜んでいただける野菜づくりに励んでいきます」
徹底した品質管理ときゅうり本来のおいしさへの追求、そして、お客様の健康と笑顔を想像しながら野菜に寄り添ってきた日々。親子3代の長年の思いが証となって輝いた受賞です。
ぼくらの世代の背中が光って見えれば次の世代が付いてくる
農業は元々産業性に弱く、生産性のランキングも極めて低いといいます。
「『親の仕事って何?』っていう会話をよく聞きますよね。農家って言うと、意見は分かれます。偏見かもしれないけれど、お医者さんと農家ってどっちが上?ってなったら、当然お医者さんってなると思うんです。もうちょっと業種としての価値をあげないと、誰もやらないですよね。そして、ぼくらの世代の背中が光って見えない限り、次の世代は付いてこない。だからぼくは、チャレンジし続けることを選んだんです」
秋田県でこの規模の事業に挑戦したのは、髙橋さんが最年少でした。農業組織に頼らず、自分で手を挙げ農業をやっていくことも可能だということを、まわりの若い世代に示した髙橋さん。
取材中も、風が強くなってくると「ちょっとハウスを見てきていいですか」と、足早にテントに向かう髙橋さんの姿を目にしました。きゅうりに対する追求心・探求心に溢れるその背中は、間違いなく光っていました。
2代にわたってきゅうりづくりに向き合ってきたその姿勢は、髙橋さんへ、そして次世代で輝く若者へと引き継がれていくでしょう。
■ たかはし農舎
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