名古屋市名東区にある、戦争と平和の資料館「ピースあいち」。ピースあいちには、第二次世界大戦にまつわる戦争資料が多く展示されています。戦争の教訓を後世に引き継ぎ、次の世代に平和をつなぐため、多くのボランティアの方々によって運営されている資料館です。


戦争の資料館というと、行政が携わっていると思う人も多いかもしれません。しかしピースあいちはNPO法人によって設立・運営されています。最初に、ピースあいちができた経緯について伺いました。



ピースあいちが設立された経緯

ピースあいちは市民グループ(現在はNPO法人)の手によって設立されました。戦争の資料を後世に残そうと、活動してこられた方々の努力の結晶とも言えます。


話は、まもなく戦後50年を迎えようとする頃、1993年にさかのぼります。戦争の出来事を次世代に伝えていくため、市民グループは「戦争メモリアルセンターの建設を呼びかける会」を設立。そして県や市に対して戦争資料館の建設要望を出しました。それを受けて県と市は、戦争資料館の検討委員会を設置。


市議会への請願も満場一致で採択され、資料館設立に向けて動きが進んだように見えました。このまま実現できるかと思いましたが、「箱物は作らない」「財政状況は厳しい」という状況となり建設は停滞していきました。

民間と行政の協同活動を見据えた「戦争メモリアルセンターの建設を呼びかける会」は、名称を「非営利活動法人・平和のための戦争メモリアルセンター設立準備会」とし、NPO化しました。しかし、事態はなかなか好転しません。


それでもこの状況をなんとかしようと設立準備会の皆さんは、公共施設を借りてモデル展を開催します。モデル展ではパネルなどを使い、設立準備会が求める戦争資料館の形を表現したのです。そしてこのモデル展が、奇跡を起こすきっかけとなりました。


展示期間中、とある女性から事務局に一本の電話が入ります。電話の主は「加藤たづさん」という方でした。



土地と1億円を戦争と平和の資料館のために寄付したい

たづさんからの電話は、彼女が所有している名東区の土地と1億円を寄付したいという、驚くような内容でした。いきなりの申し出に、設立準備会の皆さんは信じられなかったそうです。


「まるでキツネにつままれたような話だと思いました」


モデル展実施のニュースを、たづさんはたまたま新聞で知りました。そしてなかなか資料館建設の計画が進まない様子を見て、ご自分の資産を寄付したいと思われたそうです。


もともと、戦争資料館は行政(公的機関)の責任において作るべきであると、設立準備会は訴えてきました。なぜなら戦争は国策において遂行されたものであり、後世へ伝えていくのは民間の手ではなく公的機関がおこなうべきだと考えたからです。


事務員の方のメモ(画像引用:ピースあいち開館10周年記念誌「希望を編みあわせる」)


そしてたづさんからの土地と寄付金を以って、市と県で資料館を作ってほしいと設立準備会は働きかけました。しかし市と県の返事は「NO」。またまた大きな壁が立ち塞がります。


設立準備会に残された道は2つでした。

1. 寄付をお断りする

2. 設立準備会がたづさんからの寄付を受けて、自分達で資料館を作り運営する


設立準備会は県や市への働きかけを続けつつ、市民の手によって先行的に施設を開設することを選びました。


「たづさんのお申し出は非常にありがたいものでしたし、実際にそのお金を使って施設を建てることができました。しかし本来なら市や県が責任を持って運営すべきだと思っています。その思いは今も変わりません」


こうしてピースあいちは開館にむけて、改めてスタートを切りました。市と県での建設・運営はかないませんでしたが、県民部長からは「できる協力はしていく」との発言が得られたそうです。


ピースあいちのオープン当日は、開館を祝福するかのような五月晴れ。マスコミや関係者が集い、開館式が盛大に行われたのだそうです。



ピースあいち施設紹介

ピースあいちは3階建ての建物の中に、4つの展示室があります。


1F


1Fは「現代の戦争と平和」のパネルが展示されています。


パネルは年表式になっており、上段は平和の歩み、下段は戦争の流れが描かれています。戦争は今も世界中のいたるところで起きており、決して他人事ではないと思い知らされる場所です。戦争の裏側には、いつも平和のために力を尽くしてきた人がいました。


