かつては琵琶湖に次ぐ広さを誇っていた八郎潟。しかし、干拓事業によりその8割が陸地化し八郎湖と呼ばれるようになり、水質悪化やアオコに悩まされるようになりました。潟の魚を食べる食文化は消えていき漁業や佃煮産業は衰退、子どもたちが潟や川で遊ぶ姿すら、見られなくなっています。
その現状を回復すべく、八郎湖再生を願う住民同士が“環八郎湖市民ネットワーク”として立ち上がり、数年後には「NPO法人はちろうプロジェクト」が発足されたのです。
“インドア派”から“探検部”へ!自然の楽しさのスイッチがONになった
青森県出身の鎌田洋平さんは、干拓で失われてしまったかつての美しい八郎湖を守ろうと「NPO法人はちろうプロジェクト」で事務局員として働いています。しかし時には出前授業の講師として、そして時には大学の教授や学生と共に自然学習イベントの開催をするなど、幅広く活動しています。
きっと幼少期からずっと自然が好きだったのであろうと感じますが、実際は少し違ったようです。鎌田さんは幼少期、生物図鑑を丸暗記するくらい、生きものが好きでした。しかし、当時流行していたゲーム機を手にすると、めっきりインドア派になってしまったそう。
「いや、あれは父親が買ってきたものなので!そりゃそうなっちゃいますよね(笑)」
その後は学校の先生を目指そうと、某大学の教育学部に入学。 色々なサークルの中でも、惹かれたのが「探検部」でした。
「探検って旅行に行けたりするのかな!って思って、入部を決めたんです」
入部してみるとボートで川下りをしたり、洞窟に入ってみたり、時にはサイクリングをしたりとアウトドア活動が中心だったそう。
この自然体験は、はちろうプロジェクトの活動に繋がるきっかけとなります。
就職氷河期で就職が決まらない中見つけた“山村留学”
2020年に行われた活動報告会の様子
大学卒業が近づく中、なかなか就職が決まらず、焦りを感じ始めていた鎌田さん。
大学の就職支援センターを覗いたところ「山村留学指導員」を募集している、長野の団体を見つけました。山村留学とは、主に都会の子どもたちが農山村や漁村に移り住み、その自然や文化を体験する事業のことです。指導員の仕事は、そんな子ども達と一緒に生活をしながら、様々な体験を企画・運営していくという内容でした。
「なんかおもしろそうと思って、試験を受けてみたら合格だったので、長野に行くことにしたんです。山村留指導員の仕事は2年間で退職し、地元の青森へ戻ることになりましたが、就職についてはなかなか良い条件に巡り合うことはできませんでした」
半年くらいは実家でなんとなく過ごしていたと言います。
「教員採用試験も不合格で、本当にこれでいいのかって思うようになりました」
そこで、以前出会いのあった自然体験を事業にしている団体を訪れたところ、農林水産省が運営する「田舎で働き隊」を紹介されたそう。受け入れ先として提案されたのは、秋田県湯沢市でまちおこしに取り組むNPO法人でした。
「この時、とにかく仕事が決まらなくて気持ちが追い詰められていて。電話で提案を受けたときも、ここで即答しないと枠が埋まっちゃうんじゃないかと思って、何も調べずに『行きます!』って答えました。どうせ秋田なんて隣の県だし、近いだろうって軽く考えてたんです。で、湯沢ってどこ?って見てみたら200㎞も離れてて。うそ!って、びっくりしちゃいましたよ(笑)」
これが、鎌田さんが最初に秋田に関わるきっかけとなった出来事でした。
秋田県湯沢市で出会った住まい、人のこと
湯沢市での生活の日々を過ごしている、高橋正作氏の旧宅。
湯沢市へ移住後は、まちおこしとして農業の手伝いをしたり、イベントを考えたりしたそうです。半年間の研修を経て、さらに2年間は同NPO法人で雇われ働くことになりました。鎌田さんは、市からの委託で、地域情報誌の中で古い建物を巡るコーナーを担当し、とある古民家を購入したという方の元を訪れます。
その古民家は、1835〜1837年に最大規模化した天保の大飢饉で、私財を投じて村人を救ったとされる“高橋正作”の旧宅でした。維持管理の面で大変だという持ち主の話を聞き「当時のアパートの家賃が高く感じていたので、維持管理を手伝うかわりに、格安で住ませてもらえないかって聞いたんです(笑)これがあっさり承諾で。自分の経歴の中でも、有名な人が住んでいた古民家に住んでいたなんて、トピックとしても面白いじゃないですか」
