秋田県秋田市の中心街、南通りに位置する“アトリエ梛木”。住宅をはじめ飲食店、介護・高齢者施設の設計までをも手掛ける設計事務所です。更にインテリア・エクステリアと住まい全般のコーディネートを手掛けており、事務所設立から20年を超える歴史があります。


「設計の仕事を始める前は、履歴書に書ききれないくらい、色々な仕事を転々としてたの!」と、自身の職歴について明るく語ってくれた髙橋さん。一見すると、設計の仕事とは結び付かないようにも思える仕事の数々も、今の高橋さんを語る上で貴重な経験だったと教えてくれました。


どんな状況でも前向きで、力強さを持ち続けている高橋さんに過去と現在、そしてこれからのことを伺いました。



初めて就いた仕事はバスガイド!


設計のお仕事以外にも、講演会や座談会、雑誌のインタビューまで、活躍は多岐におよびます。バスガイドの経験があったからこそ、今でも大勢の前で話をすることに抵抗はないそうです。


設計のお仕事と聞くと、大学や専門学校で知識を学んでから、設計事務所や工務店に就職をするイメージではないでしょうか。しかし髙橋さんは、絵を描くことは好きだったものの、最初から設計士の道に進んだわけではありません。


高校卒業後の初めてのお仕事は、なんとバスガイドさん。華やかな印象とは裏腹に “観光スポットの説明を全て覚えるのは当然”という、過酷な世界でした。3日に一度のペースで渡される、観光についての台本を一生懸命覚えていたそうです。

「この交差点からこの観光スポットは、こう見えるんだ!」

景色を自分の目に焼き付けながら、どのようにしたらお客様に伝わるかを、四苦八苦していました。


「一年半ちょっとではあったけれど、すごく濃くて、人生の勉強になった日々だったの」

バスガイドの仕事を通して感じたのは“人と会うことの楽しさ”でした。 それと同時に、辛さもあったと言います。

「自分が勝手に心の扉を閉じて、この人とは合わないかもって思ったりもしたけれど、仕事なんだから嫌なんて言えないよね。だけど、誰もが心のカギを開けるポイントはあるから、自分が心を開かないといけないなって思ったんだよね」


“人の心をできるだけ早く掴み、そして心の中に入り込んでいく” 設計の仕事は、色々なことを踏み込んで聞かなければいけないこともあります。いいものを作るために必要なこと、その基礎を築いたのは、バスガイドの経験があったからこそでした。

「知識は勉強でなんとかなるけれど、人と接する方法や大勢の前で話をする度胸は、バスガイドで培われたんだよね。だから今、講習会の場でも話せてると思う」


ですが、元々あまり喉が強くなかった髙橋さん。研修中にうまくしゃべれなくなり、まわりにフォローされてしまったこともあり、バスガイドの仕事を退職することを決めました。



様々な職業を経験した時期と“絵を描くのが好き”で始めた空間デザインの仕事


立体をイメージできるパーススケッチは、その先の“暮らし”が想像できます。


バスガイドを辞めたあとは、次から次へと転職を繰り返し、その数は履歴書が一枚では足りないくらいだったそう。酒屋さんに居酒屋さん、カーディーラーのショールームレディに営業と、様々な職種を経験しては「辞めようかなぁ」と、悶々とした日々を送っていた髙橋さん。


そんな中、次に転職を決めたのは、大手の事務用品や機器を扱うメーカーでのデザイン課のお仕事でした。オフィスや事務所の空間デザインを担当する部署で、髙橋さんは自分が好きな“絵を描くこと”を、仕事に選んだのです。



運命を変えるきっかけになった取引先の社長からのヘッドハンティング


事務所空間をデザインする打ち合わせで、営業マンに同行をした際出会ったのが、取引先である住宅会社の社長でした。当時、その住宅会社では、新規開拓で秋田支店の事務所を開設しようとしていたタイミングでした。


仕事を依頼されオフィス内のイラストを描いたところ、それが社長の目に留まり「うちで働かないか」と、思わぬヘッドハンティングを受けたそう。当時22歳、まだ独り身だったことや持ち前の好奇心で「なんか楽しそう!どこでも行きま~す!」と、軽いノリでオファーを受けたと言います。建築業界は未経験、これが山形から秋田に移住を決めた出来事でした。



若さで走り抜けた日々


在職中は、バリアフリーのモデルハウス設計を任されたこともあったそう。当時「これからの時代はバリアフリー住宅だ」と話してくれた社長の言葉をきっかけに福祉施設の知識を学び、高齢者・障害者施設の設計ができるようになりました。


早速、秋田市内にアパートを借りた髙橋さん。

「なんにもないのに、よく来たよね〜!秋田はよく分からないけれど、自分はどんなことができるんだろうって、とにかくワクワク!」

社長は家族がいたこともあり、先に秋田入りをした髙橋さんは、土地勘のない地で支店開設の準備を進めていました。



結婚・出産後でもがむしゃらに働き続けられた理由


地元の老舗健康ランド内に“フィンランドの森”としてオープンしたくつろぎ空間は、髙橋さんが手掛けました。漫画・畳・コワーキングブースと、一日中いられる充実度の高いリラクシングスペースです。


ちょうどこの頃、愛車の調子が悪くなり、修理を依頼した際に車屋で出会ったのが、今の旦那さんでした。「最初の対応は、最高に感じ悪かったけどね(笑)」と、思い出し笑いをする髙橋さん。旦那さんも仕事に対して情熱がある方で、年齢の若さもあり、子育てに協力的というよりは仕事にがむしゃらだったそうです。