今も世界のどこかで起きている戦争。自分ができることは何か。このパネルの前に立つと考えずにはいられません。


2F


1Fから階段を上ると「愛知県下の空襲」そして「戦争の全体像 十五年戦争」の展示室に着きます。


室内には爆弾の破片や焼夷弾の信管、黒焦げになった硬貨などが展示されており、愛知県で起きた空襲の恐ろしさを物語っていました。


また戦争を経験した人々の体験記も紹介されています。体験記はどれも生々しいもので、もし自分や家族が同じ状況にあったら……と考えてしまいます。


展示室の中央あたりには戦争の全体像が紹介されています。壁面パネルに加えて、軍服の上着や背のう、飯ごうなど実際に軍隊で使用されていたアイテムが並びます。展示物は、市民から寄贈をしていただいているそうです。


「開館前は、戦時中の資料を収集している方から購入しました。開館後は市民の皆さんに呼びかけて、寄贈をしてもらっています」


今でも市民からの寄贈は絶えず、年に一度「寄贈品展」を開いているそうです。

「寄贈してくださる方の話を聞くと、遺品整理をしていて、戦前の品物が出てくることもあるそうです。自分で捨てるのはしのびないということで、ピースあいちに持ち込まれる方もいます。寄贈品で多いのはヘルメットですね。丈夫な素材なので、形を保ったまま残りやすいのでしょう。逆に壊れやすいものは、持ち込まれる前に捨てられてしまうことも多いようです」


場所が限られているため、寄贈品を全て展示できるわけではありません。展示できない資料は、上記画像のようにケースに入れて、保管されています。


3F


3Fでは企画展が行われています。取材時の企画展は「戦争プロパガンダ〜国民を戦争に向かわせた宣伝たち〜」。戦時中日本政府が戦争をするために、国民に対して行った宣伝の手法を紹介していました。


商品のポスターだけでなく、子ども向けの雑誌も戦争一色。駅弁の包み紙まで、戦意高揚の道具とされていました。


「子どもたちの来館が増える夏休み中の企画展は、一年で一番力を入れる内容となっています。夏の企画展が終わると、来年度の企画展について検討しはじめます」


ピースあいちでは、年間でおよそ5〜6個の企画展が行われます。夏休みが終わった頃、ボランティアの皆さんに呼びかけて、来年度の企画を立てるチームを作るのだそうです。チームで出し合った企画案を、他のメンバーと共に検討していきます。


「ちなみにピースあいちはNPO法人が運営しているので、スタッフが全員ボランティアです。私もボランティアなんですよ。施設の展示や企画は、全て自分達で考えてきました。歴史の専門家や研究者ではない人たちが、イチから勉強して作り上げていったんです」


そのうちボランティアには高校や大学の先生も加わり、少しずつ知識レベルが高まっていきました。現在のボランティアメンバーは高校生から80代まで、幅広い年齢層の方が参加されています。


「もともとの市民グループと、新しいボランティアで、日々の運営を進めていくようになりました。全員が毎日来られるわけではないので、できるときに参加してもらっています。ボランティアの皆さんのおかげで、ピースあいちが成り立っています」



語り手の会・語り継ぎ手の会

ピースあいちには「語り手の会」があります。この会の目的は、戦争体験者が戦争の体験談を語ること。小中学校や各種団体から派遣要請があれば、施設外で話をすることもあります。「語り手の会」の活動はピースあいちにおいて、欠かせない取り組みです。


しかし戦後77年を迎え、語り手の高齢化が進み、語り手の会そのものの存続が難しくなってきました。


「戦争を経験し、かつ記憶がある方は80代以上です。ピースあいちでも一時は100人ほどの登録者がありましたが、現在は30人ほどにまで減りました。語り手の減少については、ずいぶん前から大きな課題でした」