豪雪地帯の湯沢で過ごす冬の期間は、とにかく寒くて大変だったそう。朝起きると髪の毛が凍っていたり、味噌汁が凍っていたり、水道が止まったり……。またある意味でも非常に貴重な体験をしながら、二年半近くをこの場所で過ごしていました。
「この家に住んでから、髙橋正作の功績を知ったんです。それでもっとたくさんの人にこの方のことを知ってほしいという思いで、任意団体である『正作邸に集う会』を立ち上げました。今も定期的に正作邸には足を運んでいます」
とある出会いで結ばれたご縁から八郎湖へ
事務局の所在地は、うたせ館として当時親しまれていた、現在は閉館している八郎潟展示館内に位置しています。目の前には広大な田んぼが広がり、季節のうつろいが感じられます。
正作邸に集う会の活動をしながら、NPO法人の任期も満期に近づいてきました。
その中で出会ったのが、高橋正作と師弟関係にあったという“石川理紀之助”(篤農家・農業指導者)の子孫にあたる石川紀行氏です。なんと石川氏は、鎌田さんがのちに関わることになる、はちろうプロジェクトの代表だったのです。偶然にも事務局で仕事をしてくれる人を探しており、鎌田さんを訪ねて話を持ちかけてくれたそう。 この出会いから鎌田さんは、はちろうプロジェクトとの縁を結ぶことができたのです。
八郎潟の再生のためにできること
八郎湖環境学習のプログラムガイドの一部。小学校だけでなく、中学生以上を対象とした一般向けのプログラムも存在します。
八郎湖に関わって最初の一年間は、県の臨時職員として働きました。八郎湖周辺のエリアを担当する部署で、はちろうプロジェクトを含めたNPO団体の活動や、環境学習の手伝いをする日々を過ごします。
そして翌年2014年から、はちろうプロジェクトの事務局員としての勤務をスタート。最初は「八郎湖って何?」と、ゼロの状態から仕事を始めた鎌田さんでしたが、まわりのサポートもあり、今や事務局員を越えて、環境学習では地元の小学生へ出前授業として教える立場ともなりました。出前授業は「環境・水・生き物・歴史」がテーマ。小学生の子ども達が話を聞く授業やゲーム的な要素を含んだ体験学習、湖岸や身近な河川での野外学習を通して、八郎潟・八郎湖の自然や歴史を学ぶことができます。参加した子どもたちは、体験したことのない自然に触れ合う機会となり、目を輝かせて取り組んでいるそう。
NPOの仕事は全てヨコの繋がりで出来ている
秋田公立美術大学に設置されたモグリウム(水槽)。水草だけでなくオタマジャクシやゲンゴロウ、ヤゴが泳いでいる姿も見られるそう。
県からの委託で受けている環境学習をメイン事業とするはちろうプロジェクトですが、他にも活動が活発になってきている事業があります。それは「八郎潟モグリウムプロジェクト」と呼ばれ、八郎潟干拓前の地層から掘り出してきたモグ(水草)の種を復活させ、八郎湖に故郷帰りをさせようというミッションの元、活動しています。「モグリウム」という名前は、水草を育てている水槽の愛称として、名づけられました。このモグリウムは地元の小学校だけでなく、高校・大学・公園などにも設置され、水草再生のための取り組みや研究として役立っています。
これをきっかけに学生との繋がりが増えたことで「はちプロ学生部」が発足され、八郎湖を守る活動は徐々に広がりを見せています。
若い人たちに活動をしっかりと繋げていけるような体制にしていきたい
鎌田さんがはちろうプロジェクトに関わり、10年近く経とうとしています。環境学習で教えた当時小学生の生徒が、今度は教える側の資格認定講座を受けに来たことがあったそう。また、モグリウムの学習をきっかけに出会った高校生が、その研究の継続を希望して大学受験に励んでいることを知り、喜びを感じたこともありました。
事業の計画・実行や活動の発信、経理までを行う鎌田さんの仕事は、決して楽しいことばかりではないと言います。しかし、子ども達の道しるべとなれた喜びを通して、これからの未来に向けて考えていることがありました。
「自分が関わった子ども達や学生が、仕事としてはちろうプロジェクトを選んでくれた時に、しっかりと団体が機能しているように基盤を作っていきたい」
地元の人々に愛される八郎湖を守るための活動を、未来に繋げるために、鎌田さんが発信するネットワークはこれからも広がり続けることでしょう。
■ NPO法人はちろうプロジェクト
ホームページ
電話番号
018-874-8686