出産後は長男をおんぶしながら打ち合わせをしたり、時には会社の女性職員に見てもらったりと、まわりの方々に助けられながら仕事をこなしました。

「長男が2歳前後の時、体調を崩して救急車で搬送されたことがあってね。私が頑張ることで、子どもにしわ寄せがきている。バチが当たったんだなって思った。でも、子どもが元気になったらまた私、仕事に一生懸命になっちゃったの」


当時は3つの保育園を掛け持ちしており、メインの園は18時まで、他の園では20時まで、そして夜遅くまでと預けていたこともありました。

「迎えに行くと『おかあさ〜ん!』 って寄ってくるでしょ。左に曲がれば我が家なのに、右に曲がった途端に子どもが『また預けられる!』って気づいちゃって。『やだやだ!』って、泣きながら訴える子どもを前に、心を鬼にして預けてたの」

深夜に及ぶ会議を終え、ようやくお迎えに行くこともあったそうです。


その後、長女と次男の出産を経て、3人の子育てをしながら感じたことがありました。それは“子育てを頑張るママ達がラクになる、家事動線を重視したプランを作りたい”ということ。 



出会いと別れの中で決意した独立


髙橋さんに声を掛け、秋田という地で様々な経験をさせてくれた社長が、51歳の若さで他界。会社の業績が下降したことに伴い、髙橋さんはリストラの対象となってしまいました。


そこで“独立”の道を選びますが、独立をしても、すぐに仕事があるわけではありません。以前お付き合いがあった左官の業者さんから、外構のプランを作ってほしいと、ありがたい依頼があります。

「経験はないけれど、あのときは一生懸命考えたな」


今でも外構プランニングは、髙橋さんの大切な仕事内容となっています。

「この時に左官屋さんからの依頼がなかったら、きっと外構の案件は手掛けられずにいたと思う。住宅や店舗、外構も含めてオールマイティ。今思うとまわりの皆さんからチャンスをいただき、できるようにしてくれてたんだって。そのことをずっと感謝しているよ」


一見関係がないような職種を経験したことや、たくさんのお客様から得たこと、そしてお世話になった社長が教えてくれたこと。全ての点と点が、線へと繋がっていきました。



髙橋さんから“梛木さん”へ


子育て情報誌の中で書き続けたコラムは、髙橋さんが子育て世代を応援したい気持ちがよく表れています。


髙橋さんはお客様だけでなく、業者さんからも「梛木さん」と呼ばれています。


元々、海が大好きという髙橋さんは、願いを叶える御神木である「梛の木」に魅力を感じていました。ヨコシマな思いがない縦方向のみ平行に走る独特な葉脈は、裂けにくいことから良縁を導くとされています。偶然にも髙橋さんのお子様3人も名前に「木」が入っていることから、その響きにも身近さを感じ「アトリエ梛木」の社名が誕生しました。



私が作ってるものは“どんな風にしたい?” から始まる


アトリエ梛木では、部屋の雰囲気や好みに合わせてインテリアコーディネートしてくれます。お気に入りに囲まれた空間は、住みやすく心地よいと評判です。


今や、様々な設計事務所や住宅メーカーが溢れている中で、それぞれの“ウリ”はたくさんあります。北欧スタイルやログハウス、ヨーロピアンスタイルと、どれも魅力あるものばかりです。

「私の建物は“これ”ってものがないっていうのが、特徴かな」


時折「この家の雰囲気、梛木さんっぽいね!」と言われることもあるそうです。

「でもそれは私じゃなくて、お話したお客様のお好みを引き出しただけ。私が好きな家だったら、私の好きなようにしか建たないじゃない?でも私が住むわけじゃない、そこに住むのはお客様なんだから“どんな生活をしたい?”がスタートになるの」


家にも流行りはあり、お客様のご希望を聞く中でもメリット・デメリットは必ず伝えているそうです。でも、その時の自分が納得して選んだのなら、やるべきだと話す髙橋さん。ただ、デメリットを工夫で乗り切れるような提案ができるよう、努め続けていきたいと話してくださいました。



全ての出会いから私は作られている


コロナ禍により、髙橋さんが代表を務めるインテリアコーディネーター倶楽部の活動もなかなか精力的にはできずにいました。今後は様子を見ながら活動の輪を広げていきたいとのこと。


アトリエ梛木は、スタッフの女性社員と、髙橋さんの二人で会社を運営しています。実は女性社員さんが現在育児休暇中とのことで、髙橋さんは今一人で現場を駆け回っているそうです。

「亡くなった社長が私にしてくれたように、私も社員に同じようにしてあげたいと思うの。育児をしながらでも、ちゃんと働けるようにってね」


最後に今後の展望について聞いてみると「本当に何もないんだよね!人との出会いを大切に、お仕事一つ一つに対してじっくり、楽しく仕事ができることを望むようになってきたかな。今までは、仕事をもらえると“なんとかして仕上げなければ!喜んでもらわないと!”って思ってたの。でも、年齢的にもこれからの方が楽しめる気がする!その質問にはこれだけしか答えられません!(笑)」


日々の忙しさの中で、今日も“梛木さん”は、全ての出会いに感謝をしながら住まいのカタチを考え続けています。



■ アトリエ梛木


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