語り手が減っていく事態を憂慮し、新たに創設されたのが「語り継ぎ手の会」です。「語り継ぎ手の会」では、戦争経験のない方が語り手から戦争体験談を聞き、その体験談を人に語り継いでいく取り組みを行っています。


「戦後75年を迎えた年に、語り継ぎ手を募集したところ、約20人が応募してくれました。これまでは語り手の方々に頼っていましたが、今後は語り継ぎ手の育成に努めていかなくてはなりません。語り継ぎ手には、学生さんから40〜50代の方がボランティアとして参加してくれています」



開館して変わったこと、変わらないこと


ピースあいちは開館して15年を迎えました。開館してから変わったことと、変わらないことを伺いました。


「変わったことは、戦争がますます昔の出来事になってしまったことです」


戦争が終わったのは1945年のこと。ピースあいちが開館した2007年から、さらに15年の月日が流れました。今年は終戦から77年です。15年も経つと、人々の記憶はどんどん薄れていきます。戦争を経験した人たちも減り、戦争が見えなくなってしまうと感じていらっしゃいました。


「変わらないのはピースあいちが今日もあるということ。これからもボランティアの皆さんによって、ピースあいちの運営や活動は、変わりなく続いていくのだと思います」



これからのピースあいちの取り組み

ピースあいちには、さまざまな感想が寄せられます。その中で、館長の宮原さんが特に心に残った感想を伺いました。


「“ピースあいちがあってよかった”ですね。特に若い子育て世代の方に、よく言われます」


20〜30代のファミリーで来館する方も多いのだそう。戦争を体験した方の話を聞いたことがない人でも、ピースあいちで戦争を知り、子どもに伝えていきたいという意を寄せてくれたそうです。


「さまざまな世代の人たちが、ピースあいちで戦争について知る。それぞれの思いを持って、ピースあいちで感じたことを次の世代につなげていってほしいなと思います」


そしてピースあいちは今後Wi-Fi設備を整えていく予定があるそうで、若い世代や海外の人々にもより利用しやすい施設を作っていきたいと、宮原さんは話してくださいました。


「QRコードで読み取った解説を耳で聞けたり、紙芝居の上演を見られたり、企画展では動画を見られたりと、時代に合わせた取り組みをしていきます」


展示以外でも、よりわかりやすく戦争を伝えていきたいとのこと。今後は戦争の語り手によるお話の動画を、順次インターネットにアップしていくそうです。(現在6人ほどの語り手動画がアップされています。)


「現在、展示の説明は日本語のみですが、英語版を追加したいと思っています。ただ、今はこれ以上展示場所に説明文を追加する場所がないので、Wi-Fiを使って翻訳が見られるようにするつもりです」


これからは、海外からの来館者も増やしていきたいと考えているとのこと。国境を超えて戦争と平和を伝えていく、ピースあいちの今後の取り組みに期待です。



最後に


これまで私は、第二次世界大戦のことを「教科書に載っている過去の出来事」だと思っていました。しかしピースあいちで資料や写真を見て、考えが変わりました。全ての展示を見終えたら、自分のこととして戦争をとらえていたのです。


平和について考えるのは難しい、自分ができることは何もない、と思う人も多いかもしれません。しかし、過去に起こった戦争を「知る」ことはできます。ピースあいちは戦争を知らない私たちに「戦争のことを知ってほしい」と優しく語りかけてくれます。


館長の宮原さんがおっしゃるように、今が平和だからこそ、時間が経つほど戦争は遠い昔の出来事となっていきます。しかしどれだけ時間が過ぎても、私たちはあの戦争を忘れてはいけない。それを教えてくれる場所が、ピースあいちなのです。



■ ピースあいち


ホームページ

peace-aichi.com


住所

〒465-0091

愛知県名古屋市名東区よもぎ台2丁目820


電話番号

052-602-4222


営業時間

11:00-16:00


定休日

月曜日・日曜日

夏季休館あり


Twitter

@peaceaichi